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2011年8月1日月曜日

大義〜第四章 神国の大理想

「養正ノ心ヲ弘メ、六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ一宇トナサン」の 神武天皇の大宣言、「四方ヲ経営シ万里ノ波涛ヲ拓開シテ、天下ヲ富岳ノ安キニ置カン」の 明治天皇の大信念、共に共に神国日本建立以来の大理想なり。山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の真姿顕現こそは、人類救済の根基なり。八紘一宇の大理想実現の前に、先ず国に 聖天子の真姿顕現を計らざるべからず。これなくして何の神国、何の人類救済ぞ。 天皇に帰命し奉れ。然れども万人悉く 天皇に帰一し奉ることの困難なることは、ここに蝶々を要せず。各方面における権威者・枢機参画者にして、君臣一体の実を把握しあらば(その体験に厚薄深浅はあれ)、燎原の火の如く国内に瀰漫すること、換言すれば、その程度に厚薄深浅はあれ、万人万古 天皇を仰ぎ奉るに到ること明白なり。
否々、大楠公の笠置山における「正成一人だに生きてありと聞召さば、聖運必ず開かるべしと思し召し候へ」と奏上せることを思へ。一人にて沢山なり。一人だに大透徹しあらば、心火により悉皆焼了し終らんのみ。身は是れ神国、心は是れ大御心、脚根下是れ高天原、神想具現に聖旗を進めん。
「四海ノ内誰カ朕ガ赤子ニアラザル」また「罪アラバ我ヲ咎メヨ天津神、民ハワガ身ノ生ミシ子ナレバ」の歴代 天皇絶対無限の大慈悲は「一切衆生成仏せずんば我正覚
(一)をとらじ」の法蔵菩薩の四十八の大誓願となつて現われ、将又十字架上における「キリスト」の贖罪の悲願となり、人類救済こそは、歴代 天皇の念願にして、肇国の大理想なり。
釈尊もキリストも孔子もソクラテスも 天皇の赤子なり。八紘一宇顕現の機関的存在なり。世界を救うて 天皇國となすこと実に 皇民の大使命なり。この聖戦途上鉄火に焼かるゝ何の恐るゝ所ぞ。元来 皇國に領土なし。現在の国土は 皇威の及べる地域のみ。
(或は曰く「四囲皆敵なり、内騒ぐ時に非ず」と。 天皇精神発動に依る戦争は領土拡張に非ず、人類救済なり。皇威を冒涜するもの内外共に敵賊なり、共に滅すべし。)
皇國元来無一物、人類各々その所を得て安穏なれば、 皇國皇民の大使命は終んぬるのみ。国各々真の平和を得て、永く其の慶を楽めば、 皇國の大理想は了したりといふべし。世界一家の達成は 天皇道に依るあるのみ。我國體こそは宇宙最高の道徳否宗教なり。世界を救い得る唯一無二の大真理なり。国号「日本」を三思せよ。「太陽」を国旗となす大信念を省察せよ。 天皇を「天津日嗣」と申し奉る、正に千省万思せよ。皇國の大理想自ら明かなるべし。

    橘曙覧先生歌

   一、 一日
(ひとひ)生きば一日(ひとひ)心を大皇(おほぎみ)
                 みためにつくす我が家のかぜ

   二、 大皇の勅
(みこと)にそむく奴等(やつこら)
                 首引き抜いて八
(や)つもてかへれ

   三、 大皇にそむける者は天地
(あめつち)
                 入れざる罪ぞ打つて粉
(こ)にせよ

   四、 国汚す奴
(やつこ)あらばと太刀(たち)抜いて
                 仇にもあらぬ壁に物いふ

            (昭和一一、八、二五)



杉本五郎中佐遺著「大義」はこちらで全文を読めます。
http://binder.gozaru.jp/taigi.htm




杉本中佐は八紘為宇の理想を実現するために生きるということを自覚されていた方だったんですね。たいていの日本人なら、ここに書かれていることは新しい知識として身につけるというよりは、思い出すような感覚で読めると思います。
是非、すべての章を読んでみてください。

2011年4月28日木曜日

『大義』第二章

今日も軍神と言われた杉本五郎中佐の遺著『大義』のご紹介です。

杉本五郎中佐は支那において、敵の銃弾に倒れながらも、持っていた銃剣を杖に立ち上がり、皇居を遥拝したまま絶命したと言われる人物です。

第一章「天皇」はこちらです。










『大義』杉本五郎中佐遺著

第二章

道徳

天皇の大御心に合ふ如く、「私」を去りて行爲する、是れ日本人の道徳なり。天皇の御意志・大御心とは如何なるのもなりや。 御歴代皇祖皇宗の御神勅、皆是れ 大御心の發露に外ならず。別けて 明治天皇の教育勅語は、最も明白に示されたる 大御心の代表的なるものと拜察し奉る。換言すれば、天皇の御意志は教育勅語に直截簡明に示されある故に、教育勅語の御精神に合ふ如く「私」を去りて行爲すること、すなわち日本人の道徳なり。而して此の御勅語の大精神は「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、個人道徳の完成に非ず。天皇の御守護には、老若男女を問はず、貴賤貧富に拘らず、齊しく馳せ參じ、以て死を鴻毛の輕きに比すること、是れ即ち日本人道徳完成の道なり。天皇の御爲めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。此の理を換言すれば、天皇の御前には自己は「無」なりとの自覺なり。「無」なるが故に億兆は一體なり。天皇と同心一體なるが故に、吾々の日々の生活行爲は悉く皇作皇業となる。是れ日本人の道徳生活なり。而して日本人の道徳生活必須先決の條件は、「無」なりの自覺に到達することなり。

