2010年12月10日金曜日

DV被害女性と日本国憲法下の日本人

自尊心を奪うもの

このブログのタイトル「日本が日本であるために」を個人レベルに置き換えると、自分が自分らしく生きるとはどういうことかという問いが生まれると思います。
自分さえ良ければいい、人と比べる、勝ち負けを気にする、自分の思い通りに周りの人が動いてくれることを望むetc・・・社会に出ればそんな気持ちから生まれるパワーゲームに巻き込まれてしまう事があります。ついついそんなことにばかり終始してしまって自分らしく生きていない人が多い、そんな気がします。
日本が日本であるためにはそこに暮らす一人一人が、自分らしく、日本人らしく、生き生きと生きていなければ、日本が日本であることはできないと思います。体を作っている一つ一つの細胞と体の関係と同じですね。個は全体の構成要素の大切な一つということですね。

心理学では一般に、養育者から過剰な期待をかけられたり、「お前はダメだダメだ」と言われて育った人は、自分がいろいろなことを当たり前にやることができるんだという自信を育てられないという傾向があるといいます。人は、自分でやってみて失敗したり成功したり試行錯誤したりしながら、自分への信頼や自信を育てていきます。それが自分の存在の確かさ、自尊心へとつながっている訳です。ダメだダメだと言われ続けてきた人は、その価値観を自分の中に取り入れてしまって、心の中で自分に対してダメだダメだと批判したり、まだまだダメだと叱咤激励をしてしまうそうです。これを辛い、苦しいという「痛み」として感じられないとしたら、それは感覚が鈍磨しているからなのです。痛みを痛みとして感じないように心を防衛しているからなんですね。

こういう精神状態を考えると、いつも、これはまさに今の日本の状態に当てはまるんじゃないかと思ってしまいます。

アルコール依存症や暴力をふるう夫を持つ女性たちを例に挙げてみると、もちろん女性に暴力をふるう男性にも問題があるのですが、被虐待女性にも特徴的な問題があるそうです。彼女たちは加害者である男性との暴力的な関係からなかなか離れようとせず、殴られながら離婚を考えようともしない人も多いそうです。なぜなら男性が暴力の後で示す優しさや愛の誓いを過大に評価してしまうからです。そして彼女たちは、もともと自己評価の低い女性ばかりとは限らず、明るく活発で、夫やパートナーよりも学歴や社会的能力が高い女性も少なくないそうです。そんな女性がなぜそういう状況から抜け出そうとしなくなるのでしょうか。
こうなったのは「お前が悪いのだ」という言葉の暴力を受け続けてその価値観を内在化していることもありますが、こういう状況の中にいると一種の腰抜け状態に陥ってしまい、逃げる機会が与えられても逃げられなくなるのだそうです。これは心理学者セリグマンの提唱した学習性無力感という、逃げられない状況の中で攻撃にさらされた犬が、逃げられるようになってからも抵抗せず、その場から逃げなくなってしまうという実験でも明らかにされています。

誰でも他人の思うままに動かされるのは嫌なものです。他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。現在の我が国においても、いろいろな問題がある中で、朝鮮半島や支那の問題には怒りを感じても、我が国が現在も占領下に行われたことの延長にあることを意識する人は少ないように感じます。
我々日本人から自尊心を奪い取ったものとは、何か?
何が今の日本の状況を作りだしたのか?

日本国憲法は占領下において制定された憲法であるにもかかわらず、それを改正しようというのは、それを正当化しているという認識からくる発想です。自覚があるにせよ、無いにせよ、改正してまでそれを維持しようと言っていることだと思うのですが、どうでしょうか。
被虐待女性は、暴力的関係から自分から離れようとしないと述べました。そして彼女たちはよくこのように言います。
「でもあの人、いいところもあるのよ」「でも私があの人を怒らせるようなことをしたのが悪いのよ」「でもあの人には私が必要なのよ」
夫や子供の世話、そして家計を支える為に働き、彼女たちは大変に多忙な緊張感のある日々を送り自分の状況を振り返る余裕はありません。周囲の者が心配しアドバイスをしても、「でも・・・(以下省略)」のループを繰り返し、踏み切ることが出来ません。

この被虐待女性と現在の日本、そして夫やパートナーとの関係を終わらせたり変えたりしようとしないことと占領憲法を捨てられない心理や日本の置かれた状況を認識できないこととが似ていると思ってしまいます。占領軍の軍事的・政治的圧力の下で、天皇が、日本政府がYESと言ったからといって、ではそこにNOという選択肢はあったのでしょうか。とにかく受けるものはすべてYESと言わざるを得ない状況に置かれていた、そしてそれを改めることなく現在に至っている今の日本の状態が、被虐待女性とその夫やパートナーとの暴力的関係と類似しているように感じてしまうのです。

