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2011年6月17日金曜日

自尊自立のための家庭の医学 番外編5 当たり前のことを淡々とする

黄砂や花粉、化学物質、そして放射性物質への対策は基本的に同じです。

睡眠をしっかり取る
水分をたくさんとる
ミネラルバランスをとる


もちろんそれ以外にそれぞれ、もっとこうしたらいい、というのはありますが、基本中の基本はいつもと変わらないわけです。つまり体のしくみをサポートして尚且つ体に負担をかけ過ぎないように気をつける=自分の体を大切にする ということですね。これは何も非常事態、特別な時だけにすることではなく、いつだって、これからもずっとそのようにするべきことなんです。
何だそんなことか、と当たり前のこと過ぎて拍子抜けするかもしれません。でも案外、これが出来ていないものなのです。

心や体に関することを言う人たち、スピリチュアルな世界で著名な方々や各種療法家、医師の中で、これを言わない人はいないくらいです。最初はそういうことを言う人たちは専門的なことに言及しきれないし、特別な方法を知らないから、そのようなことを言って誤魔化しているのかとも思いましたが、皆がこれを言うには理由があるのだと思うようになりました。私たち普通の人間も結構これが出来ていないのだということ、自分を省みてもそう思います。そしてこういう当たり前の養生をしなさいという理由は、それらが治療や治癒の障害となるものだからです。どのような療法を用いたとしてもこの障害を無視するわけにはいかないという現実がある、ということなんですね。治療をして一時的に治ったとしても、患者さん自身が不摂生な生活や生き方を改めない限りはまたいづれは元の状態に戻ってしいます。

健康な人ならば自然治癒力が働くと、体に不要なものは外に出そうとする働きがあります。
体の中の不要なものを外に出すとき、それは体液の排出も伴う場合がほとんどです。ここでいう体液とは体の中から出てくる液体を指し、例えば、下痢、尿、鼻水、痰、膿、浸出液、血液、涙、などのことです。
突然の症状を伴って急激に排出されることもあるでしょうし、長期間にわたってダラダラと排出される場合もありますが、これにより体は消耗します。ですから、不要なものと一緒に外に出てしまった体液を補わなければなりません。場合によってはこれで命を落としますよね。だからミネラルと水分はとても大切なんです。汗をかいても運動をしても必要ですし、寝ている間にも水分は汗となってたくさん出て行きます。一緒に外へ出ていく体液の中にもミネラルが含まれていますね。循環器系や神経、脳、筋肉の働きにミネラルは欠かせません。しっかり外へ出すためにミネラルのバランスと水分摂取を心がけましょう。

また体を冷やしすぎないようにすることも大切です。
体温が一度下がると免疫力は30%下がり、体温が一度上がると免疫力は500~600%上がる、とも言われています。低体温の方がガンになりやすいなどという話も聞きますね。体を冷やす食べ物のほかにも、薬やその他の化学物質も体を冷やすと言われていますし、そういったものは冷えたところに集まりやすいともいいます。女性の体は男性よりも冷えやすく創られているので、お気を付け下さいね。

以上のことから、免疫力・解毒力を上げるために睡眠や水分をしっかり取って、体を温めて(冷やさないように気をつけて)ミネラルを摂って日本人の体にあった食生活をすることが大切かと思われます。
これらは当たり前のこととして行われている養生法です。足りないものを足す(睡眠不足、水分不足、ミネラル不足)、という逆症療法ですね。

そして必要以上に嗜好品や加工食品から添加物や保存料などの化学物質を摂らないようにも気をつけたいですね。「絶対」摂ってはいけない!ということではなく、これからはなるべく気をつけましょうね、というかんじですね。善悪の決めつけ、過ぎたるは・・・です。。
あと、血液をきれいにするために腸をきれいにすることも大切なので、食べるものや食べ方にも気を配りましょう。  腸をきれいにすると心もきれいになるとまで言う人もいます。断食も良いですね。断食の後や熱が出て薬を飲まずに熱が下がった後の爽快感は格別です。

