私たちが日常的に使っている日用品。
何気なくスーパーやコンビニで買う日用品。
どこで、どんな人が、どうやって、どんな原料で作っているのでしょうか?
福島原子力発電所の事故以来、食べ物への放射性物質の混入に神経と尖らせている方もおられると思います。食べるものなので心配になるのは無理もないことです。
最近では粉ミルクや牛乳の原料が放射性物質で汚染されたものを作っているメーカーがあるという話を耳にしました。
では、日用品についてはどうでしょうか?
現在、日本国内で流通しているものの原料の多くが輸入に頼っています。船や飛行機、列車やトラックを使って原料が輸送され、工場では様々な薬品やその他の化学物質を使って原料から製品が作られます。
原料の採取や原料や製品の製造と輸送。
知らないところで顔の見えない人たちによって行われています。
食料自給率が低いと言われる我が国ですが、自給率の低さは食料に限ったことではありません。自給率が低いということは、原料、製造、流通が広範囲に分業して行われている場合が殆どです。行程が長く複雑になれば、問題があっても追跡するのが困難ですし、行程の中にいくつもの許認可や利権が発生する余地が生まれます。
原発事故で、電力利権や原子力利権というものの存在がクローズアップされました。今までスイッチを入れると電気がつくという、日常の当たり前のことの背景は複雑な力関係=政治力が働いているということに気づいた人も多いのではないでしょうか。
『日本の暦』グループでは、「自分で作れるものは自分で作ろう」「作るための情報は共有しよう」「共通の関心がある人と協力して助け合おう」ということの先に、国際分業、自由貿易、金融経済などの社会の不安定化要因から少しでも離れて、自立した自由な社会があると考えています。
自分の趣味の範囲でも結構です。自分で何かを作ってみる。
作る事は楽しいし、作ったものを知人や友人に使ったもらうのも嬉しいし、何より製造工程も流通行程もほとんどが自分の管理の下に置かれる安心感があります。
手作りせっけん
http://chatnoir07.jugem.jp
あなたも作ってみませんか?
2011年12月14日水曜日
2011年6月23日木曜日
スマートグリッド社会〜諦めるな日本人!日本の未来を考える
ITの世界で長く働いてきたものですから、どうしても英単語が出てきてしまいますがお許しください。
今日食卓に並ぶ食材が、いくらお金があっても手に入らないということ。
子供や孫の世代の人たちが、住めない環境になってしまうこと。
食料や住める環境を求めて、人々が奪い合いや殺し合いをするということ。
現実問題として進行していると言ってもいいかもしれません。
日本の社会には、それこそ網の目のように徴税の仕組みがあります。
また至る所に許認可の仕組みがあります。
徴税と許認可は利権の温床です。
では「スマートグリッド社会」ではどうでしょうか?
ビールを作れば酒税は払いません。
燃料を作ればガソリン税は払いません。
流通が減れば、その過程で生産・消費されるほとんどの製品やサービスは不要。当然、その過程で必要とされる税金も許認可も不要です。
利権の温床を減らせることになります。
政治の仕事は国内的にはグリッドを維持することが中心になり、対外的には外交と国防が中心になります。
外交や国防といった対外的な部分は縮小するのが難しいですが、国内的な部分は費用を大幅に削減可能です。
利権が生まれる土壌があれば、利権に群がる人が出てくるのは当然です。
いくら批判をしたところで土壌がある以上は変わりません。
その土壌をなくしてしまう可能性があるのが、この「スマートグリッド社会」です。
飯舘村はそんな未来の覗き窓のような存在だと思います。(応援の意味を込めて現在系です)
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/index.html
そう考えると、私たちがエネルギーを傾ける方向は、私たちが「スマート」になって「お互い様」の精神でつながることではないでしょうか?
「スマート」に生きようと思いませんか?
どんなに大きな力でも個人個人の心までは征服できません。
「スマート」な生き方を邪魔しようとする者が私たちの敵なのではないでしょうか?
スマートな生き方をするための一切の障壁を私たちは取り払う必要があります。
幸せな生き方を邪魔する力を弱体化する必要があります。
戦う相手を間違えないようにしたいものです。
今すぐに出来ることがあると思います。
それを見つけたらやってみましょう。
復興という言葉を毎日のように見ますが、前の状態に戻すだけなら復旧か復元ですね。
前の仕組みの延長線上で、生産量や消費量のわずかな増加を目指すのは復旧のオマケみたいなものです。
復興というからには、「興す」という創設的な意味合いの考え方が必要ではないかと思います。
教育や家族、地域の荒廃、政治や官僚の腐敗、外国からの様々な圧力、自然災害、原子力災害など、さまざまなストレスで日本がボロボロになっていくのを見てきて、私自身も日本が目指すべき社会の形について想いを巡らせてきました。
前の仕組みの延長線上で、生産量や消費量のわずかな増加を目指すのは復旧のオマケみたいなものです。
復興というからには、「興す」という創設的な意味合いの考え方が必要ではないかと思います。
教育や家族、地域の荒廃、政治や官僚の腐敗、外国からの様々な圧力、自然災害、原子力災害など、さまざまなストレスで日本がボロボロになっていくのを見てきて、私自身も日本が目指すべき社会の形について想いを巡らせてきました。
これらの問題の一つ一つに対応しているのではなく、根本的な解決策はないかと考えてきました。
いろいろな理論や思想にも示唆を与えられました。
今回は私なりの理解をもとにして私なりの言葉で書いてみたいと思います。
私の考える日本の未来の形は「スマートグリッド社会」です。
「スマート」な「グリッド」で構成される社会です。
スマートグリッドという言葉は配電の仕組みを説明するときに使われることが多いようですが、電気を運ぶ仕組みに限定しないで、社会全体の構造をスマートグリッドにしようという発想です。
日本では少子化や人口減が問題視されていますが、地球規模で考えれば人口増加が問題となっていて、それに関連して食料問題、環境問題、その結果としての紛争や戦争といった問題があると認識しています。
いろいろな理論や思想にも示唆を与えられました。
今回は私なりの理解をもとにして私なりの言葉で書いてみたいと思います。
私の考える日本の未来の形は「スマートグリッド社会」です。
「スマート」な「グリッド」で構成される社会です。
スマートグリッドという言葉は配電の仕組みを説明するときに使われることが多いようですが、電気を運ぶ仕組みに限定しないで、社会全体の構造をスマートグリッドにしようという発想です。
日本では少子化や人口減が問題視されていますが、地球規模で考えれば人口増加が問題となっていて、それに関連して食料問題、環境問題、その結果としての紛争や戦争といった問題があると認識しています。
今日食卓に並ぶ食材が、いくらお金があっても手に入らないということ。
子供や孫の世代の人たちが、住めない環境になってしまうこと。
