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2011年5月17日火曜日

神祭と稲作 〜お伊勢さんと稲作 天照大御神から授った神國日本のお米 斎庭の稲穂の神勅〜

 伊勢神宮の御祭神、天照大御神(皇大神宮)、豊受大御神(豊受大神宮)は、共に稲作に深い関わりを持つ神さんです。


 天照大御神は天孫降臨の際、

一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』

二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』

三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』

と、三大神勅を下されました。  

天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。  

 *畏くも、  天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。  誠に神勅の隨々(まにまに)です。  天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・皇尊 彌榮 々々 々々!


 豊受大御神は、天照大御神へ御神饌(御饌・みけ)をたてまつる御饌都神(みけつかみ=食物の神)さんです。外宮さんの御饌殿では、朝夕二回『日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)』にて、天照大御神はじめ、神宮の神さんへ大御饌をたてまつります。  御饌の主役は勿論お米です。稲穂です。 そして、豊受大御神(地元では外宮さん、豊受さん)は、稲作をはじめとして、衣食住の産業の神様で、私達の生活にとても親しみのある神さんです。


 お伊勢さん(皇大神宮、豊受大神宮)のお祭りは、殆どが稲作と関係し、稲作の時期に合わせて行われます。  

##伊勢神宮HPの 神宮のお祭りと行事 から抜粋させていただき、稲作現場と関連させて書き直してみました。昔の田植えと稲刈り、収穫、脱穀に合わせて大祭がなされています。

 *昔は、6月(今は5月上旬)に田植えが行れたようです。それから見ると風雨の神さんの祭、大御神へ特別な神饌(みけ)を供える祭が前後してあるのも興味深いですね。(ちなみに風日祈宮さんは、元寇阻止の宮さんとして別宮に昇格しました)。  

 *昔は、10月〜11月(今は8月中頃)くらいが稲刈り収穫だったようですので、その前後に大祭が集中してますね。  


2月17日〜2月23日 祈年祭(としごいのまつり)   五穀豊穣祈願祭 旧正月後の田作りの前の祭

4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい)  稲種を神田にはじめて下し奉る祭 稲の籾種まき無事早苗が育つように。

5月14日 風日祈祭(かざひのみさい)  風日祈宮(風の神様)に風雨の恵み、五穀豊穣のお祭り。

6月15日〜6月25日 月次祭(つきなみさい)  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。田植えが終るあたり。

8月4日 風日祈祭   風の神へ御幣を奉り、風雨の恵み、五穀の豊穣をお祈りします。

9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい)  神田にて神嘗祭に奉るご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつるお祭り(神宮神田)。

10月15日〜10月25日 神嘗祭(かんなめさい)  その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げるもっとも由緒深いお祭り。  

11月23日から 11月29日まで 新嘗祭 (にいなめさい)  新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣(ごさけん)されて、奉幣の儀が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。  *新米は陛下が食しめし(きこしめし)いただいた後、臣民はいただきます。

12月15日〜12月25日まで 月次祭  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。

毎日 日別朝夕大御饌祭 (ひごとあさゆうの おおみけさい) 年中、毎日朝夕の2度、外宮の御饌殿で、両正宮、同相殿神(どうあいどののかみ)および各別宮諸神にお供えものを奉ります。


 以上のように神さんからお授かりした稲の祭を奉り、神宮神田で稲作を行い、御神田で収穫されたお米を神饌として奉ってます

 神宮のお米は、神宮神田で、籾種蒔きから田植え、そして稲刈りまで大切に育てられて、神嘗祭(かんなめさい)に初穂を供え、天照大御神に新米を奉りお召し上がりいただきます。

 つぎに新嘗祭(にいなめさい)です。 天皇陛下御自ら新穀を神々に奉り自らもお召しになられ、神宮へ勅使を使わされて神宮では奉幣の儀が行われます。

 天皇陛下が新嘗祭で新米をお召し上がりになられてから、私たち皇民(臣民)は、ありがたくいただきます。 つまり、神さん→天皇陛下→皇民の順序で新米をいただくのが、神國日本の伝統です。

 天皇陛下 所知(しろし)めす。わが神國日本、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國において、神嘗祭の十月十七日、新嘗祭の十一月二十三日は御國をあげての大祭日です。そして、大嘗祭(おほにへのまつり)は、天皇陛下が御即位の年に初めて行う新嘗祭です。御一代一度限りの新嘗祭です


 神宮神田で平成の御代(平成元年秋)に新たな御神米がお生まれになりました。 台風直後の朝、御神田のなかで、たった2本だけ御柱のように太く御稜威のある稲がたっていました。イセヒカリさんです。