ついでに言えば問題を問題として騒ぎすぎない心も大切かと思います。
私たちは問題を自ら探し出して大騒ぎすることがあります。「問題を問題だとすることが問題である」、と言われることもありますが、(自分が)悪(だと思うもの)を徹底的に排除・駆逐しようとする姿勢は、菌を悪者として徹底的に戦う西洋医学の考え方に似ていると思うのです。不安や恐怖、抵抗は緊張やストレスを生み、苦しみを生みます。だって納得がいかない!と思考は言うかもしれませんが、その状態を維持してしまうと免疫力が低下し、生命力の流れが滞ってしまいます。
でも放射能とはこれからしばらくお付き合いしないといけない日本になってしまいました。
ですので「すでにそうであるもの」(=放射能がダダ漏れである、放射性物質を100%避けることはできない)を一旦受け入れてしまいましょう。これは無抵抗、甘んじて維持することではなく、否定しないということです。一旦「状況」を受け入れることによって、それに抵抗することで生まれる不安や恐怖を軽減し、出来ることを探してただそれをやる、ということです。必死に抵抗して心も体もガチガチの状態よりも比較的楽に「状況」に対応出来るようになると思うのです。

何か大きなことをするのが世の為人の為ばかりではなく、どうせ自分は大したことは出来ないし役に立たないなんて思わずに淡々と今できることをする、目の前にある事をする、当たり前のことをする、それが自分の為であり、自分の周りにいる大切な人たちの為になります。それで充分世の為人の為だと思いませんか?もちろん従来のことだけやっていればいいという意味ではなく、自分にとって新しいことをやってみるのも今出来ることをするに含まれますね。つまり「何をするか」、よりも「どのようにするか」という心構えが大切かなと思います。
イライライしたり焦れたりせずに、どっしり構えていきましょう。。

2011年3月11日金曜日

自尊自立のための家庭の医学 第二回 心と体はつながっている

病気になると心細くなります。 
なかなか治らなかったり、それが重い病気ならなおさら、この先どうなるのかという不安や、苦痛に対する恐れなどを感じるものだと思います。
病気、そしてこれからのこと、それらを何となく恐ろしいもの・悪いものという認識のままではそういった不安は大きくなってしまうばかりです。
現代においては生活の忙しさに追われてしまい、目の前にあることをやり遂げることや、逆に気晴らしにあまりにも多くの時間を費やしたりと、自分の心を省みる時間や習慣が減少してしまいました。心と体がつながっているということをつい忘れがちです。

医学は学問です。
しかしその学問が臨床の現場で、病気を治すために役に立つかどうかはまた別の話です。
そういった知識は、私たちにはあまり必要が無いと私は考えています。
私たちに必要なのは病気にならないようにすることや自力で治す知恵です。
どういう治療を受けるのか選択するのかを自分で判断できるようになることです。
先端医学などの研究や、これからも解明されるであろう科学的な根拠などは専門家にお任せするとして、自尊自立の為の家庭の医学では、病気と体、心と体の関係について考えてみたいというのが第一にあります。
これを知っているか知らないか、考えたことがあるかないかでは、病気になった時の心構えが違うと思うからです。

心と体はつながっている。

これを否定する人はほとんどいないでしょう。
しかし、心で感じるあらゆること、感情が様々な病気の根本に隠れていることを実感することは難しいと思います。
現代医学では、基本的には体の病気と心の病気は分けて考えていると思うのです。
ストレスも原因の一つ、というのは現代医学でも常識ですが、心の病気は軽いものは神経症etc、重くなると精神病etc、だけど風邪やがんやアトピーやリウマチは体の病気で心の病気ではない、私たちはそういうイメージを持っていると思います。

私たちは、日常生活の中で、いろんな出来事があって、いろんなことを感じたり思ったりしています。そしてその感じたことは、しっかりと体にも伝わっています。

例えば、ショックを受けると心臓がドキドキしたり、呼吸が早く浅くなったり
ストレスを感じると、胃が痛くなったり下痢をしたり
緊張したら、口の中が乾いたり、手が冷たく汗をかいたり、指先が震えたり
びっくりしたら、冷や汗が出たり、心臓がどっきんどっきんしたり
嬉しすぎたり悲しすぎたりすると胸がいっぱいになって、ご飯が通らなくなったり

こういうことって やろうと思ってやってる事じゃなく自然とそうなっていることですよね。
そうであるならば、自身で知覚できないレベルでも体の中では、いろいろなことが起こっているはずですよね。

