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2012年8月22日水曜日

占領統治の実際

サンフランシスコ講和条約の発効に至るまでの非独立の占領時代には、連合軍の軍事的支配の下、我が国の政治、法制、経済、教育及び文化などのすべての事象において大きな変革が強要された。

GHA/SCAP(以下、GHQ)の軍事占領下で最も大きな強制的変革は、帝国憲法を全面改正したとされる日本国憲法という名の「占領憲法」の制定である。
占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」以外の意見は完全に黙殺され、出版物、手紙その他の文章を検閲し、占領政策の妨げとなる一切の言論を禁止し、GHQの占領政策を批判する記事は発行禁止処分の制裁を受けるなど、臣民(国民)の政治的意思形成に必要な情報を一切提供させないようにする『日本プレスコード指令』による強力な言論・報道統制が断行された。

『日本プレスコード指令』とは、GHQ司令官であるマッカーサーが発令してもので、『言論及び新聞の自由に関する覚え書き』、『日本に与えうる新聞準則』などによる一連の言論、新聞、報道の規制と検閲制度全体を指す。これらによる削除、発行禁止処分の対象となる項目は、①SCAPに対するいかなる一般的批判、及びSCAP指揮下のいかなる部署に対する批判、②極東軍事裁判批判、③SCAPが憲法を起草したことに対する批判、④検閲制度への言及、⑤合衆国、ロシア、英国、朝鮮人、中国、田の連合国に対する批判、など三十項目に及んでいた。

言論・報道の統制が行われているかたわら、戦争犯罪人であるとか、軍国主義者であるとの一方的な理由で多くの官僚、代議士などの政治家が公職追放された。衆議院議員四百六十六名のうち、八割以上に該当する三百八十一名が追放されたとされている。

これらの対日検閲計画は、大東亜戦争開戦の翌日に、J・エドワード・フーヴァーFBI長官が検閲局長官臨時代理に任命されたときから用意周到に準備されてきたもので、第二次近衛内閣の「挙国的世論の形成」を図る目的で作られた情報局などのような戦時体制下における情報統制よりも遥かに厳しいものであった。

そのため、憲法改正案を審議した第九十回帝国議会を構成する議員を選出した総選挙においても、改正案の全文は選挙前には公表されず、改正案全文が発表されたのは選挙から十日後であった。この憲法改正案は、公職追放の危険による萎縮効果もあって、選挙での争点には全くならなかった。
これらの措置は、占領下で制定された占領憲法の「法の下の平等」、「表現の自由」、「検閲の禁止」などに明らかに抵触するものであり、帝国憲法の「言論・著作・印行・集会・結社の自由」にも違反する違憲措置であって、現行の公職選挙法の規定によれば、選挙自体が無効であることは明白である。

公職追放の他にも「魔女狩り」にも似た「公開リンチ」の極め付きとしての極東国際軍事裁判がさらに萎縮効果は大きくした。
極東国際軍事裁判では東条英機元首相ら二十八名が共同謀議によって侵略戦争を指導したとして起訴され、二十五名に有罪判決が下され、マニラやその他の東亜・太平洋地域において、適正な手続きや法的根拠に基づかずに「裁判」という名前のリンチによって、総勢九百九十四人が処刑されている。

このような事実を、日本のマスメディアは、批判するどころか、発売禁止処分を恐れて言論統制や検閲に何ら抵抗することなく、ジャーナリストの良心と魂を売り飛ばして御用新聞・御用放送に成り果て、連合軍の行う一連の措置が正当であるかのような大衆世論操作に加担した。

その言論統制と検閲を担ったのが、マスメディア各社で設立された「財団法人日本新聞協会」である。これは現在も存続しており、表向きは「民主主義的新聞社」の団体であると言いながら、GHQの検閲とプレスコードを受容して命を永らえた集団である。NHKや民法などのテレビ各社も加入し、「新聞倫理綱領」なるものを定めて、「民主主義」の旗手のように偽装しているが、同社団に所属しない中小メディアを閉め出した「記者クラブ」というギルド性によって特権を固守し、GHQなき後も、忠実にその指導方針(東京裁判史観)を堅持している。
この財団法人日本新聞協会に所属するマスメディアは、占領当初から与えられた敗戦利得者としての利権を固守し、連合軍の占領政策を支持することによって真の自由と民主主義が生まれるとの「世論」を形成させ、衆愚政治における「大衆の喝采」を得ることに成功した。
こうして民主主義の基本であるべき正しい政治的情報を知る権利が全く与えられない愚民政治が出現したのである。

本来ならナチス・ドイツによるユダヤ人やジプシー等の大量殺戮に勝るとも劣らない広島及び長崎の原爆投下による無差別大量殺戮(ホロコースト)が非難されるべきであり、今日でもその意義は風化していないが、「日本がいつまでも降伏せずに戦争を続けたために落とされたのであり、早く降伏して戦争をやめていれば落とされずに済んだのであるから、原爆投下の責任は日本にある」という占領軍の流したデマのような洗脳から解かれていない有様である。このことだけを見ても、占領政策による言論と報道の統制は非常に効果的に行われたと考えるべきである。

2011年8月17日水曜日

パール判事の日本無罪論

わりとよく読まれてる本ですね。 
パール判事は極東軍事裁判で起訴された日本人全員の無罪を主張した人です。 
靖国神社にも碑があります。


毎年お盆の時期になると、いわゆるA級戦犯に関する議論などを目にします。
あれは裁判じゃない、違法だ無効だという話。
判決を受諾したのであって裁判を受諾したのではないと、誤訳を指摘する声も多いですね。

記憶している限り、このような話はずっと前から聞かされていて、ずっと前から言われていることの内容に変化がありません。
状況が変わっていないことは確かなようです。
私たちは何をしたいのでしょうか?

判決の受諾か裁判の受諾か、は大きな問題ではありません。

極東軍事裁判は裁判の名を借りた見せしめです。
言論統制とこの見せしめで文句が言えない、歯向かえない状況を作るためのショーです。
この見せしめを甘んじて受け入れる、そしてこの後に行われる日本国憲法への改正を受け入れることがセットで講和の条件です。
もう逆らいません、連合国のなすがままになりますと約束したから講和に至ったわけです。
日本国憲法にそう書いてありますよね「もうしません」「すべてお任せします」って。

前に進むためには、極東軍事裁判の位置づけと現在の私たちの立ち位置を認識しておく必要があるのではないでしょうか。
極東軍事裁判は裁判として無効ですから裁判ではありませんが講和の条件として有効です。
効果がありましたから。

日本国憲法は憲法として無効で講和条約として有効です。
律法行為的にも違反が多く無効ですし、実効性のない部分も多いので無効です。
施行されたときの形式も国際系の条約のようでした。(官報には英語と日本語のものが存在した)

