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2011年7月15日金曜日

イランから招待された海上自衛隊 ~ ペルシャ湾の掃海部隊

JJ太郎さんの「かつて日本は美しかった」からの転載です。
http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10947657154.html

イランから招待された海上自衛隊

 平成2年(1990年)の湾岸戦争後、日本海上自衛隊は掃海部隊を派遣し、残された機雷を処理しています。自衛隊員たちは過酷な環境下で危険な作業を行いました。ペルシャ湾は日本では経験できない40度の高温であり、晴天で太陽が真上に来るころには50度になります。イラクは油田に火をつけましたから、その煤煙もひどいもので、鼻を突く悪臭とともに黒い雨が降ってきました。また、陸地に近いところではたちの悪い蚊やハエが大挙して船を襲ってきて、噛まれると半月は傷が直らなかったといいます。
 掃海部隊はMDA-7と呼ばれる海域で掃海を行いましたが、ヨーロッパ勢は平成3年7月終わりごろに引き揚げてしまいました。日本はアメリカと共同で引き続き過酷な環境下でMDA-10と呼ばれる海域を掃海することになります。この海域にはイランの海域が含まれており、外交上難しいものがありました。イランとアメリカは国交が正常化されていません。また、この海域にはイタリア製の沈底式感応機雷「マンタ」があり、これがやっかいでした。
日本は外交努力をしてイランと交渉し、イランの士官2名を連絡士官として掃海母艦「はやせ」に乗せることで同意を取り付けることに成功しました。「はやせ」にはアメリカの連絡士官が乗っていましたから、「はやせ」上にアメリカとイランという敵国同士の軍人が顔をあわせることになったのです。これは随分と懸念されましたが、アメリカの連絡士官ストーフ大尉があっけらかんとした態度で積極的にイラン士官と軟らかく会話したおかげで何事もなく無事に事が進みました。

 そしてイランは日本掃海部隊をバンダル・アッバーズ港へ寄港要請してくれたのです。
「イラン国民とイラン海軍は、日本海軍掃海部隊のイラン訪問を国を挙げて歓迎する」


ホルムズ海峡ではイラン海軍がエスコートの艦を派遣し、港に近づくともう1隻が加わるという厚遇ぶりでした。8月22日には大勢のイラン海軍関係者、イラン日本大使館公使、在留日本人会代表、駐在武官、バーレーンの防衛庁部員に迎えられました。

イランでは海軍の各施設見学や交歓会が行われ、古都シラーズの史跡観光が実施されました。シラーズで飛行機から降りた掃海隊員は
赤い絨毯が敷かれ州知事が出迎えるという国賓並の待遇でした。イラン人は日本人にかなり好意を持っていました。日本で昭和58年(1983年)に「おしん」というテレビドラマがヒットしましたが、これがイランで大人気となり、上陸した隊員たちが街を歩いていると「おしん」「おしん」と指差さされました。また、イラン・イラク戦争のときイランはペルシャ湾を航行する外国船舶に攻撃を仕掛けましたが、日本の船には攻撃しなかったといいます。
 イランの教科書に日本について次のように書かれているといいます。「日本は大国ロシアと戦い、東郷元帥の率いる日本艦隊はロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。また、第二次世界大戦では連合国に負けて焦土と化した国土を立派に復興させ、世界第二位の経済大国に発展させた。イランも日本人を見習い、国土の発展に尽くさなければならない」

イラン海軍への答礼パーティに出席したイラン人僧侶は次のように語りました。
「今回の日本海軍の招待は、イランはこれからも日本と協力し合って両国が発展することを望んでいる証であり、日本の発展に必要な石油、天然ガス、ウラン、ボーキサイトなどは日本が必要なだけイランから供給できる。ついては、イランの子供達が国家の発展に尽くすために必要な日本の技術を提供して頂きたく、ペルシャ湾での作業を終えて帰国されたら、一人でも多くの日本の皆さんにこのことを伝えて欲しいのです」