食欲は精神状態に大きく左右されます。
悩み事や嫌なことがあって食欲が無い、あるいは食べたけれど胃がもたれるようなとき、ありますね。
「そのせいですっかり食欲が失せた」
「そのことを考えると吐き気がする」
「あいつを見ただけで胸がむかつく」
こういう表現がありますが、これはまさに心と体が同じような反応をしている、類似した状態にあるということです。
胸が悪くなる、気分が悪くなる、というのは、欲しくないという「拒否」を表現しているものともいえます。
 私たちの言語は精神身体学である。精神の動きや状態を表す表現のほとんどは、身体的体験から借りている。意味をつかむ、というのがその例だ。人間の意識の歩みは、かならず身体を通る。ものごとの本質は、いったん肉体性に下げてから意識にとりいれられるのである。
 言葉の二重性を聞き取れるようになれば、病人が体の症状を語るとき、同時に心の問題も表現していることに気づくだろう。視力が落ちてものがよく見えない、風邪をひいて鼻がつまっている、体が凝って前に曲がらない、ものが喉を通らない、ものおぼえが悪くなった、耳が遠い、皮をはがしたいほどかゆくてたまらない、など。こうした表現を聞けば、解釈する必要もない。病気は人を正直にするのである。
(トアヴァルト・デトレフゼン、リューディガー・ダールケ著「病気が教えてくれる、病気の治し方」より引用)

この本はかなり変わっていますが、とても興味深いことがたくさん書かれています。心が認めたくないものを体が体験している、ということなのだそうです。
例えば「皮をはがしたいほどかゆくてたまらない」は、ほんとうは皮をはがしたい、心の奥にはこれまでの枠を破りたいという願いがあるけれど、それを認められない、認める勇気が無い。だから体がその願いを実現し、湿疹を症状に使って望みを表に表しているのだとか。皮膚は外界と接触する部分です。湿疹という「理由」のおかげで「皮をはがしてしまいたい」と表現できた、ということなのだそうです。体に出たアリバイは疑われることはないからだそうです(笑)。仕事が嫌で、忙しくて少し休みたい、でもそれは上司には言えない、ところが風邪をひいて体がそれを実現してくれたために、望み通りの結果になった、と。

なるほど、確かにそういうこともありそうな、なかなか面白い考えだと感心しました。

現代医学のように症状を分類して病名をつけることは学問としての客観性があると思います。
一方でここが痛い、こんな風に痛い、というのは患者さんの主観です。病院へ行って診察を受けて検査をしてどこも異常が無いと言われることも多いですが、患者さんは苦痛を感じている現状があります。
この自覚症状はたとえ病名が付かなくて異常なしとされたとしても以上のような観点から、自分の心の本当の気持ちを知るサインとして大事にしたいなぁと思います。

2011年3月1日火曜日

自尊自立のための家庭の医学 番外編2 コレラ菌を飲んだ人ペッテンコーフェル

 自尊自立のための家庭の医学 番外編1「パスツールとビシャンプ」 が予想外に?御好評でしたので、もう一つ感染症の原因についての興味深いお話をご紹介します。

炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者であるドイツの医師・細菌学者ロベルト・コッホはパスツールと並んで「近代細菌学の開祖」といわれています。

コッホは、結核は結核菌が、コレラはコレラ菌が原因で起こる、
ゆえに当然、コレラはコレラ菌に感染することで発症すると言いました。(「病原微生物説」「外部病原説」)

しかし「外部病原説」に対し、フランスの生理学者ベルナール
「病気は外部から侵入することによってではなく、私たち自身の内部にその原因がある、健康は内部環境のバランスによる」
という「内部環境説」を唱えました。
ベルナールは、病気は医学的な問題ではなく、社会的な問題であり、病気の治療よりも予防することが最良だ、と考えていたそうです。

そしてベルリン大学の衛生学の教授ペッテンコーフェルはコレラ菌に感染してもコレラを発症するとは限らないと反論しました。
ペッテンコーフェルはパスツールやコッホの説を否定し、「細菌による病気でも、その発病には環境や個人的な因子が関わっている」
と主張しました。