どちらも敗戦から講和までに到る文書、その他の条約や憲章、国際情勢などにリンクしています。
ですので、国内に限定した事項ではありません。

A級戦犯は戦後に国内的には名誉が回復されていますが、国際的な名誉回復は達成されていません。
日本は日本国憲法(占領憲法)体制下で連合国秩序を他律的かつ自律的に維持してきました。
そのような状況下で「A級戦犯は戦犯ではない」と国内的に言えて、私たちがそう思っても、占領された(占領憲法が憲法だとされている)状態で、外国からは懲罰的な論理が(国連憲章など)が通用しています。
なので「A級戦犯は戦犯ではない」という思いは、自己完結型の論理としては正しいとしても、国際的には正しくないということです。
国際的に正しくなくてもいいと開き直っても構いませんが、国際的な関係の上に作られた「ありもしない罪を着せられた人々」なのですから、国際的な関係を無視するのは少し乱暴ではないでしょうか。

このような体制を後生大事にしてきたこれまでの日本人は反省しなければいけないのではないかと思います。
極東軍事裁判を無効だと言いながら、日本国憲法は無効だと言わない二重基準がまかり通っているように見えますから、まだまだ現状認識も反省も十分ではないのかもしれません。
愛国心も日本人の誇りも英霊への感謝もあったものではありません。
占領体制に組み入れらたまま、そこから出ようとしていないのですから。

こういう現象が起きるのは、日本国憲法に目を向けたくない勢力の情報操作があるからだと思われます。
愚痴を言わせてガス抜きさせ、本質論をさせない。 
よくある騙しのテクニックです。 
東京裁判史観を捨てろ、戦後レジュームからの脱却なんて言ってる人たちの中には、実際は日本国憲法体制を維持したい、あるいは堅持したいと思っている人が相当数いるようです。

前に進むには日本国憲法無効宣言、帝国憲法復原し実情に合わせて改正、講和条約としての日本国憲法の部分的破棄通告、サンフランシスコ講和条約の部分的破棄通告、国連体制の変革の働きかけとそのための外交。そんなことが必要ではないでしょうか。
憲法の問題は、皇統、原発、基地、領土、年金、相続、少子化、教育など多岐に影響を与えていますから、急がなければ日本が日本ではなくなってしまいます。

日本は、敗戦というものを受け止め、理不尽ながらも連合国の要求を受け入れ、戦争は終わった、いつまでもくよくよせずに、もう一度良い日本を作ろうと再出発したわけです。
歴史に学ぶことは大切ですが、終わったことを「あれが悪かった」「これが悪かった」というのではなしに、「こうしよう」という方向に力を使いたいものです。

票に結びつかないので政治家のみなさんは憲法に対して無関心かつ不勉強です。
そんな政治家を動かすのは私たちです。
政治家に求める前に私たちが変わらなければなりません。

2011年8月10日水曜日

プレスコードは生きている

JJ太郎さんのかつて日本は美しかったより転載です。

昭和20年(1945年)9月21日、大東亜戦争後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本に与うる新聞遵則」(プレスコード)が発せられ、日本の言論は厳しく自由を制限させられました。以下の内容が調べられました。

・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
・極東国際軍事裁判批判
・SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
・検閲制度への言及
・アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
・連合国の戦前の政策に対する批判
・第三次世界大戦への言及
・冷戦に関する言及
・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
・戦争犯罪人の正当化および擁護
・占領軍兵士と日本女性との交渉
・闇市の状況
・占領軍軍隊に対する批判
・飢餓の誇張
・暴力と不穏の行動の煽動
・虚偽の報道
・SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
・解禁されていない報道の公表

検閲は一般の手紙にも及び、日本人にやらせるのです。100通の手紙を検閲して、5通が怪しいといって提出すると残りの95通を別の人にやらせて、もしズルして隠したことが発覚するとクビにするのです。即刻クビですから食糧不足の時代ですから明日から食べるものがない。実に卑劣なやり方です。

広島の人なら峠三吉の詩「にんげんをかえせ」が発禁処分に処されたことをご存知の方もいるでしょう。終戦直後、アメリカの原爆投下を批判した鳩山一郎の記事がもとで朝日新聞は発行停止を喰らったことがあります。

プレスコードはよく見ると現代に生きている部分がありますね。「神国日本」などそうでしょう。政治家が「日本は神の国」と発言するとマスコミは大バッシングを始めます。学校教育やマスコミでは軍人の偉業を讃えるようなことはしません。テレビのニュースでは「我が国」「わが日本」というような表現はせず、「政府は」「政府与党は」という表現をしているような気がしますが、気のせいでしょうか。
2007年に安倍総理(当時)がインドに訪問して、チャンドラ・ボースの遺族に会ったことを報道しませんでした。インド独立を日本軍が支援していたからです。
NHKや朝日新聞は支那、朝鮮批判には控えめでしょう。”シナ批判禁止”は現在では日中記者交換協定というものに変化して批判がかけないようになっています。
以前、関門海峡で自衛隊の護衛艦と韓国船が衝突したとき、テレビニュースで大々的に報道しましたが、韓国側が全面的に悪い、とわかると報道を見事なまでにピタっとやめました。朝日新聞は犯罪を犯した朝鮮人は通名を使います。「北朝鮮」という呼び方も少し前までは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と長々しく書き、アナウンサーもそうしゃべっていました。「北朝鮮」と簡単に言えるようになったのは小泉首相(当時)に金正日総書記が、日本人の拉致を認めてからです。広島では北の核に極めて寛大でようやく最近になって批判が少しでてきたぐらいでしょう。

「シナ」と呼ぶと差別だといわれるでしょう。石原都知事がそうよんでマスコミからバッシングを浴びていたことを思い出します。シナは英語のチャイナと同じなんですが、それは差別といわれない。「中国」というのは周辺の民族を野蛮人扱いして「東夷」「西戎」(せいじゅう)「北狄」(ほくてき)「南蛮」とよび自分の国だけを高い位にして呼ぶときの自称の言葉です。「東夷」は日本が含まれます。これも昭和21年6月に公文書化されマスコミや学校から「シナ」の文字は消えました。(GHQというより中華民国からの要請) ほんとは日本が「中国」と呼ぶのはおかしいのです。

このように日本はまだまだGHQの呪縛から逃れていないのです。



参考文献
「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著
「渡部昇一の昭和史」(続)渡部昇一著
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
WikiPedia「プレスコード」「日中記者交換協定」「支那の呼稱を避けることに關する件」


2011/02/26 動画が消去されていますので、こちらをご覧ください。
http://shupla.w-jp.net/datas/flash/FB_ipyou01.html


2011年7月25日月曜日

占領統治の実際

サンフランシスコ講和条約の発効に至るまでの非独立の占領時代には、連合軍の軍事的支配の下、我が国の政治、法制、経済、教育及び文化などのすべての事象において大きな変革が強要された。