イランはイスラム原理主義の国です。イスラム原理主義の国は総じてアメリカなどキリスト教徒の国とは仲が悪い。日本はキリスト教徒の国ではなく、神道の国で、宗教に関しては寛大な国です。欧米などの白人国家には出来ない世界貢献が日本にはできるような気がします。この後に起こったイラク戦争でもアメリカに追随するのではなく、違うことが出来なかったか。パレスチナ問題の「平和と繁栄の回廊」のように日本がリードしてもっと何かできるかもしれません。



参考文献
光人社「ペルシャ湾の軍艦旗」碇義朗(著)
参考サイト
 
「湾岸の夜明け作戦」 落合畯 http://www.mod.go.jp/msdf/mf/touksyu/yoakenosakusen.pdf
 
「湾岸の夜明け」作戦に掃海部隊派遣(「海上自衛隊50年史」から抜粋) http://www.mod.go.jp/msdf/mf/touksyu/wanngann.pdf

2011年6月22日水曜日

米軍は親切だったのか ~ 沖縄戦

JJ太郎さんのブログから転載させていただきました。
http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10921108474.html


やはり鬼畜米英という言葉は的を射ている。

 大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。

投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で次々死んでいった収容所もあります。
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。

収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。

妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、こういう話は山ほどあります。強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。

沖縄戦の体験証言集を読むと米軍の蛮行がいくつも出てきます。

仲地文子さん
「羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、米兵に襲われた女性が何人かいた。だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、薄汚いなりをして歩いたものだった。また、深夜に突然米兵が現れると空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである」

山里宗富さん
「戦前私の近所に照屋松助という頑丈な男がいた。当時彼は家族と別れて一人で瀬底に避難していたが、その日はたまたま健堅に戻って来て家族とともにウイバルにいた。すこし体のぐあいが悪いということで寝ていたのである。そこへ突然銃を持った二人の米兵が現れ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がってきて米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、ささっさと帰りたまえ』と怒鳴りつけた。言葉は通じなかったもののその場は何事もなく収まり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが間もなく米兵らが戻って来て、彼をたたき起こし、銃をつきつけて前へ歩くように明治、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった」

末吉カメさん
「普通の米兵はとくに悪いことをするようでもなかったので、私達は安心していた。ところがそのなかに、住民から鬼のようにこわがられている者がひとりいた。やせっぽちのシビリアンと呼ばれていたが、彼はいつも銃を持ち歩き、男という男はかたっぱしから捕まえてひっぱっていったし、若い女性には乱暴をはたらくなど、非道のかぎりをつくしていた。事実彼によって何人かの男たちが殺されてしまった。そいつが村に入って来るのを見て、すばやく若い女性を逃がしたために、原っぱに連れ出され、正座を命じられて射殺された男もいた」

米軍は寛容で親切だったなんてことはまったくなかったのです。自決せず投降して助かった人が幸せだったとはいえないでしょう。こうした米軍の蛮行を見て戦時中「米軍は女性を陵辱し、男性は戦車でひき殺される」というフレーズが思い出す人もおり、自決した友人達を羨んだといいます。



参考文献
小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助
参考サイト
沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu



転載ここまで。




今でもアメリカは良い国で支那は悪い国みたいな空気を醸し出す人がいますが、実際はそうでもありませんね。
私の生まれ育った地域には米軍の通信基地がありましたが、その周辺で女性の不審死がよくありました。不思議と新聞には事件として載らないんです。
仕事で米軍基地に納品をしに行くことが何度かありましたが、米軍兵士に基地内に呼び込まれて複数の兵士に乱暴されて逃げてきた女性が保護されているところも見たことがあります。
基地のある町ではそういうことが当たり前でした。
ああ、未だに日本は占領されたままなんだなと思ったものです。
問題があっても隠されてしまう。
問題がないことになってしまう。