食料や住める環境を求めて、人々が奪い合いや殺し合いをするということ。
現実問題として進行していると言ってもいいかもしれません。
他人事ではないのです。
実際に私たちはその状況をリアルタイムに見ています。
福島県相馬郡飯舘村について少し関心を持ってください。
飯館村は市町村合併の流れに反して、自給自足の村として生きていくことを決めた村です。
学校給食は村でとれた食材だけで作っていたそうです。
農家や酪農家がそれぞれに努力して食べ物を作り、「困ったときはお互い様」という助け合いの精神を醸成してきました。
原子力発電所の事故があって、この村だけが異様に高い放射線に汚染され避難を余儀なくされました。
何度か原発事故以降にこの村を訪れて、複数の場所で放射線量率測定をしましたが、周辺の地域と比べて異様に高い放射線量率に驚きました。偶然のいたずらでしょうか。なんともむごいです。
たった一度の原発事故で、村の人たちの努力も夢も一瞬で破壊されました。
いつになったら農業や畜産業を再開できるかという目処も立ちず、悔しい気持ちや不安な気持ちで毎日を過ごしています。(村の方から聞いた話です)
新築したばかりの家に、何者かがやってきて、放射性廃棄物を投げ込んだ。
もうそこには住めない。
犯人は誰だかよくわからない。
誰も助けてくれない。
そんな状況を想像してみてください。
腹立たしいですよね。
東北や関東の他の地域の作物も、多かれ少なかれ影響を受けます。
出荷停止、耕作断念、産地偽装、さまざまな問題が起きるでしょう。
お金があっても食べ物が買えない。
ないんだから買えない。
買えても怖くて食べられない。
住めない地域も広がる。
あまりにも不都合ですが、これが現実ではないかと思います。
原発災害は象徴的な問題だと思います。
核燃料は特定の人々が採掘から流通までを独占しています。
電力会社は他のエネルギーへの移行を妨害し原子力発電を推進してきました。
官僚や政治家もそれを推進してきました。
メディアもしきりに原子力の宣伝をしてきました。
補助金をばらまいて、原発を誘致した地域に雇用を作り、文句を言わせない。
基地問題と同じ手法です。
そこまでするのは儲かるからですね。
原子力は儲かる。
実際に私たちはその状況をリアルタイムに見ています。
福島県相馬郡飯舘村について少し関心を持ってください。
飯館村は市町村合併の流れに反して、自給自足の村として生きていくことを決めた村です。
学校給食は村でとれた食材だけで作っていたそうです。
農家や酪農家がそれぞれに努力して食べ物を作り、「困ったときはお互い様」という助け合いの精神を醸成してきました。
原子力発電所の事故があって、この村だけが異様に高い放射線に汚染され避難を余儀なくされました。
何度か原発事故以降にこの村を訪れて、複数の場所で放射線量率測定をしましたが、周辺の地域と比べて異様に高い放射線量率に驚きました。偶然のいたずらでしょうか。なんともむごいです。
たった一度の原発事故で、村の人たちの努力も夢も一瞬で破壊されました。
いつになったら農業や畜産業を再開できるかという目処も立ちず、悔しい気持ちや不安な気持ちで毎日を過ごしています。(村の方から聞いた話です)
新築したばかりの家に、何者かがやってきて、放射性廃棄物を投げ込んだ。
もうそこには住めない。
犯人は誰だかよくわからない。
誰も助けてくれない。
そんな状況を想像してみてください。
腹立たしいですよね。
東北や関東の他の地域の作物も、多かれ少なかれ影響を受けます。
出荷停止、耕作断念、産地偽装、さまざまな問題が起きるでしょう。
お金があっても食べ物が買えない。
ないんだから買えない。
買えても怖くて食べられない。
住めない地域も広がる。
あまりにも不都合ですが、これが現実ではないかと思います。
原発災害は象徴的な問題だと思います。
核燃料は特定の人々が採掘から流通までを独占しています。
電力会社は他のエネルギーへの移行を妨害し原子力発電を推進してきました。
官僚や政治家もそれを推進してきました。
メディアもしきりに原子力の宣伝をしてきました。
補助金をばらまいて、原発を誘致した地域に雇用を作り、文句を言わせない。
基地問題と同じ手法です。
そこまでするのは儲かるからですね。
原子力は儲かる。
ここからが本題です。
スマートグリッド社会の「スマート」は「賢い」、「グリッド」は「編み目のような形」です。
「グリッド」の「編み目の結び目」部分が村や家庭です。
消防署が2km程度の編み目状に配置されるのは、火事が発生したときに現場にすばやく行けるようにするためです。
小さな火事であれば、一つの消防署だけで対応しますが、大きな火事になったら、複数の近隣の消防署が力を合わせて対応します。
個々の単位が自律していること、その自律した単位が編み目のように並んでいること。
それが多様な対応を可能にします。
もし食べ物を自宅ですべて作れたら、食料自給率が100%なら、一部の不足した食材は買いに行くかもしれませんが、食材を調達するためのコスト=長距離を運ぶ、運ぶための梱包材が不要ということになります。
財貨の取引を積み上げるGDP評価方式からすれば、あまり良いことのように思えませんが、自分が食べるものを自分が作るわけですから、これ以上の安全な食材はありません。
隣の家がキャベツを作って、自分の家ではキュウリを作る。
お互いに余った分を交換すれば、どちらの家の食卓にもキャベツとキュウリが並びます。
GDPには積み上がりませんが豊かです。
十分な食料を自分で作れるわけですから、災害時に「お互い様」の精神で助け合うこともできます。
自分の家も隣の家も、自分の村も隣の村も、自律した状態です。
自律しているから、自分が生きられて、もしもの時は隣を助けることができます。
エネルギーを自給します。
バイオ燃料で動く車があれば、ガソリンを買わなくてもいいかもしれない。
家で使う電気を自分で賄えれば、遠くから電気を買ってくる必要もない。
ビールが好きな人やタバコが好きな人は自家製ビールと自家製タバコ。
たくさん作れたら、ご近所さんと取引します。
小さな製品なら個人、あるいは小さなグループで作る。
昔の職人集団みたいなものですね。
きっといいものができます。
共同体の稼ぎ頭になれるかもしれませんから、雇用が創出できますね。
自分で作り始めると、その環境を大切にするようになりますね。
ほとんどが自然の恵みなわけですから、汚水や廃棄物の処理も自分でやるわけですから、環境を大切にします。
いやがおうでも、生産から再生までの循環系を作る方向になります。
こういうことを一つづつ積み上げて行きます。
電気を作る技術、野菜を栽培する技術、ビールを作る技術、製品を作る技術。
そういう技術を交換することで、どんどん賢くなって行く。
文字通り「スマート」になっていく。
知も財も集積していく。
小さな「スマートな単位」が、他のスマートな単位と「スマートにつながって」助け合う。
大きな問題には共同で対応し、小さな問題は自己で対応する。
みんなが「スマート」ならそれが可能です。
持続可能で賢くて助け合える社会が「スマートグリッド社会」ということになります。
自然を大切にする。
勤勉である。
和の精神がある。
日本らしくないですか?