 天照大御神より御皇孫のしらしめす稲穂の國にお授けいただいたイセヒカリは、反あたり十表以上の収穫で美味しくて、台風にも倒れず虫や病気にも強い、良い事づくめの稲穂の命さんです。

 イセヒカリさんは、ゆっくり育つ稲のようです。いいかえれば昔の稲作サイクル、伊勢神宮(のみならず日本各地)の田んぼの神祭にあわせているかのようです。


 今の米作りは五月の連休に田植え、御盆の連休に刈り入れます。これは、殆どが兼業農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするため、そして流通販売のためです。 そのため日本の神社の田祭の時期(本来の稲の育ち)と今の稲作サイクルがずれてしまって、実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてしまっている感じがあります。私の村でも村社の神祭(田祭)は6月1日(旧田植え前)と12月1日(新嘗祭と旧収穫後)で現代の稲作時期とずれています。

つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、化学肥料と農薬を使い続けています。日本人の伝統的な思いでは、古事記や書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神さんです。神さんに対して(*日本的な意味での)神の子として誠に申し訳ない事をしているようです。

(* 明治天皇陛下の御製「罪あらば吾をとがめよ天津神 民はわが身の生みし子なれば」にあるように天照大御神の御皇孫の皇民もありがたくも明津神の子です。田祭が行われる神社の氏子は、神の子です。)

 私見ですが、イセヒカリの生(あれ)ましは、今一度、神祭と稲作、神さんと 天皇陛下へ感謝御礼してから籾種を撒き田植えをし、収穫したら天照大御神はじめ神さんたちと天皇陛下、ご先祖様へ奉り報恩感謝してからありがくいただく。この当たり前の神事を当たり前に、全皇民が、やりなさいと天照大御神、豊受大御神さんからの御神託のような気がいたします。

 街暮らしの方は、日本の神さんと 天皇陛下へ感謝御礼の神奉りをしながら、バケツ稲やプランターの陸稲、室内、屋上庭園などを育てて収穫し、天照大御神はじめ八百万の神々、天皇陛下、ご先祖様へ、報恩感謝の気持ちでいただくのはいかがでしょうか。稲穂の神國日本が感じられると思います。


天皇(すめらみこと) 彌榮(いやさか) 彌榮(いやさか) 彌榮(いやさか)

天皇陛下   万歳   万歳   万歳   !

2011年3月2日水曜日

東京裁判の判決

 本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。
                                    (本記事:
東京裁判の判決 2010-06-04


東京裁判判決(昭和23年11月12日)の、刑の宣告の模様がYoutubeにあります。子どもの頃にも何かで見た記憶があります。東條英樹は「ウンウン」と頷いているようです。弁護人の清瀬一郎氏は「アアこれは立派に解脱したなと感じたくらい悟りすましたものであった」と述べています。広田弘毅はカメラ側に一礼していました。奥さんは既に自決しており、誰に向かって別れを言ったのか。

 判決は理由を付することになっていましたが、偏った日本の政治史、軍事史を羅列しただけで各被告の有罪を断じ、判決の理由になる事実と証拠の提示ありませんでした。量刑についてはオランダ判事のレーリンクの回想によると投票による多数決であり、11人中の判事6人で多数派として決まったと述べています。パール判事は全員無罪としたので投票には加わらず、ソ連判事は死刑反対を理由に加わりませんでした。あと、フランスのベルナール判事も加わらず、驚いたことにオーストラリアのウェッブ裁判長も死刑には反対の立場でした。平和に対する罪というのは事後法であるから死刑は適当ではない、と述べていたのです。投票は7対4ということになります。レーリンク判事は広田弘毅を無罪としたので、6対5で死刑になりました。

 この判決日、昭和天皇のご様子を側近の村井長正氏はこう語っています。

陛下は顔を泣きはらして真っ赤な顔をしておられた。生涯忘れられないお顔である」

「私は恐れおののき、視線を落とし、二度とそのような陛下を見まいとして要件だけ述べ、顔を伏せたままドアを閉めた」

 刑の執行は昭和23年12月23日の午前0時21分。意図的に皇太子殿下(今上天皇)の誕生日を狙ったものでした。刑場で東條英機は「天皇陛下万歳」と叫びます。そして東條の左右にいた大柄な米軍曹長に「ご苦労さん、ありがとう、ありがとう」と声をかけると、後ろにいた米軍将校4,5人が寄ってきて握手を求めたといいます。