日本人は怒る対象をよく見て、怒るべきときに怒ることが必要ではないかと思います。

2011年4月6日水曜日

『大義』第一章

今日は軍神と言われた杉本五郎中佐の遺著『大義』のご紹介です。

杉本五郎中佐は支那において、敵の銃弾に倒れながらも、持っていた銃剣を杖に立ち上がり、皇居を遥拝したまま絶命したと言われる人物です。

現代では天皇は国の象徴ということにされ、国民と天皇の間の関係性はあまりにも実感を伴わないものになっています。
学校で教育勅語の唱和をしなくなり、皇祖皇宗と臣民(国民)がどういう関係にあるか、国と個人の関係がどうであるかが意識されていません。

杉本中佐はそのような現代日本人から見れば、その忠孝の精神・尊皇の精神に驚くほどの違いがあります。


左の写真は杉本中佐の家訓です。

家訓


聲高ラカニ唱ヘヨ
我等ハ 陛下ノ 股肱ナリ


昭和十一年十二月一日
中隊長

この短い家訓。
非常にシンプルですね。
シンプルな分力強く響いてきます。





以下の引用は、この『大義』の第一章です。


天皇


天皇は、天照御大神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。國憲・國法・宗教・道徳・學問、藝術乃至凡百の諸道悉(ことごとく)皆 天皇に歸一せしむるための方便門なり。即ち 天皇は絶對にましまし、自己は無なりの自覺に至らしむもの、諸道諸學の最大使命なり。無なるが故に、宇宙悉く 天皇の顯現にして、大にしては上三十三天、下奈落の極度に貫き、横に盡十方に亘る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞(すだ)く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顯現ならざるなし。
釈迦を信じ、「キリスト」を仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚を止めよ。宇宙一神、最高の眞理具現者、天皇を仰信せよ。萬古 天皇を仰げ。
日本臣民は自己の救濟を目的とせずして、皇威伸張を目的とせざるべからず。勿論自己は 皇威に於て救はる。然れども救はれんがために 皇威伸張を念願するにあらず。天皇の御前には自己は無なり。君民一如の自己尊きにあらず。自己に體現せられたる 天皇の尊きなり。
天皇への修養即ち忠は、飽く間でも 天皇其れ自體のためならざるべからず。悉皆無所得々々々々々、天皇は人生のためのものにあらず、人生、天皇のためのものなり。大楠候の歌へる


身のために君を思ふは二心
  君のためには身をも思はじ


天皇は國家のためのものにあらず、國家は天皇のためにあり。
此の大自覺は、世上的價値を倒換して、永遠悠久の天皇に唯一最高の價値を認むる時、單純極めて明白に現れ来る。魂の救ひ永遠の幸福が究竟之の目的ならば、天皇は手段方便にして最高の存在に非ず。自己の學殖・職業乃至生活程度によりて、尊皇の程度に上下あらば、其は自己中心の人物なり。唯々身心を捨て果て、更に何物をも望むことなく、只管に天皇に歸一せよ。

このブログの資料室:日本の「典」と「憲」に、日本の神の御神勅や天皇の御詔勅を集めてあります。
日本神話の国生みの話の中で、神が創ったのが「オノコロシマ」でした。この言葉は「オノ」(自ら)「コロ」(コロコロと転がる様)「シマ」からできている言葉で、自転する島=地球の意味だと解釈されます。
日本の神様が創ったのが地球であるならば、その神様の地上世界での後継者である天皇が地球の統治者であるという解釈もできるわけです。ここで言う「統治」は「しらす」の意味で、しばしば誤解される「専制」や「独裁」ではありません。
皇祖皇宗から連綿と続く皇統の究極の目標はこの「オノコロシマ」の人々の融和です。八紘爲宇という言葉もこのことに関係しています。これは日本が古来から持っている世界思想です。
杉本中佐は、そのような考えのもと、天皇に帰することが世界を融和に導くとの信念を持っておられたのだと思います。
尊皇の志であった楠公に関する書物と併せてこの遺著を読んでみると、いろいろなものが見えてくると思います。

