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2011年5月26日木曜日

食に関する外国からの攻勢

パプリックコメントの募集がありました。
案件はこれです。

遺伝子組換えセイヨウナタネ、トウモロコシ及びワタの第一種使用等に関する承認に先立っての意見・情報の募集について

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=550001373&Mode=0

日本の食卓に並ぶ味噌や醤油などの原料である大豆なども、遺伝子組み換え品が入ってくることが危惧されましたね。
豆腐や納豆を買うと、遺伝子組み換え品じゃない、国産大豆だ、と明示している場合があります。

地震災害や原発事故被害などの影に隠れるように、このような要請がなされることは少なくありません。

東北で多くの農産物が出荷停止に追いやられ、出荷されても買い控えが予想されます。
農業の疲弊が心配です。

ただでさえ、食料自給ができていない日本です。農作物の輸入にとどまらず、今後、種さえもが外来のものが持ち込まれ、しかも、その種も人為的に操作されたものになる。
なんとも恐ろしい話ではないですか。

命を種から握られてしまうなんていうことになったら、自立して生きていくこともままなりません。

政府が信用できない人、行政が当てにならないと思う人。
将来の食のことを真剣に考えてみませんか?

このブログでは、これまでにも何度か食に関わるテーマの投稿がされています。
それらも併せて読んでいただきたいと思います。

ちなみに日本の暦の中の人たちは、みんな家庭菜園を始めています。
始めてみると、もっと畑が欲しいとか、将来転職したら、家を建てたら、もっと菜園がやりやすい場所に住みたいとか、いろいろと考えるようになります。
家庭菜園とバカにするなかれ!です。
小さくてもいいから、家庭菜園を始めてみてはどうでしょうか?

2011年4月25日月曜日

あきんど魂で日本の復興を支える

東北は世界一!肥沃な皇土として必ず復活する! 
津波による被害で農地が使い物にならないとの声があるのは承知しております。
ですが、戦後の慣行農法による除草剤や農薬、そして化学肥料によって地力が低下しつつあった日本全土の土壌に、海のミネラルが加わったのです。
であれば、あとは塩を土からぬくだけですね。こうした知恵を駆使した技術の実現は、日本人が最も得意とするところです。塩さえ土地から抜けてしまえば、東北の土地は過不足のない完璧かつ肥沃な産土として復活し、世界で初めて「医食同源」が東北の土地において実現することになるでしょう。
そして、この実践ノウハウを日本中、世界中に伝えて、本当の世界平和(まほらまと“自立再生社会”)を実現するためのリーダーシップは、私達商人が率先垂範して行うのです。
 このたびの震災で、皆が切実に知ったであろう自給自足という観点の重要性。国防の要とは食糧とエネルギーです。
この「食糧」については、家庭で家族単位で国防の実践が可能です。家庭菜園を始める家庭が増えることで、国の自給率の底を確実に上げることに繋がります。
 日本人の主食である米についても、家庭単位で「備蓄」をすることによる「安心」を伝え、楽しく実践を促すことも商人の役目です。
備蓄米についても、白米より健康維持と増進に繋がる玄米を、そして非常時用に家庭や町内単位での「籾米」の備蓄を推進する。
この自立再生社会実現へと向かう自給率向上に付随する、技術革新、例えば家庭用の小型備蓄庫や小型ソーラー精米器等、各種関連製品の開発や販売、これから製品の使用による二次的産物の製品化と販売を商人がしっかりと担うことによる国内の内需は確実に拡大します。
これが単位制共同社会という極小化へ向かうことによってのみ、経済は無限大に拡大するようになるのです。

