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2012年8月22日水曜日

占領統治の実際

サンフランシスコ講和条約の発効に至るまでの非独立の占領時代には、連合軍の軍事的支配の下、我が国の政治、法制、経済、教育及び文化などのすべての事象において大きな変革が強要された。

GHA/SCAP(以下、GHQ)の軍事占領下で最も大きな強制的変革は、帝国憲法を全面改正したとされる日本国憲法という名の「占領憲法」の制定である。
占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」以外の意見は完全に黙殺され、出版物、手紙その他の文章を検閲し、占領政策の妨げとなる一切の言論を禁止し、GHQの占領政策を批判する記事は発行禁止処分の制裁を受けるなど、臣民(国民)の政治的意思形成に必要な情報を一切提供させないようにする『日本プレスコード指令』による強力な言論・報道統制が断行された。

『日本プレスコード指令』とは、GHQ司令官であるマッカーサーが発令してもので、『言論及び新聞の自由に関する覚え書き』、『日本に与えうる新聞準則』などによる一連の言論、新聞、報道の規制と検閲制度全体を指す。これらによる削除、発行禁止処分の対象となる項目は、①SCAPに対するいかなる一般的批判、及びSCAP指揮下のいかなる部署に対する批判、②極東軍事裁判批判、③SCAPが憲法を起草したことに対する批判、④検閲制度への言及、⑤合衆国、ロシア、英国、朝鮮人、中国、田の連合国に対する批判、など三十項目に及んでいた。

言論・報道の統制が行われているかたわら、戦争犯罪人であるとか、軍国主義者であるとの一方的な理由で多くの官僚、代議士などの政治家が公職追放された。衆議院議員四百六十六名のうち、八割以上に該当する三百八十一名が追放されたとされている。

これらの対日検閲計画は、大東亜戦争開戦の翌日に、J・エドワード・フーヴァーFBI長官が検閲局長官臨時代理に任命されたときから用意周到に準備されてきたもので、第二次近衛内閣の「挙国的世論の形成」を図る目的で作られた情報局などのような戦時体制下における情報統制よりも遥かに厳しいものであった。

そのため、憲法改正案を審議した第九十回帝国議会を構成する議員を選出した総選挙においても、改正案の全文は選挙前には公表されず、改正案全文が発表されたのは選挙から十日後であった。この憲法改正案は、公職追放の危険による萎縮効果もあって、選挙での争点には全くならなかった。
これらの措置は、占領下で制定された占領憲法の「法の下の平等」、「表現の自由」、「検閲の禁止」などに明らかに抵触するものであり、帝国憲法の「言論・著作・印行・集会・結社の自由」にも違反する違憲措置であって、現行の公職選挙法の規定によれば、選挙自体が無効であることは明白である。

公職追放の他にも「魔女狩り」にも似た「公開リンチ」の極め付きとしての極東国際軍事裁判がさらに萎縮効果は大きくした。
極東国際軍事裁判では東条英機元首相ら二十八名が共同謀議によって侵略戦争を指導したとして起訴され、二十五名に有罪判決が下され、マニラやその他の東亜・太平洋地域において、適正な手続きや法的根拠に基づかずに「裁判」という名前のリンチによって、総勢九百九十四人が処刑されている。

このような事実を、日本のマスメディアは、批判するどころか、発売禁止処分を恐れて言論統制や検閲に何ら抵抗することなく、ジャーナリストの良心と魂を売り飛ばして御用新聞・御用放送に成り果て、連合軍の行う一連の措置が正当であるかのような大衆世論操作に加担した。

その言論統制と検閲を担ったのが、マスメディア各社で設立された「財団法人日本新聞協会」である。これは現在も存続しており、表向きは「民主主義的新聞社」の団体であると言いながら、GHQの検閲とプレスコードを受容して命を永らえた集団である。NHKや民法などのテレビ各社も加入し、「新聞倫理綱領」なるものを定めて、「民主主義」の旗手のように偽装しているが、同社団に所属しない中小メディアを閉め出した「記者クラブ」というギルド性によって特権を固守し、GHQなき後も、忠実にその指導方針(東京裁判史観)を堅持している。
この財団法人日本新聞協会に所属するマスメディアは、占領当初から与えられた敗戦利得者としての利権を固守し、連合軍の占領政策を支持することによって真の自由と民主主義が生まれるとの「世論」を形成させ、衆愚政治における「大衆の喝采」を得ることに成功した。
こうして民主主義の基本であるべき正しい政治的情報を知る権利が全く与えられない愚民政治が出現したのである。

