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2011年6月23日木曜日

スマートグリッド社会〜諦めるな日本人!日本の未来を考える

ITの世界で長く働いてきたものですから、どうしても英単語が出てきてしまいますがお許しください。

復興という言葉を毎日のように見ますが、前の状態に戻すだけなら復旧か復元ですね。
前の仕組みの延長線上で、生産量や消費量のわずかな増加を目指すのは復旧のオマケみたいなものです。
復興というからには、「興す」という創設的な意味合いの考え方が必要ではないかと思います。

教育や家族、地域の荒廃、政治や官僚の腐敗、外国からの様々な圧力、自然災害、原子力災害など、さまざまなストレスで日本がボロボロになっていくのを見てきて、私自身も日本が目指すべき社会の形について想いを巡らせてきました。
これらの問題の一つ一つに対応しているのではなく、根本的な解決策はないかと考えてきました。
いろいろな理論や思想にも示唆を与えられました。
今回は私なりの理解をもとにして私なりの言葉で書いてみたいと思います。

私の考える日本の未来の形は「スマートグリッド社会」です。
「スマート」な「グリッド」で構成される社会です。

スマートグリッドという言葉は配電の仕組みを説明するときに使われることが多いようですが、電気を運ぶ仕組みに限定しないで、社会全体の構造をスマートグリッドにしようという発想です。


日本では少子化や人口減が問題視されていますが、地球規模で考えれば人口増加が問題となっていて、それに関連して食料問題、環境問題、その結果としての紛争や戦争といった問題があると認識しています。

今日食卓に並ぶ食材が、いくらお金があっても手に入らないということ。
子供や孫の世代の人たちが、住めない環境になってしまうこと。
食料や住める環境を求めて、人々が奪い合いや殺し合いをするということ。
現実問題として進行していると言ってもいいかもしれません。
他人事ではないのです。

実際に私たちはその状況をリアルタイムに見ています。
福島県相馬郡飯舘村について少し関心を持ってください。
飯館村は市町村合併の流れに反して、自給自足の村として生きていくことを決めた村です。
学校給食は村でとれた食材だけで作っていたそうです。
農家や酪農家がそれぞれに努力して食べ物を作り、「困ったときはお互い様」という助け合いの精神を醸成してきました。

原子力発電所の事故があって、この村だけが異様に高い放射線に汚染され避難を余儀なくされました。
何度か原発事故以降にこの村を訪れて、複数の場所で放射線量率測定をしましたが、周辺の地域と比べて異様に高い放射線量率に驚きました。偶然のいたずらでしょうか。なんともむごいです。
たった一度の原発事故で、村の人たちの努力も夢も一瞬で破壊されました。
いつになったら農業や畜産業を再開できるかという目処も立ちず、悔しい気持ちや不安な気持ちで毎日を過ごしています。(村の方から聞いた話です)

新築したばかりの家に、何者かがやってきて、放射性廃棄物を投げ込んだ。
もうそこには住めない。
犯人は誰だかよくわからない。
誰も助けてくれない。
そんな状況を想像してみてください。
腹立たしいですよね。

東北や関東の他の地域の作物も、多かれ少なかれ影響を受けます。
出荷停止、耕作断念、産地偽装、さまざまな問題が起きるでしょう。

お金があっても食べ物が買えない。
ないんだから買えない。
買えても怖くて食べられない。
住めない地域も広がる。

あまりにも不都合ですが、これが現実ではないかと思います。

原発災害は象徴的な問題だと思います。
核燃料は特定の人々が採掘から流通までを独占しています。
電力会社は他のエネルギーへの移行を妨害し原子力発電を推進してきました。
官僚や政治家もそれを推進してきました。
メディアもしきりに原子力の宣伝をしてきました。
補助金をばらまいて、原発を誘致した地域に雇用を作り、文句を言わせない。
基地問題と同じ手法です。

そこまでするのは儲かるからですね。
原子力は儲かる。

ここからが本題です。

スマートグリッド社会の「スマート」は「賢い」、「グリッド」は「編み目のような形」です。
「グリッド」の「編み目の結び目」部分が村や家庭です。

消防署が2km程度の編み目状に配置されるのは、火事が発生したときに現場にすばやく行けるようにするためです。
小さな火事であれば、一つの消防署だけで対応しますが、大きな火事になったら、複数の近隣の消防署が力を合わせて対応します。
個々の単位が自律していること、その自律した単位が編み目のように並んでいること。
それが多様な対応を可能にします。

もし食べ物を自宅ですべて作れたら、食料自給率が100%なら、一部の不足した食材は買いに行くかもしれませんが、食材を調達するためのコスト=長距離を運ぶ、運ぶための梱包材が不要ということになります。
財貨の取引を積み上げるGDP評価方式からすれば、あまり良いことのように思えませんが、自分が食べるものを自分が作るわけですから、これ以上の安全な食材はありません。

隣の家がキャベツを作って、自分の家ではキュウリを作る。
お互いに余った分を交換すれば、どちらの家の食卓にもキャベツとキュウリが並びます。
GDPには積み上がりませんが豊かです。

十分な食料を自分で作れるわけですから、災害時に「お互い様」の精神で助け合うこともできます。
自分の家も隣の家も、自分の村も隣の村も、自律した状態です。
自律しているから、自分が生きられて、もしもの時は隣を助けることができます。

エネルギーを自給します。
バイオ燃料で動く車があれば、ガソリンを買わなくてもいいかもしれない。
家で使う電気を自分で賄えれば、遠くから電気を買ってくる必要もない。