日本一元気が出る月刊誌「みんなのうけひのもり」4月号
「うけひ流 商人道 第11回 あきんど魂で日本の復興を支える」より一部抜粋


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2011年4月1日金曜日

日米安保条約と原子力米艦艇の日本寄港

今日も『占領憲法下の日本』(谷口雅春著)からです。
書かれたのが昭和44年ですので、若干情勢には変化があるかもしれません。

日米安保条約と原子力米艦艇の日本寄港


 日本の港にアメリカの原子力空母や原子力潜水艦が入港するごとに社会党は反対デモをするのである(佐世保では公明党も参加した)が、アメリカは日米安保条約によって日本を防衛するためには、その原子力空母や原子力潜水艦が日本の近海を巡視し、日本にときどき帰航する必要があるのである。現行の日本国憲法が日本自身が戦力をもたず、交戦権をもたないと規定し、その前文に「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して、日本の安全と生存とを保持しようと決意した」とある以上、日本自身が日本を守らず、日米安保条約によって、信義あるアメリカが巨大な国費を投じて東洋の平和のために、日本の防衛のために巡回してくれるのは、決して違憲ではなく、この憲法の前文に調和するものであり、拒絶する理由は一つもないのである。
 ジャパンタイムズ論勢顧問として有名ある外交評論家の斉藤忠氏は次の如くいっている。
「日本人ぐらい国際的にお人よしというか、のんきな国民はないと思うんです。たとえば日本列島のすぐ鼻の先のわずか数百キロしか離れていない向こうの大陸の沿岸に、十八隻のソ連の原子力潜水艦が来ているということを日本の国民はどのくらい知っているだろうか。百数十隻の潜水艦が集まっているというのですね。そのうちの二十隻近くは原子力潜水艦・・・第二次大戦後の二十年間にソ連はどれほどのことをやって来たか・・・駆逐艦の建造数二百隻です。それから巡洋艦の建造数二十七隻、潜水艦に至っては戦後建造したものが四百隻です。四百隻のうちの五十隻は原子力潜水艦です・・・」(「国民の声」四十三年一月五日号)
 私の考えでは、その半分は日本海、太平洋及び印度洋方面に配置されている。もっともその速力が速いので、どこへでも自由に出没できるので、必要に応じてもっと多くの艦艇を日本の周辺に配置することができる。それをイザという時にいかにして防衛するかというと、日本の現在の自衛艦では防衛のしようがないのである。やはりアメリカの速力の速い艦艇によって防衛してもらうより仕方がないのである。
 斉藤忠氏は語をついで、こういわれている。
「日本のような自分の国に何一つ資源のない、食糧もできない、全部を海上の交通に依存して、船によってものを持ってくる国というものは、海上交通を打ち切られて、海上を封鎖されたら、それがもうその国の最後だ。しかもそれをするのに潜水艦は絶好の武器だ。一個師団の陸兵もいらない。今すぐに日本の目の前の海に百数十隻終結できる。しかもそのうちの十八隻は、ほとんど手のつけようもない原子力潜水艦だと言うこと。原子力潜水艦は非常な高速で走りますからね。一番速いのは、アメリカのものでだいたい水中で六十ノットです。これでは、海の上のどんな巡洋艦だって駆逐艦だって追いつけません。どうかすると千フィートくらいの深海を行動する。それではヘリコプターだって、航空機だって手の出しようがない。そういうのが日本のすぐ近くに終結している。それが日本の運命に対してどんな意味をもつかということに、日本人はあまりに無関心ではないかと思うんです」
 斉藤忠氏のこの談話をきいたら、日本の国防について、日本が重大な危機に晒されている、原潜を駆逐するにはやはり原子力潜水艦や原子力空母がいるということが分かるのである。しかしそれを説いてたら、憲法違反だといって大臣が辞職させられるような憲法、そんな憲法をそのままにしておいてよいはずはないのである。

『占領憲法下の日本』谷口雅春著(日本教文社 昭和44年9月25日12版)

あまり詳しくないのですが、聞いた話によれば日本のステルス技術は世界でもトップレベルのものだそうです。
潜水艦にとっては、見つかりにくいというのがその性能を語る上で重要とか。
海中で60ノットで走る潜水艦。
これを時速に直すと110キロにもなります。
高速道路を使って車で移動するよりも速いですね。
速くてみつからない潜水艦。
恐ろしい存在です。

