2013年1月21日月曜日
日台國體護持兄弟会が発足
2012年10月11日木曜日
山口良忠判事 餓死事件
太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け栄養失調で死亡した事で知られる。
山口判事の死を伝えた朝日新聞の第一報(西日本版)は、社会面トップに「食糧統制に死の抗議 われ判事の職にあり ヤミ買い出来ず 悲壮な決意つづる遺書」との四段ぬきの大見出しで報道され、死の床につづられた日記の一節であるとして以下の文章が掲載された。
「食糧統制法は悪法だ。しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従せなければならない。自分はどれほど苦しくともヤミの買出なんかは絶対にやらない。従つてこれを犯す奴は断固として処断する。自分は平常ソクラテスが悪法だとは知りつつも、その法律のために潔く刑に服した精に敬服してゐる。今日法治国の国民には特にこの精神が必要だ。自分はソクラテスならねど食糧統制法の下喜んで餓死するつもりだ。敢然ヤミと闘つて餓死するのだ。被告の大部分は前科者ばかりだ。自分等の心に一まつの曇があり、どうして思ひ切つた正しい裁判が出来やうか。弁護士連から今の判検事諸公にしてもほとんどが皆ヤミの生活をされてゐるではないか、としばしばつき込まれたではないか。
自分はそれを聞かされた時には心の中で実際泣いたのだ。公平なるべき司直の血潮にも濁りが入つたなと。願はくば天下にヤミを撲滅するために、よろこんでギセイとなることを辞せない同志の判官諸公があつて、速かに九千万国民を餓死線上から救ひ出したいものだ。家内も当初は察してくれなかつた。それもそのはずだ。六つと三つのがん是ない子をもつ母親として「腹がへつた、何かくれないか」と要求される度に全く断腸の思ひをし、夫が判官の精神を忘れること、世のたとへに言ふ「親の心は盲目だ」で、ついアメの一本でもと思つたのも実に無理もなかつたであらう。」
この山口判事の行為は餓死事件と言うよりは、自決行為と同様ではなかったか。単なる遵法精神で栄養失調にまで至ったのではなく、闇米を所持して食糧管理法違反に問われた人の裁判を担当していた山口判事自身が、闇米を口にすべきではないという考えがあった。
大日本帝国憲法の第57条に「司法権ハ天皇ノ名ニ於(おい)テ法律ニ依(よ)リ裁判所之ヲ行フ」という条文がある。山口判事はこのことを非常に重んじていた人物であった。天皇の名に於いて行う裁判官が闇米を食べて、一方で闇米を買った人々を裁く、それは天皇を辱めることである、そのような考えであった。つまり山口判事は大日本帝国憲法に殉じた死を選んだのである。尚、その自らに厳しい態度から、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しても過酷であったのではないかと思われがちであるが、むしろ同情的であり、情状酌量した判決を下す事が多かったと言われる。
2012年2月25日土曜日
大日本帝国憲法入門(23)
大日本帝国憲法入門(22)
大日本帝国憲法入門(21)
大日本帝国憲法入門(20)
大日本帝国憲法入門(19)
大日本帝国憲法入門(18)
大日本帝国憲法入門(17)
2012年1月15日日曜日
大日本帝国憲法入門(16)番外編 女系天皇論と「天皇主権」「国民主権」
こんばんは。今日は予定を変更して、「女系天皇論」として新たに噴出しつつある、国体破壊の「天皇主権」説、「国民主権」説を取り上げます。
「天皇主権」説、「国民主権」説そのものについては、このブログでも何度もお話いたしましたが、これらの説はいわゆる「女系天皇」論と絡めて取り上げられていることが多いようですので、その危険性についてもう一度検証したいと思います。