占領下で押しつけられた憲法だから正統性はないとしても現実に60年以上運用されてきて
「いい憲法だからいいじゃないか」
学校で真面目に勉強をして自虐史観を信じてしまっているので
「日本が悪いことをしたのだから仕方がないじゃないか」
そういう護憲派の意見があります。 
これは被虐待女性が言う
「でもあの人はいい人なの」
「でも私が悪いのがいけないのよ」
という言い分によく似ていませんか? 
一方で改憲派では
「今の憲法を維持して、現代にそぐわなくなった部分や問題が生じている部分を少し変えるか、あるいは解釈を変えればいいじゃないか」という意見があります。
これは「暴力はイヤなんだけど、でも少しお酒をやめてくれれば、あの人はきっといい旦那になるわ」
そんな女性の言い分とよく似ているように思います。暴力と一口で言っても、このような被虐待女性が受ける暴力とは、専門家によれば、頬をはたくような生易しいものではなく命の危険に関わるようなケースも珍しくないそうです。「あの人」にも問題はあるのですが、女性の方もこういう危険な状況に身をさらしながら「あの人」が少しだけ変わってくれたら・・・と状況の好転は「あの人」次第なのです。ここまでくると、「あの人」が変わってくれるのを期待したり、「あの人」を変える努力をするよりは、この女性が現状を正しく認識して、こういう状況に甘んじている自分を変えることの方が正しい解決方法のように感じないでしょうか?そして、「あの人」は占領憲法だったり米国をはじめとする連合国やGHQだったり、「女性」は日本人一人一人の事だったり、「危険な状況」というのは日本人の伝統や精神が破壊されていることだったり、交戦権がないこと(憲法第9条第2項後段:国の交戦権は、これを認めない)だったりが当てはまるように思いませんか?

「暴力は辛いんだけど、でもきっとあの人は私を愛してるの」
暴力の後で示される優しさや愛の誓いを信じる被虐待女性は、彼女の夫、パートナーに何を望んでいるのでしょうか。愛されること、必要とされることでしょうか。信じている、信じたいけれど相手様次第というところは何やら日米同盟にも似ているような気がします。
こんな風に考えると、私たちは、なんだかとっても危険な不確かなものを大切に手放さずに抱きしめているような気がしてきませんか?

他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。しかし、自分の受けた不当な扱いについて正当に怒ることが出来るようになれば、本当の感情を感じられるようになります。感情に良い・悪いはありません。それを歪めず正しく受け止める事が、大切なことです。感情を抑え込むと、いつか爆発するか体を壊したり誰かを過剰に傷付けたりコントロールしようとしたり・・・と本筋から離れて、複雑な心を持って生きてくことになってしまいます。感情を受け止め上手に表現できるようになると、怒りは洗練されて自己主張へとなっていきます。だから、怒ってもいいのです。自尊心を奪われて傷付いていることを感じることができれば、少しずつ自分らしさを回復して、自分の為に生きられるようになって来る。自分らしさや自分の為になることを追求すれば、自分勝手、我が儘放題ばかりということではなく、本当に自分を大切に思えてくるようになったその先には、必ず日本人らしさ、日本人としての誇りというものに出会うと私は信じています。そうすれば何をすればよいのか、何を正せばよいのか、誰かに指摘されたり言いなりにならずとも自ずとそういう認識が育ってくるのではないでしょうか。
被虐待女性だけでなく、戦後の自虐史観の中で日本人としての誇りや精神を失いつつある我々日本人がこのように自らを省みる必要があるのではないかと感じます。

6 件のコメント:

Love Nippon さんのコメント...

投稿をありがとうございます。
こういう見方があるのかと、感動を覚えながら読みました。
非常に的を得た対比だと思います。

うまやど さんのコメント...

御意です。

仰るとおりと思います。

asuka さんのコメント...

日本人が日本国憲法下でダメだダメだと言われ続けて自信を喪失してしまった。

「痛み」を痛いと感じる日本人の感情を取り戻さなければ変わらない。

そう思います。

匿名 さんのコメント...

ツイッターからきました。
とてもわかりやすい内容でした。
もっと勉強したいと思います。

koe さんのコメント...

Love Nipponさん

ありがとうございます。
日本国憲法がおかしいと認める前に、学習性無力感のような自信を失った状態から脱する為の作業が必要なのかな、と思いました。

うまやど様

はじめまして。コメントありがとうございます。

まだまだいろいろ勉強中の身ですが、これからもこちらのブログに遊びに来て下さると嬉しいです。今後ともよろしくお願い致します。

asuka様

はじめまして。
コメントありがとうございます。
心の病にかかっている人が、自分が病気だということに自分で気が付くという事が難しいように、すんなり気が付くことは難しい面もあるとは思いますが、仰る通り、私たちが変わらなければいけないですね。

koe さんのコメント...

匿名様

こんにちは。
コメントありがとうございました。

私も勉強中です。
お互い頑張りましょう^^