2011年2月20日日曜日

日米安保を検証する

先日、参加させていただいた「練馬 子供の未来を考える会」で発表されたレポートです。とても素晴らしい内容でしたので、許可を得て掲載させていただきました。


日米安保を検証する



「無知の知」を思うことは、何かを学んだり、何かを追求いたりする時の基本的な姿勢だと思う。全てを知ることは難しいが、少しでも知ろうとすることが、国民としてわが国の存続のために必要なのではないかと考えるようになった。というのは、近頃は「知らなくていいもの」を作り、それをひた隠す、マスコミ報道をみるにつけ痛切に感じる次第である。
尖閣諸島沖での中国漁船の海保巡視船への衝突事件を契機に、領土保全問題がにわかに国内での議論が起きているが、先般の米国クリントン国防長官の「尖閣諸島は日米安保条約の対象」との発言を契機に、マスコミを含め国民の大多数は安堵の思いを抱いたかのような状況が生まれている。しかし、日米同盟を支えるといわれる安保条約で果たした日本領土の保全は守られているのだろうか。私は大いに疑問を抱かざるを得ない。理由を以下に述べる。

1.尖閣諸島は日米安保条約の対象だの真の意味

(1)モンデール元米国駐日大使の発言問題

① 1996年、時の駐日大使モンデールは「米国軍は、安保条約で(尖閣諸島をめぐる)紛争に介入を義務づけられているものではない」と発言した。
当時、米国は必死にモンデール大使の発言を打ち消した。「東シナ海論争は、1996年11月26日付けロイター通信を利用しつつ、①尖閣諸島は日本の管轄地であり、安全保障条約の対象である。②しかし領有権については日中いずれ側にもつかないと述べたと記述している。
米国は「日中いずれにも与しない」と公式に立場を表明した。日本政府がこの米国の対応に異論を唱えた形跡はない。むしろ即、この米国の立場を支持している。日本外務省のホームページは1996年11月5日付けの次のような報道官談話を掲載している。

「問−先週、尖閣問題の領有問題に関して、米国政府が日本政府に公式に通報し、米国はいずれの国の立場も支持しないと報道された。これに対して詳しく見解を述べていただけますか」
「答え−米国は、従来より尖閣諸島については自己の立場を表明してきている。米国国務省バーンズ報道官は、過去においてもタケシタ島(原文のママ)の主権について、いかなる立場もとらないと述べている。我々は米国の立場を承知し、理解している」

米国は、その後も一貫して「尖閣諸島の領有権では日中のいずれかの立場も支持しない」立場をとっている。2004年3月24日、エアリ国務省副報道官は次の立場を表明した。

・1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の管轄権の下にある。1960年安保条約第五条は日本の管轄地に適用されると述べている。したがって第五条は尖閣諸島に適用される。
・尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場をとらない。

② この発言は重要な意味を持っている。
同盟関係では、通常、まず外交で支援する。最後に武力で支援する。米国は「尖閣諸島は日本のものである」という日本の立場を支持していない。外交で支持しないものをどうして武力で支持するのか。米国が日本領土と認めていない土地を守るために、米国軍人が命をかける、こんなことを米国社会が認めるだろうか。
副報道官は「1960年安保条約第五条が適用される」と行っている。しかし「自動的に米軍が関与する」とは言っていない。この両者にいかなる違いがあるか。
安保条約第五条は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」と言っている。米国では、戦争宣言を行う権利は議会にある。行政府ではない。議会は行政府から独立して決定する。1952年の安保条約について、当時の責任者ダレスは「フォーリン・アフェアーズ」誌(1952年1月号)で「日本の安全と独立を保障するいかなる条約上の義務を負っていない」と述べた。米国が日本の防衛に負っている義務は「議会の意向に従う」という留保付きである。
③ 先般、中国漁船が尖閣諸島沖合いにて我が国の領海を侵犯し、海保巡視船に衝突事件を起こしたことを契機に、日中両国間での領土問題が国際的にクローズアップした際、クリントン米国国務長官が「尖閣諸島は日米安保条約第五条の対象」と前原外相に明言したが、そのすぐあとで、国務省副報道官が今回も「尖閣の主権は係争中である。米国は最終的な主権問題に立場はとらない」と記者団に語っている。