「グリッド」の「編み目の結び目」部分が村や家庭です。
消防署が2km程度の編み目状に配置されるのは、火事が発生したときに現場にすばやく行けるようにするためです。
小さな火事であれば、一つの消防署だけで対応しますが、大きな火事になったら、複数の近隣の消防署が力を合わせて対応します。
個々の単位が自律していること、その自律した単位が編み目のように並んでいること。
それが多様な対応を可能にします。
もし食べ物を自宅ですべて作れたら、食料自給率が100%なら、一部の不足した食材は買いに行くかもしれませんが、食材を調達するためのコスト=長距離を運ぶ、運ぶための梱包材が不要ということになります。
財貨の取引を積み上げるGDP評価方式からすれば、あまり良いことのように思えませんが、自分が食べるものを自分が作るわけですから、これ以上の安全な食材はありません。
隣の家がキャベツを作って、自分の家ではキュウリを作る。
お互いに余った分を交換すれば、どちらの家の食卓にもキャベツとキュウリが並びます。
GDPには積み上がりませんが豊かです。
十分な食料を自分で作れるわけですから、災害時に「お互い様」の精神で助け合うこともできます。
自分の家も隣の家も、自分の村も隣の村も、自律した状態です。
自律しているから、自分が生きられて、もしもの時は隣を助けることができます。
エネルギーを自給します。
バイオ燃料で動く車があれば、ガソリンを買わなくてもいいかもしれない。
家で使う電気を自分で賄えれば、遠くから電気を買ってくる必要もない。
ビールが好きな人やタバコが好きな人は自家製ビールと自家製タバコ。
たくさん作れたら、ご近所さんと取引します。
小さな製品なら個人、あるいは小さなグループで作る。
昔の職人集団みたいなものですね。
きっといいものができます。
共同体の稼ぎ頭になれるかもしれませんから、雇用が創出できますね。
自分で作り始めると、その環境を大切にするようになりますね。
ほとんどが自然の恵みなわけですから、汚水や廃棄物の処理も自分でやるわけですから、環境を大切にします。
いやがおうでも、生産から再生までの循環系を作る方向になります。
こういうことを一つづつ積み上げて行きます。
電気を作る技術、野菜を栽培する技術、ビールを作る技術、製品を作る技術。
そういう技術を交換することで、どんどん賢くなって行く。
文字通り「スマート」になっていく。
知も財も集積していく。
小さな「スマートな単位」が、他のスマートな単位と「スマートにつながって」助け合う。
大きな問題には共同で対応し、小さな問題は自己で対応する。
みんなが「スマート」ならそれが可能です。
持続可能で賢くて助け合える社会が「スマートグリッド社会」ということになります。
自然を大切にする。
勤勉である。
和の精神がある。
日本らしくないですか?
日本の社会がスマートグリッド化できたら、その考え方や技術を輸出します。
このような社会ができると劇的に変わる可能性があるものがあります。
このような社会ができると劇的に変わる可能性があるものがあります。
日本の社会には、それこそ網の目のように徴税の仕組みがあります。
また至る所に許認可の仕組みがあります。
徴税と許認可は利権の温床です。
では「スマートグリッド社会」ではどうでしょうか?
ビールを作れば酒税は払いません。
燃料を作ればガソリン税は払いません。
流通が減れば、その過程で生産・消費されるほとんどの製品やサービスは不要。当然、その過程で必要とされる税金も許認可も不要です。
利権の温床を減らせることになります。
政治の仕事は国内的にはグリッドを維持することが中心になり、対外的には外交と国防が中心になります。
外交や国防といった対外的な部分は縮小するのが難しいですが、国内的な部分は費用を大幅に削減可能です。
利権が生まれる土壌があれば、利権に群がる人が出てくるのは当然です。
いくら批判をしたところで土壌がある以上は変わりません。
その土壌をなくしてしまう可能性があるのが、この「スマートグリッド社会」です。
飯舘村はそんな未来の覗き窓のような存在だと思います。(応援の意味を込めて現在系です)
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/index.html
そう考えると、私たちがエネルギーを傾ける方向は、私たちが「スマート」になって「お互い様」の精神でつながることではないでしょうか?
「スマート」に生きようと思いませんか?
どんなに大きな力でも個人個人の心までは征服できません。
「スマート」な生き方を邪魔しようとする者が私たちの敵なのではないでしょうか?