ビールが好きな人やタバコが好きな人は自家製ビールと自家製タバコ。
たくさん作れたら、ご近所さんと取引します。

小さな製品なら個人、あるいは小さなグループで作る。
昔の職人集団みたいなものですね。
きっといいものができます。
共同体の稼ぎ頭になれるかもしれませんから、雇用が創出できますね。

自分で作り始めると、その環境を大切にするようになりますね。
ほとんどが自然の恵みなわけですから、汚水や廃棄物の処理も自分でやるわけですから、環境を大切にします。
いやがおうでも、生産から再生までの循環系を作る方向になります。

こういうことを一つづつ積み上げて行きます。
電気を作る技術、野菜を栽培する技術、ビールを作る技術、製品を作る技術。
そういう技術を交換することで、どんどん賢くなって行く。
文字通り「スマート」になっていく。
知も財も集積していく。

小さな「スマートな単位」が、他のスマートな単位と「スマートにつながって」助け合う。
大きな問題には共同で対応し、小さな問題は自己で対応する。
みんなが「スマート」ならそれが可能です。

持続可能で賢くて助け合える社会が「スマートグリッド社会」ということになります。

自然を大切にする。
勤勉である。
和の精神がある。

日本らしくないですか?
日本の社会がスマートグリッド化できたら、その考え方や技術を輸出します。

このような社会ができると劇的に変わる可能性があるものがあります。

日本の社会には、それこそ網の目のように徴税の仕組みがあります。
また至る所に許認可の仕組みがあります。

徴税と許認可は利権の温床です。

では「スマートグリッド社会」ではどうでしょうか?

ビールを作れば酒税は払いません。
燃料を作ればガソリン税は払いません。
流通が減れば、その過程で生産・消費されるほとんどの製品やサービスは不要。当然、その過程で必要とされる税金も許認可も不要です。
利権の温床を減らせることになります。

政治の仕事は国内的にはグリッドを維持することが中心になり、対外的には外交と国防が中心になります。
外交や国防といった対外的な部分は縮小するのが難しいですが、国内的な部分は費用を大幅に削減可能です。

利権が生まれる土壌があれば、利権に群がる人が出てくるのは当然です。
いくら批判をしたところで土壌がある以上は変わりません。
その土壌をなくしてしまう可能性があるのが、この「スマートグリッド社会」です。

飯舘村はそんな未来の覗き窓のような存在だと思います。(応援の意味を込めて現在系です)
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/index.html

そう考えると、私たちがエネルギーを傾ける方向は、私たちが「スマート」になって「お互い様」の精神でつながることではないでしょうか?
「スマート」に生きようと思いませんか?
どんなに大きな力でも個人個人の心までは征服できません。
「スマート」な生き方を邪魔しようとする者が私たちの敵なのではないでしょうか?
スマートな生き方をするための一切の障壁を私たちは取り払う必要があります。
幸せな生き方を邪魔する力を弱体化する必要があります。
戦う相手を間違えないようにしたいものです。

今すぐに出来ることがあると思います。
それを見つけたらやってみましょう。
そして技術や知識を共有しましょう。

2011年6月21日火曜日

100年前の日本の写真

こちらから写真を転載させていただいてます。
http://digi-6.com/archives/51741356.html

イタリア人の写真家が撮影した100年前の日本だそうです。




















きれいな写真です。

今では洋服を着て、家電製品に囲まれ、鉄筋コンクリートの箱の中に住んだり働いたり。
そんな日本です。
自然の豊かさは依然として残っていますが、その自然の豊かさと沿うように私たちが暮らしているかと言えば、違うように思います。

今回の原子力発電所の事故で何を考えましたか?

『日本の暦』の中の人たちの何人かは被災地に行って、いろいろなものを見てきました。
誰も作業をしていない広大な田畑、放射線量の高いところで無防備に過ごしている子供たち、避難所から生まれた町に戻ってなんとか日常を取り戻そうとしている人たち。
そして東京や神奈川でも放射性物質がいたるところで検出され、それが東北の問題ではなくて日本の問題であることを実感しています。

依然として原子炉からの放射性物質の漏洩は止まっていません。
止まっていないのだから、後から後から放射性物質は広い範囲に拡散しているはずです。
「○○県の浄水場で基準値を超える放射性物質が検出された」というニュースがありましたが、放射性物質の拡散が止まったわけではないので、引き続き検出されているはずですが、最近はあまりニュースになりません。
情報統制が行われているのでしょう。

しばしば、軍事独裁下の北朝鮮や共産党支配下の中国に対して、民主主義がない、自由がないという批判を目にします。チベットやウィグルの人々への弾圧や拉致への批判を目にします。

ふり返って日本の現状はどうでしょうか?
さしずめ占領下の官僚独裁という様相ではないでしょうか?
原発利権というものの存在が浮き彫りにされていきます。
その利権の下で政治家、官僚、学者、メディアが口裏を合わせたように情報を操作しています。
そしてその体制は原発周辺の人々を見捨てている状態です。
健康被害を受けるだろうことを知りながら見捨てている状態です。
少し過激な書き方をすれば「ただちに殺さない大量虐殺」のようにも見えます。

反原発、脱原発、原発推進、原発容認などいろいろな立場の人が論争をしています。
論争をしている間に、どんどん汚染が広がり、福島の農家を中心に人々が追い込まれて行きます。
論争の元になっている情報は操作された情報かもしれません。
自分で見て、自分で感じて、自分で考えて。
そういうことが求められていると思います。

このブログは「自立再生」をキーワードに、それに関連するテーマで数名が投稿をしています。
元に戻すだけなら復旧や復元という言葉でいいでしょう。
復興というからには、「興す」わけですから、より創造的な意味合いを持つことになると思います。
既成の考え方にとらわれず、新しい考え方で家庭、地域、日本を自立再生に向かうという流れが考えられると思います。