本来ならナチス・ドイツによるユダヤ人やジプシー等の大量殺戮に勝るとも劣らない広島及び長崎の原爆投下による無差別大量殺戮(ホロコースト)が非難されるべきであり、今日でもその意義は風化していないが、「日本がいつまでも降伏せずに戦争を続けたために落とされたのであり、早く降伏して戦争をやめていれば落とされずに済んだのであるから、原爆投下の責任は日本にある」という占領軍の流したデマのような洗脳から解かれていない有様である。このことだけを見ても、占領政策による言論と報道の統制は非常に効果的に行われたと考えるべきである。

2011年3月2日水曜日

東京裁判の判決

 本日の投稿は、JJ太郎様のブログ「かつて日本は美しかった」より転載させて頂きます。
                                    (本記事:
東京裁判の判決 2010-06-04


東京裁判判決(昭和23年11月12日)の、刑の宣告の模様がYoutubeにあります。子どもの頃にも何かで見た記憶があります。東條英樹は「ウンウン」と頷いているようです。弁護人の清瀬一郎氏は「アアこれは立派に解脱したなと感じたくらい悟りすましたものであった」と述べています。広田弘毅はカメラ側に一礼していました。奥さんは既に自決しており、誰に向かって別れを言ったのか。

 判決は理由を付することになっていましたが、偏った日本の政治史、軍事史を羅列しただけで各被告の有罪を断じ、判決の理由になる事実と証拠の提示ありませんでした。量刑についてはオランダ判事のレーリンクの回想によると投票による多数決であり、11人中の判事6人で多数派として決まったと述べています。パール判事は全員無罪としたので投票には加わらず、ソ連判事は死刑反対を理由に加わりませんでした。あと、フランスのベルナール判事も加わらず、驚いたことにオーストラリアのウェッブ裁判長も死刑には反対の立場でした。平和に対する罪というのは事後法であるから死刑は適当ではない、と述べていたのです。投票は7対4ということになります。レーリンク判事は広田弘毅を無罪としたので、6対5で死刑になりました。

 この判決日、昭和天皇のご様子を側近の村井長正氏はこう語っています。

陛下は顔を泣きはらして真っ赤な顔をしておられた。生涯忘れられないお顔である」

「私は恐れおののき、視線を落とし、二度とそのような陛下を見まいとして要件だけ述べ、顔を伏せたままドアを閉めた」

 刑の執行は昭和23年12月23日の午前0時21分。意図的に皇太子殿下(今上天皇)の誕生日を狙ったものでした。刑場で東條英機は「天皇陛下万歳」と叫びます。そして東條の左右にいた大柄な米軍曹長に「ご苦労さん、ありがとう、ありがとう」と声をかけると、後ろにいた米軍将校4,5人が寄ってきて握手を求めたといいます。

 絞首刑となった遺体は粗末な木製の棺に入れられ横浜の火葬場で火葬に付せられました。遺族からの遺骨引取りの請求を占領軍はゆるしませんでした。遺骨は飛行機で撒き散らすことになっていたようですが、後の昭和30年に進駐軍の命ということで白木の箱に入ったものを渡されています。火葬当時は撒き散らされてはいかん、と思った三文字正平という弁護士が、火葬場より進駐軍が処理したあとの残りを盗みだしています。そして日本の主権回復後、松井大将の郷里である愛知県幡豆郡旗豆町の町長の好意により、三河湾公園内に埋葬されました。この碑には荒木貞夫元大将の筆で「殉国七士之碑」と大書しました。




参考文献
 「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
 「パール判事の日本無罪論」田中正明著
 「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ編/序 小菅信子訳
 「昭和天皇論」小林よしのり著
参考サイト
 WikiPedia「広田弘毅



2011年2月14日月曜日

大東亜戦争終結ノ詔書 (大東亜戦争終結に関する詔書)

一つ前の投稿が開戦だったので、今度は終戦です。

《原文》
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
御名御璽
昭和二十年八月十四日

《読み下し文》
朕(ちん)、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)をはかり、万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙々おかざるところ。先に米英二国に宣戦せるゆえんも、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに、出でて他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が意志にあらず。しかるに、交戦すでに四歳をけみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局、かならずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、しきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか。ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし。かくのごとくは、朕、何をもってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れるゆえんなり。
朕は帝国とともに、終始、東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるをえず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に倒れたる者、及びその遺族に想を致せば、五内ために裂く。かつ戦傷を負い、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)するところなり。おもうに今後、帝国の受くべき苦難は、もとより尋常にあらず。汝臣民の衷情も、朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむくところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
朕はここに、国体を護持しえて、忠良なる汝臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に汝臣民と共にあり、もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ

《現代語訳》
余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。
余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。
そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。
そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。
余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。
そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ

2011年2月12日土曜日

大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)

一つ前の投稿からの続きです。

意外とこれを読んだことがある人は少ないかもしれません。
日本が開戦したときのことを理解するための一助になると思って投稿しました。

《原文》
天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス
米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス
斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス
御 名 御 璽
昭和十六年十二月八日

《読み下し文》
天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝、有衆(ゆうしゅう)に示す。
朕(ちん)、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦(たたかい)を宣す。朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は、励精職務を奉行(ほうこう)し、朕が衆庶(しゅうしょ)は、各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからむことを期せよ。
抑々(そもそも)、東亜の安定を確保し、以って世界の平和に寄与するは、丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考(こうこう)の作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕が拳々(きょきょ)措(お)かざる所。
而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤くし、万邦共栄の楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)、帝国が、常に国交の要義と為す所なり。今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。洵(まこと)に已(や)むを得ざるものあり。豈(あに)、朕が志(こころざし)ならんや。
中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて東亜の平和を攪乱(こうらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執(と)るに至らしめ、茲(ここ)に四年有余を経たり。幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。帝国は之(これ)と善隣の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。
米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国を誘い、帝国の周辺に於(おい)て、武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。
朕は、政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威を増大し、以って我を屈従せしめんとす。
斯(かく)の如くにして、推移せんか。東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉(ことごと)く水泡に帰し、帝国の存立、亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕せり。事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外(ほか)なきなり。
皇祖皇宗の神霊、上(かみ)に在(あ)り、朕は、汝、有衆の忠誠勇武に信倚(しんい)し、祖宗の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根を芟除(せんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全せんことを期す。


《現代語訳》
天の神々のご助力を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、はっきりと忠誠にして武勇ある汝ら国民に示す。
余はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。余の陸海軍の将兵は、全力を奮って交戦に従事し、余の政府関係者・官僚・役人のすべては、つとめ励んで職務に身をささげ、余の国民は、おのおのその本分をつくし、億兆の心をひとつにして、国家の総力を挙げ、攻め戦う目的を達成するために、手ちがいのないように心がけよ。
そもそも、東アジアの安定を確保し、それをもって世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その大いさを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、余も日頃、かたときも忘れずに心がけている事である。
そういう理由であるから、各国との交流を篤くおこない、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要諦とするところである。今や、不幸にして、米英両国との争いを開始するにいたった。まことに、やむをえない事態である。どうして、これが余の本意であろうか(このような事態は、余の本意ではない。)
中華民国政府は、以前より帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を攪乱(かくらん)し、遂(つい)に帝国に武器をとらせる事態(慮溝橋事件)にいたり、現在まで四年が過ぎた。さいわいに、国民政府は、汪清衛・南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するに至ったが、重慶に残存する蒋介石政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟であるはずの南京政府と、いまだに相互の境をはさんでせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、蒋介石政権を支援し、東アジアの戦禍と混乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋を征服する非道なる野望をたくましくしているあまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには禁輸措置を意図的におこなって、帝国の生存に重大なる脅威を加えている
余は、政府をして、そのような事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間、隠忍(いんにん)したのだが、米英は、寸毫も譲り合いの精神を持たず、むやみに事態の解決を遅らせ先延ばしにし、その間にもますます、英米による経済上・軍事上の脅威は増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態が、そのまま推移したならば、東アジアの安定に関して、帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、文字通り危機に瀕することになる。ことここに至っては、帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、英米による一切の障礙(しょうがい)を破砕する以外に道はない
皇祖皇宗の神霊は、天にましまし、余は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに英米による禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである

2011年2月11日金曜日

東条英機の遺言

東条英機の遺言

●英米諸国人に告げる

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、
これを認めるにやぶさかではない。
しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、
正理公道による勝利ではない。
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。
しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって
最近の歴史的推移を観察するなら、
その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。
我れ等はただ微力であったために
正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、
原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人
もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを
敢えて行ったことに対して、
あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、
世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、
人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、
自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