スマートな生き方をするための一切の障壁を私たちは取り払う必要があります。
幸せな生き方を邪魔する力を弱体化する必要があります。
戦う相手を間違えないようにしたいものです。
今すぐに出来ることがあると思います。
それを見つけたらやってみましょう。
そして技術や知識を共有しましょう。
2011年5月14日土曜日
室内でも農業を
津波や福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の大量拡散によって、被災地の農業を大きな打撃を受けました。農家のみなさんは、耕作ができない、耕作ができても放射性物質が検出されて出荷できない、あるいは風評被害によって売れない、といった悩みを抱えてしまいました。
日本はフードマイレージが世界最悪の数値です。遠くで(外国で)作られた農作物を、たくさんの石油を使って輸入し、いくつもの段階を経由して手に入れています。そして、流通と消費の段階でたくさん捨てている。
もったいない話ですね。
しばしば「捨てるのはもったいない」と教えましょうという声を聞きますが、「捨てるものは作らない」とした仕組みが必要なのではないかと思います。
必要なだけ作る、そのためには流通経路を短くする、自分で作るといった方向に向かうのが良いのではないかと思います。
「自給率の向上」「地産地消」「自産自消」「農産物の貿易の縮小」というキーワードが出てくるでしょうか。
今日ご紹介するのは、都内のある企業です。
社内でチームを作り、室内で農作物を栽培しています。
これはキノコを栽培している一角。
天井には光の量を調整する電灯が設置され、定期的に噴霧器のようなもので水を供給していました。
電気を使っていますが、その電力をどうやって供給しているかはわかりませんが、電力を自然エネルギーにできればいいですね。
壁面にはパッションフルーツ(?)。
打ち合わせのテーブルや部門の仕切りを利用するなどして、このように作物を栽培することができます。
天井に網状の棚を作ってやることもできます。
そして水田です。年に3回収穫しているそうです。
この他にも、発芽用の専用室のような部屋もありました。
実際に自給自足をしようと思ったら、とてもこのスペースでは足りませんし、水や電力の供給に石油や原子力などのエネルギーを使ってしまえば、あまり意味はありませんが、室内栽培の良いところは、作物を食べてしまう虫の侵入がないために農薬を使用しなくてもよいことです。
どこの会社でも、このような施設や設備を持つことはできないでしょう。しかし、工夫すればできることもあるかもしれません。大事なのはやることではないでしょうか?
アイデアを出して、やってみて、改善して。楽しいことだと思います。
家庭でやるなら、壁面を利用した花壇のようにして作物を育てることができます。
温室を作るならば、室内の日当りの良い場所に苗を置いたり、ビニールシートで囲ってペットボトルや発酵熱を利用して温度を維持することもできます。
水は雨水を利用する。簡単な雨水用のタンクなら作れますね。
放射性物質の拡散は各地で観測され、事故があった原子力発電所から遠く離れた地域で作物から基準値を上回る放射性物質が検出されています。
植物や細菌を使って放射性物質を吸収する方法、チップや炭を使って浄化する方法などもあるようです。
事故や災害、気候変動、戦争や紛争、されにそれらの結果としての政治的な失敗。
あらゆる出来事が、私たちの食を脅かす要因です。
今回の原子力発電所の事故は、それらが重なって起きた一つの教訓だと捉えることができます。
何かに誰かに依存している状態では、それが被害を受ければ即危機となります。
依存ではなく自立。
自立のための自給。
私たち自身のこととして、私たちの家族のこととして、私たちの地域のこととして、そのことを考えていかなければならないと思います。
子孫繁栄があっての国防です。
日本はフードマイレージが世界最悪の数値です。遠くで(外国で)作られた農作物を、たくさんの石油を使って輸入し、いくつもの段階を経由して手に入れています。そして、流通と消費の段階でたくさん捨てている。
もったいない話ですね。
しばしば「捨てるのはもったいない」と教えましょうという声を聞きますが、「捨てるものは作らない」とした仕組みが必要なのではないかと思います。
必要なだけ作る、そのためには流通経路を短くする、自分で作るといった方向に向かうのが良いのではないかと思います。
「自給率の向上」「地産地消」「自産自消」「農産物の貿易の縮小」というキーワードが出てくるでしょうか。
今日ご紹介するのは、都内のある企業です。
社内でチームを作り、室内で農作物を栽培しています。
これはキノコを栽培している一角。
天井には光の量を調整する電灯が設置され、定期的に噴霧器のようなもので水を供給していました。
電気を使っていますが、その電力をどうやって供給しているかはわかりませんが、電力を自然エネルギーにできればいいですね。
壁面にはパッションフルーツ(?)。
打ち合わせのテーブルや部門の仕切りを利用するなどして、このように作物を栽培することができます。
天井に網状の棚を作ってやることもできます。
打ち合わせスペースの椅子の下。引き出しが設けられていての、その中で発芽をさせます。
この他にも、発芽用の専用室のような部屋もありました。
実際に自給自足をしようと思ったら、とてもこのスペースでは足りませんし、水や電力の供給に石油や原子力などのエネルギーを使ってしまえば、あまり意味はありませんが、室内栽培の良いところは、作物を食べてしまう虫の侵入がないために農薬を使用しなくてもよいことです。
どこの会社でも、このような施設や設備を持つことはできないでしょう。しかし、工夫すればできることもあるかもしれません。大事なのはやることではないでしょうか?