 絞首刑となった遺体は粗末な木製の棺に入れられ横浜の火葬場で火葬に付せられました。遺族からの遺骨引取りの請求を占領軍はゆるしませんでした。遺骨は飛行機で撒き散らすことになっていたようですが、後の昭和30年に進駐軍の命ということで白木の箱に入ったものを渡されています。火葬当時は撒き散らされてはいかん、と思った三文字正平という弁護士が、火葬場より進駐軍が処理したあとの残りを盗みだしています。そして日本の主権回復後、松井大将の郷里である愛知県幡豆郡旗豆町の町長の好意により、三河湾公園内に埋葬されました。この碑には荒木貞夫元大将の筆で「殉国七士之碑」と大書しました。




参考文献
 「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
 「パール判事の日本無罪論」田中正明著
 「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ編/序 小菅信子訳
 「昭和天皇論」小林よしのり著
参考サイト
 WikiPedia「広田弘毅



2011年1月2日日曜日

新年の一般参賀に行ってきました!

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。



好天の下、皇居に集まった約7万7千人が祝う新しい年。
元旦に四方拝をなさったばかりの陛下は、お疲れの様子も見せず笑顔でのお出ましでした。
1回目のお出ましに合わせて出かけて行きましたが、お昼近くになると気温も上がりはじめ、参賀に来た人たちは寒い思いをせずに済んだようです。

和やかな気分でいい一日を過ごせました。

2010年12月22日水曜日

【寄稿・読書録】さらば 在日日本人

日本国憲法とは何か、どのようにできたかについての読書録です。
寄稿いただきありがとうございました。


Ⅰ.国家理念なき憲法ー国家の正当性の欠落

現在では日本国憲法はGHQの押し付け憲法であることは公然の秘密だが、世界最大の軍事大国が戦争放棄の憲法を人類の理想であるからと押し付けるのは冗談にもほどがある。それをするなら自らが放棄してからにせよと言ってみても仕方がないが。
現行憲法の制定過程については多少の紆余曲折はあったが基本的にはs21年2月13日に手交された次の三原則(マッカーサー三原則)に基づいて作成された。
  1. 天皇は国家の首部にある。皇位の継承は世襲である。天皇の義務および機能は、憲法にもとづき行使され、憲法の定める人民の基本意思に対応する。

  2. 国家の主権的権利としての戦争を破棄する。日本は国家の紛争解決のための手段としての戦争および自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念にゆだねる。

  3. 日本の封建制度は廃止される。皇室を除き華族の権利は現存する者一代以上に及ばない。華族の授与は爾後どのような国民的または市民的な政治権力を含むものではない。

いわゆるこのマッカーサー憲法草案が日本政府代表に手渡され それを最大限考慮して改正憲法草案を作成するよう勧告がなされた。ほかのことは独立後変更できるが皇室は一度消滅させられたらとりかえすことができないため、すべてを犠牲にしても皇室の存続をはかるというのが当時の日本政府の方針であった。このような経緯でGHQは日本を弱体化する目的で立法したのが、現行憲法であるが、立法といっても正規の手続きを踏んでいない。そもそもが占領占領下での法改正は国際法違反である。外国憲法には占領下の憲法改正を明文をもって禁止している。