GHQ/SCAP(以下、GHQ)の軍事占領下で最も大きな強制的変革は、帝国憲法を全面改正したとされる日本国憲法という名の「占領憲法」の制定である。
占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」以外の意見は完全に黙殺され、出版物、手紙その他の文章を検閲し、占領政策の妨げとなる一切の言論を禁止し、GHQの占領政策を批判する記事は発行禁止処分の制裁を受けるなど、臣民(国民)の政治的意思形成に必要な情報を一切提供させないようにする『日本プレスコード指令』による強力な言論・報道統制が断行された。

『日本プレスコード指令』とは、GHQ司令官であるマッカーサーが発令してもので、『言論及び新聞の自由に関する覚え書き』、『日本に与えうる新聞準則』などによる一連の言論、新聞、報道の規制と検閲制度全体を指す。これらによる削除、発行禁止処分の対象となる項目は、①SCAPに対するいかなる一般的批判、及びSCAP指揮下のいかなる部署に対する批判、②極東軍事裁判批判、③SCAPが憲法を起草したことに対する批判、④検閲制度への言及、⑤合衆国、ロシア、英国、朝鮮人、中国、田の連合国に対する批判、など三十項目に及んでいた。

言論・報道の統制が行われているかたわら、戦争犯罪人であるとか、軍国主義者であるとの一方的な理由で多くの官僚、代議士などの政治家が公職追放された。衆議院議員四百六十六名のうち、八割以上に該当する三百八十一名が追放されたとされている。

これらの対日検閲計画は、大東亜戦争開戦の翌日に、J・エドワード・フーヴァーFBI長官が検閲局長官臨時代理に任命されたときから用意周到に準備されてきたもので、第二次近衛内閣の「挙国的世論の形成」を図る目的で作られた情報局などのような戦時体制下における情報統制よりも遥かに厳しいものであった。

そのため、憲法改正案を審議した第九十回帝国議会を構成する議員を選出した総選挙においても、改正案の全文は選挙前には公表されず、改正案全文が発表されたのは選挙から十日後であった。この憲法改正案は、公職追放の危険による萎縮効果もあって、選挙での争点には全くならなかった。
これらの措置は、占領下で制定された占領憲法の「法の下の平等」、「表現の自由」、「検閲の禁止」などに明らかに抵触するものであり、帝国憲法の「言論・著作・印行・集会・結社の自由」にも違反する違憲措置であって、現行の公職選挙法の規定によれば、選挙自体が無効であることは明白である。

公職追放の他にも「魔女狩り」にも似た「公開リンチ」の極め付きとしての極東国際軍事裁判がさらに萎縮効果は大きくした。
極東国際軍事裁判では東条英機元首相ら二十八名が共同謀議によって侵略戦争を指導したとして起訴され、二十五名に有罪判決が下され、マニラやその他の東亜・太平洋地域において、適正な手続きや法的根拠に基づかずに「裁判」という名前のリンチによって、総勢九百九十四人が処刑されている。

このような事実を、日本のマスメディアは、批判するどころか、発売禁止処分を恐れて言論統制や検閲に何ら抵抗することなく、ジャーナリストの良心と魂を売り飛ばして御用新聞・御用放送に成り果て、連合軍の行う一連の措置が正当であるかのような大衆世論操作に加担した。

その言論統制と検閲を担ったのが、マスメディア各社で設立された「財団法人日本新聞協会」である。これは現在も存続しており、表向きは「民主主義的新聞社」の団体であると言いながら、GHQの検閲とプレスコードを受容して命を永らえた集団である。NHKや民法などのテレビ各社も加入し、「新聞倫理綱領」なるものを定めて、「民主主義」の旗手のように偽装しているが、同社団に所属しない中小メディアを閉め出した「記者クラブ」というギルド性によって特権を固守し、GHQなき後も、忠実にその指導方針(東京裁判史観)を堅持している。
この財団法人日本新聞協会に所属するマスメディアは、占領当初から与えられた敗戦利得者としての利権を固守し、連合軍の占領政策を支持することによって真の自由と民主主義が生まれるとの「世論」を形成させ、衆愚政治における「大衆の喝采」を得ることに成功した。
こうして民主主義の基本であるべき正しい政治的情報を知る権利が全く与えられない愚民政治が出現したのである。

本来ならナチス・ドイツによるユダヤ人やジプシー等の大量殺戮に勝るとも劣らない広島及び長崎の原爆投下による無差別大量殺戮(ホロコースト)が非難されるべきであり、今日でもその意義は風化していないが、「日本がいつまでも降伏せずに戦争を続けたために落とされたのであり、早く降伏して戦争をやめていれば落とされずに済んだのであるから、原爆投下の責任は日本にある」という占領軍の流したデマのような洗脳から解かれていない有様である。このことだけを見ても、占領政策による言論と報道の統制は非常に効果的に行われたと考えるべきである。


参考文献:國體護持総論<普及版シリーズ第二巻>「かへるうぶすな」南出喜久治著

注)参考文献より一部を抜粋、要約して投稿しています。原文は本著を御一読ください。

2011年6月22日水曜日

米軍は親切だったのか ~ 沖縄戦

JJ太郎さんのブログから転載させていただきました。
http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10921108474.html


やはり鬼畜米英という言葉は的を射ている。

 大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。

投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で次々死んでいった収容所もあります。
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。

収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。

妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、こういう話は山ほどあります。強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。

沖縄戦の体験証言集を読むと米軍の蛮行がいくつも出てきます。

仲地文子さん
「羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、米兵に襲われた女性が何人かいた。だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、薄汚いなりをして歩いたものだった。また、深夜に突然米兵が現れると空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである」

山里宗富さん
「戦前私の近所に照屋松助という頑丈な男がいた。当時彼は家族と別れて一人で瀬底に避難していたが、その日はたまたま健堅に戻って来て家族とともにウイバルにいた。すこし体のぐあいが悪いということで寝ていたのである。そこへ突然銃を持った二人の米兵が現れ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がってきて米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、ささっさと帰りたまえ』と怒鳴りつけた。言葉は通じなかったもののその場は何事もなく収まり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが間もなく米兵らが戻って来て、彼をたたき起こし、銃をつきつけて前へ歩くように明治、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった」

末吉カメさん
「普通の米兵はとくに悪いことをするようでもなかったので、私達は安心していた。ところがそのなかに、住民から鬼のようにこわがられている者がひとりいた。やせっぽちのシビリアンと呼ばれていたが、彼はいつも銃を持ち歩き、男という男はかたっぱしから捕まえてひっぱっていったし、若い女性には乱暴をはたらくなど、非道のかぎりをつくしていた。事実彼によって何人かの男たちが殺されてしまった。そいつが村に入って来るのを見て、すばやく若い女性を逃がしたために、原っぱに連れ出され、正座を命じられて射殺された男もいた」