「自律型の生活単位」がたくさん「分散して存在」していて、それらが「技術と情報を交換」しながら必要に応じて「協調」するようなモデルが良いのではないかと思います。
「自律」「分散」「技術・情報」「協調」ですね。

何も問題がなければ「自律型の生活単位」だけで生きていけるという形。
この生活単位の中で発電、浄水、食料生産、資源の再生をする。最初は村や町の単位かもしれませんが、これをどんどん小さくしていき最終的には家庭単位に。

このような形態になると、およそ官僚の利権などというものが入り込む余地がなくなります。そして、今の「あらゆるところに網をかけたような税金の仕組みと関連する法制度」が邪魔であることに気がつくでしょう。
今までは、税金が吸い上げられていても、制度でがんじがらめにされていても、そうするしか仕方がないから従っていた、ということだったのではないでしょうか。

このような生活単位が、技術と情報を交換することでさらに発展し高度化します。高度化しますが、生活単位は小さいまま、あるいはもっと小さくなる。決して拡大や発散はしない。
拡大しないから統制する権力も小さくて済む。

小さな生活単位ではできないこと、例えば専門性を要する医療や消防・警察などの機能は複数の生活単位が協調して連合体として対応する(維持費を分担して運営する)。どこかの生活単位が危機に陥れば、すかさず他の生活単位や連合体がバックアップする。

生活単位を小さくするために行う技術革新はたくさんあると思います。
情報を交換するための技術革新もあると思います。
収束方向に向けた経済発展というのがあると思います。

よく考えてみたら、コンピュータの世界ではトレンドですね。

先日飯舘村(福島県相馬郡飯館村)の方と話をしていて、「学校の給食の食材は全部自給自足でやってたんですよ」「自給自足で生きると決めてみんな頑張ってきたんですよ」なんていう話を聴いていて、自給自足から自立・自律という流れを目指すと、いいことがたくさんあるんじゃないかと思いました。

発電、蓄電、送電を個人がやろうとすることを邪魔しようとする力。
食料自給を邪魔しようとする力。
資源の再生を邪魔しようとする力。
自給自立に向かっていくと、そういう力が現れるかもしれません。(今までもありましたが)
そういうものが私たちの敵なのでしょう。

上の写真のようなきれいな日本をまた見られるでしょうか。
きっと無理でしょう。
進んでしまった時間は戻せませんが、時間が進んだ分、生活も精神も進んだと思えるような生き方をしたいものです。上の写真とは違うけれど、別のきれいな日本が目の前に現れるかもしれません。

2011年6月11日土曜日

夫婦の誓い

神前で教育勅語を夫婦の誓いとして唱和する。
素晴らしいと思いますね。
億兆心を一つにするには、夫婦相和しなければ出来ないと思います。
夫婦仲良く助け合って暮らし、子供をもうけて未来につながって行く。新郎新婦のご両親もそう願ってそうしてきたに違いない。その積み重ねがずっと続いてきたし、これからもずっと続いて行く。
過去、現在、未来の一体感みたいなものを感じます。

ご結婚おめでとうございます。
感動をいただけました。

2011年5月17日火曜日

神祭と稲作 〜お伊勢さんと稲作 天照大御神から授った神國日本のお米 斎庭の稲穂の神勅〜

 伊勢神宮の御祭神、天照大御神(皇大神宮)、豊受大御神(豊受大神宮)は、共に稲作に深い関わりを持つ神さんです。


 天照大御神は天孫降臨の際、

一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』

二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』

三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』

と、三大神勅を下されました。  

天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。  

 *畏くも、  天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。  誠に神勅の隨々(まにまに)です。  天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・皇尊 彌榮 々々 々々!


 豊受大御神は、天照大御神へ御神饌(御饌・みけ)をたてまつる御饌都神(みけつかみ=食物の神)さんです。外宮さんの御饌殿では、朝夕二回『日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)』にて、天照大御神はじめ、神宮の神さんへ大御饌をたてまつります。  御饌の主役は勿論お米です。稲穂です。 そして、豊受大御神(地元では外宮さん、豊受さん)は、稲作をはじめとして、衣食住の産業の神様で、私達の生活にとても親しみのある神さんです。


 お伊勢さん(皇大神宮、豊受大神宮)のお祭りは、殆どが稲作と関係し、稲作の時期に合わせて行われます。  

##伊勢神宮HPの 神宮のお祭りと行事 から抜粋させていただき、稲作現場と関連させて書き直してみました。昔の田植えと稲刈り、収穫、脱穀に合わせて大祭がなされています。

 *昔は、6月(今は5月上旬)に田植えが行れたようです。それから見ると風雨の神さんの祭、大御神へ特別な神饌(みけ)を供える祭が前後してあるのも興味深いですね。(ちなみに風日祈宮さんは、元寇阻止の宮さんとして別宮に昇格しました)。  

 *昔は、10月〜11月(今は8月中頃)くらいが稲刈り収穫だったようですので、その前後に大祭が集中してますね。  


2月17日〜2月23日 祈年祭(としごいのまつり)   五穀豊穣祈願祭 旧正月後の田作りの前の祭

4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい)  稲種を神田にはじめて下し奉る祭 稲の籾種まき無事早苗が育つように。

5月14日 風日祈祭(かざひのみさい)  風日祈宮(風の神様)に風雨の恵み、五穀豊穣のお祭り。

6月15日〜6月25日 月次祭(つきなみさい)  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。田植えが終るあたり。

8月4日 風日祈祭   風の神へ御幣を奉り、風雨の恵み、五穀の豊穣をお祈りします。

9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい)  神田にて神嘗祭に奉るご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつるお祭り(神宮神田)。

