2011年6月27日月曜日

酒造りは命がけ?

酒蔵は農家から米を一括で購入して一年をかけて酒を造ります。
昔は腐らせてしまうと蔵の責任者である杜氏は自らの命を絶つこともあったそうで、命がけの職業だったわけです。

『日本の暦』の中の人たちは、古典的な農法であったりパーマカルチャーであったり、様々な方法で農業や菜園をしています。
やってみないとわからないことが多いので、まずはやってみようというメンバーが増えています。

コンポストを作って、調理をしたときに余った野菜を発酵させて分解する、乳酸菌を培養してそれでヨーグルトを造ったり、消臭に使ったりしています。
乳酸菌は米糠や玄米のとぎ汁で造りますから、捨てるものが減って有用なものが増える。そんな感覚です。

コンポストに乳酸菌を少し吹きかけると、翌日にはもの凄い勢いで発酵しているのがわかります。
熱いお風呂よりも熱くなることもあります。
バクテリアが頑張ってくれてるんだなぁとニンマリしてしまいます。

発酵、腐敗、熟成という言葉がありますが、どれもバクテリアの働きが引き起こす科学的な作用です。
発酵は、酵母菌や乳酸菌などが、糖分を分解して有機酸や炭酸ガスを生じる作用です。
腐敗は、主に有機物、特にタンパク質がバクテリアによって分解され有毒な物質と悪臭を生じる作用です。
熟成は、様々な温度、湿度、時間、空間等により仕込んだものがさらに旨味を増し使える状態になることです。

この3つは似ていますが、人間にとっては違うものです。
豆腐を「腐った食べ物」とは言いませんね。

人間の体には細胞の数の10倍ほどのバクテリアがいるといいます。
人間の体の中や体の表面でも、発酵や腐敗は行われています。
草食動物が草を食べてエネルギーを得ているのもバクテリアのおかげです。
人間であっても、例えば乳酸菌を培養するときに使う玄米などを、よく噛んで食べるとバクテリアが活躍してくれます。
家庭菜園で使う土の中でも、バクテリアによる発酵の有無で、作物が生育が左右されます。
日が昇るころの時間に草むらを歩き回ると、元気に活動しているバクテリアが体中に付着します。
少し元気が出るような気がしますよ。機会があったら試してみてください。

最近では、殺菌や消毒に神経質な人が増えたように思います。
私たちの生命維持を助けてくれている有用なバクテリアも一緒に殺菌しないようにしたいものです。

2011年6月23日木曜日

スマートグリッド社会〜諦めるな日本人!日本の未来を考える

ITの世界で長く働いてきたものですから、どうしても英単語が出てきてしまいますがお許しください。

復興という言葉を毎日のように見ますが、前の状態に戻すだけなら復旧か復元ですね。
前の仕組みの延長線上で、生産量や消費量のわずかな増加を目指すのは復旧のオマケみたいなものです。
復興というからには、「興す」という創設的な意味合いの考え方が必要ではないかと思います。

教育や家族、地域の荒廃、政治や官僚の腐敗、外国からの様々な圧力、自然災害、原子力災害など、さまざまなストレスで日本がボロボロになっていくのを見てきて、私自身も日本が目指すべき社会の形について想いを巡らせてきました。
これらの問題の一つ一つに対応しているのではなく、根本的な解決策はないかと考えてきました。
いろいろな理論や思想にも示唆を与えられました。
今回は私なりの理解をもとにして私なりの言葉で書いてみたいと思います。

私の考える日本の未来の形は「スマートグリッド社会」です。
「スマート」な「グリッド」で構成される社会です。

スマートグリッドという言葉は配電の仕組みを説明するときに使われることが多いようですが、電気を運ぶ仕組みに限定しないで、社会全体の構造をスマートグリッドにしようという発想です。


日本では少子化や人口減が問題視されていますが、地球規模で考えれば人口増加が問題となっていて、それに関連して食料問題、環境問題、その結果としての紛争や戦争といった問題があると認識しています。

今日食卓に並ぶ食材が、いくらお金があっても手に入らないということ。
子供や孫の世代の人たちが、住めない環境になってしまうこと。
食料や住める環境を求めて、人々が奪い合いや殺し合いをするということ。
現実問題として進行していると言ってもいいかもしれません。
他人事ではないのです。

実際に私たちはその状況をリアルタイムに見ています。
福島県相馬郡飯舘村について少し関心を持ってください。
飯館村は市町村合併の流れに反して、自給自足の村として生きていくことを決めた村です。
学校給食は村でとれた食材だけで作っていたそうです。
農家や酪農家がそれぞれに努力して食べ物を作り、「困ったときはお互い様」という助け合いの精神を醸成してきました。