●日本同胞国民諸君

今はただ、承詔必謹する
〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。
私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、
私は国家の生存と国民の自衛のため、
止むを得ず受けてたっただけのことである。
この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に
特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。
ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、
その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、
彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、
正理公議は厳として我が国にあるということは
動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、
天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。
諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、
天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。
永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも
我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、
喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、
精進努力することによってこの一大困難を克服し、
もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

●日本青年諸君に告げる

我が日本は神国である。
この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、
どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、
現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、
正義公道は始終一貫して
我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、
彼らの英魂毅魄〔美しく強い魂魄〕は、
必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。
諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、
日本三千年来の国史の導きに従い、
また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、
もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、
おかしな理屈や邪説におもねり、
雷同する者どもが少なからず発生するであろう。
しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。
忠君愛国の日本精神。
これだけである。


いわゆる東京裁判において戦犯とされて処刑されたのは陸軍ばかりでした。理由はよくわかりません。不思議な話です。

2011年1月22日土曜日

いわゆる「百人斬り」報道と「百人斬り」訴訟

NPOネイビークラブ様より情報を提供していただきました。



1「百人斬り」報道
昭和12(1937)8月勃発した第二次上海事変が拡大、1213日南京が陥落する前の約1か月間、戦勝に沸く日本国内での戦意高揚記事として、東京日々新聞(毎日新聞)の浅海一男従軍記者らによって新聞掲載されたのが、いわゆる「百人斬り」報道である。それは、南京への進軍間に、第16師団(京都)隷下の歩兵第9連隊第3大隊に所属する大隊長副官の野田毅少尉(終戦時少佐)と歩兵砲小隊長向井敏明少尉(終戦時少佐)が「人(敵兵とは明記されていない)斬り競争」を行い、百人以上を斬殺したという記事であった。国内では、単なる戦闘行為としての人斬りであると受けとられ、陸戦法規違反の嫌疑を受けることもなく、両将校は故郷の英雄となった。この報道を蒋介石側から見れば、日本の蛮行を世界へ伝える格好の材料となり、英字紙によって「殺人ゲーム」として喧伝された。
2「百人斬り」の信憑性論争
 大東亜戦争終戦までパイロット(歩兵から航空へ職種転換)および砲兵指揮官として戦い続けた野田、向井両将校は、戦後BC級戦犯として逮捕され、東京法廷では不起訴となったものの南京法廷へ召喚、南京虐殺の一つとして有罪となり昭和23128日銃殺刑に処された。
 それから20数年経過した昭和46年、朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という連載の中で「百人斬り」競争を取り上げ、さらに単行本として発刊、事実の信憑性を巡って論争が再燃した。本多批判の先鞭をきったのはノンフィクション作家鈴木明氏で、彼は綿密な現地取材や多数の生存者証言を基礎にして、「百人斬り」がまったくの捏造報道であったことを克明に証明した。それを受けて山本七平氏は自身の戦場体験を踏まえ、日本軍の組織、規則、習慣や軍刀の機能・性能面の分析などからみた「百人斬り」の非現実性を冷静かつ徹底的に究明した「私の中の日本軍」という大著を出版した。虚報記事を書いた浅海氏、それを報道した毎日新聞、本多氏と朝日新聞は、鈴木氏や山本氏に反論することはできなかったが、虚報であったことの表明もなく、謝罪もなく、その後も「中国の旅」が国民に読まれ(昭和59年、平成9年の二度、高校生読書感想文課題図書に、昭和61年に中学生同図書に推薦された)、北京の南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)には目玉的展示物として並べられている。