10月15日〜10月25日 神嘗祭(かんなめさい)  その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げるもっとも由緒深いお祭り。  

11月23日から 11月29日まで 新嘗祭 (にいなめさい)  新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣(ごさけん)されて、奉幣の儀が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。  *新米は陛下が食しめし(きこしめし)いただいた後、臣民はいただきます。

12月15日〜12月25日まで 月次祭  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。

毎日 日別朝夕大御饌祭 (ひごとあさゆうの おおみけさい) 年中、毎日朝夕の2度、外宮の御饌殿で、両正宮、同相殿神(どうあいどののかみ)および各別宮諸神にお供えものを奉ります。


 以上のように神さんからお授かりした稲の祭を奉り、神宮神田で稲作を行い、御神田で収穫されたお米を神饌として奉ってます

 神宮のお米は、神宮神田で、籾種蒔きから田植え、そして稲刈りまで大切に育てられて、神嘗祭(かんなめさい)に初穂を供え、天照大御神に新米を奉りお召し上がりいただきます。

 つぎに新嘗祭(にいなめさい)です。 天皇陛下御自ら新穀を神々に奉り自らもお召しになられ、神宮へ勅使を使わされて神宮では奉幣の儀が行われます。

 天皇陛下が新嘗祭で新米をお召し上がりになられてから、私たち皇民(臣民)は、ありがたくいただきます。 つまり、神さん→天皇陛下→皇民の順序で新米をいただくのが、神國日本の伝統です。

 天皇陛下 所知(しろし)めす。わが神國日本、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國において、神嘗祭の十月十七日、新嘗祭の十一月二十三日は御國をあげての大祭日です。そして、大嘗祭(おほにへのまつり)は、天皇陛下が御即位の年に初めて行う新嘗祭です。御一代一度限りの新嘗祭です


 神宮神田で平成の御代(平成元年秋)に新たな御神米がお生まれになりました。 台風直後の朝、御神田のなかで、たった2本だけ御柱のように太く御稜威のある稲がたっていました。イセヒカリさんです。

 天照大御神より御皇孫のしらしめす稲穂の國にお授けいただいたイセヒカリは、反あたり十表以上の収穫で美味しくて、台風にも倒れず虫や病気にも強い、良い事づくめの稲穂の命さんです。

 イセヒカリさんは、ゆっくり育つ稲のようです。いいかえれば昔の稲作サイクル、伊勢神宮(のみならず日本各地)の田んぼの神祭にあわせているかのようです。


 今の米作りは五月の連休に田植え、御盆の連休に刈り入れます。これは、殆どが兼業農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするため、そして流通販売のためです。 そのため日本の神社の田祭の時期(本来の稲の育ち)と今の稲作サイクルがずれてしまって、実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてしまっている感じがあります。私の村でも村社の神祭(田祭)は6月1日(旧田植え前)と12月1日(新嘗祭と旧収穫後)で現代の稲作時期とずれています。

つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、化学肥料と農薬を使い続けています。日本人の伝統的な思いでは、古事記や書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神さんです。神さんに対して(*日本的な意味での)神の子として誠に申し訳ない事をしているようです。

(* 明治天皇陛下の御製「罪あらば吾をとがめよ天津神 民はわが身の生みし子なれば」にあるように天照大御神の御皇孫の皇民もありがたくも明津神の子です。田祭が行われる神社の氏子は、神の子です。)

 私見ですが、イセヒカリの生(あれ)ましは、今一度、神祭と稲作、神さんと 天皇陛下へ感謝御礼してから籾種を撒き田植えをし、収穫したら天照大御神はじめ神さんたちと天皇陛下、ご先祖様へ奉り報恩感謝してからありがくいただく。この当たり前の神事を当たり前に、全皇民が、やりなさいと天照大御神、豊受大御神さんからの御神託のような気がいたします。

 街暮らしの方は、日本の神さんと 天皇陛下へ感謝御礼の神奉りをしながら、バケツ稲やプランターの陸稲、室内、屋上庭園などを育てて収穫し、天照大御神はじめ八百万の神々、天皇陛下、ご先祖様へ、報恩感謝の気持ちでいただくのはいかがでしょうか。稲穂の神國日本が感じられると思います。


天皇(すめらみこと) 彌榮(いやさか) 彌榮(いやさか) 彌榮(いやさか)

天皇陛下   万歳   万歳   万歳   !

2011年1月26日水曜日

「安全が保証されないから救援機を飛ばさなかった国」と「安全が保証されないから救援機を飛ばした国」

NPOネイビークラブ様より寄稿して頂きました。


最近読んだ 「トルコ 世界一の親日國」(森永堯著、明成社刊)に、日本は「安全が保証されないから救援機を飛ばさなかった国」であり、一方トルコは「安全が保証されなかったから救援機を飛ばした国」であると記述されています。
34年間航空自衛隊に奉職し、我が国防衛の現場において「国を守る」とはどう言う事か ? を追求し続けて来た身としては考えさせられる事ですので、この事を以下に説明させて戴きたく思います。この本はイラン・イラク戦争の時の事を綴った本です。