(2)「日米同盟 未来のための変革と再編」(2005年10月署名)が持つ意味

① この契約の中の「役割、任務についての基本的な考え方」で「日本の島嶼部への侵略は自ら防衛する」としている。島の防衛は日本の役割である。日米共同の役割・任務ではないことが明記されている。
② 日米安保条約は第六条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」とする極東条項を持っている。あくまで日米安保は極東の安全保障を確保することを目的としている。それが「未来のための変革と再編」では、同盟関係は「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」としている。日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大されたのである。(このことに伴う我が国が負う新たな問題に付いては、改めて別途に報告したい。)

(3)結論を言おう

中国の尖閣諸島攻撃を想定しよう。中国は、当然占拠できると見込む戦力で来る。この時は、自衛隊が対応する。初期の段階で米軍は参戦しない。自衛隊が勝てばそれでいいが、負けるとどうなるか。管轄権は中国に移る。その際には、安保条約は適用されない。
つまり、自衛隊が勝っても負けても、米軍は出る必要がない。見事ではないか。一方で、尖閣諸島をめぐる主権論争で日中のいずれの側にもつかない。他方で、軍事的に日本を支援するという姿勢は放棄しない。しかし、中国との先頭に巻き込まれる危険性は避けている。
米国内では、「アメリカとしてみれば、日本と中国の領土問題や海底資源問題をめぐる紛争に引きずり込まれるリスクが減ずる」(サミュエルズ著『日本防衛の大戦略』)ことが米国の国益に合致すると考えるのが自然である。
沖縄が米国施政下にあった時、尖閣諸島もその中に含まれた。まさか中国領と認識していたわけではないだろう。しかし、尖閣諸島をめぐり、日中の軍事衝突の可能性がでてくるや、領土問題で中立の立場を打ち出した。「巻き込まれる危険回避」を優先した。しかし、表面上は「同盟国支援」の立場を保っている。
私は、米国のこの態度を非難する気持ちはさらさらない。それが国際関係というものだ。米国外交のしたたかさに感心する。見事だ。同時に、日本の対米外交の拙劣さと弱さにがっかりしている。
さらには、日米安保条約の意味している実態を国民に説明もせずにいる政府、加えて条約の内容を解説もせず、「尖閣も安保条約の対象」という米国側の声明をただ垂れ流すだけのテレビ・新聞といったマスコミの姿勢に怒りを覚えるのみである。

2.「核の傘」という幻想

米国は2010年4月、核政策の基本方針NPR (Nuclear Posture Review) を発表した。ここでは、「核抑止力を維持することで、核兵器を有さない同盟国に我々の安全保障上の約束を確約することができる」と記している。
こうした表現で、日本の多くの人は米国の「核の傘」があると信じている。
上記のNPRを注意深く見てみよう。米国は「我々の安全保障上の約束を確約する」と言っている。しかし、抑止のため「行動をとる」とは言っていない。では、米国が日本に与えた約束とは何か。
安保条約では、日本が攻撃にあったとき米国が日本のために武力を行使する否かは、先述した通りで、米国議会の議決が必要であり、議会が承認しない限り米国は参戦しない。まずこのことを前提にして考えるべきだ。
日本の将来において、最大の関心は、隣国中国の脅威にどう対応するかである。中国は核兵器を急速に増強している。米国国防省による年次報告書『中国の軍事力2009年』は、日本列島全体を射程距離内に収めているミサイル「東海10」の基数は150〜350、その発射基数は40〜55と推定している。中国核兵器の日本への脅威は着実に増している。その中国の核兵器の脅威に対して、日本がどう対応できるのか。
ここでも多くの人は、日本には米軍の「核の傘」があり、大丈夫だと思っている。米国が日本に対して「核の傘」を与えることは何を意味するのか、中国の核兵器を例にとって、考えてみたい。