 なお、毎日新聞社が発行した昭和史年鑑では、「百人斬りは事実無根」と記されている。
3 「百人斬り」訴訟
 平成15428日、野田毅少尉の妹野田マサ氏と向井敏明少尉の娘エミコ・クーパー氏、向井千恵子氏が原告となり、「中国の旅」を書いた本多勝一、それを発行した朝日新聞、虚報記事を報道した毎日新聞、「南京大虐殺否定論13のウソ」を出版した柏書房の4者を相手取り、「二人の将校とその遺族の名誉が毀損され、遺族のプライバシーと故人に対する敬愛追慕の情が侵害された」と訴えた。
 平成17823日、東京地裁は、毎日新聞の報道を「虚構であることが明らかになったとまでは認めることはできない」とし、本多勝一の「中国の旅」などの記述についても「一見して明白に虚構であるとまでは認めるに足りない」と判決、原告の訴えを退けた。平成18524日、控訴審においては十分な審議がなされないまま原告の訴えは棄却され、同年1222日、最高裁への上告も棄却され結審した。
4 研究所見
(1) 「百人斬り」の虚報性
 鈴木明氏及び山本七平氏の詳細・緻密な検討・分析を待つまでもなく、昭和12年当時、歩兵砲小隊長であった向井少尉と大隊副官であった野田少尉が作戦実施間(有事)に、自らの本来の職務を離れ、突撃する歩兵小隊指揮官のごとく敵陣に飛び込み、ましてや軍刀で人を斬ることは、絶対にあり得ないことである。あったとすれば軍法会議が正常に機能していたこの当時、この二人の将校は軍律違反により処断されていたはずである。砲兵部隊指揮官は一時も砲の側を離れることは許されず、離れればそれは敵前逃亡罪を意味する。副官は大隊長の幕僚として最も多忙な職務の一つであることは自衛隊の副官業務からも推察され、大隊長の命令なくして他用を果たすことは100%あり得ない。しかし、報道では向井少尉が歩兵砲小隊長であること、野田少尉が副官であることが伏せられ、読み手が勝手に歩兵小隊長と解釈できるように記事が書かれていた。新聞を読んだ国民は、戦闘中に中国兵を日本刀で斬ったものだと受け取り、まるで時代劇を見るかのような感覚で拍手喝采したのであろう。
(2) 軍隊とマスコミのモラル低下の前兆
 平時編制から戦時編制へ移行しつつあった時期とはいえ、昭和12年は国家総動員法施行の前であり、召集兵の多くは訓練召集を経験した青年兵によって構成されていたはずだ。しかし、前年には2.26事件が起きているように国家的なレベルでは既に軍隊の健全さが失われつつあったのかもしれない。このような荒唐無稽な記事が大新聞によって書かれ、それを政府も軍も放置したことにその兆候が表れている。日清戦争以来、戦争法規の遵守に厳格であり、それゆえ勝ち取った世界的信用を台無しにするおそれのある報道記事であり、軍指導部は夢にも看過してはならない事件であった。新聞も、国民感情を煽り、軍の御用新聞的存在となって、日本国民を戦争へと駆り立てていくことに抵抗感をなくしていくその後の報道姿勢を彷彿とさせる。近代戦において刀剣をもって戦うことのおかしさをわからない新聞者の編集長はいなかったはずであり、新聞社そのものが徹底して事実を追い、真実を伝えるというマスコミ魂を失っていたように思えてならない。
 尖閣事件のマスコミ報道にもその兆候が垣間見える。ビデオ映像がネット流出したとき、多くのマスコミがその犯人探しの報道に明け暮れた。わが国の国益を損なう恐れのある特段の秘密情報でない限り、マスコミは真実が世間に伝えられることを歓迎するはずだ。現政権がビデオの公開をしないと表明したとき、マスコミ界は一斉にその政府の姿勢を攻撃、弾劾すべきであったにもかかわらず、なんと政府の意向に迎合する報道がほとんどであった。
(3) 南京大虐殺の象徴的事件としての「百人斬り」
 戦後、南京法廷の石裁判長は、「百人斬り事件は南京虐殺事件の代表的なもので、この事件で処罰されたのは谷中将(6師団長)と「300人斬り」の田中軍吉元大尉そして野田、向井両少尉しかいない。南京事件は大きな事件であり、彼らを処罰することによって南京事件を皆にわからせる狙いがあった」と鈴木明氏に語っている。大虐殺でありながら、僅か4人の死刑者しか出ていないこと自体不思議な事実である。その不自然さを払拭するためにも「百人斬り」は南京大虐殺の象徴として必要不可欠の事件であり、中国によって政治的に利用されたものである。逆にいえば、「百人斬り」がなかったと断定できる現在、南京大虐殺もなかったと考えるのが自然である。鈴木明氏は、南京事件の実態についても当時の関係者たちの証言を通して控え目にあるいは暗に否定しつつ「真相はわからない」と結論している。鈴木明氏の歴史の真実を追い続ける人間としての誠実な探求姿勢に感銘する。
(4) 中国におもねる司法界
 東京日々新聞の浅海一男記者の「百人斬り」報道がまったくの創作記事であったこと、また本多勝一の「中国の旅」が何の証拠調べをしないまま中国の一方的な言い分を書いたに過ぎない低質・愚劣な内容であることは明々白々であるにもかかわらず、野田、向井両遺族らの訴えに耳を傾けなかった日本の司法の在り方に疑問を感じる。訴えを認め、「百人斬り」がなかったと日本の裁判所が判決を下せば、中国の機嫌を損じて日中友好に亀裂が入るとでも考えたのであろうか。これもまた中国の顔色を伺って船長を釈放、さらには中国漁船の犯罪行為を鮮明に示すビデオ映像の公開及び世界への発信を躊躇した現日本政府と同じ思考パターンである。内閣、検察、裁判所がこぞって中国の顔色を伺う日本の現状は余りにも姑息かつ異常である。
*参考文献 ① 「私の中の日本軍」         山本七平        文春文庫
      ② 「南京大虐殺のまぼろし」      鈴木明         WAC BUNKO
      ③ 「南京事件『証拠写真』を検証する」 東中野修道ほか2名   草思社   
④ 「南京事件の総括」         田中正明        小学館文庫   その他インターネット資料