米軍は寛容で親切だったなんてことはまったくなかったのです。自決せず投降して助かった人が幸せだったとはいえないでしょう。こうした米軍の蛮行を見て戦時中「米軍は女性を陵辱し、男性は戦車でひき殺される」というフレーズが思い出す人もおり、自決した友人達を羨んだといいます。



参考文献
小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助
参考サイト
沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu



転載ここまで。




今でもアメリカは良い国で支那は悪い国みたいな空気を醸し出す人がいますが、実際はそうでもありませんね。
私の生まれ育った地域には米軍の通信基地がありましたが、その周辺で女性の不審死がよくありました。不思議と新聞には事件として載らないんです。
仕事で米軍基地に納品をしに行くことが何度かありましたが、米軍兵士に基地内に呼び込まれて複数の兵士に乱暴されて逃げてきた女性が保護されているところも見たことがあります。
基地のある町ではそういうことが当たり前でした。
ああ、未だに日本は占領されたままなんだなと思ったものです。
問題があっても隠されてしまう。
問題がないことになってしまう。


日本人は怒る対象をよく見て、怒るべきときに怒ることが必要ではないかと思います。

2011年5月26日木曜日

とっくに破綻していたGHQ憲法

JJ太郎さんのブログより転載です。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110510/1305030792


とっくに破綻していたGHQ憲法

欺瞞との馴れ合いが続く。

 平成2年(1990年)に勃発した湾岸戦争で翌年に日本海上自衛隊の掃海部隊が活躍しました。この掃海部隊は戦後間もなくの頃、米軍機が撒いた機雷の除去作業も行っており、国内の掃海作業を行っただけでなく、朝鮮戦争にも参戦しています。

 昭和25年6月25日、北朝鮮軍が国境を破って韓国領内に進撃し、韓国軍と国連軍は一時釜山周辺まで追い詰められました。そこで連合軍は北朝鮮西岸の仁川に奇襲上陸をかけて成功しています。そして北朝鮮の東岸にある元山港の占領を計画しましたが、そこには連合軍の上陸を予想して北朝鮮軍が施設した3000個に及ぶと予想されるソビエト製の機雷がありました。連合軍は対機雷戦に関しては兵力、経験とも十分ではありませんでした。そこで日本掃海隊がクローズアップされ、米極東司令官から掃海部隊の出動要請が出たのです。

 日本はGHQ占領憲法下であり、第九条には戦争の放棄をうたっているのですから、海外派兵はできません。しかし、これは秘密裏に進められ、日の丸も軍艦旗も掲げられない掃海部隊が派遣されました。地上からの砲撃のある戦場へ行ったのです。掃海艇の一隻が機雷に接触し、戦死1名、重軽傷者18名を出しています。

 GHQ憲法は”オキュパイド・ジャパン”(被占領日本)の下で既に破綻していました。考えてみれば夢見る少女のような憲法前文と憲法九条など破綻して当たり前でしょう。国際社会はまだまだ厳しいのです。

 平成15年から平成21年まで行われたイラク派兵についてもGHQ憲法は破綻しています。GHQ憲法九条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」と書かれており、武装して他国に入れば既にそれは「武力による威嚇」に該当します。

 弁護士の南出喜久治氏によるとこの「武力による威嚇」について国会で全く審議されなかったので、民主党の末松代議士にこのネタを言ったら、末松氏はイラクの特別委員会でそれを指摘し、政府は全然答弁ができてなかったといいます。つまりGHQ憲法という憲法の名をかたった欺瞞との馴れ合いが続いているということです。

 GHQ憲法の九条は「国の交戦権は、これを認めない」と書いていますが、交戦権というのは戦争行為を遂行又は停止し、最終的には講和条約によって戦争を終結(講和)することですから、交戦権がければ講和権もない。GHQ憲法には講和権などどこにも書いていないでしょう。したがってサンフランシスコ講和条約を結ぶことに対してGHQ憲法には法的根拠がないということになります。ですから法的根拠は明治憲法第13条ということになります。

 第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

 このようにGHQ憲法は憲法として機能していません。また、その出自は正統性がなく、明治憲法の憲法改正条項にも違反しており、憲法ではなく、いわばGHQによる占領基本法、あるいはGHQとの交渉経緯から講和条約の一環と解釈するのが妥当と言えます。

 そもそもGHQ憲法の目的は日本を二段階にわけて共産化することが目的です。これにはCIAの前身組織であったOSSの中のフランクフルト学派という隠れマルクス主義者が大きくかかわっています。九条は共産革命を起こしたとき、軍隊が阻止しにくることを恐れたため、軍を持たせないようにしたのです。こうしたことは、近年アメリカの資料公開によりだいぶわかってきていますが、政治家もマスコミも沈黙を続けています。


参考文献
 光人社「ペルシャ湾の軍艦旗」碇義朗(著)
 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
 ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)

2011年4月30日土曜日

【転載】主権回復の日 ~ GHQ憲法を破棄せよ!

出遅れ観がありますが、いつも簡潔かつ充実した内容のブログ JJ太郎さんの『かつて日本は美しかった』からの転載です。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110428/1303994530

日本に主権がない期間があった。

 上智大学名誉教授の渡部昇一氏は東京裁判は日本を蝕む梅毒のようなものとして、その根治方法の一つに「独立回復記念日」を制定することを提唱しています(ただし、沖縄復帰もあわせて考える必要あり)。日本には昭和20年(1945年)8月14日から昭和27年4月28日まで主権がなかったのです。この間は「オキュパイド・ジャパン」(被占領日本)であり、日本商船管理局旗は国際信号旗のE旗の端を三角に切り落とした旗が使われ、輸出製品は"Made in Occupied Japan"(占領下日本製の意)と書かれました。日の丸掲揚、国歌斉唱もできない、輸出入はGHQの許可がいる、徹底的な言論統制・・・主権のありがたみを知るとともに主権がないときに何が行われたか、それをしっかり思い起こすべきでしょう。
 主権がないときに行われた詐欺行為には前述した「東京裁判」があげられますが、同様に大きなものの一つにGHQ憲法があります。
 拓殖大学名誉教授の井尻千男(いじり・かずお)氏によると日本の大学において政治学と憲法学がともに「正統性とは何か」を論じなくなったといいます。「オキュパイド・ジャパン」が日本の憲法を制定するなど正統性があろうはずがありません。正統性を論じなくなったということは「GHQ憲法」の欺瞞がバレるからでしょう。正統性を論じようとすると憲法学の宮澤俊義氏の「八月十五日革命説」という諦め論でも唱えねばならなくなります。
 また、GHQ憲法は明治憲法七十五条と七十三条において違反しているので憲法として無効であり、この点でも正統性を欠いています。
第75条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
 天皇の御不例などの理由により摂政が置かれるような、通常予測しうる国家変局時には憲法は改正できません。GHQの軍事占領下に置かれ独立が奪われるというのも重大な国家変局時ですから、類推適用によって憲法改正ができません。また、天皇の発議権がGHQに侵害されているのですから、発議案を修正する権限のない帝国議会で条項を修正することはできません。
 もし、GHQ憲法に正統性を見出すとしたら、「オキュパイド・ジャパン」下での占領政策基本法としてでしょう。このような占領政策基本法などサンフランシスコ講和条約により日本が主権を回復した時点で破棄すべきでした。ところがGHQに媚び売った敗戦利得者やフランクフルト学派系の思想の持ち主等が言論空間、教育の場を支配し、正統性のないGHQ憲法を「憲法」だと言って国民をマインドコントロールにかけてしまったのです。
 正統性がないGHQ憲法を改憲するのは正統性の無さの継続であり、GHQ憲法が憲法であるという錯覚をこれからも続けるということです。GHQ憲法という占領政策基本法を破棄し、明治憲法を認識する状態に原状回復するのが正統性を保つことになります。改憲したければ明治憲法を改憲すればいいのです。われわれは戦後の欺瞞から脱出しなければ日本国の正統性さえ失うことになるでしょう。