また形式的には明治憲法第73条による改正ということにされたが、GHQが一週間位でつくった英文憲法を日本政府案として提出し、それを審議してあたかも日本の国会が憲法制定したような形を整えたにすぎない。そこで当時の帝国議会(貴族院)は時間切れで審議未了でながしてしまう計画であったが、それも時間切れの5分前で時計は全部止められ強行採決されてしまったのである。衆議院にしてもS21年の4月の総選挙が行われてできたのだが直前に公職追放が行われ、当時の進歩党などは既成議員が90%以上も追放されて候補者がいなくなっていた。さらに当時国民には言論の自由があたえられず、新聞社は厳重な検閲下に置かれており、その検閲のもっとも重要な対象が「SCAPが憲法を起草したことにたいする批判」であった。このような顛末でできあがった憲法がまともであるはずがない。従属国フィリピンの憲法にお湯をかけてたった1週間でできたインスタントラーメンのような憲法なのである。国家は独立国として当然あるべき主権を放棄し逆に国民にはあるはずのない主権を与え国民を「無限の権力」として主権の保有者とする。つまり、国際社会においては殴られても殴り返しませんと表明し、正当な権利を主張せず、国家にたいしては不当な権利を要求して国内騒乱を扇動示唆しているのである。
憲法前文ではそれらが人類普遍の原理だと喝破するのだから恐れいる。現行憲法が我が国を骨抜きするための「占領憲法」である所以だ。憲法はあらゆる国家の基本権(主権、独立、平等、自衛、宣戦布告、交戦、名誉権など)を前提とするが故に成立するわけだが、これはもう実質的には憲法ではなく「独立放棄宣言」かあるいは「国家否定宣言」の類であって条約的性質のものである。そもそも憲法の議論になると第9条が中心になるきらいがあるがこの第9条はそもそも前文に由来する。重要なのは個々の条文よりもむしろ全体を貫く思想であって問題の本質は現行憲法の理念である前文が最大の論点といえる。東京裁判史観によって成り立つ憲法前文の論理は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という悪い日本政府が間違った戦争を起こしたことを反省するという見解に立脚していて、日本は侵略国であり、国家権力は悪であるということをまず前提としているのだ。そして「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」のはいいとしても、「平和を愛する国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という東京裁判史観に輪をかけたようなウソが書いてある。この世界に公正と信義に信頼できる諸国がどこに存在するのか。国際法のなかでも基本中の基本である「内政不干渉の原則」すら守れない国(中共憲法の前文には相互内政不干渉が書かれている)が近隣にあるのに。このように憲法前文には国家観念を喪失せしめる、もしくは反国家、反権力を賛美する思想が込められているのである。
この思想汚染によって「負けるから軍備をもってもしようがない」という敗北主義がこの国を支配するに至ったのである。
また日本民族の精神生活を縛るために米国から押し付けられた憲法なのだから当然であるが、歴史や伝統を継承していないという意味で常識が欠落した「非常識憲法」ともいえる。
そもそも憲法とはコンスティチューションのことで英国ではじまった考え方だが、この意味するところは、体格、体質、であって、それは国柄である。それをどれだけ憲法に盛り込めるかが大事なのであって憲法には、その国が歴史の中で培ってきた伝統に基づく国柄が)述べられたものでなくてはならない。

Ⅱ.現行憲法の三大悪  平和主義、国民主権、基本的人権

一つ目、最大の害悪は他人まかせの平和主義観念である。「平和を愛する諸国民、、、」は憲法9条と関連したもので、自らの安全も生存も他国に依存しようとする平和主義の「戦争放棄」の根拠はここにある。自らの生存さえも守ろうとしないと決意するとは、まさに奴隷宣言である。欧米では平和主義といえば、その多くが無責任で無関心な者という否定的な意味でつかわれる。

二つ目は憲法前文には「主権が国民に存する」ことが人類普遍の原理だと謳っているが、「国民主権」は人治主義であって「戦後民主主義教」もこの「国民主権」に由来し、法治主義である文明に逆行する。それはハイエクがいっているように「主権」がどこにあるかと問われればどこにもないというのがその答えである。

現在の国際社会を構成している国民国家は、すべて憲法に基づく立憲体制をとっているのであって、「主権」が無制限の権利と定義されるなら、そこの主権の入り込む余地はありえないのだ。ルソーにより「国民主権」が編み出された。誰が絶対的で無制限の権力を握るのかという対立でしかなく、対内的な主権概念は前近代の概念である。本来、主権は最高性、独立性を意味するもので、法によって制限を受けたり権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約をうける統治権とは異なり、近代では不要で不適合なものであって、主権は絶対主義のイデオロギーなのである。したがって「主権」の用語は国際法上の「国家主権」という意味のみに使用するのが現実的である。

そして三つ目の「人権」についてはアナクロニズムだということである。こんな時代錯誤のスローガンを並べるのが現行憲法である。
人権等がある程度有効であったのは、奴隷制度や人身売買などによって著しく人の自由が束縛されている場合であって、我が国には全く無用であるし現在は国際社会で外交に悪用されているだけで全く益はない。人間ならばだれだって持っている権利が人権なのだというような人間であることですでに何らかの権利を保持しているという前提で成り立っている。これは一神教的な考えに由来するもので、欧米流の一元的な世界観から成り立っている。人間を他の動物より上位に置く独善的で思いあがった思想はわが日本人には理解しがたい観念というしかない。


それに現行憲法では様々な権利が明記されているがいずれにせよ人民の自決権が認められず、国家が奴隷のように外国に従属するような状況の下では権利もクソもない。たとえ人権なるものがありうるとしても、人権そのものの享有が不可能となる。25条で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」などと、謳っているが、個人が化的な生活を営めるのは、その個人を支える共同体の歴史や伝統が守られているからである。国家の独立が許されず、国家の自由が縛られたままで個人の自由などあるはずがなく、個人の文化的生活を保障するのは、国家の歴史や伝統が護持されているが故であって、それが否定された状況で個人の文化的生活が営める訳がない。