 橘曙覽先生歌

 大綱と天(あま)つ日繼(ひつぎ)を先づ取りて
   もろもろの目(もく)をあむ國と知れ


教育勅語に触れているこの章。
簡潔に書かれていてわかりやすいですね。
内容に関して、そうだそうだと思う人はどれくらいいるでしょうか?
この本は当時100万部も売れたと言われているので、昭和11年の頃に大人だった人は、教育勅語が必須だったこともあり、ここに書かれていることがよくわかったに違いありません。
現在では、その年代の人で存命の方は少ないでしょう。

このブログを読んでいただいている方の中には、教育勅語を暗唱している人が多いと思います。
そうじゃない方はこれは是非暗唱するのをオススメします。
何度も声に出して読むうちに、ここに書かれていることが自覚できるようになります。
楽譜を見るだけではなく、実際に声を出して歌ったり楽器を演奏してみないと決してわからない音楽の領域があります。
それと一緒です。
読んで理解するよりも、理解できなくても、声に出すことの方が重要です。
譜面が読めないのに音楽で自分を表現できる人もたくさんいます。
それと一緒です。
やってみるとわかります。
やらないとわかりません。

情報過多の時代だからこそ、実践して学ぶのが大事なんじゃないかと思います。

2011年4月6日水曜日

『大義』第一章

今日は軍神と言われた杉本五郎中佐の遺著『大義』のご紹介です。

杉本五郎中佐は支那において、敵の銃弾に倒れながらも、持っていた銃剣を杖に立ち上がり、皇居を遥拝したまま絶命したと言われる人物です。

現代では天皇は国の象徴ということにされ、国民と天皇の間の関係性はあまりにも実感を伴わないものになっています。
学校で教育勅語の唱和をしなくなり、皇祖皇宗と臣民(国民)がどういう関係にあるか、国と個人の関係がどうであるかが意識されていません。

杉本中佐はそのような現代日本人から見れば、その忠孝の精神・尊皇の精神に驚くほどの違いがあります。


左の写真は杉本中佐の家訓です。

家訓


聲高ラカニ唱ヘヨ
我等ハ 陛下ノ 股肱ナリ


昭和十一年十二月一日
中隊長

この短い家訓。
非常にシンプルですね。
シンプルな分力強く響いてきます。





以下の引用は、この『大義』の第一章です。


天皇


天皇は、天照御大神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。國憲・國法・宗教・道徳・學問、藝術乃至凡百の諸道悉(ことごとく)皆 天皇に歸一せしむるための方便門なり。即ち 天皇は絶對にましまし、自己は無なりの自覺に至らしむもの、諸道諸學の最大使命なり。無なるが故に、宇宙悉く 天皇の顯現にして、大にしては上三十三天、下奈落の極度に貫き、横に盡十方に亘る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞(すだ)く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顯現ならざるなし。
釈迦を信じ、「キリスト」を仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚を止めよ。宇宙一神、最高の眞理具現者、天皇を仰信せよ。萬古 天皇を仰げ。
日本臣民は自己の救濟を目的とせずして、皇威伸張を目的とせざるべからず。勿論自己は 皇威に於て救はる。然れども救はれんがために 皇威伸張を念願するにあらず。天皇の御前には自己は無なり。君民一如の自己尊きにあらず。自己に體現せられたる 天皇の尊きなり。
天皇への修養即ち忠は、飽く間でも 天皇其れ自體のためならざるべからず。悉皆無所得々々々々々、天皇は人生のためのものにあらず、人生、天皇のためのものなり。大楠候の歌へる


身のために君を思ふは二心
  君のためには身をも思はじ


天皇は國家のためのものにあらず、國家は天皇のためにあり。
此の大自覺は、世上的價値を倒換して、永遠悠久の天皇に唯一最高の價値を認むる時、單純極めて明白に現れ来る。魂の救ひ永遠の幸福が究竟之の目的ならば、天皇は手段方便にして最高の存在に非ず。自己の學殖・職業乃至生活程度によりて、尊皇の程度に上下あらば、其は自己中心の人物なり。唯々身心を捨て果て、更に何物をも望むことなく、只管に天皇に歸一せよ。

このブログの資料室:日本の「典」と「憲」に、日本の神の御神勅や天皇の御詔勅を集めてあります。
日本神話の国生みの話の中で、神が創ったのが「オノコロシマ」でした。この言葉は「オノ」(自ら)「コロ」(コロコロと転がる様)「シマ」からできている言葉で、自転する島=地球の意味だと解釈されます。
日本の神様が創ったのが地球であるならば、その神様の地上世界での後継者である天皇が地球の統治者であるという解釈もできるわけです。ここで言う「統治」は「しらす」の意味で、しばしば誤解される「専制」や「独裁」ではありません。
皇祖皇宗から連綿と続く皇統の究極の目標はこの「オノコロシマ」の人々の融和です。八紘爲宇という言葉もこのことに関係しています。これは日本が古来から持っている世界思想です。
杉本中佐は、そのような考えのもと、天皇に帰することが世界を融和に導くとの信念を持っておられたのだと思います。
尊皇の志であった楠公に関する書物と併せてこの遺著を読んでみると、いろいろなものが見えてくると思います。

このような書物は、戦後の占領統治の際に、発行を止められたり焼かれたりしたものが多いです。歴史も精神も分断されてしまいました。連続した日本の歴史を考える上で、このような書物に触れてみるのも大事なことではないでしょうか。