参考文献
 WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
 ビジネス社「日本国憲法無効宣言」渡部昇一・南出喜久治(共著)
添付画像
 「オキュパイド・ジャパン」の旗(PD)

2011年4月26日火曜日

転載:国民主権病(GHQ憲法病)

畏れを知らない傲慢不遜な国民主権。


昭和21年(1946年)2月26日、定例閣議上で、憲法改正のマッカーサー草案の外務省訳が配られました。そして幣原首相が読み始め、読み終わると、どよめきが起こりました。「このままでは大変なことになる」というのが閣僚の共通した感想でした。しかしながら、マッカーサー案は天皇を戦犯としない、というような恫喝のもとにあったので、マッカーサー草案を土台にして日本案を作るしかありませんでした。3月2日、松本案が出来ると民政局に持っていき英訳が始まります。

第一条 天皇ハ日本国民至高ノ総意ニ基キ日本国ノ象徴及日本国民統合ノ標章タル地位ヲ保有ス。
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ世襲シテ之ヲ継承ス。

この英訳を読んだGHQ民政局のケーディス大佐は「どういうつもりだ!」と怒鳴り、松本博士を呼んできて大喧嘩となりました。

マッカーサー案の和訳
第一条 皇帝ハ国家ノ象徴ニシテ又人民ノ統一ノ象徴タルヘシ彼ハ其ノ地位ヲ人民ノ主権意思ヨリ承ケ之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス
第二条 皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ


一条は「之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス」を削り、二条は「国会ノ制定スル」を削っています。また、松本案は「主権」という言葉を使っていません。さすが松本博士はよく知っていたのでしょう。

弁護士の南出喜久治氏によると主権論というのは人でなしで傲慢不遜な思想であり、主権は神(主)の権利のことで、国民主権は人間が神の地位に就く傲慢な思想に基づいていると述べています。私が子供の頃、日本で誰が一番偉いか?という冊子を読まされたことがあります。総理大臣?天皇陛下?国民主権だから国民が一番偉い、という内容でした。子供の頃から畏れを知らない傲慢不遜な個人主義者に育つように教育されてきていたわけです。

こうした国民主権という傲慢不遜な思想を叩き込まれてきたことを象徴する出来事が、「一ヶ月ルール」の事件です。一昨年に中共の習近平氏が訪日して天皇陛下に拝謁しましたが、陛下のご健康を考えて会見、引見は1ヶ月前に申し出ることになっていおり、小沢一郎民主党幹事長(当時)はこれを破りました。鳩山由紀夫首相(当時)も「お会いいただく」という命令調で語っていました。われこそは主権者様に選ばれた政治家であって天皇陛下は自分の意のままに動く、とでもいうような傲慢不遜な態度です。また、昨年、議会開設百二十年記念式典で中井洽議員が秋篠宮両殿下に「早く座れよ」と言った事件もこの「国民主権」を刷り込まれてきた結果でしょう。国民は「国民主権病」という傲慢不遜症状のでる重病にかかっているのです。

日本は君民一体のお国柄であり、欧米のような主権による支配という考え方は不要でしょう。天皇の支配は「シラス」であり、民衆の心を知って、民衆のために公平に国土を治めるということで、欧米のように民衆や領地を私物にして支配(ウシハク)してきたのとは全く異なります。また日本は権威と権力は古来より分離されており、権威により権力者の暴走を抑制する伝統があります。日本のお国柄に全く合わない国民主権などうたっているGHQ憲法という憲法の名をかたった占領政策基本法など破棄して本来の日本を取り戻すべきでしょう。



参考文献
講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)
総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)
WiLL2010.3「本家ゴーマニズム宣言」小林よしのり
参考サイト
国立国会図書館
3-20 日本国憲法「3月2日案」の起草と提出 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/086shoshi.html
3-15 GHQ草案 1946年2月13日 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/088/088tx.html
二階堂ドットコム 売国・中井洽、衆院委員長のくせに秋篠宮殿下にヤジ飛ばす!!!http://www.nikaidou.com/archives/8171


JJ太郎さんのブログ『かつて日本は美しかった』より


なおマッカーサー憲法草案の全文は「資料室 - 日本国憲法」にありますのでご覧ください。

2011年2月23日水曜日

フランクフルト学派

本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。
                                  (本記事:フランクフルト学派 2009-10-23


 フランクフルト学派は西欧マルクス主義、知識人向けのマルクス主義といわれ、1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された「社会研究所」が起点となっています。初代所長はマルクス主義者のカール・グリュンベルクで、彼の死によって1930年にホルクハイマーが所長として指導的な立場につきます。


 フランクフルト学派はロシア革命後にヨーロッパ革命が敗北していき、プロレタリアートが革命の主体となっていない現実をみて、古いマルクス・レーニン主義は自覚しないままに権力奪取に成功してしまった。革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功した。人間を疎外している文化を破壊しなければ共産主義に到達できない。革命の主導者は阻害された労働者ではなく、知識人でなければならない。批判理論を駆使し、諸学問を学際的に統合し、資本主義社会の構造を批判の対象として構造化できるのは知識人だと考えるようになりました。(ルカーチの理論)


 フランクフルト学派はあらゆる徳目や「価値」は批判されるべきとしています。
    
キリスト教(日本で言えば神道)