アイデアを出して、やってみて、改善して。楽しいことだと思います。
家庭でやるなら、壁面を利用した花壇のようにして作物を育てることができます。
温室を作るならば、室内の日当りの良い場所に苗を置いたり、ビニールシートで囲ってペットボトルや発酵熱を利用して温度を維持することもできます。
水は雨水を利用する。簡単な雨水用のタンクなら作れますね。
放射性物質の拡散は各地で観測され、事故があった原子力発電所から遠く離れた地域で作物から基準値を上回る放射性物質が検出されています。
植物や細菌を使って放射性物質を吸収する方法、チップや炭を使って浄化する方法などもあるようです。
事故や災害、気候変動、戦争や紛争、されにそれらの結果としての政治的な失敗。
あらゆる出来事が、私たちの食を脅かす要因です。
今回の原子力発電所の事故は、それらが重なって起きた一つの教訓だと捉えることができます。
何かに誰かに依存している状態では、それが被害を受ければ即危機となります。
依存ではなく自立。
自立のための自給。
私たち自身のこととして、私たちの家族のこととして、私たちの地域のこととして、そのことを考えていかなければならないと思います。
子孫繁栄があっての国防です。
2011年5月10日火曜日
同工異曲の原発問題と安保問題
國體護持塾様のホームページに掲載された南出喜久治氏の論文から部分的に引用しています。(紫色の文字の部分が引用です)全文を是非お読みください。http://kokutaigoji.com/reports/rp_n_h230508.html
当ブログ「日本が日本であるために」はURLをご覧いただくとわかる通り「自立再生」というテーマを中心に書かれた投稿がほとんどです。
今回引用させていただいた論文では、エネルギー政策において、日本の自立が失われているという現状とその経緯について書かれています。
そもそも、原発は、どのやうにして我が国に導入されたのであらうか。広島と長崎が原子爆弾による無差別大量殺戮の被害を受けた我が国は、これに追ひ打ちをかけられたかの如く、昭和二十九年三月一日の米国の水爆実験によつて発生した多量の放射性降下物(いはゆる死の灰)を浴びた第五福龍丸の乗組員が被害を受け、「原子力(核)の恐怖」は国民的トラウマとなつて定着してしまつた。ところが、米国アイゼンハワー大統領の指令を受けた米国CIAは、読売新聞社主の正力松太郎を工作員に仕立て上げ、読売新聞と日本テレビなどマスコミを総動員して、「原子力の平和利用」といふ大々的な洗脳キャンペーンを行つたことから、我が国を原発推進へと大転換させた。これによつて、我が国は、核保有国が核を独占的に支配管理するNPT体制に組み込まれ、我が国のエネルギー政策における生殺与奪の権をアメリカに売り飛ばし、エネルギー戦争の第二の敗戦を帰した。
このたびの地震・津波による災害と同時に発生して福島第一原子力発電所の事故に関しても、原子力に反対する立場、推進する立場、反対する立場に反対する立場など、いろいろな議論(とまでは言えないものも多いですが・・・)が繰り広げられています。
最近とても気になるのが、どんなことでも右左、白黒、善悪の二元論におちいってしまう論争がとても多いことです。
安保堅持と安保破棄といふ二者択一の正反対の対立では、誰もが納得しうる解決策が得られない。真相を隠蔽するために、正反対の二者択一を迫るのは、政治の常套手段である。そのことについては、占領憲法についての議論も同じである。占領憲法を憲法として有効であるとしたい敗戦利得者は、改憲か護憲かといふ茶番劇を、マッカーサーの手のひらで踊つて見せてゐることと、この安保堅持と安保破棄といふ茶番劇とは実によく似てゐるのである。安保破棄といふのは、即時破棄であることから、それによる急激な政治環境の変化を恐れた大衆が、やむを得ない次善の選択として安保堅持を支持したのであつて、売国政党の自民党の長期政権に貢献したのは、この非現実的な亡国政党である社会党の過激さにあつた。これによつて、自民党と社会党の馴れ合ひ政治が定着したのである。
・・・・
・・・・
この安保問題の構造は、原発問題の構造とよく似てゐる。原発推進派と原発反対派との対立は、過去の米ソ代理戦争を引きずつてゐる。対米隷属を深めようとする原発推進運動と、それが確立することに反対するソ連が支援する原発反対運動との対立である。そして、ソ連崩壊後の現在の原発反対運動は、米国一極支配に反対するロシアと中共らの共同戦線に支へられてきたのである。
ここでは脱原発という考え方を支持しています。
原子力発電によって生成される核廃棄物の処理にはメドが立っていませんから、今後長い年月をかけて対処していかなくてはならない。あるいは画期的な技術が出るまで待たなければならない。捨てるところがないのに、ゴミを出すというのはおかしな話ですから、核廃棄物をなるべく出さないようにしよう、少しづづでもいいから原子力発電から抜け出して行こうという立場です。
ですので次の段落で述べられているような二極化は好ましい状況だとは考えません。
原発問題に関しては、福島原発事故の後、親米勢力の原発推進派と反米勢力の原発反対派とのせめぎ合ひが顕在化し、二極化が深更してゐるが、核のトラウマに便乗する後者が優勢であることは言ふまでもない。しかし、ここに完全に没落してゐるのは、真の祖国愛を抱く親日勢力であり、親日勢力はこれら両派の外国勢力のために股裂き状態に追ひ込まれてゐる。原発推進することが保守だとする倒錯した議論が無自覚に語られ、脱・原発を唱へる愛国者を原発推進派の似非保守の売国奴が平然と批判することが繰り広げられてゐる有り様である。
このような二極化を生む要因の一つに、曖昧な情報の流布あるいは情報の操作が行われることが挙げられます。このような情報操作は、しばしば政争の中でも行われます。
原子力発電の場合は、ウラン鉱脈の利権、国家間の利益、政治家、官僚、学者、メディアの権益などが絡む大きな構造の中の問題です。