第一段:外交案件で日中の交渉が決裂する。そこで中国は、自分たちの言い分を聞かなければ、日本に核兵器を発射すると脅す。

第二段:脅された日本は、米国に助けてくれとお願いする。

第三段:米国は中国に対して「日本に核兵器を発射するなら、米国は中国に核兵器を撃つ」と脅す。

第四段:中国が米国の脅しをうけ、では日本への核攻撃の脅しを取り下げますといういう。

こう進むのが、「核の傘」、「拡大核抑止」である。
では、本当にこのシナリオで進むのだろうか。
ここでは核戦略の根本である「相互確証破壊戦略」と呼ばれるものを見ることとする。

「相互確証破壊戦略」は、核保有国が相手国を壊滅できる核兵器の能力を持ったときに、いかにお互いが核での先制攻撃を避けるかを考えた構想である。理由、背景が何であれ、お互いに核兵器で先制攻撃をしないことを相互に確約するシステムだ。
「相互確証破壊戦略」の骨子は、「お互いに相手国が攻撃しても、生き残る核兵器を持ち、これで相手国を確実に破壊できる状況に置く。したがって、双方が先制攻撃をしない」ということだ。これが最も重要なポイントである。仮に、同盟国が核攻撃の脅しをうけても、米国は相手国に「そんなことをしたら、米国は貴国に核兵器で先制攻撃をするぞ」とは絶対に言えないシステムである。
米国とソ連(ロシア)が、「相互確証破壊戦略」を米ソ間の基本原則とする限り、「核の傘」、「同盟国への核抑止の供与」は存在しない。将来、中国の核兵器が米国を壊滅できる状況ができたら、米国は中国との間に「相互確証破壊戦略」を適用するしかない。
こうした状況を踏まえて、米ソ間の戦略交渉の中心人物であったキッシンジャーは、代用的著書『核兵器と外交政策』の中で、核の傘はないと主張した。要点は次の通り。

・全面戦争という破局に直面した時、ヨーロッパといえでも、全面戦争に値すると(米国の中で)誰が確信しうるか、米国大統領は西ヨーロッパと米国の都市50を引き替えにするだろうか。
・西半球以外の地域は争う価値がないように見えてくる危険がある。

キッシンジャーは、日本に対する「核の傘」はあり得ないと指摘している。また、米国の古典的リアリズムのバイブル的存在である著書を書いたハンス・モーゲンソーはその著書の
『国際政治』(稲村出版)で、「核の傘」について次のように記している。

『(核保有国)Aは(非核保有国)Bとの同盟を尊重してまで、Cによる核破壊という危険にみずからをさらすであろうか。極端に危険が伴うことは、このような同盟の有効性に疑問をなげかけることになる』

さらに、元CIA長官スタンスフィールド・ターナー氏(ミサイル巡洋艦艦長、NATO南部軍司令官、海軍大学校校長、大西洋を所管する第二艦隊司令官を歴任)は、「米国が日本に核の傘を与えることはあり得ない」と発言している。
1986年6月25日付、読売新聞夕刊一面トップに「日欧の核の傘は幻想」の表題の下、次のようなターナー元CIA長官の言葉を報じた。

「軍事戦略に精通したターナー前米中央情報局(CIA)長官(海軍提督)はインタビューで核の傘問題について、アメリカが日本や欧州防衛のためにソ連に向けて核を発射すると思うのは幻想であると言明」「われわれは米本土の核を使って欧州を防衛する考えはない」「アメリカの大統領が誰であれ、ワルシャワ機構軍が侵攻してきたからといって、モスクワに核攻撃をかけることはあり得ない。そうすれば、ワシントンやニューヨークが廃墟となるからだ」「同様に、日本の防衛のために核ミサイルを米本土から発射することはあり得ない」「われわれはワシントンを犠牲にしてまで同盟諸国を守る考えはない」「アメリカが外国と結んだいかなる防衛条約にも、核使用を言及したものはない」「日本についても有事の際、アメリカは助けに行くだろうが、核兵器は使用しない」