1. 「天皇主権」説、「国民主権」説とは
「天皇主権」説とは、天皇に、いわゆる「主権論」にいう「主権」が属する、という説です。
同様に、「国民主権」説もまた、「主権」が国民に属する、という説です。そしてこの両説の危険性は、「主権」という概念に存在します。
「主権」とは、ある国家のあり方、すなわち国体を最終的、かつ完全に決定することのできる権利を意味します。
これまでこのブログをお読み頂いていた方はご存知と思いますが、このような「主権」は到底認めることはできません。国体というものは護持すべきものであり、またそれは誰か特定の人物や集団によって決定されるものではなく、無数の人々の様々な営みの中から培われてくるものであって、それは道徳や慣習、伝統や文化などにより規範づけられるものです。そして、このような国体を規範づける道徳や慣習などのことを不文憲法(法)といいます。
不文憲法(法)とは国体を規範づけるものであり、国体を改変することは誰にもできません。従って、国体を改変(はっきり言えば破壊)する権限である「主権」は存在してはならないものなのです。
よって、国民に「主権」が存在するという「国民主権」が不当であり、天皇に「主権」が存在するという「天皇主権」も同じく不当であると言わねばなりません。あらゆる「主権論」は国体破壊の謬説です。詳細は入門の入門「法の支配(立憲主義)」をご覧下さい。
2. 女系天皇論とその危険性
さて、いわゆる女系天皇論が国体破壊の謬説であること、女系天皇と女性天皇の相違、などについては「皇位の男系継承と法」において解説致しました。女系天皇が我が国の歴史上ただの一人も存在せず、我が国において男系継承が皇位継承における不文憲法(法)であるだけでなく、その性質上それが不文憲法(法)中の最高法規であることはいうまでもありません。
いわゆる女系天皇論においては、かつては女系天皇が存在したと主張しています。そして、その中では女系天皇として挙げられている歴代天皇陛下もいらっしゃいますが、全てそのお父上方は皇族出身であり、女系天皇が存在するなどという説は完全なウソです。
このような不文憲法(法)中の不文憲法(法)といえる「皇位の男系継承」を否定し、国体を破壊するものが女系天皇論です。
「女系天皇論」は我が国の国体を破壊し、皇統を断絶せしめる特定のイデオロギーを持つものです。なぜ、このようなものが生まれ、どうすれば根絶できるのでしょうか。
我が国の国体を表す不文憲法(法)というものをしっかり護持していかなければ、我が国は名称こそ同じ「日本」でも、あるいは「天皇」「皇室」が残ったとしても、それはもはや全く違うものになってしまうのです。
左翼思想というものは、実に巧みに己を偽装し、どのような名称を借りてでも、己の目的を実現しようとします。「名を捨てて実を取る」とはまさにこのことです。「天皇」「皇室」などの言葉を用いていても、その思想の内容が左翼思想であれば、それは左翼思想に他なりません。
「天皇」「皇室」などの言葉をちりばめた、しかし内実はそれらに対する敬愛の気持ちは一切なく、むしろ、申し上げるも恐れ多いことながら天皇陛下や皇室を傀儡とし、国体を破壊しようという思想、それこそが「天皇主権」であり、「女系天皇論」はその一種として噴出してきているのです。
このような思想の猖獗の原因の一つには、我々があまりにも、我々の国体というものを意識せず、何でもかんでも新しいものはすばらしいもの、古いものは悪である、というルソー的理性崇拝に浸ってしまったからではないでしょうか。およそ国家というものには変えてはならないものがある、神聖な要素がある、そういう認識を持てば、数千年にわたる男系継承という「法」を易々と破壊しようなどという気持ちなど、夢にも浮かんで来ないはずです。