原子力発電所の事故があって、この村だけが異様に高い放射線に汚染され避難を余儀なくされました。
何度か原発事故以降にこの村を訪れて、複数の場所で放射線量率測定をしましたが、周辺の地域と比べて異様に高い放射線量率に驚きました。偶然のいたずらでしょうか。なんともむごいです。
たった一度の原発事故で、村の人たちの努力も夢も一瞬で破壊されました。
いつになったら農業や畜産業を再開できるかという目処も立ちず、悔しい気持ちや不安な気持ちで毎日を過ごしています。(村の方から聞いた話です)

新築したばかりの家に、何者かがやってきて、放射性廃棄物を投げ込んだ。
もうそこには住めない。
犯人は誰だかよくわからない。
誰も助けてくれない。
そんな状況を想像してみてください。
腹立たしいですよね。

東北や関東の他の地域の作物も、多かれ少なかれ影響を受けます。
出荷停止、耕作断念、産地偽装、さまざまな問題が起きるでしょう。

お金があっても食べ物が買えない。
ないんだから買えない。
買えても怖くて食べられない。
住めない地域も広がる。

あまりにも不都合ですが、これが現実ではないかと思います。

原発災害は象徴的な問題だと思います。
核燃料は特定の人々が採掘から流通までを独占しています。
電力会社は他のエネルギーへの移行を妨害し原子力発電を推進してきました。
官僚や政治家もそれを推進してきました。
メディアもしきりに原子力の宣伝をしてきました。
補助金をばらまいて、原発を誘致した地域に雇用を作り、文句を言わせない。
基地問題と同じ手法です。

そこまでするのは儲かるからですね。
原子力は儲かる。

ここからが本題です。

スマートグリッド社会の「スマート」は「賢い」、「グリッド」は「編み目のような形」です。
「グリッド」の「編み目の結び目」部分が村や家庭です。

消防署が2km程度の編み目状に配置されるのは、火事が発生したときに現場にすばやく行けるようにするためです。
小さな火事であれば、一つの消防署だけで対応しますが、大きな火事になったら、複数の近隣の消防署が力を合わせて対応します。
個々の単位が自律していること、その自律した単位が編み目のように並んでいること。
それが多様な対応を可能にします。

もし食べ物を自宅ですべて作れたら、食料自給率が100%なら、一部の不足した食材は買いに行くかもしれませんが、食材を調達するためのコスト=長距離を運ぶ、運ぶための梱包材が不要ということになります。
財貨の取引を積み上げるGDP評価方式からすれば、あまり良いことのように思えませんが、自分が食べるものを自分が作るわけですから、これ以上の安全な食材はありません。

隣の家がキャベツを作って、自分の家ではキュウリを作る。
お互いに余った分を交換すれば、どちらの家の食卓にもキャベツとキュウリが並びます。
GDPには積み上がりませんが豊かです。

十分な食料を自分で作れるわけですから、災害時に「お互い様」の精神で助け合うこともできます。
自分の家も隣の家も、自分の村も隣の村も、自律した状態です。
自律しているから、自分が生きられて、もしもの時は隣を助けることができます。

エネルギーを自給します。
バイオ燃料で動く車があれば、ガソリンを買わなくてもいいかもしれない。
家で使う電気を自分で賄えれば、遠くから電気を買ってくる必要もない。

ビールが好きな人やタバコが好きな人は自家製ビールと自家製タバコ。
たくさん作れたら、ご近所さんと取引します。

小さな製品なら個人、あるいは小さなグループで作る。
昔の職人集団みたいなものですね。
きっといいものができます。
共同体の稼ぎ頭になれるかもしれませんから、雇用が創出できますね。

自分で作り始めると、その環境を大切にするようになりますね。
ほとんどが自然の恵みなわけですから、汚水や廃棄物の処理も自分でやるわけですから、環境を大切にします。
いやがおうでも、生産から再生までの循環系を作る方向になります。

こういうことを一つづつ積み上げて行きます。
電気を作る技術、野菜を栽培する技術、ビールを作る技術、製品を作る技術。
そういう技術を交換することで、どんどん賢くなって行く。
文字通り「スマート」になっていく。
知も財も集積していく。

小さな「スマートな単位」が、他のスマートな単位と「スマートにつながって」助け合う。
大きな問題には共同で対応し、小さな問題は自己で対応する。
みんなが「スマート」ならそれが可能です。

持続可能で賢くて助け合える社会が「スマートグリッド社会」ということになります。

自然を大切にする。
勤勉である。
和の精神がある。

日本らしくないですか?
日本の社会がスマートグリッド化できたら、その考え方や技術を輸出します。

このような社会ができると劇的に変わる可能性があるものがあります。

日本の社会には、それこそ網の目のように徴税の仕組みがあります。
また至る所に許認可の仕組みがあります。

徴税と許認可は利権の温床です。

では「スマートグリッド社会」ではどうでしょうか?