このような書物は、戦後の占領統治の際に、発行を止められたり焼かれたりしたものが多いです。歴史も精神も分断されてしまいました。連続した日本の歴史を考える上で、このような書物に触れてみるのも大事なことではないでしょうか。

2011年2月24日木曜日

読書録―シュリーマン旅行記 清国、日本

冬の休日はベッドに潜って読書が楽しいですが、だんだん暖かくなってきましたね。

今日の一冊はこれ。

シュリーマン旅行記 清国・日本

トロイア遺跡、ミケナイ遺跡を発掘したことで有名なシュリーマン、彼が幕末の日本に来ていたことをご存知でしょうか。
その手記が本書。日本語にして200ページほどなのですが、3分の1を清国に、3分の2を日本に割いているあたりに彼の日本への興味がうかがい知れます。

まず、彼が驚いたのは船頭の格好。
全ての描写が事細かくてとても面白いのです。

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彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、怪しまれるくらいだ。しかし、彼らはからだじゅう、首から膝まで、赤や青で、龍や虎、獅子、それに男女の神々を巧みに刺青しており、さながらジュリアス・シーザーがブルトン人(古代イギリス人)について語ったところを彷彿とさせる。すなわち『彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に(からだを)彩色している』。
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船頭の労賃は四天保銭(13スー)。清国だったらその4倍は吹っ掛けられていたとか。
税関も賄賂を受け取ろうとせず、と武士道が行き届いていた模様。

彼が初めに何より驚いたのは日本の住宅。
押し並べて清潔で簡素だったのだそう。

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”ござ”(畳)は長椅子やテーブル、ベッド、マットレス__おそらく日本人がその存在も使用法も知らないんのの代わりに使われている。実際日本には家具の類が一切ない。せいぜい部屋の片隅に、長さ1メートル、幅、高さともに60センチのコンロ(長火鉢か?)に似た持ち運びのできる小さな竈があるくらいのものだが、家族の質素な食事を用意するにはそれで充分間に合う。
_______________

また、園芸が好きで、いつも外を綺麗にしているともありました。
おそらく庶民だか長屋の暮らしを描写したものでしょう。

シュリーマンはこのような生活を見て気付くのです。
彼が一番だと思っている、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであると。

日本人は昔から、省エネ生活をしていたのですね。

私も読みながら、無駄の多い生活をしているなあと反省しました。

この本は他にも学ぶことが沢山あるので是非どうぞ。

2011年2月16日水曜日

共産主義思想の研究方法

共産主義思想の研究は周辺知識から入ること。いきなり資本論は時間と労力の無駄。外から理解する。

2011年2月5日土曜日

「日本人が知ってはならない歴史」

「日本人が知ってはならない歴史」の著者 若狹 和朋氏の自己紹介~歴史講座(?)。
教科書では決して教えられない日本の近代史。
企んだ人達↓
http://congresswakamiya.web.fc2.com/index.html


2011年1月11日火曜日

映画『凛として愛』に想うこと

映画『凛として愛』をご覧になった方(東京都在住の70代男性)から寄せられたレポートをご紹介します。

『凛として愛』に想うこと

東京裁判史観の否定、是正が日本建て直しの基礎であることを明示した佳作である。
明治以降の近現代史が実に正確、簡潔に纏め上げられている。
何とかして一人でも多くの小・中・高の生徒、大学生に見せたいとの衝動に駆られる。

画面・ナレーション・項目

愚見(と謙遜して書かれています)