ところで、原発推進派が喧伝する、原子力発電コストが他の発電コストに比べて低いといふのは、CIA工作によるデータの改竄によるもので、実は原発コストが一番大きいのである。発電コストについては、資本費、操業費、燃料費で比較してゐる比較して見せるのであるが、これは、原発を継続運転する場合のイニシャルコスト(資本費)とランニングコスト(総業費、燃料費)だけであつて、一般的な通常の会計学的手法が用ゐられてゐるに過ぎない。しかし、厳密に会計学的に考察すると、原発コストの場合は、いはば「偶発債務」や「負債性引当金」などに相当するものが計上されてをらず、他の発電の場合と比較して、これらが余りにも大きすぎる点が明らかに隠蔽されてゐるからである。平易に言へば、原発の耐用期間が経過した後に、その老朽原発を安全無害に解体する場合の廃止措置費、放射性廃棄物(使用済み核燃料)の継続的管理費及び最終処理費(地層処分費)、地層処分のための用地を確保する土地取得費と交渉対策費、原発事故が発生した場合の復旧費とその放射線汚染に伴ふ損害賠償費、原発の新規建設を推進させるための地元対策費や継続的な地元援助金、利益誘導対策費、用地買収資金などを計算に入れれば天文学的な金額になるが、これらについては、発電コストの原価計算の基礎数値からは完全に除外されてゐるからである。
コスト構造については、食料に関しても同種の問題があります。
生産、流通、消費の各部門に関しては、しばしば統計が発表されますが、再生(再処理や処分も含む)コストについては、あまり表に出てきません。
統計の取り方をもっと改善した方が良いと思います。
尖閣諸島周辺に眠る海底資源、日本海に眠るメタンハイドレートなど、日本には輸出できるほどの資源があると言われていますが、一向にそれらを採掘して活用しようという動きはありません。これからはいくつかの選択肢として、これらの資源を利用する方向に向かうべきであると思います。
そして、その過渡的な政策として、これまで我が国がエネルギーの自給体制をとることを阻止し、あるいは独自のエネルギー外交をすることさへも徹底して妨害してきたアメリカから我が国は自立して、我が領土である尖閣諸島の海底に眠る石油、天然ガスなどの海底資源などや、日本近海に眠るメタンハイドレートなどを資源化する事業に政府主導で直ちに着手し、その開発に伴ふ内需拡大によつて東日本のみならず我が国全土にわたる復興を実現するのである。そして、これまでのエネルギー輸入国からエネルギー輸出国へと劇的に政策転換させる基本戦略に立つ必要がある。エネルギーの自給が達成できれば、食料の自給も達成できる。技術革新を独自に推し進め、原発依存の比重を極小化したエネルギーバランスを実現し、最後にはウランその他の稀少金属に依存しない自然エネルギーなどによるエネルギーの完全自給を達成させ、我が国が独自に安定国家となるための基軸を打ち立てなければならないのである。
政府は浜岡原発の停止を決めたようですが、明確な方策=日本の自立性が高まる方向でのエネルギー政策があるようには思えません。
しかし、仮に、さうであつたとしても、自立再生論による祖国再生の基軸を立てた結果であれば是とすべきであるが、実際はさうではないところに我が国の病巣の深さを感じる。その場しのぎの方針であることにも問題がある。そして、その病巣の根幹には、占領憲法がある。占領憲法は、GHQの占領下で制定されたため、国家緊急事態に対処しうる制度がない。占領下での国家緊急時といふのは、支配者であるGHQの緊急事態のことであるから、そのやうなことは占領憲法で定めるはずがないからである。
先日、福島県に放射線量を確認するために出かけてきましたが、失業、家の喪失、家族の離散、風評被害など正視するのが辛くなるような現実を目にしました。農業は壊滅に近い地域も多く、もう少ししたらその影響を実感することになるかもしれません。
以下の部分は五・一五事件に関するものですが、あながち過去の話では済まされないことだと思います。
五・一五事件と聞くと、日本青年の歌を作つた三上卓や、黒岩勇、古賀清志らの帝国海軍将校や陸軍士官学校の生徒による軍事クーデター未遂事件であると教科書的に理解する人が多い。それはそれで決して間違ひではない。確かに、この事件によつて軍部に対する政治家と官僚の萎縮効果が生まれ、二・二六事件へと向かふ歴史の流れを作つたことは否めない。 しかし、この事件の教訓はそれだけでは終はらない。この事件は、橘孝三郎が率ゐる愛郷塾の塾生が結成した「農民決死隊」の七名が、昭和初期の世界恐慌による農村恐慌、特に、東北地方の農民生活が極度に疲弊し、娘を都会人の性的欲望の生け贄として身売りしなければならないやうな悲惨な状況などを見るに見かねて立ち上がつたことに留意しなければならないのである。これは、勿論、五・一五事件に共通した義憤ではあるが、この農民決死隊が牙を向けた先は、軍人グループのやうな要人テロではなく、東京の変電所であり、それを襲撃することにあつた。東京市には、東京電燈株式会社の、田端、鳩ケ谷、淀橋、亀戸、目白の各変電所と、尾久にあつた鬼怒川水力電気の東京変電所がある。これら六箇所の変電所を襲撃して東京市を大停電に陥れ、クーデターを決行しようとの計画であつたが、大停電をさせることの真の目的は、農村の疲弊が都会の享楽にあるとの認識から、資本主義の弊害を是正しなければならないといふ強烈な警告を行ふことにあつた。勿論、この計画は、田端変電所の電圧メーターを金槌で壊しただけで、用意してゐた手榴弾などを使用できずに不成功に終はつた。それゆゑに、要人テロとは異なる農民決死隊事件が五・一五事件として同じ名前で一括りにして語られることに違和感があるのは私だけでないはずである。
この事件(農民決死隊事件)の背景事情や経緯は、今回の東日本大震災と巨大津波による福島原発の全壊事故、これによる東京都の計画停電に至る時系列と事実関係とは全く異なるものである。しかし、明らかにこの二つのことは同工異曲の事件と言へる。
過去にさかのぼることはできません。しかし、私たちは生きなければなりません。
ですから、むしろ今回の事件や、歴史上の出来事を教訓に、本来あるべき姿=自立した日本のために努力をしなければならないと思います。
それは、日米安保問題、原発を含む核問題の根源は、占領憲法問題といふ同根から生まれてゐるものであつて、我が国と世界を再生させるためには、占領憲法の無効宣言をして、我が国と世界に吹き荒ぶ賭博経済の金融資本主義を淘汰し、自立再生社会の実現が刻下の急務であることの現在的な教訓なのである。
当ブログ「日本が日本であるために」はURLをご覧いただくとわかる通り「自立再生」というテーマを中心に書かれた投稿がほとんどです。