1 イラン・イラク戦争での在留邦人の脱出
既に御存知の方も多いとは思いますが、事の次第の概略を簡単に紹介します。
時は1985(昭和60)317日、イラン・イラク戦争の真っ最中にイラク大統領のサダム・フセインは「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機に対して無差別攻撃爆撃を加える」と宣言しました。当時イランには200人を越す在留邦人が居ました。諸外国の現地在留民はそれぞれ自国の航空会社の便により急遽脱出をしましたが、当時日本の航空会社はイランに乗り入れていませんでしたので、在留邦人達はドイツやフランスの航空会社の搭乗券を手に入れようとしましたが、外国の航空会社はそれぞれの自国民の搭乗を優先するとの当然の理由により航空便搭乗券は入手できませんでした。 当然、我が国政府はこれら人達を救出するべきでしたが、我が国の法律では「安全が保証されない地域には航空機を運行できない」との事で救援機は飛ばしませんでした。 慌てた在留邦人達は急遽陸路の脱出を図る等の準備を始めたりで不安が一挙に募りました。この時に伊藤忠商事の現地代表であった森永堯氏は本社からの指示により当時のトルコのオザル首相に緊急の要望をしてイランの在留邦人の救出を依頼しました。 森永氏は以前からオザル氏と個人的親交が深く、また、オザル氏も日本を深く信頼している人でした。森永氏の依頼を受けたオザル首相は暫く熟考の後に「トルコは日本に恩義がある」との事で、この緊急状況を理解して森永氏の依頼を快諾し、トルコ航空の救援機を飛ばして呉れたために在留邦人がイラクによる無差別攻撃開始期限ギリギリの時間で無事にイランから脱出できました。

2 エルトゥールル号乗組員の救出
オザル大統領がイラン在留邦人のためにトルコ航空の救援機を飛ばして呉れたのは、オザル首相のみではなく、殆どのトルコ国民が日本に対して深い感謝の気持ちを持っているからです。 これには次のような事実があるからです。
1890(明治32)916日に当時のオスマン・トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県の串本沖で台風により沈没して500名以上が遭難してしまいしまいましたが、その時に串本の大島町の漁民達が深夜の荒れる海の中から懸命に69名の乗組員を救出し、決して豊かではない彼等が自分達の食べる物を減らしてこの人達に暖かい食べ物を与えて介抱すると共に、遭難した乗組員の遺体を丁重に埋葬しました。 そして、我が国は翌年の12月にこの69名の人達を軍艦「比叡」と「金剛」によりトルコ本国に送り届けました。 この事実はトルコの学校の教科書にも記載されており、トルコ国民は現在でも日本に深い恩義を感じていて大の親日家なのです。

3 国を守ると言う事
ここで2つの事を考えさせられます。1つは「国を守る」とはどう言う事か ? です。トルコは自国の航空機の安全より友好国の国民を救出する事を優先して呉れました。大変ありがたい事ですが、我が国の政府は緊急事態にある自国民を守る事よりも航空機の運行の安全を優先しました。 このような事で国民は国を信じる事ができるでしょうか ? 誠に残念な事です。 先ず自国民の生命を守るのが国家の基本的な責務です。 北朝鮮に拉致された我が同胞を未だに救出できず、拉致被害者の御家族の家族救出を訴える悲痛な叫びを聞く度に胸が張り裂ける思いです。 そして、最近の尖閣諸島の事態に刺激されて我が国民も漸く国土を守る努力の大切さを認識し始めたようですが、「国を守る」とは、先ず国民と領土を守る事であるとの基本的な認識を持つ必要があります。 同時に、特に現在の我が国において正しく認識すべき事は、自分の国は自分で守るのが基本である事です。 一部の我が国民は自国の防衛を同盟国たるアメリカに任せたように考えているようですが、とんでもない考え違いです。 自国の防衛は自国が全力を尽くして努力するものであり、同盟国はこの努力を見て我が国を信頼して必要に応じて支援又は協力して呉れるのです。 もう1つ考えさせられる事は、我が国の先人達の素晴らしい心と行動です。 自身の危険を冒しても他国の人を助ける努力をして外国からの信頼を得ている事です。 これは我々の素晴らしい財産です。 他人を思いやる心は日本の文化の根本ですので、大切に守らなればなりません。要するに国を守ると言う事は、自国民の安全を守り、自国領土の保全を守り、そして、我が国本来の文化を守ると言う事に尽きます。
アフリカの人達を黄熱病から救うために尽力し、最後は自身が黄熱病に罹って落命した野口英世、台湾のためにダム建設をしたり、農業用灌漑施設等を整備して台湾の人達のために献身的な努力をして今でも現地の人達から深く尊敬されている八田与一、「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人」(田中秀雄著 草思社)として、我が国による朝鮮統治時代に朝鮮の農業振興に全力を尽くした重松髜修(まさなお)等の自国のみならず諸外国の人達のために献身的に努力をされた我々の先人が沢山居られます。
要するに国を守るとはどう言う事か、そのためには何をするべきかを特に次の我が国を背負う若い世代の人達にしっかりと伝える事が大切である信じる次第です。


日本ネイビークラブ 理事長 大橋武郎(元空将補)



2010年12月4日土曜日

中国はどうして日本に後れを取ってしまったのか:林 思雲氏

他のブログの記事で興味深いものがあったので転載しました。


中国はどうして日本に後れを取ってしまったのか:林 思雲氏 [中国経済新論]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/396.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 17 日 21:32:00:

かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。しかし、1840年、イギリスの軍艦の前に、中国は開国を余儀なくされ、そして、1853年、アメリカ軍艦の来航をきっかけに、日本も同様に対外開放せざるをえなかった。当時の日本は中国と同様、欧米列強との間に多くの不平等条約が結ばれ、侵略の危機に直面した。

こうした外圧にさらされる情況の下、中国と日本のいずれも近代化運動を展開しはじめた。富国強兵は、中国と日本が目指す近代化の共通の目標となった。1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。なぜ中国が日本に後れてしまったのか、以上の事実に対して、われわれは中国が持つ問題点を考えなければならないのである。