日本の技術をもってすれば、とても高性能なものができそうなものですが、現憲法体制ではなかなか難しいでしょう。
現憲法体制は、戦後体制であり、国連体制でもあって、占領体制の延長と言えます。
その体制の上で、国会が作られ国会議員が選ばれ、司法や行政が組織され、国際関係が構築されているのが現実ではないでしょうか。
これは体制の問題ですから、憲法九条を改正するといった小手先の対応では解決できません。

もともと法的に無効な日本国憲法ですから、日本国憲法は憲法ではありません。私たちは、日本国憲法の無効を確認するだけでよく、正統な認識に戻った上で、現実に沿った修正を加えて、この憲法体制から抜け出すことを優先すべきです。独立国として主体的に国防を考えるべきなのです。
少なくとも憲法というものは、その国が単独で決められるものですから、他国から注文を付けられる筋合いはないはずです。

日本が自立していないと思うのは、軍事だけではありませんね。
食料もエネルギーも海外の資源に依存しています。
軍事的に非独立であり、経済的に非独立であり、政治的にも、占領体制の延長にあるため、非独立です。
「独立か」「依存か」という観点で将来のことを議論するのが、私たちにとって有益ではありませんか?

2011年2月10日木曜日

「食」を粗末にしてはいけない・・・

国の守り、安心できる未来。
そんなことを考えるときに無視できないのが「食」の問題です。

日本は年間、6000万トンの食料を輸入しており、そのうち、半分の3000万トンが生ゴミとして破棄されています。このうち約1000万トンが、家庭からの生ゴミ、その家庭からの生ゴミのうち、約40%(400万トン)が「食べ残し」。
世界では、3秒に1人の子供が「飢え」で死んでいるそうですから、これを書いている間に、何人もの子供がおなかをすかせて死んでいく。

1年間に日本が「捨てる食料3000万トン」という数字は、1人一日1800カロリーで生活している発展途上国の人で計算すると、約4500万人の年間食料です。
ちなみに、日本人は一日平均2000~2200カロリーを消費しているとのこと。
単純に考えても、明日、食糧輸入がすべてストップした場合9000万人が飢える、ということになります。
これは国民ほぼ全員です。
さらに途上国への年間食糧支援量が、約1000万トン。
日本は、3000万トンの食糧を「捨てている」。
そしてこの無駄に捨てられた生ゴミ処理に約3兆円が費やされているという。

今、世界は人口増加という問題を抱えています。
食糧や水を調達できない地域がたくさんあります。
たまたま日本という豊かな国に生まれた私たちは、そのことをあまり気にしていませんし実感がありません。
食べ物も水もお金を出せば簡単に手に入ると思っています。

食糧や水を確保するために、軍事力を使って領土を拡大しようとする国もありますし、過去の戦争の中にも食糧やエネルギーを求め膨張政策をとって戦争を始めた例があります。
食糧やエネルギーを独占しようとするグループの存在もあります。
自由貿易やグローバリゼーションという流れの中で、目の前の畑でとれた食糧を他の国の商人が買っていき、残った食糧だけでは自国の飢餓を救えないということもあります。

食べ物を粗末にしない、できれば食べ物を自分で作ってみる。
安心できる未来を残すために個人ができる取り組みかもしれません。
今後、食糧やエネルギーを自給する生活スタイルや技術開発などへの関心は高まるかもしれませんし、もっと高まっていってもいいと思います。

2011年1月26日水曜日

「安全が保証されないから救援機を飛ばさなかった国」と「安全が保証されないから救援機を飛ばした国」

NPOネイビークラブ様より寄稿して頂きました。


最近読んだ 「トルコ 世界一の親日國」(森永堯著、明成社刊)に、日本は「安全が保証されないから救援機を飛ばさなかった国」であり、一方トルコは「安全が保証されなかったから救援機を飛ばした国」であると記述されています。
34年間航空自衛隊に奉職し、我が国防衛の現場において「国を守る」とはどう言う事か ? を追求し続けて来た身としては考えさせられる事ですので、この事を以下に説明させて戴きたく思います。この本はイラン・イラク戦争の時の事を綴った本です。