今回引用させていただいた論文では、エネルギー政策において、日本の自立が失われているという現状とその経緯について書かれています。
そもそも、原発は、どのやうにして我が国に導入されたのであらうか。広島と長崎が原子爆弾による無差別大量殺戮の被害を受けた我が国は、これに追ひ打ちをかけられたかの如く、昭和二十九年三月一日の米国の水爆実験によつて発生した多量の放射性降下物(いはゆる死の灰)を浴びた第五福龍丸の乗組員が被害を受け、「原子力(核)の恐怖」は国民的トラウマとなつて定着してしまつた。ところが、米国アイゼンハワー大統領の指令を受けた米国CIAは、読売新聞社主の正力松太郎を工作員に仕立て上げ、読売新聞と日本テレビなどマスコミを総動員して、「原子力の平和利用」といふ大々的な洗脳キャンペーンを行つたことから、我が国を原発推進へと大転換させた。これによつて、我が国は、核保有国が核を独占的に支配管理するNPT体制に組み込まれ、我が国のエネルギー政策における生殺与奪の権をアメリカに売り飛ばし、エネルギー戦争の第二の敗戦を帰した。
このたびの地震・津波による災害と同時に発生して福島第一原子力発電所の事故に関しても、原子力に反対する立場、推進する立場、反対する立場に反対する立場など、いろいろな議論(とまでは言えないものも多いですが・・・)が繰り広げられています。
最近とても気になるのが、どんなことでも右左、白黒、善悪の二元論におちいってしまう論争がとても多いことです。
安保堅持と安保破棄といふ二者択一の正反対の対立では、誰もが納得しうる解決策が得られない。真相を隠蔽するために、正反対の二者択一を迫るのは、政治の常套手段である。そのことについては、占領憲法についての議論も同じである。占領憲法を憲法として有効であるとしたい敗戦利得者は、改憲か護憲かといふ茶番劇を、マッカーサーの手のひらで踊つて見せてゐることと、この安保堅持と安保破棄といふ茶番劇とは実によく似てゐるのである。安保破棄といふのは、即時破棄であることから、それによる急激な政治環境の変化を恐れた大衆が、やむを得ない次善の選択として安保堅持を支持したのであつて、売国政党の自民党の長期政権に貢献したのは、この非現実的な亡国政党である社会党の過激さにあつた。これによつて、自民党と社会党の馴れ合ひ政治が定着したのである。
・・・・
・・・・
この安保問題の構造は、原発問題の構造とよく似てゐる。原発推進派と原発反対派との対立は、過去の米ソ代理戦争を引きずつてゐる。対米隷属を深めようとする原発推進運動と、それが確立することに反対するソ連が支援する原発反対運動との対立である。そして、ソ連崩壊後の現在の原発反対運動は、米国一極支配に反対するロシアと中共らの共同戦線に支へられてきたのである。
ここでは脱原発という考え方を支持しています。
原子力発電によって生成される核廃棄物の処理にはメドが立っていませんから、今後長い年月をかけて対処していかなくてはならない。あるいは画期的な技術が出るまで待たなければならない。捨てるところがないのに、ゴミを出すというのはおかしな話ですから、核廃棄物をなるべく出さないようにしよう、少しづづでもいいから原子力発電から抜け出して行こうという立場です。
ですので次の段落で述べられているような二極化は好ましい状況だとは考えません。
原発問題に関しては、福島原発事故の後、親米勢力の原発推進派と反米勢力の原発反対派とのせめぎ合ひが顕在化し、二極化が深更してゐるが、核のトラウマに便乗する後者が優勢であることは言ふまでもない。しかし、ここに完全に没落してゐるのは、真の祖国愛を抱く親日勢力であり、親日勢力はこれら両派の外国勢力のために股裂き状態に追ひ込まれてゐる。原発推進することが保守だとする倒錯した議論が無自覚に語られ、脱・原発を唱へる愛国者を原発推進派の似非保守の売国奴が平然と批判することが繰り広げられてゐる有り様である。
このような二極化を生む要因の一つに、曖昧な情報の流布あるいは情報の操作が行われることが挙げられます。このような情報操作は、しばしば政争の中でも行われます。
原子力発電の場合は、ウラン鉱脈の利権、国家間の利益、政治家、官僚、学者、メディアの権益などが絡む大きな構造の中の問題です。
ところで、原発推進派が喧伝する、原子力発電コストが他の発電コストに比べて低いといふのは、CIA工作によるデータの改竄によるもので、実は原発コストが一番大きいのである。発電コストについては、資本費、操業費、燃料費で比較してゐる比較して見せるのであるが、これは、原発を継続運転する場合のイニシャルコスト(資本費)とランニングコスト(総業費、燃料費)だけであつて、一般的な通常の会計学的手法が用ゐられてゐるに過ぎない。しかし、厳密に会計学的に考察すると、原発コストの場合は、いはば「偶発債務」や「負債性引当金」などに相当するものが計上されてをらず、他の発電の場合と比較して、これらが余りにも大きすぎる点が明らかに隠蔽されてゐるからである。平易に言へば、原発の耐用期間が経過した後に、その老朽原発を安全無害に解体する場合の廃止措置費、放射性廃棄物(使用済み核燃料)の継続的管理費及び最終処理費(地層処分費)、地層処分のための用地を確保する土地取得費と交渉対策費、原発事故が発生した場合の復旧費とその放射線汚染に伴ふ損害賠償費、原発の新規建設を推進させるための地元対策費や継続的な地元援助金、利益誘導対策費、用地買収資金などを計算に入れれば天文学的な金額になるが、これらについては、発電コストの原価計算の基礎数値からは完全に除外されてゐるからである。
コスト構造については、食料に関しても同種の問題があります。
生産、流通、消費の各部門に関しては、しばしば統計が発表されますが、再生(再処理や処分も含む)コストについては、あまり表に出てきません。
統計の取り方をもっと改善した方が良いと思います。
尖閣諸島周辺に眠る海底資源、日本海に眠るメタンハイドレートなど、日本には輸出できるほどの資源があると言われていますが、一向にそれらを採掘して活用しようという動きはありません。これからはいくつかの選択肢として、これらの資源を利用する方向に向かうべきであると思います。