    教会


    家族制度


    父権


    権威


    性的節度


    伝統


    国家


    愛国心


    尊敬心


    心


 このフランクフルト学派は戦後、GHQによって日本を席巻します。近年公開された米国の史料でCIAの前身であるOSSはフランクフルト学派の巣窟であったことがわかっています。占領政策はコミンテルンの要領とは異なっており、ルカーチの理論に基づいています。OSSの史料にはマルキストの日本人学者やアジア専門家が多く名を連ねています。この人たちもGHQの占領政策にかかわり、公職追放によって空席となった大学や教育機関、研究機関、行政に潜入していきました。


 一ツ橋大学名誉教授だった都留重人氏は有名でしょう。彼は共産主義者ハーバート・ノーマンの同志です。憲法作成に関わっています。東大法学部憲法学者の宮沢俊義氏もフランクフルト学派でその教えは弟子に受け継がれているでしょう。民法学者の我妻栄氏もそうです。


 「ジェンダー・フリー」「ゆとり教育」は文部省に潜入したフランクフルト学派のエリート官僚の賜物です。男女共同参画社会なんていうのも出来ましたね。男らしさ女らしさを全否定したわけです。日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」というフランクフルト学派の影響を強く受けています。「憲法愛国主義」というのを聞いたことがあるでしょうか。国家観がなく憲法を最上に頂くものです。フランクフルト学派第二世代、ハーバマスによるものです。これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉に反応することです。国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。これはハーバマスのコミュニケーション論的理性という「強制なき合意」「支配なき融和」がもとになっています。


 フランクフルト学派は日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを支配しています。このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが団塊の世代です。現在が最高潮の時期となっており、現政権からもそれと匂う政策の話しが続々と出ていると思います。


 参考文献
 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政著
 ワック出版「歴史通」WILL10月号別冊
   『野坂参三共産政権の誕生』田中英道
 PHP「現代思想入門」仲正昌樹 清家竜介 藤本一勇 毛利嘉孝 北田暁大




関連記事:
 ゆとり教育とフランクフルト学派
 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24880018.html

2011年2月16日水曜日

捏造された南京虐殺 ~ 東京裁判

本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。


 戦後の東京裁判はOSS(アメリカ戦略情報局)が深く関わっていました。このOSSは戦時中から日本の敗北を前提に日本の軍事的壊滅と社会の攪乱を目指した「日本計画」を作っていました。 戦後、連合国はナチス・ドイツのユダヤ人迫害を「人道に対する罪」という事後法で裁くことが出きると考えていましたが、日本にはそのようなものはない。そこでその方策を「日本計画」の一環としてOSSが任されることになります。

 その基本案を作ったのがチャールズ・ケーディス大佐で、彼はOSSの欧州担当で共産主義者です。彼は日本をドイツと同じように犯罪国家にしたてようと画策しました。戦後、GHQの民政局の課長となり、局長コートニー・ホイットニーの下で日本を破壊する工作を行います。憲法もケーディス大佐が中心に推し進めたものです。

 GHQは神道指令で「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と名称をあらため、昭和20年12月18日から日本の新聞各紙で「太平洋戦争史」という日本軍断罪の連載をはじめ、ここではじめて「南京虐殺」が登場します。この「太平洋戦争史」は以前にOSSによって「平和と戦争」という記事で前もって作られていたものでした。

 この南京虐殺のもとは支那の国民中央党宣機構の顧問だったティンパリーがつくったプロパガンダで、これにOSSが飛びついたわけです。

 しかし、さすがに東京裁判ではナチスのような共同謀議、共同計画によって部下に残虐行為を命令した、許可したという事実は何一つ出てきませんでした。検察側もこれには参り、上海派遣軍司令官だった松井大将の訴因1から54までは無罪とし、第55のみ有罪として死刑としたのです。

 松井被告に対して多数判決は「・・・これらのできごとに対して責任を有する軍隊を彼は指揮していた。これらのできごとを彼は知っていた。彼は自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務も持っていた。同時に、その権限ももっていた。この義務の履行を怠ったことについて、彼は犯罪的責任がある」というものです。

 南京虐殺そのものが捏造であるのに加えて「不作為」の責任というものが過度に拡大解釈され、松井大将は死刑となりました。

 東京裁判の南京事件の判決文の中には殺害した人数が3通りもあり、一方では20万以上、一方では10万人以上となっています。なんというデタラメでしょうか。判決文は判事が書いたものではなく、別途判決の起草委員会が作成したもので、公判中に指摘された誤りは訂正されずそのまま使われています。判事たちは判決文を論議するために召集されたこともありませんでした。結論ありきの世紀のインチキ裁判であり、そこで南京虐殺はでっち上げられたのです。




参考文献
 「歴史通」WiLL2010.1 『戦争犯罪人という烙印』田中英道
 「パール判事の日本無罪論」田中正明著
 「南京事件の総括」田中正明著
 「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
参考サイト
 WikiPedia「チャールズ・L・ケーディス」

2011年2月15日火曜日

マッカーサーの検閲「三十項目」

終戦後の昭和20年9月21日、GHQは、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)(SCAPIN-33/9月21日付)、日本放送遵則(ラジオ・コード)(最高司令官指令=SCAPIN-43/9月22日付)を報道関係者に公表させました。
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」その具体的な検閲内容の指針として以下の「三十項目」が設けられました。
 
 
1.SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判
2.極東軍事裁判(東京裁判)に対する批判
3.SCAPが憲法を起草したことについての言及と批判
4.検閲制度への言及と批判
5.合衆国に対する批判
6.ロシアに対する批判
7.英国に対する批判
8.朝鮮人に対する批判
9.中国に対する批判
10.他の連合国に対する批判
11.連合国一般に対する批判
12.満州における日本人への取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他のあらゆる宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交際を扱うストーリー
24.闇市の状況への言及
25.占領軍軍隊への言及
26.飢餓を誇張した記事
27.暴力と不穏の行動を扇動する記事
28.明白な虚偽の報道
29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

読書録-日本人が知ってはならない歴史 戦後篇 でも触れましたがこれに従事した日本人が昭和21年の時点で5100人以上いたそうです。
「原子爆弾は国際法違反の戦争犯罪である」という鳩山一郎の談話を掲載した朝日新聞を48時間の発行停止処分にしたという言論弾圧がありました。実際、報道機関にとってこのような処罰は経営上大損害であったことでしょう。
昭和20年9月のプレスコード、ラジオコードに次いで同年10月にはGHQが新聞の事前検閲を朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して開始しました。これに困惑した新聞社は自主規制を強めることで事後検閲へと変えてもらうことを懇願し、自らがこの三十項目に従った報道姿勢を取っていたのです。こうして連合国に不都合な報道は封じられ、報道機関はGHQの政策や意見を表明する手先となってしまいました。 サンフランシスコ講和条約発効後、主権が回復した後に、このことを公表し謝罪した報道機関はあるのでしょうか。今のマスコミは現在もこの自己検閲の言論統制が続いているような印象を受けます。