1 イラン・イラク戦争での在留邦人の脱出
既に御存知の方も多いとは思いますが、事の次第の概略を簡単に紹介します。
時は1985(昭和60)317日、イラン・イラク戦争の真っ最中にイラク大統領のサダム・フセインは「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機に対して無差別攻撃爆撃を加える」と宣言しました。当時イランには200人を越す在留邦人が居ました。諸外国の現地在留民はそれぞれ自国の航空会社の便により急遽脱出をしましたが、当時日本の航空会社はイランに乗り入れていませんでしたので、在留邦人達はドイツやフランスの航空会社の搭乗券を手に入れようとしましたが、外国の航空会社はそれぞれの自国民の搭乗を優先するとの当然の理由により航空便搭乗券は入手できませんでした。 当然、我が国政府はこれら人達を救出するべきでしたが、我が国の法律では「安全が保証されない地域には航空機を運行できない」との事で救援機は飛ばしませんでした。 慌てた在留邦人達は急遽陸路の脱出を図る等の準備を始めたりで不安が一挙に募りました。この時に伊藤忠商事の現地代表であった森永堯氏は本社からの指示により当時のトルコのオザル首相に緊急の要望をしてイランの在留邦人の救出を依頼しました。 森永氏は以前からオザル氏と個人的親交が深く、また、オザル氏も日本を深く信頼している人でした。森永氏の依頼を受けたオザル首相は暫く熟考の後に「トルコは日本に恩義がある」との事で、この緊急状況を理解して森永氏の依頼を快諾し、トルコ航空の救援機を飛ばして呉れたために在留邦人がイラクによる無差別攻撃開始期限ギリギリの時間で無事にイランから脱出できました。

2 エルトゥールル号乗組員の救出
オザル大統領がイラン在留邦人のためにトルコ航空の救援機を飛ばして呉れたのは、オザル首相のみではなく、殆どのトルコ国民が日本に対して深い感謝の気持ちを持っているからです。 これには次のような事実があるからです。
1890(明治32)916日に当時のオスマン・トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県の串本沖で台風により沈没して500名以上が遭難してしまいしまいましたが、その時に串本の大島町の漁民達が深夜の荒れる海の中から懸命に69名の乗組員を救出し、決して豊かではない彼等が自分達の食べる物を減らしてこの人達に暖かい食べ物を与えて介抱すると共に、遭難した乗組員の遺体を丁重に埋葬しました。 そして、我が国は翌年の12月にこの69名の人達を軍艦「比叡」と「金剛」によりトルコ本国に送り届けました。 この事実はトルコの学校の教科書にも記載されており、トルコ国民は現在でも日本に深い恩義を感じていて大の親日家なのです。

3 国を守ると言う事
ここで2つの事を考えさせられます。1つは「国を守る」とはどう言う事か ? です。トルコは自国の航空機の安全より友好国の国民を救出する事を優先して呉れました。大変ありがたい事ですが、我が国の政府は緊急事態にある自国民を守る事よりも航空機の運行の安全を優先しました。 このような事で国民は国を信じる事ができるでしょうか ? 誠に残念な事です。 先ず自国民の生命を守るのが国家の基本的な責務です。 北朝鮮に拉致された我が同胞を未だに救出できず、拉致被害者の御家族の家族救出を訴える悲痛な叫びを聞く度に胸が張り裂ける思いです。 そして、最近の尖閣諸島の事態に刺激されて我が国民も漸く国土を守る努力の大切さを認識し始めたようですが、「国を守る」とは、先ず国民と領土を守る事であるとの基本的な認識を持つ必要があります。 同時に、特に現在の我が国において正しく認識すべき事は、自分の国は自分で守るのが基本である事です。 一部の我が国民は自国の防衛を同盟国たるアメリカに任せたように考えているようですが、とんでもない考え違いです。 自国の防衛は自国が全力を尽くして努力するものであり、同盟国はこの努力を見て我が国を信頼して必要に応じて支援又は協力して呉れるのです。 もう1つ考えさせられる事は、我が国の先人達の素晴らしい心と行動です。 自身の危険を冒しても他国の人を助ける努力をして外国からの信頼を得ている事です。 これは我々の素晴らしい財産です。 他人を思いやる心は日本の文化の根本ですので、大切に守らなればなりません。要するに国を守ると言う事は、自国民の安全を守り、自国領土の保全を守り、そして、我が国本来の文化を守ると言う事に尽きます。
アフリカの人達を黄熱病から救うために尽力し、最後は自身が黄熱病に罹って落命した野口英世、台湾のためにダム建設をしたり、農業用灌漑施設等を整備して台湾の人達のために献身的な努力をして今でも現地の人達から深く尊敬されている八田与一、「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人」(田中秀雄著 草思社)として、我が国による朝鮮統治時代に朝鮮の農業振興に全力を尽くした重松髜修(まさなお)等の自国のみならず諸外国の人達のために献身的に努力をされた我々の先人が沢山居られます。
要するに国を守るとはどう言う事か、そのためには何をするべきかを特に次の我が国を背負う若い世代の人達にしっかりと伝える事が大切である信じる次第です。