NPO法人日本ネイビークラブのホームページはこちらです。
http://japannavyclub.org/

2011年1月11日火曜日

映画『凛として愛』に想うこと

映画『凛として愛』をご覧になった方(東京都在住の70代男性)から寄せられたレポートをご紹介します。

『凛として愛』に想うこと

東京裁判史観の否定、是正が日本建て直しの基礎であることを明示した佳作である。
明治以降の近現代史が実に正確、簡潔に纏め上げられている。
何とかして一人でも多くの小・中・高の生徒、大学生に見せたいとの衝動に駆られる。

画面・ナレーション・項目

愚見(と謙遜して書かれています)

大東亜戦争、支那事変

太平洋戦争、アジア太平洋戦争、日中戦争の呼称を排除し正名使用に対し敬意を表す

「日本はやぶれたまま」

東京裁判史観からの脱却の必要性を強調する適切な言葉遣い

名越氏の解説

日本が果たした近代史上の使命を簡明に良く説明されている

老夫婦が日本が闘った戦の実態を語る

当時の真の状況を明確に語っている

日露戦争当時の日本の人口7000万人

当時は「同胞4000万」と称されていた。7000万人は大東亜戦争時の大和民族の数で、朝鮮、台湾、南樺太を合わせて1億人と称していた

日露戦争の意義の説明

正鵠を得た解説で、アジア人の発言を取り入れて更に説得効果を高めている

忠魂碑等への敬礼の呼びかけ

(涙が溢れ出た)

名越氏の日韓併合の解説

今の日本が当時の韓国に酷似している指摘に深い同意と重い憂慮を感じた

満州、支那の状況説明

日本人に対するインチフィーダの状況がよく説明されている。此れこそが満州・支那事変の大基であることを日本人に周知徹底させる必要がある

リットン調査団の報告内容

正当な引用であり、日本の立場が良く理解できる

通洲事件

本件こそが支那事変の真の引き金であることを何としても日本人に知らしめたい

支那事変の実相解説

正鵠を得ている。日本人に遍く知らしめたい

大東亜戦争の原因の解説

米国の意図・行動・蒋援行動など明確な論述がなされている

日本人の心情説明

大東亜戦争勃発時の心情が良く解る。自存自衛の戦いであったことが理解できる。永野修身氏の言葉が重く心に響く(今はこの言葉に見合う日本ではない事を嘆ずる)

当時の人々から今の世代への呼びかけ

日本のあるべき姿の本質を衝いている。

東京裁判の本質とそれへの日本人の迎合

この裁判に基づく史観から脱却していない事が今の日本の混迷を招いている基と強く認識される

裁判での東条英機氏の言動

日本人は冷静に氏を再評価すべき時が来ていることを認識したい

BC級戦犯の実態

我々はこれらの真事をモットモット知るべきである

大東亜戦争の意義

アジア人の言葉で大東亜の新秩序が成立した事が述べられ感銘を呼ぶ

日本軍の奮戦

(又々涙)