 
 ちなみに占領政策は何でもかんでもGHQによって作られたような印象が強いですが、これは誤りで、実際はOSS→米国大統領→マッカーサー(GHQ)と言う順に伝達されていたそうです。
OSS(Office of Strategic Service:アメリカ戦略情報局)とは、CIAの前進の情報機関で昭和16年5月に計画され、翌17年6月に活動を開始していたそうです。
OSSはマッカーサー(GHQ)の上部組織で、「日本計画」はこの頃すでにOSSにより策定されていたのです。この「三十項目」もOSS製です。
 
 

2011年1月3日月曜日

襷のリレー - 箱根駅伝を観て

第87回箱根駅伝は早稲田大学の優勝で幕を閉じました。
一人一人の想いと汗がしみ込んだ襷を次のランナーへつないで行く駅伝。
来年のシード権を争う姿にも感動しました。
来年に向けて襷をリレーしていると言ってもいいかもしれません。
東海道沿線に住んでいるために、駅伝を追いかけて選手たちの一生懸命な走りや、選手たちを応援する沿道の人々の姿を見る機会があり、その度に「つないで行く」ことへの情熱というか執念というか、何か大きな力がそこにあるように思えてなりません。
襷をリレーしようと必死に走る選手と、それを見守り応援する人々。そういう姿を見て感動せずにはいられません。

箱根駅伝の歴史


箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から90年も前のことである。
創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。

そうした中で、1917年(大正6)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。
東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。
「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じたというのが、創設のいきさつである。


第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものだ。
箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが実を結んだものでもあった。
当時は、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終わったばかり。
工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。
スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。

引用ここまで


スポーツ界だけでなく「世界に通用する」という志と「やってやろうじゃないか」という気概を持った先人たちが築いてきたものがたくさんありますね。
そんな先人たちの努力とその成果をつないでいくという大きな使命が私たちにはあるんじゃないかと思います。
襷のリレーを見るとどうしてもそのことを考えてしまいます。

そんな思いとは裏腹に、我が国は大東亜戦争で敗戦し、私たちのご先祖様が営々と築いてきた文化や伝統を断ち切るような仕掛けがたくさん埋め込まれています。
東京裁判史観などというものや占領期に制定された日本国憲法もその仕掛けの一部です。

東京裁判史観は謝罪史観です。
日本国憲法が詫び証文だと言った政治家がいますが、次のように条文を読んでみるとまさに詫び証文です。


前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

これは生かすも殺すも諸国民におまかせします、文句は言いません、という意味です。

第9条2項「国の交戦権は、(GHQが)これを認めない。」

お前たちは二度と戦争するなんて言うな、わかったか?
はい、わかりました。

という感じでしょうか。

第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」

わかったらとにかく黙って言うことを聞け。
はい、わかりました。

という感じでしょうか。

東京裁判史観は戦後史観であり謝罪史観でもあり、日本国憲法体制とセットなんですね。

このようなものがあるのですから、社会党の村山元首相が村山談話なる謝罪文を発信してしまったのも、自民党がその村山談話を踏襲してしまったのも無理はないのかもしれません。前者は謝る必要のないアジアの国々に、後者は謝る必要のないアメリカへの配慮です。謝る相手が違うだけで、謝る必要のないことを謝るという点では一緒です。

つぶさに見て行くと、戦後は嘘のオンパレード。
嘘も百回つけば本当になる?みたいな空気が蔓延しています。
嘘に固められた現実でも、何不自由なく暮らせてきてたのだから、これはこれでいいじゃないか、みたいな空気です。
嘘によって歴史が分断されても、かろうじて人の心の中にうっすらと連続性が残っているような状態なのかもしれません。

日本全土に原爆を投下するぞという脅迫をされ、國の守り=子孫繁栄(民族の絶滅を防ぐ)だけは死守しようと降伏というご聖断を下された先帝陛下。まさに「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」でした。その先帝陛下は「日本人が目覚めるのには100年か200年はかかるであろう」という趣旨のことをおっしゃられていますが、すでに戦後65年が経過した今、どれほどの人が戦後の嘘を見破って覚醒しているでしょうか?
白州次郎が「我々は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言いましたが、はたしてそうでしょうか?

このブログの過去の人気エントリー「DV被害女性と日本国憲法下の日本人」にも書かれているような、倒錯した状態にいることにどれだけの日本人が気づくでしょうか?
本当のことを知らせないようにしようという力が働いていて、政界やマスコミ、インターネットなどを使って巧妙に情報の隠蔽や操作が行われいるため、多くの人が自由意志で物事の正否を判断するのが難しい状況が続いています。

三島由紀夫が市ヶ谷で檄を飛ばしたときの映像で、多くの自衛官がこの事がわからずに必死に訴えかける三島を嘲笑しているのを見てがっかりしたことを思い起こしますが、自衛官ですらそのような状態に置かれている人が多いということでしょう。

歴史を振り返って、あのときはああだったこうだったと言うだけでなく、過去の出来事が今の私たちにどう影響を与えているかを認識して、今後の行動に活かさなければ歴史から学んだとは言えません。
幸いなことに我々日本人は学ぶべき歴史をたくさん持っています。資料も手に入りますし、考える能力も高いです。

ご先祖様からの襷を次の世代へリレーする役目を持っているのは私たちです。

2010年12月10日金曜日

DV被害女性と日本国憲法下の日本人

自尊心を奪うもの

このブログのタイトル「日本が日本であるために」を個人レベルに置き換えると、自分が自分らしく生きるとはどういうことかという問いが生まれると思います。
自分さえ良ければいい、人と比べる、勝ち負けを気にする、自分の思い通りに周りの人が動いてくれることを望むetc・・・社会に出ればそんな気持ちから生まれるパワーゲームに巻き込まれてしまう事があります。ついついそんなことにばかり終始してしまって自分らしく生きていない人が多い、そんな気がします。
日本が日本であるためにはそこに暮らす一人一人が、自分らしく、日本人らしく、生き生きと生きていなければ、日本が日本であることはできないと思います。体を作っている一つ一つの細胞と体の関係と同じですね。個は全体の構成要素の大切な一つということですね。

心理学では一般に、養育者から過剰な期待をかけられたり、「お前はダメだダメだ」と言われて育った人は、自分がいろいろなことを当たり前にやることができるんだという自信を育てられないという傾向があるといいます。人は、自分でやってみて失敗したり成功したり試行錯誤したりしながら、自分への信頼や自信を育てていきます。それが自分の存在の確かさ、自尊心へとつながっている訳です。ダメだダメだと言われ続けてきた人は、その価値観を自分の中に取り入れてしまって、心の中で自分に対してダメだダメだと批判したり、まだまだダメだと叱咤激励をしてしまうそうです。これを辛い、苦しいという「痛み」として感じられないとしたら、それは感覚が鈍磨しているからなのです。痛みを痛みとして感じないように心を防衛しているからなんですね。