日本ネイビークラブ 理事長 大橋武郎(元空将補)



2010年11月24日水曜日

読書録 - 食の堕落と日本人

厳しいことがビシバシと書かれている小泉武夫さんの著書「食の堕落と日本人」 
第1章 日本食を食べない日本人は堕落するを読んで
食生活が乱れるとその人の体調が崩れるのと同じく、国民の食の周辺が乱れてくると、その国の社会も乱れてくる。
(中略)
そんな国になり下がった日本人だから、国の力もガタガタ低下。国民一体になって日の丸弁当と握り飯でがんばって、高度経済成長を実現し、世界一の富める国を築いたまではよかったが、皆が浮かれて民族としての生きる知恵や基本を忘れてしまったとたんから、食い物は外国からカネで買えば楽だわ、魚だって捕るの面倒臭いから外から買うのがちょうどいいわ、ということになって、食べ物は作らないわ、加工もしないわという堕落心がはびこってきたのである。

食事療法や健康維持の観点からご先祖様の昔ながらの知恵や習慣に沿った食事が理にかなっているのですよ、という切り口の本はたくさんありますが食文化の放棄・堕落が、民族性の放棄や食料自給率の問題、国防的観点にまで言及されているものは少ないのではないかと思います。
「金があるんだから買ってくればいいじゃないか」という発想が堕落の原点だと筆者は訴えています。まさに民族の存亡に関わる重大な現象であると。

お腹がすいたら食べ物を口に入れてお腹を満たす。
食べるとは、ただそれだけの行為ではありません。何となく、やれ暇だ退屈だと、あるいは何かほかの欲求を満たす代わりに食べ物を口へ入れるということがあります。そこには個々ののライフスタイルや様々な事情があり、それにとやかく口出しをするのは余計なお世話とでも言われてしまいそうな昨今ですが。でもあえて厳しい言い方をすれば、これはやはり堕落なのだと。

食べ物に感謝するのは大切なことです。まずは頂いた命に感謝。こうして食べられることに感謝。作ってくれた人や調理してくれた人にも感謝。そしてその次に、もっと大切なことがあります。
それは、その食べ物を無駄にしないように目的を持って、家族や周りの人の為、世の中の為になるような行いを心がけて生きるということです。頂いた命を無駄にしない、自分はそれらに生かされているということはそういうことなのだと。感謝する気持ちはあってもなかなか、ここまでの発想は出来ていない。自覚することとは自らをわきまえること、即ち気持ちを行動にまで向かわせることなんですね。
「食べ物で得たエネルギーは無駄にせずに何かを生産する為に使ってほしい」小学校の授業で筆者は子供たちにそう伝えたそうです。そういうエネルギーを作るために私たちはご飯を食べるんだと。

食べる事の意味を考えながら、日本食の素晴らしさについてもっと知りたいと思いました。