女系天皇論には、このような祖先から継承したものは神聖なるものであり、祖先を崇拝し、感謝しようなどという気持ちが全く見られません。
「古いものにとらわれるな、因習を打破しよう」このような言葉は一見進歩的で美しく聞こえます。世の中には確かに、意味のない陋習も存在します。しかし、それを天皇や皇室の如く、我が国の国体の中心にまします存在に対して考えを及ぼすほど、危険なことはありません。
神聖なるものに対し、少数の学者や評論家らがあれこれと考えを巡らし、ああだこうだと結論をつけることほど身の程知らずなことはあるでしょうか?まさにそれこそは、こちらは「国民主権」以外の何ものでもないでしょう。まさにそれこそは、ルソーがやったこととどう違うというのでしょう。
我々が今一度、我が国の国体を護持しようという保守思想に立ち返ること、すなわち、我が国の国体というものを再確認し、意識するようになれば、このようなものが出現する余地などなくなるのです。
3. 「承詔必謹」の正しい解釈
さて、このように「女系天皇論」は学術的にも、一切の正統性、論拠を否定されたわけですが、『十七条憲法』には「承詔必謹」という言葉があります。
「詔を承りては必ず謹め」とは、しばしば、天皇陛下のご命令であれば、如何なることであろうとも承服せねばならない、というように解釈されることがあります。
確かに、恐れ多くも天皇陛下の詔であれば、それは謹んで承らねばなりません。当然のことです。ただし、これまで述べてきたように、法は「天皇といえども国体(に関わる不文憲法)の下にある」とするのです。申し上げるも恐れ多いことながら、万が一天皇陛下の詔が「不文憲法(法)」にもとるような場合には、これをお諌め申し上げるのが臣下たる者の責務です。
「女系天皇論」においては、「皇室の事柄は皇室ご自身がお決めになるべき」として、皇位の男系継承か女系継承かを、恐れ多くも天皇陛下や皇族方のご決断に委ねようという意見も見られます。
この意見は、皇室のことは国民が容喙すべきではなく、皇室ご自身がお決めになるべきであって、その結果がいかなるものであろうと承服すべきである、と「承詔必謹」を引用します。
しかし、そもそも皇位継承については男系継承という法がすでに存在しているのです。法を改変(破壊)する権限は誰にもありません。改変しても無効です。従って、何も「お決めになる」必要などないのです。恐れ多くも天皇陛下におかせられては皇位の男系継承という法に則り、またそれを具体化した皇室典範に則り皇室の事柄をお決めになるのみであって、それを我々臣民は謹んで承るべきなのです。
「女系天皇論」の解釈する「承詔必謹」からは、やはり国体についての尊重が完全に抜け落ちています。まるで我が国の天皇を、支那の専制君主の如き、憲法(国体)なき国家の君主と同視するかのようなとんでもない解釈であるとしかいいようがありません。まさしく、天皇主権説そのものです。
このように、「女系天皇論」にはその表向きの主張とは全く裏腹に、支那の専制君主論の如き解釈や、ルソー的理性崇拝など、我が国の国体とはおよそかけ離れた思想的背景が大いに見られるのです。こんなものは、到底我が国のものではありません。歴史的にも、精神的にも、文化的にも我が国のものとはかけ離れたもの、それが「女系天皇論」です。
これだけではありません。「女系天皇論」の「承詔必謹」には、更に大きな危険性があります。
仮に、恐れ多くも天皇陛下や皇族の方々が、皇位継承についてご意見を表明されるようになったとしましょう。果たして、マスメディアによって伝えられるその「ご意見」は、天皇陛下や皇族方の「真意」を正確に伝えたものとなるでしょうか!?