きわめて明確である。キッシンジャー、モーゲンソーという米国の安全保障・外交の第一人者が、理論的に同盟国のために核兵器を使用することはないと言明し、米海軍第二艦隊司令官やCIA長官のポストを経てきたターナーも、日本に対する「核の傘」はないと言う。
もちろん米国国務省員や国防省員は日本を引きつけるために、あるいは有利な取引を得るために、「核の傘は提供しますよ」と言う。歴史的にそう言ってきたし、今後もそう言うだろう。しかし、論理的に考えて、米国が「核の傘」を与える可能性はない。

3.「抑止論」に曖昧さはない

抑止論の議論をすると、「抑止とうのは漠然としたもの」という議論がなされる。しかし、大国が「相互確証破壊戦略」を互いに採用する時、曖昧さはない。双方の弾道ミサイルの数、破壊能力を緻密に計算し、いかなる攻撃があっても生き残れる核兵器が、どれくらいあるかを確証しあう。当然、どういう場合に核兵器を使うかを確証しあう。
この討議の中で、必然的に同盟国への「核の傘」の有効性は否定される。同盟国への「核の傘」と「相互確証破壊戦略」は共存できない。
中国が米国を核攻撃する能力が高まるにつれ、米国は中国に明確に「日本への核の傘はない」と伝達していくだろう。抑止論は曖昧なものではない。超大国はとことんつめ、双方に曖昧さが残らない状況を作ってきた。
「相互確証破壊戦略」は、相手国が米国を完全に壊滅できる核兵器の能力を持った時に出てくる戦略である。相手国が米国を完全に壊滅できない時には、別の戦略が適用される。
つまり、北朝鮮の核兵器に対しては米国は抑止に働くが、中国に対してはそうではない。
日本にとり、一番の問題は軍事大国化した中国である。中国が大国化した時、米国の対日軍事支援は自動的になされない。尖閣諸島や、中国の核兵器が対象になった時、米国が日本と共に戦うか。恐らく避けるだろう。
中国が自分の核兵器の能力を高めることで、事態は変化した。20年前はそういう事態はなかった。しかし、中国の米国への核攻撃の能力を持つにいたった現在、事態は変わった。今後ますます変わる。
米国は、東アジアで軍を使う可能性はある。しかし、それは「日本に確固たる約束があるから」ではない。米国が「戦うことが自らの国益に合致する」と判断する時である。
「米国に追従する」で、我が国の安全保障の問題が解決するわけではない。「すべてが解決する」という考え方は、実態から遊離している。幻想を持つことは危険である。
当然、「独自の戦力を充実させる」道を模索する必要がある。「米国に追従する」と「独自の戦力の充実に努力しない」ことは密接な相関関係がある。
日米安保条約でもって、米国は必ず日本を守ってくれると思っている人は、「フォーリン・アフェアーズ」誌1952年1月号のダレス論文を見るべきだ。ダレス長官は「日本が米国を守るという義務を果たせない以上、米国は守る義務は持っていない。間接侵略に対応する権利は持っているが、義務はない」と述べている。
米国は、日本の基地を基盤にして敵と戦う権利を持つ。しかし、義務はない。ダレス長官が作成したのは、1951年に締結された旧安保条約である。1960年の新安保条約が締結されるにあたり、新たな文言が入れられた。では、ダレスの考え方h、新安保条約で否定されたか。
新安保条約においても、この考え方は、極めて巧妙に維持されている。旧安保条約から1960年の新安保条約に移行する過程で、いくつかの変化はある。だが、こと米軍の駐留に関する限り、何も変化はない。占領時代から旧安保条約、新安保条約と同じである。ダレスの思想は引き継がれている。
米国が日本に約束したことは、「米国は自国の憲法上の規定及び手続きに従って行動する」ことまでである。自国の憲法とは「戦争の決定は議会がする」ということである。議会が積極的に交戦すると言わなければ、戦う義務はない。議会が参戦決議をしなければ、それで終わりである。重要なことは、その事態になっても、米国は何らかの約束違反を行っていないことだ。日本側が単に幻想を持ち、その幻想が実現しなかっただけの話なのである。

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