そして、その過渡的な政策として、これまで我が国がエネルギーの自給体制をとることを阻止し、あるいは独自のエネルギー外交をすることさへも徹底して妨害してきたアメリカから我が国は自立して、我が領土である尖閣諸島の海底に眠る石油、天然ガスなどの海底資源などや、日本近海に眠るメタンハイドレートなどを資源化する事業に政府主導で直ちに着手し、その開発に伴ふ内需拡大によつて東日本のみならず我が国全土にわたる復興を実現するのである。そして、これまでのエネルギー輸入国からエネルギー輸出国へと劇的に政策転換させる基本戦略に立つ必要がある。エネルギーの自給が達成できれば、食料の自給も達成できる。技術革新を独自に推し進め、原発依存の比重を極小化したエネルギーバランスを実現し、最後にはウランその他の稀少金属に依存しない自然エネルギーなどによるエネルギーの完全自給を達成させ、我が国が独自に安定国家となるための基軸を打ち立てなければならないのである。
政府は浜岡原発の停止を決めたようですが、明確な方策=日本の自立性が高まる方向でのエネルギー政策があるようには思えません。
しかし、仮に、さうであつたとしても、自立再生論による祖国再生の基軸を立てた結果であれば是とすべきであるが、実際はさうではないところに我が国の病巣の深さを感じる。その場しのぎの方針であることにも問題がある。そして、その病巣の根幹には、占領憲法がある。占領憲法は、GHQの占領下で制定されたため、国家緊急事態に対処しうる制度がない。占領下での国家緊急時といふのは、支配者であるGHQの緊急事態のことであるから、そのやうなことは占領憲法で定めるはずがないからである。
先日、福島県に放射線量を確認するために出かけてきましたが、失業、家の喪失、家族の離散、風評被害など正視するのが辛くなるような現実を目にしました。農業は壊滅に近い地域も多く、もう少ししたらその影響を実感することになるかもしれません。
以下の部分は五・一五事件に関するものですが、あながち過去の話では済まされないことだと思います。
五・一五事件と聞くと、日本青年の歌を作つた三上卓や、黒岩勇、古賀清志らの帝国海軍将校や陸軍士官学校の生徒による軍事クーデター未遂事件であると教科書的に理解する人が多い。それはそれで決して間違ひではない。確かに、この事件によつて軍部に対する政治家と官僚の萎縮効果が生まれ、二・二六事件へと向かふ歴史の流れを作つたことは否めない。 しかし、この事件の教訓はそれだけでは終はらない。この事件は、橘孝三郎が率ゐる愛郷塾の塾生が結成した「農民決死隊」の七名が、昭和初期の世界恐慌による農村恐慌、特に、東北地方の農民生活が極度に疲弊し、娘を都会人の性的欲望の生け贄として身売りしなければならないやうな悲惨な状況などを見るに見かねて立ち上がつたことに留意しなければならないのである。これは、勿論、五・一五事件に共通した義憤ではあるが、この農民決死隊が牙を向けた先は、軍人グループのやうな要人テロではなく、東京の変電所であり、それを襲撃することにあつた。東京市には、東京電燈株式会社の、田端、鳩ケ谷、淀橋、亀戸、目白の各変電所と、尾久にあつた鬼怒川水力電気の東京変電所がある。これら六箇所の変電所を襲撃して東京市を大停電に陥れ、クーデターを決行しようとの計画であつたが、大停電をさせることの真の目的は、農村の疲弊が都会の享楽にあるとの認識から、資本主義の弊害を是正しなければならないといふ強烈な警告を行ふことにあつた。勿論、この計画は、田端変電所の電圧メーターを金槌で壊しただけで、用意してゐた手榴弾などを使用できずに不成功に終はつた。それゆゑに、要人テロとは異なる農民決死隊事件が五・一五事件として同じ名前で一括りにして語られることに違和感があるのは私だけでないはずである。
この事件(農民決死隊事件)の背景事情や経緯は、今回の東日本大震災と巨大津波による福島原発の全壊事故、これによる東京都の計画停電に至る時系列と事実関係とは全く異なるものである。しかし、明らかにこの二つのことは同工異曲の事件と言へる。
過去にさかのぼることはできません。しかし、私たちは生きなければなりません。
ですから、むしろ今回の事件や、歴史上の出来事を教訓に、本来あるべき姿=自立した日本のために努力をしなければならないと思います。
それは、日米安保問題、原発を含む核問題の根源は、占領憲法問題といふ同根から生まれてゐるものであつて、我が国と世界を再生させるためには、占領憲法の無効宣言をして、我が国と世界に吹き荒ぶ賭博経済の金融資本主義を淘汰し、自立再生社会の実現が刻下の急務であることの現在的な教訓なのである。
もう一度書きますが、このブログのテーマは自立再生です。
そのために、日本の文化をもっと知ろう、伝統的な祭祀に関心を持ち実践しよう、生存や子孫繁栄のために欠かす事のできない食べ物やエネルギーについて考えよう、そして何かを変えようと訴えています。その一部に憲法問題、歴史認識などを位置づけています。
自立再生という視点で、原発事故のことを考えてみませんか?
2011年3月29日火曜日
日本再生への提言 どんどん出てきますね
先日は京都大学の藤井聡教授の東日本の復旧・復興と列島強靭化計画についてご紹介しました。藤井教授の緊急提言にも、日本が生き残るために総力を結集するときだという言葉がありました。
このような提言は過去にもいくつかありましたが、震災や原発事故を目の当たりにして、そろそろ本気でなんとかしないとマズいぞ!と考える人も多いと思います。
根源的な問題は何か、どうすればそれを解決できるか、日本がこれからどこに向かえばいいのか。『日本の暦』に協賛していただいている國體護持塾様からも「日本再生への提言」が出されました。
藤井教授の提言と合わせて、みんなでいろいろ考えてみませんか?
『日本再生への提言』のPDF がここからダウンロードできます。
みんなで明るい未来を作りましょう。
このような提言は過去にもいくつかありましたが、震災や原発事故を目の当たりにして、そろそろ本気でなんとかしないとマズいぞ!と考える人も多いと思います。
根源的な問題は何か、どうすればそれを解決できるか、日本がこれからどこに向かえばいいのか。『日本の暦』に協賛していただいている國體護持塾様からも「日本再生への提言」が出されました。
藤井教授の提言と合わせて、みんなでいろいろ考えてみませんか?
『日本再生への提言』のPDF がここからダウンロードできます。
みんなで明るい未来を作りましょう。
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