これについては、私は明白に、「否!」と言うことができます。日頃報道される政治家などの発言についての報道の仕方を見ていても分かるように、時にその一部分を切り取り、時に独自の解釈を交えて報道するなど、発言というものは如何ようにもねじ曲げて報道することは可能なのです。
このような状態で、恐れ多くも天皇陛下や皇族方が何らかの発言をなさった場合、それが様々な形で利用されてしまうことは、もはや火を見るより明らかです。
そしてひいては、皇室そのものが皇位継承を巡る論争に巻き込まれるというが如き、何が何でも避けねばならない事態を引き起こさないとも限りません。そのようなことは絶対にあってはならないのです。
「天皇は統治すれども親裁せず」です。この不文憲法(法)は天皇主権をはっきりと否定し、併せて恐れ多くも天皇陛下や皇族方がこの種の論争に巻き込まれるような事態を防ぐのです。
このブログはこちらからの転載です → 大日本帝国憲法入門
大日本帝国憲法入門(15)
こんばんは。今日は第40条から始めます。(・ω・)ノ
第40条 両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件二付各々其ノ意見ヲ政府二建議スルコトヲ得但シ其ノ採納得サルモノハ同会期中二於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス
(口語訳)両議院は法律またはその他の案件について、各々その意見を政府に対して述べることができる。ただし、採用されなかったものについては同じ会期中に再び述べることはできない。
これも、『日本国憲法』には同旨の規定がないものです。両議院それぞれは、法案その他の案件について、その意見を政府(内閣)に対して述べることができます。政府が法案提出権を持っている半面として、帝国議会の側からも政府に対し、法案に対して意見を述べることができるということです。
帝国議会と政府との間の、提出される法案などについての事前調整について定めたものということができるでしょう。
また、三権分立に基づき、間接的に政府の法案提出などについて帝国議会の側から影響力を行使する趣旨でもあります。
第41条 帝国議会ハ毎年之ヲ招集ス
(口語訳) 帝国議会は毎年招集される。
帝国議会の招集は天皇の大権に属します(第7条)。前回もお話したとおり、帝国議会は常設制ではなく、会期制を採っています。従って、招集という形式によって議会を開会し、会期の始まりとしているのです。
第42条 帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ
(口語訳)帝国議会は三ヶ月を会期とする。必要のある場合には、勅命によってこれを延長することができる。
会期は期日の定めがないと、事実上常設制と変わらなくなってしまう恐れがあります。これを防ぐため、予め憲法中に三ヶ月との期限を定めたものです。これは法律によって定めても問題ない事柄といえます。
なお、会期中に開かれる通常の議会を常会といいます。
第43条 1 臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ常会ノ外臨時会ヲ招集スヘシ
2 臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅命二依ル
(口語訳)1 帝国議会が閉会中などの場合、緊急の必要がある場合には臨時会を招集することができる。
2 臨時会の会期は勅命で定める。
会期制の欠点は、議会閉会などの会期終了後において、議会を開会する根拠が失われてしまうことです。そこで、会期終了後、すなわち常会の閉会後に緊急の事情により議会を開く時には、これを臨時会として、会期制の例外として開会できるようにしたのです。
第44条 1 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ
2 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会スヘシ
(口語訳)1 帝国議会の開会、閉会、会期の延長、および停会は両院同時に行わねばならない。
2 衆議院が解散された場合、貴族院も同時に停会せねばならない。
両議院は一体となって帝国議会を構成しています。よって、一方のみが開会されたり、閉会されるなどということは両院の一体性を損なうことになりますので、これは禁じられています。
また、衆議院が解散されている場合には、その活動ができないわけですので、貴族院もその活動をすることは帝国議会の一体性を損なうことになります。従って、貴族院はその間停会することになるのです。
第45条 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅命ヲ以テ新二議員ヲ選挙セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内二之ヲ招集スヘシ
(口語訳)衆議院が解散された場合、勅命によって新たに議員を選挙し、解散の日から5ヶ月以内に衆議院を招集しなければならない。
衆議院が解散された場合には、選挙後5ヶ月以内に衆議院を招集すべき旨を定めています。
第46条 両議院ハ各々其ノ総議員ノ三分の一以上出席スル二非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為スコトヲ得ス
(口語訳)両議院はそれぞれその総議員の三分の一以上の人数が出席するのでなければ、議事を審議し、議決することはできない。
両議院の審議や議決についての定数を定めています。出席者があまりにも少ない時には、その過半数の賛成があったとはいっても、議会全体の過半数を得たとは到底言い難いこともあります。そこで、この条文は総議員の三分の一以上の出席がなければ議会の議決とは認められない、と定めたのです。
第47条 両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル
(口語訳)両議院の議事はその過半数で決定する。賛成、反対が同数である場合は、議長がそのいずれかを決定する。
議事は前条のとおり、総議員の三分の一以上の人数が出席した上で、その過半数をもって決定します。
賛否が同数である場合には、議長がその可否を決してよい、としているわけですが、伊藤博文は『憲法義解』において、「第73条の憲法改正の議事については例外である」旨を述べています。
次回は、第48条から解説します。(・ω・)ノ
このブログはこちらからの転載です → 大日本帝国憲法入門