こういう精神状態を考えると、いつも、これはまさに今の日本の状態に当てはまるんじゃないかと思ってしまいます。

アルコール依存症や暴力をふるう夫を持つ女性たちを例に挙げてみると、もちろん女性に暴力をふるう男性にも問題があるのですが、被虐待女性にも特徴的な問題があるそうです。彼女たちは加害者である男性との暴力的な関係からなかなか離れようとせず、殴られながら離婚を考えようともしない人も多いそうです。なぜなら男性が暴力の後で示す優しさや愛の誓いを過大に評価してしまうからです。そして彼女たちは、もともと自己評価の低い女性ばかりとは限らず、明るく活発で、夫やパートナーよりも学歴や社会的能力が高い女性も少なくないそうです。そんな女性がなぜそういう状況から抜け出そうとしなくなるのでしょうか。
こうなったのは「お前が悪いのだ」という言葉の暴力を受け続けてその価値観を内在化していることもありますが、こういう状況の中にいると一種の腰抜け状態に陥ってしまい、逃げる機会が与えられても逃げられなくなるのだそうです。これは心理学者セリグマンの提唱した学習性無力感という、逃げられない状況の中で攻撃にさらされた犬が、逃げられるようになってからも抵抗せず、その場から逃げなくなってしまうという実験でも明らかにされています。

誰でも他人の思うままに動かされるのは嫌なものです。他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。現在の我が国においても、いろいろな問題がある中で、朝鮮半島や支那の問題には怒りを感じても、我が国が現在も占領下に行われたことの延長にあることを意識する人は少ないように感じます。
我々日本人から自尊心を奪い取ったものとは、何か?
何が今の日本の状況を作りだしたのか?

日本国憲法は占領下において制定された憲法であるにもかかわらず、それを改正しようというのは、それを正当化しているという認識からくる発想です。自覚があるにせよ、無いにせよ、改正してまでそれを維持しようと言っていることだと思うのですが、どうでしょうか。
被虐待女性は、暴力的関係から自分から離れようとしないと述べました。そして彼女たちはよくこのように言います。
「でもあの人、いいところもあるのよ」「でも私があの人を怒らせるようなことをしたのが悪いのよ」「でもあの人には私が必要なのよ」
夫や子供の世話、そして家計を支える為に働き、彼女たちは大変に多忙な緊張感のある日々を送り自分の状況を振り返る余裕はありません。周囲の者が心配しアドバイスをしても、「でも・・・(以下省略)」のループを繰り返し、踏み切ることが出来ません。

この被虐待女性と現在の日本、そして夫やパートナーとの関係を終わらせたり変えたりしようとしないことと占領憲法を捨てられない心理や日本の置かれた状況を認識できないこととが似ていると思ってしまいます。占領軍の軍事的・政治的圧力の下で、天皇が、日本政府がYESと言ったからといって、ではそこにNOという選択肢はあったのでしょうか。とにかく受けるものはすべてYESと言わざるを得ない状況に置かれていた、そしてそれを改めることなく現在に至っている今の日本の状態が、被虐待女性とその夫やパートナーとの暴力的関係と類似しているように感じてしまうのです。

占領下で押しつけられた憲法だから正統性はないとしても現実に60年以上運用されてきて
「いい憲法だからいいじゃないか」
学校で真面目に勉強をして自虐史観を信じてしまっているので
「日本が悪いことをしたのだから仕方がないじゃないか」
そういう護憲派の意見があります。 
これは被虐待女性が言う
「でもあの人はいい人なの」
「でも私が悪いのがいけないのよ」
という言い分によく似ていませんか? 
一方で改憲派では
「今の憲法を維持して、現代にそぐわなくなった部分や問題が生じている部分を少し変えるか、あるいは解釈を変えればいいじゃないか」という意見があります。
これは「暴力はイヤなんだけど、でも少しお酒をやめてくれれば、あの人はきっといい旦那になるわ」
そんな女性の言い分とよく似ているように思います。暴力と一口で言っても、このような被虐待女性が受ける暴力とは、専門家によれば、頬をはたくような生易しいものではなく命の危険に関わるようなケースも珍しくないそうです。「あの人」にも問題はあるのですが、女性の方もこういう危険な状況に身をさらしながら「あの人」が少しだけ変わってくれたら・・・と状況の好転は「あの人」次第なのです。ここまでくると、「あの人」が変わってくれるのを期待したり、「あの人」を変える努力をするよりは、この女性が現状を正しく認識して、こういう状況に甘んじている自分を変えることの方が正しい解決方法のように感じないでしょうか?そして、「あの人」は占領憲法だったり米国をはじめとする連合国やGHQだったり、「女性」は日本人一人一人の事だったり、「危険な状況」というのは日本人の伝統や精神が破壊されていることだったり、交戦権がないこと(憲法第9条第2項後段:国の交戦権は、これを認めない)だったりが当てはまるように思いませんか?

「暴力は辛いんだけど、でもきっとあの人は私を愛してるの」
暴力の後で示される優しさや愛の誓いを信じる被虐待女性は、彼女の夫、パートナーに何を望んでいるのでしょうか。愛されること、必要とされることでしょうか。信じている、信じたいけれど相手様次第というところは何やら日米同盟にも似ているような気がします。
こんな風に考えると、私たちは、なんだかとっても危険な不確かなものを大切に手放さずに抱きしめているような気がしてきませんか?

他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。しかし、自分の受けた不当な扱いについて正当に怒ることが出来るようになれば、本当の感情を感じられるようになります。感情に良い・悪いはありません。それを歪めず正しく受け止める事が、大切なことです。感情を抑え込むと、いつか爆発するか体を壊したり誰かを過剰に傷付けたりコントロールしようとしたり・・・と本筋から離れて、複雑な心を持って生きてくことになってしまいます。感情を受け止め上手に表現できるようになると、怒りは洗練されて自己主張へとなっていきます。だから、怒ってもいいのです。自尊心を奪われて傷付いていることを感じることができれば、少しずつ自分らしさを回復して、自分の為に生きられるようになって来る。自分らしさや自分の為になることを追求すれば、自分勝手、我が儘放題ばかりということではなく、本当に自分を大切に思えてくるようになったその先には、必ず日本人らしさ、日本人としての誇りというものに出会うと私は信じています。そうすれば何をすればよいのか、何を正せばよいのか、誰かに指摘されたり言いなりにならずとも自ずとそういう認識が育ってくるのではないでしょうか。
被虐待女性だけでなく、戦後の自虐史観の中で日本人としての誇りや精神を失いつつある我々日本人がこのように自らを省みる必要があるのではないかと感じます。