「さらば 在日日本人」山下 正仁著 展転社





2010年12月3日金曜日

新年の一般参賀

皇居でとり行われる新年の一般参賀に行ったことがありますか?
君民の一体感とでも言えばいいんでしょうか、なんとも言えない気分を味わうことができます。
新しい年を晴れやかな気分で始めるのにいいと思います。

以下は宮内庁のホームページに掲載された昨年の案内です。

項目 内容
期日 平成22年1月2日
参入時刻 (午前9時30分~午後2時10分)
閉門時間が例年より1時間早まりましたので,ご注意ください。
参入門 皇居正門(二重橋)
退出門 坂下門,桔梗門(ききょうもん),乾門
お出まし(予定) ○第1回及び第2回は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下始めお出ましになれる成年の皇族方
○第3回以降は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下
第1回 午前10時10分頃
第2回 午前11時00分頃
第3回 午前11時50分頃
第4回 午後1時30分頃
第5回 午後2時20分頃


日にちが近づいたら宮内庁のホームページでチェックしてみてください。

2010年11月29日月曜日

東条英機の遺言

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。


日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。

『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)

東条英機の辞世の句

「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」

道義を回復するための憲法論

憲法問題を考える上でとても重要な視点を与えてくれる理論です。
護憲か改憲といった議論にもう一つ無効論という視点を入れることで、我が国の憲法問題がわかりやすくなります。

以下はYouTubeの動画の説明からの引用です。



「日本国憲法」を帝国憲法体制内に存在する講和条約(講和大権を権限根拠とする行為に 基づく規範)と認定し、かつ、憲法としてはもともと無効であることを内閣や国会の決議 にて確認宣言します(つまり現国会や内閣は、講和条約「日本国憲法」に基づく国家機関 です=帝国憲法に合憲の国家機関です)。

現実社会の法的安定を乱すことなく皇統護持の実現可能な正統典範体制、正統憲法体制への認識の転換(憲法や典範の復元)が実現します。国家をあげてこの認識の転換さえ起こせば離脱強要をさせられた皇族の原状回復も個々人の意志選択に基づくことなく自動復帰 、地位の回復ということになります。

(これに反し「正統性の回復行為」を現在の日本人が逆に「拒む行為」というのはいったいどういう意味をもつものなのか、この図解等
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/45996606.html
を参考に考えてみてください。そうすれば護憲派護憲論も護憲派改正論も、さらに言えば新憲法制定論も自主憲法制定論もあっさりと茶番であることが理解できますでしょう。)

次にこの体制下で「日本国憲法」の縛りを整序(不要な条項を状勢を見ながら対外的に順 次破棄通告)すれば自衛隊は皇軍となります。あとは時間をかけて帝国憲法改正論議を国民の課題とすればよいのです。以上は南出喜久治先生のみが唱えている「新無効論」の概略です。

再生リストへ直行
http://www.youtube.com/view_play_list?p=32A3C431067846B2

簡単で安心!「新無効論」実施手順で~す。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/30365077.html

國體護持塾(こくたいごじじゅく) 公式ホームページ
http://kokutaigoji.com/

2010年11月14日日曜日

広島被爆地への巡幸

このビデオは昭和天皇が大東亜戦争直後に原爆の被災地である広島を巡幸された時のものです。
とてつもない歓迎ぶりですね。

昭和天皇は爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万人の奉迎を受けられました。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われ、原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして目頭を押さえられました。
各地で昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」、「家はあるのか」と人々に声をかけられました。
全国各地の、あまりの熱烈な歓迎、そして禁止されていた日の丸を振る者もあらわれ、危惧したGHQは巡幸を1年間中止にしました。

陛下は戦争で疲弊した臣民を励ますために日本中を巡幸なさいましたが、陛下を迎える人々が逆に陛下を慰めるような事もあったそうです。天皇と臣民の一体感とでも言えるのかもしれません。

この投稿では「臣民」という言葉を使ってみました。
私は国民という言葉に少し抵抗があります。
祖母には「お前は日本人なんだから・・・」のように言われて育ったし、他の人にも「あなたは日本国民だ」なんて言われた事がありません。また、国民という言葉がどこか虚ろな印象を持っていました。
調べてみたら「国民」という概念は「想像上の共同体」のような意味だとか。我が国の歴史上、この言葉が使われるようになったのは最近のことのようです。伝統的な日本の国の在り方から考えれば臣民の方が似合うのかもしれないです。