ペッテンコーフェルはそれを証明する為に、1982年の学会でコッホが作ったコレラ菌の培養液を飲み干したというのです。
しかもご丁寧に、コレラ菌が胃の中の強い酸で死なないように、酸を中和する液体(重曹水だったと言われています)をあらかじめ飲むという念の入れようでした。
コレラを発症すると死に至ります。大量のコレラ菌を飲んだペッテンコーフェルも死んでしまうはずでした。
しかし彼は数日間下痢を起こしただけで、その後回復し死ぬことはありませんでした。
コレラでは激しい下痢とともにひどい脱水症状が起こるそうですが、脱水症状は起こさなかったそうです。また彼の弟子であったエンメリッヒもコレラ菌を飲み干しましたが、死ぬことはなかったようです。

命がけの実験ですが、ペッテンコーフェルには強い確信があったのだと思います。
そういえば、ペッテンコーフェルを地で行くような人を知っているなぁ(笑)。。。
世間一般の常識にとらわれ過ぎないこと、自分の内にあるものを発見すること、信じること。こういうのが直観力といえるのかもしれません。常識というものにとらわれ過ぎると先入観や偏見が生まれ、新しいアイデアや発見を見逃してしまうかもしれませんね。直観と洞察、大切にしたいものです。

このことから、やはり?どうも?
体内にコレラ菌が入ったからといってコレラにかかるとは限らないという説に軍配が上がりそうな気がしてきますがいかがでしょうか。
しかし我々人類はパスツールの方を選んだのでしたね。
そして抗生物質や抗ガン剤といった、外部の要因を悪として、悪と戦うということで「抗○○薬」などという名前のお薬を飲んで治療としている訳です。

しかし「外部病原説」を唱えた当のパスツールも死を迎えるとき、このように言ったそうです。

病原体はなんでもない。すなわち地球がすべてである。

地球=環境

ここで「地球」と訳されているフランス語の単語は teriain 。
これは「環境」という意味にもとることが出来るそうです。
もしあなたの外部環境が健全であれば、そしてあなたの身体がよく耕された土壌の様に十分に栄養をとっていれば、あなたの体は病原菌に充分抵抗できる、と。

 
私個人としては、「あれがダメ」、「これがダメ」、「こうでなければならない」、「こうしないとこういう風に悪くなりますよ」・・・etc
いくら体に良いこと正しいことでも、こういう言い方をしてしまえば、アロパシーの考え方と同じ、善と悪に分けて悪を叩く、と同じような気がします。
分かってても出来ない、やめられないというのも病みのひとつかもしれません。
いくら体に良いことでも病人を咎めることは思いやりとはいえない気がします。
あれが悪いこれが悪い、これが出来ていない・・・そういうことが自然と気にならなることが健康かなぁと。
そんなわけで、皆様も頑張れないとき、分かっててもやめられない時、どうかご自分に優しくしてあげて下さい。



2011年2月22日火曜日

自尊自立の為の家庭の医学 番外編1 パスツールとビシャンプ

病気の原因はどこからやって来るのか

生命がどのように生まれたのかということについて今日までいろいろな研究がおこなわれてきたことと思いますが

A.それは無から生まれた、何もない状態から物質、物が生まれた(自然発生説)

B.世界には常に物質があって、その物質が進化を続けて今日に至った

創造されたのか?進化してきたのか?

フランスの有名な科学者パスツールも最初はAの自然発生説を信じていました。
おそらく宗教的な考えに基づくものではないでしょうか。

彼の同僚であったビシャンプはある3つのことに着目しました。
1.砂糖からアルコールが出来ていく発酵の状況
2.傷口の腐敗(化膿)
3.葡萄のある病気

ビシャンプはこの3つの過程の中に非常にちいさな微生物を発見しました。
この非常に小さな微生物をマイクロザイマスというそうです。
細菌とかカビなどの区別なしにすべてを包括してマイクロザイマスという微生物としたそうです。

1.発酵のプロセスに於いてはマイクロザイマスが砂糖を分解してアルコールを生成する
2.腐敗のプロセスに於いてはマイクロザイマスが組織体を分解して膿を生成する
3.葡萄の病気のプロセスに於いてはマイクロザイマスが葡萄の皮を食べ、その結果毒を生み、その毒が植物全体を殺したという発見をしたというのです。