大東亜戦争、支那事変

太平洋戦争、アジア太平洋戦争、日中戦争の呼称を排除し正名使用に対し敬意を表す

「日本はやぶれたまま」

東京裁判史観からの脱却の必要性を強調する適切な言葉遣い

名越氏の解説

日本が果たした近代史上の使命を簡明に良く説明されている

老夫婦が日本が闘った戦の実態を語る

当時の真の状況を明確に語っている

日露戦争当時の日本の人口7000万人

当時は「同胞4000万」と称されていた。7000万人は大東亜戦争時の大和民族の数で、朝鮮、台湾、南樺太を合わせて1億人と称していた

日露戦争の意義の説明

正鵠を得た解説で、アジア人の発言を取り入れて更に説得効果を高めている

忠魂碑等への敬礼の呼びかけ

(涙が溢れ出た)

名越氏の日韓併合の解説

今の日本が当時の韓国に酷似している指摘に深い同意と重い憂慮を感じた

満州、支那の状況説明

日本人に対するインチフィーダの状況がよく説明されている。此れこそが満州・支那事変の大基であることを日本人に周知徹底させる必要がある

リットン調査団の報告内容

正当な引用であり、日本の立場が良く理解できる

通洲事件

本件こそが支那事変の真の引き金であることを何としても日本人に知らしめたい

支那事変の実相解説

正鵠を得ている。日本人に遍く知らしめたい

大東亜戦争の原因の解説

米国の意図・行動・蒋援行動など明確な論述がなされている

日本人の心情説明

大東亜戦争勃発時の心情が良く解る。自存自衛の戦いであったことが理解できる。永野修身氏の言葉が重く心に響く(今はこの言葉に見合う日本ではない事を嘆ずる)

当時の人々から今の世代への呼びかけ

日本のあるべき姿の本質を衝いている。

東京裁判の本質とそれへの日本人の迎合

この裁判に基づく史観から脱却していない事が今の日本の混迷を招いている基と強く認識される

裁判での東条英機氏の言動

日本人は冷静に氏を再評価すべき時が来ていることを認識したい

BC級戦犯の実態

我々はこれらの真事をモットモット知るべきである

大東亜戦争の意義

アジア人の言葉で大東亜の新秩序が成立した事が述べられ感銘を呼ぶ

日本軍の奮戦

(又々涙)

昭和天皇のアッツ島への打電命令

(又々々涙)昭和天皇のご偉業の一つに加えられるべき佳話

生き残り特攻隊員の言葉

(又々々々涙)この方々の烈々たる真意を後世に伝える責任を我々が背負っている

沖縄戦の本質

飛び石作戦に名を借りてあの時期に不必要な出血を強いた沖縄戦の本当の意味を日本人は知るべき。米国は戦後の東アジア制圧のための基地獲得こそが真意だった

「日本の勇戦敢闘こそが国を守った」

この真実を日本人に周知させる必要がある

軍歌祭りの情景

懸命に歌唱する姿のこの世代後の日本はどうなるのか。正当な歴史の伝承は我々の責任と心得る。そのためにもこの映画は貴重である。

『凛として愛』はこちら http://jiritsusaisei.blogspot.com/2010/12/blog-post_04.html からご覧になれます。

2010年12月31日金曜日

十万フランの贈り物 - 日本の文化・伝統・歴史防衛講座

日本の文化・伝統・歴史防衛講座

十万フランの贈り物

今から87年前の大正12年9月1日のことです。
マグニチュード7.9の大地震が南関東一帯を襲いました。
死者行方不明者は十万人以上となる大惨事となりました。
このニュースは世界各国に流れ、各国は日本への支援に動き出します。
経済大国であるアメリカ、イギリスから莫大な援助金が送られてきましたが、
日本中を一番驚かせたのは地震発生からわずか11日後にベルギーが
10万フランもの大金を贈ってくれたことです。
最終的には264万フラン(約35万円)となり、現在の価値にすると
7億円相当で、大国アメリカ、イギリスに次ぐ金額でした。
ベルギーは国土が日本の1/10という小さな国です。しかも、
このときはヨーロッパで大きな戦争があった後でベルギーは大変傷ついていました。
どうしてベルギーは過大なまでに日本を助けたのでしょうか。