客観的に見て、中国は日本より先に進む理由を多く持っている。中国の国土は広く、資源が豊富であるのに対して、日本の天然資源は非常に少ない。中国の人口は非常に多いが、人口密度は日本より小さい(中国の人口密度は1平方キロメートルあたり130人であるのに対して、日本は330人である)。また、1840年以来、中国に対する欧米の投資は日本に対するものよりもはるかに多い。中国が日本より遅れてしまった原因は、明らかに中国人自身の問題によるものである。

原因1:中国人は自尊自大であるが、日本人は謙虚で勉強好きである

中国は列強に敗戦を余儀なくされた後も、依然として「中華文明こそ天下第一」という認識に何の疑問も持たなかった。欧米による侵略を「息子の父親に対する反抗」と見なし、自分を慰めていた。中国の改良派にしても、中国が西欧に敗れた原因を西欧の「堅船利砲」(強大な軍艦と強力な艦載砲)に求め、中華文明自身が西欧より立ち遅れていたということを認めようとしなかった。逆に、日本人は外圧に屈した後、なぜ欧米の人々が「堅船利砲」を作り出せるのか、と真剣に考えた。

昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。欧米列強の侵略を受けると、かつて野蛮人に思われた欧米人こそが、真に文明を持つ人々であり、自分自身が、まだ開化を果していない野蛮人であると、日本人は悟ったのである。その後、日本では、「脱亜入欧」運動が展開された。それによると、中国、朝鮮などの東アジア諸国はまだ開化していない野蛮な国家であり、こうした野蛮国と一緒にいると、いずれだめになってしまう。文明国となるには、日本がこうした東アジアの「悪友」とは決別し、欧米の「良い友」と誠心誠意に接しなければならず、日本人を黄色の皮と、白い中身を持つバナナのような、白人の魂を持つアジア人に改造しなければならないと考えたのである。

1871年、日本は大蔵卿大久保利通や工部大輔伊藤博文をはじめとする百人余りの視察団(岩倉使節団)を欧米に派遣し、22ヶ月に渡って、欧米各国の政府制度、司法機構、教育体制などの詳細な調査研究を行った。日本使節団は当時の列強の元首と相次いで面会を持った。とりわけ、プロイセン(ドイツ)のビスマルク大統領は、日本の代表団を宴会に招待し、その席で弱小国家であるプロイセンが新興強国になる経験を披露した。その話を聞いた日本人達は、「富国強兵の秘密はこれか」と驚きを抑えずに感嘆した。その後、日本がドイツをモデルにし、軍国主義の道を歩む建国方針を確定した。これは後に日本が対外侵略に走る遠因ともなった。

1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。なぜなら、当時の日本はすでに「脱亜入欧」を決意し、中国のような後進国との連盟を望まなくなっていたのである。日本が1894-95年の甲午(日清)戦争で中国を、さらに1904-1905年の日露戦争でロシアを相次いで破り、「脱亜入欧」という抜本的な構造改革の正しさを証明した。1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。

中国はいまだに立ち後れ、貧困から抜け出すことができていない。その最も重要な原因は、自尊自大な国民性にある。中国人はいつも自分の長所ばかりを強調し、逆に他人の欠点を過大視する傾向がある。欧米に学ぼうという話になると、多くの中国人は、中国には中国なりの長所があり、欧米には欧米の短所があると、自己弁護を行う。中国人は欧米の科学技術の面における優位性は何とか認めるが、欧米文明の中華文明に対する優位性は決して認めようとしないのである。日本人が二回もノーベル文学賞を獲得したのに対して、中国人はいまだに獲得したことがない。中国人はこうした現象を中国現代文学が日本のそれより劣っているためではなく、むしろノーベル賞の評価のあり方に問題があると理解している。

中国人の自尊自大の態度は、日本のように他国の経験を謙虚に学ぶことを妨げている。これまで、中国人がそう遠くない将来、日本を追い越す夢を何度も見たが、それを現実にすることはできていない。

原因2:中国人は現状に安住するが、日本人は絶えず進歩を求める

1950年代、日本がアメリカに商品を輸出し始めた頃、MADE IN JAPANは現在のMADE IN CHINAと同様に、「安かろう、悪かろう」の同義語であった。当時、日本製の1ドルのワイシャツはアメリカの商店では、最も安い品物用の棚に置かれ、その一方で、10ドルもするアメリカとヨーロッパ製のワイシャツが高額商品の棚に陳列されていた。

そこで、日本の服装メーカーは考え始めた。なぜ同じワイシャツでありながら、日本製がわずか1ドルなのに、アメリカとヨーロッパ製のものは10ドルもするのであろうか。そこで、日本のメーカーは各種の高級ワイシャツを買い集め、高級ワイシャツを生産する秘密を研究し始めた。10年後、日本製のワイシャツは高級品の棚に置かれるようになり、安売りの棚には見かけなくなったのである。

中国は1980年代初めから、アメリカに1ドルのワイシャツを輸出し始めたが、現在になっても、依然として同じ物を作っている。1ドルのワイシャツでも売れてさえいれば、それを永遠に作ろうとする、すなわち製品に対する革新の精神が欠けている。中国では、数百のカラーテレビの生産ラインを導入したが、各メーカーがそれを頼りにして、永遠に生産しようとしており、なんの技術革新もしてこなかった。

中国人が現状に安住した結果、中国製品のモデル・チェンジは受身になりがちで、製品が売れなくなるまでは改良をしない。これに対して、日本企業は製品のモデル・チェンジを積極的に行っている。従って、中国企業の製品は常に日本製品の競争相手になれないのである。

現在、一部の中国人が日本製品に対するボイコットを主張している。しかし、こうした人々は中国人が日本の製品を買いたがる理由が何か、ということは殆ど考えたことがない。仮に日本の製品より中国製のものが高品質で価格も手頃であれば、ボイコットするまでもなく、日本製品は自然に淘汰されてしまうであろう。中国人はひたすら日本製品のボイコットを主張するが、いかに中国製品の品質を向上させるかについては、何の方策も捻り出せないのである。