昭和天皇のアッツ島への打電命令

(又々々涙)昭和天皇のご偉業の一つに加えられるべき佳話

生き残り特攻隊員の言葉

(又々々々涙)この方々の烈々たる真意を後世に伝える責任を我々が背負っている

沖縄戦の本質

飛び石作戦に名を借りてあの時期に不必要な出血を強いた沖縄戦の本当の意味を日本人は知るべき。米国は戦後の東アジア制圧のための基地獲得こそが真意だった

「日本の勇戦敢闘こそが国を守った」

この真実を日本人に周知させる必要がある

軍歌祭りの情景

懸命に歌唱する姿のこの世代後の日本はどうなるのか。正当な歴史の伝承は我々の責任と心得る。そのためにもこの映画は貴重である。

『凛として愛』はこちら http://jiritsusaisei.blogspot.com/2010/12/blog-post_04.html からご覧になれます。

2010年12月22日水曜日

【寄稿・読書録】さらば 在日日本人

日本国憲法とは何か、どのようにできたかについての読書録です。
寄稿いただきありがとうございました。


Ⅰ.国家理念なき憲法ー国家の正当性の欠落

現在では日本国憲法はGHQの押し付け憲法であることは公然の秘密だが、世界最大の軍事大国が戦争放棄の憲法を人類の理想であるからと押し付けるのは冗談にもほどがある。それをするなら自らが放棄してからにせよと言ってみても仕方がないが。
現行憲法の制定過程については多少の紆余曲折はあったが基本的にはs21年2月13日に手交された次の三原則(マッカーサー三原則)に基づいて作成された。
  1. 天皇は国家の首部にある。皇位の継承は世襲である。天皇の義務および機能は、憲法にもとづき行使され、憲法の定める人民の基本意思に対応する。

  2. 国家の主権的権利としての戦争を破棄する。日本は国家の紛争解決のための手段としての戦争および自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念にゆだねる。

  3. 日本の封建制度は廃止される。皇室を除き華族の権利は現存する者一代以上に及ばない。華族の授与は爾後どのような国民的または市民的な政治権力を含むものではない。

いわゆるこのマッカーサー憲法草案が日本政府代表に手渡され それを最大限考慮して改正憲法草案を作成するよう勧告がなされた。ほかのことは独立後変更できるが皇室は一度消滅させられたらとりかえすことができないため、すべてを犠牲にしても皇室の存続をはかるというのが当時の日本政府の方針であった。このような経緯でGHQは日本を弱体化する目的で立法したのが、現行憲法であるが、立法といっても正規の手続きを踏んでいない。そもそもが占領占領下での法改正は国際法違反である。外国憲法には占領下の憲法改正を明文をもって禁止している。

また形式的には明治憲法第73条による改正ということにされたが、GHQが一週間位でつくった英文憲法を日本政府案として提出し、それを審議してあたかも日本の国会が憲法制定したような形を整えたにすぎない。そこで当時の帝国議会(貴族院)は時間切れで審議未了でながしてしまう計画であったが、それも時間切れの5分前で時計は全部止められ強行採決されてしまったのである。衆議院にしてもS21年の4月の総選挙が行われてできたのだが直前に公職追放が行われ、当時の進歩党などは既成議員が90%以上も追放されて候補者がいなくなっていた。さらに当時国民には言論の自由があたえられず、新聞社は厳重な検閲下に置かれており、その検閲のもっとも重要な対象が「SCAPが憲法を起草したことにたいする批判」であった。このような顛末でできあがった憲法がまともであるはずがない。従属国フィリピンの憲法にお湯をかけてたった1週間でできたインスタントラーメンのような憲法なのである。国家は独立国として当然あるべき主権を放棄し逆に国民にはあるはずのない主権を与え国民を「無限の権力」として主権の保有者とする。つまり、国際社会においては殴られても殴り返しませんと表明し、正当な権利を主張せず、国家にたいしては不当な権利を要求して国内騒乱を扇動示唆しているのである。
憲法前文ではそれらが人類普遍の原理だと喝破するのだから恐れいる。現行憲法が我が国を骨抜きするための「占領憲法」である所以だ。憲法はあらゆる国家の基本権(主権、独立、平等、自衛、宣戦布告、交戦、名誉権など)を前提とするが故に成立するわけだが、これはもう実質的には憲法ではなく「独立放棄宣言」かあるいは「国家否定宣言」の類であって条約的性質のものである。そもそも憲法の議論になると第9条が中心になるきらいがあるがこの第9条はそもそも前文に由来する。重要なのは個々の条文よりもむしろ全体を貫く思想であって問題の本質は現行憲法の理念である前文が最大の論点といえる。東京裁判史観によって成り立つ憲法前文の論理は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という悪い日本政府が間違った戦争を起こしたことを反省するという見解に立脚していて、日本は侵略国であり、国家権力は悪であるということをまず前提としているのだ。そして「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」のはいいとしても、「平和を愛する国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という東京裁判史観に輪をかけたようなウソが書いてある。この世界に公正と信義に信頼できる諸国がどこに存在するのか。国際法のなかでも基本中の基本である「内政不干渉の原則」すら守れない国(中共憲法の前文には相互内政不干渉が書かれている)が近隣にあるのに。このように憲法前文には国家観念を喪失せしめる、もしくは反国家、反権力を賛美する思想が込められているのである。
この思想汚染によって「負けるから軍備をもってもしようがない」という敗北主義がこの国を支配するに至ったのである。
また日本民族の精神生活を縛るために米国から押し付けられた憲法なのだから当然であるが、歴史や伝統を継承していないという意味で常識が欠落した「非常識憲法」ともいえる。
そもそも憲法とはコンスティチューションのことで英国ではじまった考え方だが、この意味するところは、体格、体質、であって、それは国柄である。それをどれだけ憲法に盛り込めるかが大事なのであって憲法には、その国が歴史の中で培ってきた伝統に基づく国柄が)述べられたものでなくてはならない。

