2011年2月9日水曜日

読書録-日本人が知ってはならない歴史 戦後篇 


「東京裁判史観」というものは戦後日本の外交・軍事・教育の根幹を呪縛している。
言い換えれば日本再興・亡国への道は「東京裁判」をいかに解析できるかに懸って
いると言ってよい。東京裁判史観の核心とは、「日本が戦争を起こした」という誤認識がそれである。
歴史を学ぶ必要があるのだということを改めて痛感しました。
しかし個人的には正しい知識を取り入れるだけではどうしようもないことをとても強く感じました。
東京裁判なるものは大東亜戦争当時の日本人だけが裁かれ、それで一応の終結をみたということではなく東京裁判史観としてあるいは、目には見えない形になって現在の日本国民である私たちにも大きく影響を与え続けていることがとてもよく理解できる内容となっています。

例えば検閲について。
占領下で検閲があったということは知っていましたが、それに従事した日本人は昭和21年には5100人以上もいたそうです。検閲に関わった日本人は英語を読み書きできる所謂「インテリ」層で、彼らの給料は5ヶ月分で当時の東条英機元首相の資産(15万円)と同じくらいであったという異常な厚遇ぶりだったそうです。
そしてその検閲の責任者の一人は、東京大学教授で、後にGHQ承認の下で戦後NHK初代会長に就任した人物だとか。この人物は、コミンテルンに所属した鈴木安蔵が中心になって結成した「憲法研究会」の結成呼びかけ人でもあったそうです。
現在皆さんが良くご存じの「反日」マスコミは、支那や朝鮮寄りのスタンスに見えはしますが、実はGHQ(米国)とのお付き合いが最初で、共産主義親和のスタンスの素地を作ったのはGHQ(米国)であったのだということ。
というのもGHQ法務部長のカーペンター大佐、民政局長ホイットニー少将やケーディス大佐たちはフランクフルト学派のマルキストだったそうなのです。彼らが戦後の日本改造・解体の中心を担っていたのでした。そしてその最たるものが日本国憲法であり東京裁判史観なのですね。

検閲によって言論統制が敷かれた訳ですが、結局何が行われたかというと、若狭先生の言葉をお借りすると日本人の言語空間(思考世界)が支配された、ということなんです。
ことばが、語彙が、思考や情緒を作る。その人の世界観や人格の形成に関わってきます。
これはとても大切なことで、とても大変な事態だったのです。

以下の記述が今の日本を言い表していると思います。

日本人を消すために「東京裁判」のシナリオは構想されたのである。そのシナリオの原本を「日本計画」という。そして日本人はヘナヘナになり今日の「日本人」として日米安保盲信のアンポンタンな生態系に生きている。
(中略:御本を出版されて各地から講演の依頼が来たということが述べられています)
鞭を入れて語ったことは戦後の日本人を縛っている自己像の歪みについてである。
人間は自己像に奉仕するように行為する存在である。
自己像が駄目になればその人物は必ずゆがんだ自分になる。
このことは、心の世界の問題で、その人の読解能力や理解力、思考能力の優劣、その他さまざまな能力とは関係の無い問題なのだと感じていることでした。
占領政策をしかけたのは米国であり、その元にはマルクス主義であるのですが、これが定着してしまった現在の日本に於いて既にこれは内政問題であり、更に私たち一人一人の認識がどうであるかという問題になっていると思うのです。
認識をどう正すかは、私たちの心の扱い方にかかっています。

人間というものは悲観的なものであれ、楽観的なものであれ、妄想や幻想を持って生きています。またこれは出来る・出来ないといった思い込みの制限を自ら設定していたりします。それは感情が「過去にこうだった」とか思考が「(将来)もしこうなれば」といった教訓や備えを横からささやくことで強化されていくものです。こういったものを手放すためには内観が必要なのですが、私たちには自我があるので、自我とそうでないものという境界を設定しています。ゆえに私たちの目に見える世界は自分の外側の世界ということになり自分の外側で起こることの原因は外側にあると信じています。さらに物事に対して「善・悪」「優・劣」といった相対する価値を与える思考の両極性の世界の中で生きているので、悪や劣と判断したものを排除してしまおうとしてしまいます。

例えば近隣諸国に脅威を感じ日本の将来を想像して恐怖や不安を感じている人がいるとします。
感じていることを自覚していても、善悪二元論の両極性の思考の中では恐怖や不安、怒りのようなネガティブな感情は排除されるべきという判断をしていまいがちです。
否定したり無視しようとした感情や思考は拡大してしまいます。これを打ち消すためには更に大きな否定や強固な無視をしなければなりません。そして原因を外側に見出そうとするので、近隣諸国の脅威がなくなれば日本は平和になるという発想が生まれます。そしてその人は自分が感じた恐怖心や不安を支那・朝鮮批判といった怒りに転換させているとしたら・・・
それは一見、日本を良くするための「行動」のように見えて、実はその人自身の感情に「反応」している状態になっているかもしれません。
もちろん支那や朝鮮の日本への行いが悪くないということではないのですが、私は、これが恐怖心や不安を打ち消すための格好の材料になってはいませんか?という問いを投げかけたいと思います。内観が出来なければ、感情に振り回されて落ち着いて物事の本質を見ることは難しくなってしまうものです。

自分の心の中を見る、というのは本当に難しいものですよね。
洗脳のような一旦植え付けられたものを自分で気が付いて認識を改めるということはとても難しいです。
若狭先生は日本人へのロボトミー手術という表現をなさっていますが、
日本が日本であるためのエッセンスが私たちの自己像から取り除かれてしまっている、そのことに気が付けなくなっている。
だから、日本は大変な事態に陥っているのだと思うのです。

ちょっと話がややこしくなりましたが、外側の問題に対処することと同時に
もっと大切なこと、それは私たち一人一人の認識と自覚なのだということを少しでも伝えることができたらと思った次第です。

2 件のコメント:

Love Nippon さんのコメント...

いつも寄稿ありがとうございます。

これ、なかなか難しいんですよね。
人間は自分は悪くないと思いたい、自分の目の前から不都合なものを消し去りたいという欲求があるから、自分に問題があっても、自分の外部に問題があるからだという思い込みをしてしまう。
嫌ならその環境から抜け出してみるとか、自分の考えを変えてみるとか、自分ができることを一通りやってみるだけで視点が変わって問題がよく見えるなんていうことがあります。
他人が悪いから自分が不幸であると考えることこそが不幸なんだと思うことが多いです。

koe さんのコメント...

Love Nippon様
いつもありがとうございます^^
そうなんですよね、とっても難しいことなんですが。。でも殆どのことに当てはまることなのでとても大切なことだと思います。

行動派の方は、いろいろやって気が付くのですね^^行動と思考、両方とも大切にしたいです。