原因3:中国人は私利私欲ばかり追いかけるのに対し、日本人は滅私奉公の心を持っている

中国人がバスに乗るとき、我先に席を奪う風景を多く見かける。中国人は私利に対して、非常に敏感で、例えば、バスでの席のようなほんの小さいことも他人に譲らない。中国の国有企業も日本の企業も「大鍋飯」(親方日の丸)に特徴付けられるが、日本の場合、それが全員に豊かな生活をもたらしたのに対して、中国の場合、揃って貧乏になってしまった。日本人は結果に関係なく一生懸命に働いている。少し他人より多く働いたことを損したと思う人はだれもいない。中国人の発想は全く逆である。すなわち、いかに自分が他人より少なく働くかしか考えないのである。結果的に、みんなが仕事をサボることになる。中国共産党が掲げている滅私奉公を原則とする「大鍋飯」は、結局、行き詰まってしまったのである。

中国人の世界観は、「自分の利益しか考えず、困難がある時は他人に犠牲になってもらう」というものである。これに対して、日本人は滅私奉公の精神を中国人よりはるかに強く持っている。日本軍が戦うとき、士官の死亡率は非常に高い。なぜなら、日本の士官達は普通の兵士より前に進んでいるからである。日本軍の勇敢さの理由の一つはここにある。中国軍の場合、士官が最も後ろに隠れ、銃を構えて兵士達に前に進むように命令するだけである。中国の軍人達が他人を犠牲に自らの安全を図る猿知恵は、結果的に中国軍の敗北と大きな犠牲をもたらした。「目先の利益を追いかけて、結果的に、大きな損失を被る」ということである。

現在、中国の大学生達はひたすら海外に行きたがり、貧困から抜け出そうとしているが、中国本土に残り、中国人全体を貧困から脱出させるという責任を担おうとする者は少ない。1950年代、日本はアメリカに大量の留学生を派遣したが、当時のアメリカの生活水準が日本よりはるかに高かったにもかかわらず、学問を修めてから帰国しない日本人は極めて少なかった。戦乱に遭うたびに、中国人は各種の文化財と文化遺産を盗みだそうとしている。最近の新聞には、中国人が貴重な仏像の頭部を切り落とし、それを海外で売りさばくといった記事が載せられていた。しかし、日本では第二次世界大戦当時、空襲で多くの名所旧跡が破壊されたが、その隙を見て文化財や文化遺産を盗もうとする人は殆どいなかった。日本人の祖国に対する献身の精神と責任感は、中国人にとって理解しにくいものである。

中国人の心の中では、自分という「小我」しかなく、国家と民族という「大我」という発想が存在しない。かつて孫文は中国人をばらばらな砂だと例え、中国人の「心」をまとめる手段がどこにもないと語った。中国人の世界観に、自分自身の利益を越えた「大我」という観念を形成させない限り、中国人が世界先進の民族への仲間入りを果たすことは永遠に不可能であろう。

原因4:中国人は内部闘争を好むが、日本人は一心団結している

あらゆる集団には競争と団結の両面がある。しかし、中国人は集団内部の競争を闘争へと転換させることを好んでいる。かつて、中国人同士の闘争が中国にもたらした被害は、外国の侵略によるものをはるかに超えている。そもそも中国人にとって、お互いに対立しあう傾向は生まれつきのものであり、それは政治運動の時に最もよく現れる。中国人は小さな頃から他人を信用しない教育を受けてきた。政治運動が訪れるたびに、中国人はお互いを疑い、他人の秘密を暴露あるいは密告する。場合によっては、自らの利益のために他人を犠牲にすることも辞さない。

日本人の間にも内部の闘争はある。しかし、それには限度があり、共同の利益が損なわれるまでには発展しない。これに対して、中国人の内部闘争は留まるところを知らない。自らの敵を倒すには、中国人は異民族あるいは外国人の力を借りてでも、その目的を実現しようとする。かつて呉三桂は李自成を倒すために、清に軍隊の派遣を要請し、同じ民族との戦いに臨んだ。汪精衛は蒋介石との権力闘争のために、日本人の手先になることも辞さなかった。中国人は、外部にいる共通の敵より、内部の敵をやっつけた方が重要だと思うため、国を裏切る者が大勢いる。

日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。中国人は外国の捕虜に対して、非常に友好的である。中国で服役した日本人の捕虜達も人道的な扱いを受けてきたとの多くの証言がある。しかし、中国人は同じ中国人の捕虜に対して非常に残虐である。共産党と国民党の内戦で捕虜になった兵士達の運命は非常に悲惨なものであった。中国の教科書には、「中華民族は平和を愛する民族である」と書かれている。中国人は、確かにめったに外部の民族を侵略しない。中国人はほかの民族との平和を愛するが、しかし自らの民族同士の平和を愛していないようである。文化大革命での内部闘争を経験してきた中国人は、「中華民族が平和を愛する民族である」という表現に対して、疑問を持っているであろう。

現在、中国人の内部闘争は経済分野にまで及んでいる。中国のメーカーは輸出を獲得するためにひたすら価格競争を行い、結果的に、全てのメーカーが大きなダメージを受けてしまうことになる。日本企業は日本国内においては激しい競争を展開しているが、しかし一旦海外に出ると、お互いに協力し合う傾向が見られ、海外市場を獲得するために激しい内部闘争を行う現象は殆ど見られない。これが日本の輸出が絶えず黒字を保つ理由の一つでもある。