パスツールはビシャンプこの発見から、3つのプロセスに於いて、マイクロザイマスの活動によりこの病気が発生したことを肯定しその上でそれぞれに違った種類の微生物がいると仮定しました。
そしてマイクロザイマスは外部から侵入するものであるとしています。
マイクロザイマスが体内で毒を生成し、はしかになった時ははしかのマイクロザイマスがその症状を作り、天然痘になった時ははしかのマイクロザイマスではなく、天然痘のマイクロザイマスが起因しているというふうに考えました。
一方、ビシャンプの方はさらに研究を進めすべての生命体の中には常にマイクロザイマスが存在している、ということを提唱しました。
組織体の状態によってマイクロザイマスが決まる、という考え方です。
生命体とは人間でも植物でも何でも、その生命体の組織体の中にマイクロザイマスがいて、それが宿っている母体をソイル(土壌)と呼びました。


パスツールとビシャンプのどちらを選ぶかでずいぶん違いますね。
パスツールを選ぶとしたら、主役は外部から侵入してくる微生物です。
その場合、私たちはどのようにしたら病気にならずにすむでしょうか。

微生物を侵入させないように周囲の除菌殺菌などを徹底していかなければなりません。
侵入させないことによって感染を防ぐのと同時に感染した人を避けなければなりません。
感染した場合は、体内の細菌を殺してしまわなければなりません。

ではビシャンプが正しいとしたら、どうでしょうか。
ソイル(土壌)をきれいにするように努めて、常にあるマイクロザイマスに対抗できるようにしておくことになると思います。
それは実際にはどのようにすることでしょうか。

皆さんももうお気づきのことと思いますが、自然療法のプロセス、方法論はビシャンプの発想から来ているのですね。
食生活を見直す、体にとって毒となるものをなるべく摂らない、毒は体の外に出す、夜は寝て朝起きる、頑張りすぎず、のんびりだらけすぎず、規則正しい生活を心がけること。ライフスタイルを考え直すことが大切だということなんです。
しかし、ここを見直さずに変えずに、なんとかやり過ごせないかというのが現代人にありがちなことのように感じます。

19世紀のヨーロッパでも、選ばれたのはビシャンプではなくパスツールの方でした。
まだ抗生物質も発見されていない、ワクチンもない、製薬会社もない時代でした。
大量の薬を作って人々に与え、衛生管理を徹底するのはとても大変なことであったと思いますが、パスツールの方が選ばれたのでした。

ライフスタイルを変えるのと、多くの時間とお金を費やして、現代の医療体制を整えるのと
はたしてどちらが楽であったかというと、人々は後者の方を選んだのです。
なぜでしょう?
パスツールの場合は病気は微生物のせいにできますが、ビシャンプの場合は自分を改めなければいけません。楽さというのは金銭的なものより、感情的、情緒的、心理的な楽さの方を選んでしまうものなのかもしれません。
自分には全く関係が無い、原因が無い、他人や外のものを批判する方が、ずっと楽だということだと思います。
私たちはついついそういう方向に流れてしまう性質がある。

こういう時に科学的根拠というものに逃げてしまわずに、どうしてビシャンプを選ばずにパスツールを選ぶのか、を自らの心に問いかけてみることも大切なことではないかと思います。


2011年2月3日木曜日

自尊自立のための家庭の医学

これから数回に分けて、病気やからだのことについて少し考えてみたいと思います。

健康に気を遣ってる方って結構多いと思います。
雑誌やテレビでこの食べ物が○○に良いという情報などには何かと敏感になったりしますよね。
でも病院に行ったときなどは、質問しようにも何を聞いたらいいか分からない、訊ねてみたけれど先生の言うことは分かったような分からないような・・・うーん。
まぁ専門的なことはお医者さんにお任せしましょう。
そんなかんじで自分には専門的すぎて理解できないだろうという思い込みから、いろいろな勘違いをしていたりすることってあると思います。


19世紀初めまでは、医学にも5つの流派があってそれぞれ共存していたといいます。

1. ナチュロパシー
  自然療法
  食事療法を中心に自然に任せた生き方や食べ方をして体の自然治癒力を取り戻そうとする療法。このナチュロパシーを行うところでは現在アロマテラピーやインドのアーユルヴェーダやホメオパシー、フラワーエッセンスなど様々な療法を取り入れているようです。