このわけはもう少し昔の明治時代にさかのぼります。
ベルギーからダネタンという大使が日本にやってきました。
明治時代に日本は清国、ロシアと戦争をしています。
このとき、各国の報道で「日本軍は残虐なことをしました」「日本国内で
外国人が迫害されている」という間違った報道が行われました。
これをダネタン大使が報道の誤りを是正し、真実を伝えてくれたのです。
大正3年にヨーロッパで大きな戦争が起こり、ベルギーは戦争に巻き込まれ、
ドイツに占領されてしまいました。
国王のアルベール1世は亡命し、多くの国民は難民生活をさせられました。
日本国民はベルギーに同情し、義捐金を集め送り届けます。
新聞社は日本の心を伝えようとアルベール1世に備前長船という織田信長が所持していた
とされる日本刀を献上しました。
戦争が終った後、日本の皇太子殿下(後の昭和天皇)はヨーロッパ歴訪の際、
ベルギー訪問を強くご希望され実現します。
皇太子殿下の訪問が弔問の意味があることを知ったベルギー国民は殿下を熱烈歓迎しました。

関東大震災のベルギーの贈り物はこうした背景があったのです。
そして、平成7年の阪神大震災のときもベルギーは日本を支援してくれています。
それからベルギーの王室と日本の皇室とは深い親交が続いており、平成5年、
ベルギー国王の葬儀に両陛下で出席されましたが、これは歴代天皇で外国王室の葬儀に
出席した初めての例となっています。

(月刊「みんなのうけひのもり」より)



毎月、月刊誌では、

太郎先生の「大好き!ニッポン」講座で
日本の文化・伝統・歴史防衛が学べます♪
月刊「みんなのうけひのもり」ご購読はコチラからできます。

2010年12月9日木曜日

12月16日(木曜日)近現代史研究会のお知らせ

近現代史に興味のある方。
気軽に参加できる研究会です。

テーマ:
「第二次大戦指導者列伝 ヒトラー、スターリン、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石、近衛文麿について」

歴史は時代の流れと指導者の決断によって作られる。第二次大戦を指導した人達の人間と事績を研究する。

1)ヒトラー
国の救世主であり破滅へ導いた悪魔的な天才指導者。ソ連征服計画は「我が闘争」にあった。

2)スターリン
米国のウェデマイヤー将軍から第二次大戦唯一の勝利者と判定された、冷血な恐怖の支配をした独裁者。
米外交官G・ケナンはこの上なく邪悪だが、間違いなく偉大な人物ではあった、と記した。

3)ルーズベルト
半身不随のハンデイを隠して大統領を4期続けた大衆政治家。しかしその評価は低い。
何故彼はスターリンに徹底的に利用されたのか。日本の北方領土問題を起こした張本人である。

4)チャーチル
有名な鉄のカーテン演説で予想外の戦後の冷戦世界を嘆いたが、時すでに手遅れであった。

5)蒋介石
米ソに持ち上げられた傀儡で、支那を失った原因の「西安事件の裏切者‐張学良」を終生許さなかった。

6)近衛文麿
命がけで日米トップ交渉を提案したが、ルーズベルトに断られた。敗戦後自決した。
彼の上奏文は有名。身辺にスパイの尾崎が潜入していた為に誤解されているが立派な愛国者であった。

日時:平成22年12月16日(木)午後6時~(午後8時過ぎ位まで)、その後忘年会を開きます。
会場:目黒区向原住区センター(目黒区目黒本町5丁目22-11 03-3794-5841
東急目黒線武蔵小山駅より、目黒区中央体育館を目標に徒歩10分)