一人一人の日本人はたいしたことはないが、しかし、日本人が10人集まると状況が一変する。ばらばらである中国人は、結局、団結力の強い日本人との競争に勝てないのである。日本人が一心団結できる秘密はどこにあるのであろうかと日本人に聞くと、逆に、どうして同じ民族同士の団結がそれほど難しいか、そのこと自体が理解できないという答えが返ってくる。このように、民族性は決して短期間で形成されたものではない。内部闘争を好む中国人の国民性を変えるには、一世代あるいは二世代以上の時間を要するであろう。

原因5:中国人は忘れがちであるが、日本人は執着心が強い

日本人が新年の初詣に靖国神社を参拝することは、戦犯を偲ぶもので、軍国主義復活の兆候であると、中国国内では絶えず批判の声がある。その動機はどうあれ、毎年、大勢の日本人が自発的に神社に参拝していることは、日本人には、昔国家に命をささげた「先祖」達に対する感謝の気持ちがあることを物語っている。一方、抗日戦争(日中戦争)の際、国家のために大勢の中国人が犠牲になったが、現在、その存在は殆ど忘れられ、ましてその魂を参拝することはありえない。自らの祖国に命を捧げた先祖をすぐ忘れてしまう民族には、強大な民族集結力が永遠に訪れないのである。

戦後、日本は巨額の資金を投入し、かつて激戦が繰り広げられていた太平洋の島々に残された日本兵の遺骨を日本に持ち帰り、埋葬している。ベトナム戦争後、アメリカはベトナムと国交を回復する際、ベトナムに対しアメリカ兵の遺骨の返還とベトナム各地における米兵の遺骨の調査を行う事を要求した。しかし、中国とベトナムとの関係の正常化が実現するときに、戦死した中国兵士の遺骨を回収に関する問題は殆ど提起されたことがなく、人気のあった中越戦争の中国軍の英雄達も、現在は忘れられようとしているし、まして朝鮮戦争、抗日戦争でなくなられた先祖のことは、完全に忘れられているといっても過言ではない。

中国人は絶えず日本に侵略された歴史を忘れるなと言い張るが、実際、大多数の中国人はもはやその事実を忘れかけている。中国の大学生が日本留学を試み、少女ができるだけ日本人との結婚を望み、そして農民達が相次いで日本に密入国を図る現状からも、中国人の日本に対する憎しみの度合いを推し量ることができよう。数年前にユーゴスラビアで中国大使館がアメリカの誤爆にあったが、それによって引き起こされた中国大学生達の激しい反米感情はわずか数ヶ月程度ですっかりなくなった。TOEFLの試験を受けてアメリカに行きたがる人数は減るどころか、むしろ増加していることも、中国人が歴史を忘れがちであることを示す一例であるといえる。

最後の問題:果たして中国は日本に追いつけるのか

多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。

中国人は日本に追いつくことをいつも夢見ているが、日本人の優れた所を真正面から評価しようとも、そして自分の弱点も認めようともしない。確かに日本人にも多くの短所と問題がある。しかし、もしわれわれが日本人の短所だけを強調し、絶えずそれを批判し、色めがねで日本を観察しても、日本の発展になんら影響も与えないだけでなく、逆に自分の視野を狭くしてしまったのである。昔、中国人はソ連とアメリカを帝国主義として多くの悪口を言ってきたが、相手を懸命にののしった結果、ソ連とアメリカの実力どころか、むしろ自分の国力を削減しただけであった。

日本人はアメリカに敗れたことを自らの恥であるとみなし、逆に中国人は日本に敗れたことを日本の恥であると考えている。実は、日本になかなか追いつけないという事実は、まさしく中国人自身の恥なのである。自分に言い訳を求める手段として日本に批判を展開する人々は、中国人の自尊心を満足させるだけで、中国の発展と進歩になんの役割も果たせないのである。

もし別の角度から日本を見れば、日本人は非常に謙虚で勉強好きで、絶えず進歩を求め、そして滅私奉公の精神を持ち、忍耐強く、粘り強い民族で、世界で最も優れている民族の一つであるということがわかる。中国人が日本に追いつけないのは、結局、中国人自身の抱える問題があまりにも多すぎることにある。中華民族が多くの短所と問題を抱えている民族であることを、中国人が自ら認め、絶えずそれを変えることに努力しなければならない。これができなければ、中国が日本に追いつく夢は泡のように消えてしまうだろう。

(出所)原文は中国語。和文の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

2003年6月16日掲載

林思雲 Lin Si Yun
1963年中国南京市生まれ。南京大学理工学科卒。1992年に日本に留学。1996年に日本で工学博士を取得し、日本の化学材料の会社に務める。理工学院卒の理系出身ではあるが、文学や歴史に興味を持ちその方面の書籍を愛読する。1997年以降、インターネット上に独自の観点から書かれた政治、歴史、日中関係に関する文章を数多く発表している。

2010年12月1日水曜日

戦前の日本は成功モデル

戦前の日本は成功モデルである。戦後非難の誤解をとき今後の日本復興の目標として多角的に分析する。

東京近現代史研究会より

2010年11月28日日曜日

日本とChinaの思想と文化の違い

『海と日本』 第20回
「大陸の発想VS島国の発想」
Chinaと日本。大陸の宿命と島国の限界が、両者の間に思わぬ発想方法の差異を育ててきた。
巨大な大陸国家であるChinaは6000年以上に渡って、東夷・西戎・南蛮・北狄の四辺と争いながら権力が存続してきた。周囲は敵であり力で劣れば国は収縮・消滅せざるをえない。
方や、国家の成立前から海洋によって隔離・保護されてきた島国の日本にとって、隣国は争うべき相手ではなかった。
アジアに存在する、この異なる2つの立場は互いを理解することが出来るのか、そしてその未来は?