Ⅱ.現行憲法の三大悪  平和主義、国民主権、基本的人権

一つ目、最大の害悪は他人まかせの平和主義観念である。「平和を愛する諸国民、、、」は憲法9条と関連したもので、自らの安全も生存も他国に依存しようとする平和主義の「戦争放棄」の根拠はここにある。自らの生存さえも守ろうとしないと決意するとは、まさに奴隷宣言である。欧米では平和主義といえば、その多くが無責任で無関心な者という否定的な意味でつかわれる。

二つ目は憲法前文には「主権が国民に存する」ことが人類普遍の原理だと謳っているが、「国民主権」は人治主義であって「戦後民主主義教」もこの「国民主権」に由来し、法治主義である文明に逆行する。それはハイエクがいっているように「主権」がどこにあるかと問われればどこにもないというのがその答えである。

現在の国際社会を構成している国民国家は、すべて憲法に基づく立憲体制をとっているのであって、「主権」が無制限の権利と定義されるなら、そこの主権の入り込む余地はありえないのだ。ルソーにより「国民主権」が編み出された。誰が絶対的で無制限の権力を握るのかという対立でしかなく、対内的な主権概念は前近代の概念である。本来、主権は最高性、独立性を意味するもので、法によって制限を受けたり権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約をうける統治権とは異なり、近代では不要で不適合なものであって、主権は絶対主義のイデオロギーなのである。したがって「主権」の用語は国際法上の「国家主権」という意味のみに使用するのが現実的である。

そして三つ目の「人権」についてはアナクロニズムだということである。こんな時代錯誤のスローガンを並べるのが現行憲法である。
人権等がある程度有効であったのは、奴隷制度や人身売買などによって著しく人の自由が束縛されている場合であって、我が国には全く無用であるし現在は国際社会で外交に悪用されているだけで全く益はない。人間ならばだれだって持っている権利が人権なのだというような人間であることですでに何らかの権利を保持しているという前提で成り立っている。これは一神教的な考えに由来するもので、欧米流の一元的な世界観から成り立っている。人間を他の動物より上位に置く独善的で思いあがった思想はわが日本人には理解しがたい観念というしかない。


それに現行憲法では様々な権利が明記されているがいずれにせよ人民の自決権が認められず、国家が奴隷のように外国に従属するような状況の下では権利もクソもない。たとえ人権なるものがありうるとしても、人権そのものの享有が不可能となる。25条で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」などと、謳っているが、個人が化的な生活を営めるのは、その個人を支える共同体の歴史や伝統が守られているからである。国家の独立が許されず、国家の自由が縛られたままで個人の自由などあるはずがなく、個人の文化的生活を保障するのは、国家の歴史や伝統が護持されているが故であって、それが否定された状況で個人の文化的生活が営める訳がない。

「さらば 在日日本人」山下 正仁著 展転社





2010年12月4日土曜日

「凛として愛」

この映画は妨害に遭って公開が阻まれた映画だという話を聞いたことがあります。
歴史を振り返る資料としては観ておくといい映画だと思います。


2010年11月29日月曜日

東条英機の遺言

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。


日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。

『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)

東条英機の辞世の句

「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」