基調講演:落合道夫氏 当会会長、近代史研究家、日本会議・靖国神社崇敬奉賛会々員)
平成20年度アパ論文「真の近現代史観」が田母神氏に次ぐ優秀賞を受賞

参加費:500円(資料代等を含む)、但し高校生・大学生は無料、忘年会(参加希望者):500円
主催:目黒近現代史研究会

申し込み・問合せ先:メール tooron.in.meguro@gmail.com、又は電話090-9326-7019 細谷まで

2010年12月8日水曜日

黄文雄氏 講演のお知らせ - 日本ネイビークラブ

この度は9月に引き続き、我が国の近現代史及び文明論を中心に執筆活動を続けていらっしゃる黄文雄氏からお話をいただきます。ご承知のとおり黄文雄氏は台湾では哲学者としても知られ、ダイナミックな歴史観と博覧強記の知識によって、数多くの著作を出版されており、我々日本人に自信を取り戻すよう励まされていらっしゃいます。

今回は3回シリーズの2回目ですが、前回も大変に好評でした。ご一緒に勉強いたしましょう。皆様、万障お繰り合わせの上、是非ご出席下さるようご案内申し上げます。

テーマ
「我が国の近現代史シリーズ その2」

講師
黄文雄氏(拓殖大学日本文化研究所客員教授)

日時
平成22年12月18日(土)
受付開始 午後2時00分~
開会 午後2時30分~

場所
日本橋公会堂 第4洋室
中央区日本橋蛎殻町1-31-1

・東京メトロ 東西線・日比谷線 茅場町駅 徒歩6分
・東京メトロ 半蔵門線 水天宮前駅 徒歩2分
・東京メトロ 日比谷線・都営地下鉄浅草線 人形町駅 徒歩5分

5 資料代等 2,500円

会員は、2,000円、学生は1,000円、高校生以下は不要です。


とても気軽に参加できる勉強会です。
詳しくはこちらを。

日本人が知ってはならない歴史

面白い番組だったので転載します。


2010年12月4日土曜日

「凛として愛」

この映画は妨害に遭って公開が阻まれた映画だという話を聞いたことがあります。
歴史を振り返る資料としては観ておくといい映画だと思います。


2010年11月29日月曜日

東条英機の遺言

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。


日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。

『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)

東条英機の辞世の句

「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」

2010年11月19日金曜日

読書録 - 大西郷遺訓

最近は通勤電車に乗らないので、本を読む時間がなくて読もうと思って買った本がたまる一方。そんな中から一冊を紹介します。
この『大西郷遺訓』は、国学を少し勉強しようと思って物色しているときにたまたま見つけた本です。
あまり歴史の授業が面白く思えずに、学生時代にしっかり勉強しなかったこともあって、歴史に関しての知識はあまりありません。私が紹介する本はそんな人でも読みやすいはずです。

この本は西郷さんが言ったとされる言葉を、政治や人材といったテーマごとに、原文に意訳と解釈を付けて一つ一つ味わおうという趣旨のようです。


「政の大体は文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は、皆この三つのものを助けるの具なり。この三つのものの中において、時に従い勢いに因り、施行先後の順序はあれど、この三つのものを後にして他を先にする更になし。」

これは、大事なのは教育、軍事、農業で、それ以外はこれらを助けるものだ、というわかりやすい例です。

日本の教育が衰退しているという声はよく聞きます。お隣の韓国などは留学して学位を取らないと見識があるとは認められないなどという熾烈な教育競争をしているようです。
軍事に関しては、日本は交戦権が否定されてしまっている憲法下で、立派な装備を持った自衛隊を持つといういびつな形です。
違憲なのに違憲ではないなどと言い加減な解釈をしたり。
農業は食糧自給率の問題と言い換えてもいいかもしれませんが、これも日本はお世辞にもいい状況とは言えません。
エネルギー自給率も低いので、燃料を使って生産される農産物の自給率は相当低いでしょう。

西郷さんの言葉は今を生きる私たちへの忠告とも言えるかもしれません。