2. オステオパシー
  いわゆる整体のような手技を用いて、体のゆがみを取る事で自然治癒力を引き出すもので具体的には骨格のバランスの調整、脳脊髄液の流れの調整、内臓の活性化などを行います。

3. サイコパシー
  心理療法(サイコセラピー)
  教示・対話・訓練などを通して行動や認知に変容をもたらし、心の問題を取り除く事によって心身の健康を維持増進しようとするものです。

4. ホメオパシー
  同種療法
  「ある症状を引き起こすものはそれと似た症状を取り除く」という原理をもとにその症状と似た状態を引き起こす物質を極限まで薄めたものを摂る事によって自然治癒力を刺激し、かかりきれずにくすぶっている症状を押し出すという療法です。

5. アロパシー
  逆症療法 いわゆる現代医療
  下痢をしたら下痢止め、痛い時は痛み止め、などの投薬や悪いところは切り取るなどにより症状を抑える、取り除くことで症状が無くなる事を治癒とする療法です。



始めから見たい方はコチラ↓(ガン治療のウラ 1/8)
http://www.youtube.com/watch?v=fS4qhZE0P5Q


ほんの200年くらい前までは共存していたこれらの流派が現在では1.~4.は下火となり、あまり一般には知られていません。
下火になったのは、医学として間違っているからなのか?
これらの療法は、エセ、非科学的、気のせい(プラシーボ効果)、トンデモなどと頭ごなしに批判されることがあります。
しかし現代医学では匙を投げられてしまった患者さんが医師が説明が出来ない「奇跡」などと呼ばれる回復をすることがあります。
これを「例外的」「奇跡」で片付けてしまい、なぜそうなったのかを追究しようとしない態度が果たして科学的であると言えるのでしょうか。

どの療法も医学であり、それぞれに良い点と限界があるのだと思います。
(個人的には大まかに、症状を抑える手法と、症状を自然治癒力の働く過程と見なすか、の2つに分類されると思っています。)
5.のアロパシーも救急のケースや外傷による外科治療、症状が激しすぎて著しい体力の消耗や生命の危機にある時に一旦症状を抑えるという点で非常に有効な医学です。
ただ現代はアロパシーに偏り過ぎている気がします。アロパシー以外ご存じない方の方が多いのでは?と思います。
病気とは悪いもので、私たちに苦しみだけを与えるものなのでしょうか?
病気と闘うのが正解なのでしょうか?

その答えは1.~4.の療法の中にあるのではないかと思います。
古代ギリシャの「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスは「人間が病気になるのも、自分自身を修復するのも自然の働きであり、病気を治すのは患者自身が本来持っている自然治癒力である」と言いました。(『ヒポクラテス全集』より)
まずは食事。食べるものと、その食べ方ですよね。その食べた物で私たちの体が出来ている、細胞が作り換えられているのであれば、一番最初に見直すのは食事ではないかと思います。
またホメオパシーは病気と闘いませんし、症状を抑えることもしません。どうしてそうなるか、という根本原因を気にしながらも、「こうやったらこうなりました」というのを積み重ねていった経験医学とでも言うべき側面が大きいです。
病気は気が病むと書きますから、心の問題も凄く影響を与えていることは容易に想像が付きます。そういう場合は、心と体を切り離しては病気は治りません。
人間は生きている以上歪みが生じます。なぜなら、肉体という有限のものの中に、生命力という無限性のものを閉じ込めた存在だからです。物質の集合体が生命体として動いていることを科学で説明しきれないのはなぜでしょうか。まだそこまで科学が発達していないからでしょうか。それならば自然科学も唯一絶対の万能のものではないはずですよね。

どんなことにも当てはまると思いますが、大切なことは、自分は「知らないことがある」ということを知ること、得た情報を自分の直観で選別することだと思います。
正しいのか間違ってるのかを突き止めることが目的ではなく、健康に生きるための知恵を学ぼうということです。選択肢は多い方がいいですよね。直観と呼べるほどの確信はないけど、これは正しいように思うと感じるから・・・試しに少しやってみようかなぁ?とかそんな程度でいいと思うのです。
ですので、お薬にばかり頼らずに病気を治すには、本当に健康になるためには、という観点から少し体のことについて勉強していきたいと思います。
よろしければお付き合いください。