ビールを作れば酒税は払いません。
燃料を作ればガソリン税は払いません。
流通が減れば、その過程で生産・消費されるほとんどの製品やサービスは不要。当然、その過程で必要とされる税金も許認可も不要です。
利権の温床を減らせることになります。

政治の仕事は国内的にはグリッドを維持することが中心になり、対外的には外交と国防が中心になります。
外交や国防といった対外的な部分は縮小するのが難しいですが、国内的な部分は費用を大幅に削減可能です。

利権が生まれる土壌があれば、利権に群がる人が出てくるのは当然です。
いくら批判をしたところで土壌がある以上は変わりません。
その土壌をなくしてしまう可能性があるのが、この「スマートグリッド社会」です。

飯舘村はそんな未来の覗き窓のような存在だと思います。(応援の意味を込めて現在系です)
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/index.html

そう考えると、私たちがエネルギーを傾ける方向は、私たちが「スマート」になって「お互い様」の精神でつながることではないでしょうか?
「スマート」に生きようと思いませんか?
どんなに大きな力でも個人個人の心までは征服できません。
「スマート」な生き方を邪魔しようとする者が私たちの敵なのではないでしょうか?
スマートな生き方をするための一切の障壁を私たちは取り払う必要があります。
幸せな生き方を邪魔する力を弱体化する必要があります。
戦う相手を間違えないようにしたいものです。

今すぐに出来ることがあると思います。
それを見つけたらやってみましょう。
そして技術や知識を共有しましょう。

2011年6月22日水曜日

米軍は親切だったのか ~ 沖縄戦

JJ太郎さんのブログから転載させていただきました。
http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10921108474.html


やはり鬼畜米英という言葉は的を射ている。

 大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。

投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で次々死んでいった収容所もあります。
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。

収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。

妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、こういう話は山ほどあります。強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。

沖縄戦の体験証言集を読むと米軍の蛮行がいくつも出てきます。

仲地文子さん
「羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、米兵に襲われた女性が何人かいた。だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、薄汚いなりをして歩いたものだった。また、深夜に突然米兵が現れると空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである」

山里宗富さん
「戦前私の近所に照屋松助という頑丈な男がいた。当時彼は家族と別れて一人で瀬底に避難していたが、その日はたまたま健堅に戻って来て家族とともにウイバルにいた。すこし体のぐあいが悪いということで寝ていたのである。そこへ突然銃を持った二人の米兵が現れ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がってきて米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、ささっさと帰りたまえ』と怒鳴りつけた。言葉は通じなかったもののその場は何事もなく収まり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが間もなく米兵らが戻って来て、彼をたたき起こし、銃をつきつけて前へ歩くように明治、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった」

末吉カメさん
「普通の米兵はとくに悪いことをするようでもなかったので、私達は安心していた。ところがそのなかに、住民から鬼のようにこわがられている者がひとりいた。やせっぽちのシビリアンと呼ばれていたが、彼はいつも銃を持ち歩き、男という男はかたっぱしから捕まえてひっぱっていったし、若い女性には乱暴をはたらくなど、非道のかぎりをつくしていた。事実彼によって何人かの男たちが殺されてしまった。そいつが村に入って来るのを見て、すばやく若い女性を逃がしたために、原っぱに連れ出され、正座を命じられて射殺された男もいた」

米軍は寛容で親切だったなんてことはまったくなかったのです。自決せず投降して助かった人が幸せだったとはいえないでしょう。こうした米軍の蛮行を見て戦時中「米軍は女性を陵辱し、男性は戦車でひき殺される」というフレーズが思い出す人もおり、自決した友人達を羨んだといいます。



参考文献
小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助
参考サイト
沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu



転載ここまで。




今でもアメリカは良い国で支那は悪い国みたいな空気を醸し出す人がいますが、実際はそうでもありませんね。
私の生まれ育った地域には米軍の通信基地がありましたが、その周辺で女性の不審死がよくありました。不思議と新聞には事件として載らないんです。
仕事で米軍基地に納品をしに行くことが何度かありましたが、米軍兵士に基地内に呼び込まれて複数の兵士に乱暴されて逃げてきた女性が保護されているところも見たことがあります。
基地のある町ではそういうことが当たり前でした。
ああ、未だに日本は占領されたままなんだなと思ったものです。
問題があっても隠されてしまう。
問題がないことになってしまう。


日本人は怒る対象をよく見て、怒るべきときに怒ることが必要ではないかと思います。

2011年6月21日火曜日

100年前の日本の写真

こちらから写真を転載させていただいてます。
http://digi-6.com/archives/51741356.html

イタリア人の写真家が撮影した100年前の日本だそうです。




















きれいな写真です。

今では洋服を着て、家電製品に囲まれ、鉄筋コンクリートの箱の中に住んだり働いたり。
そんな日本です。
自然の豊かさは依然として残っていますが、その自然の豊かさと沿うように私たちが暮らしているかと言えば、違うように思います。

今回の原子力発電所の事故で何を考えましたか?

『日本の暦』の中の人たちの何人かは被災地に行って、いろいろなものを見てきました。
誰も作業をしていない広大な田畑、放射線量の高いところで無防備に過ごしている子供たち、避難所から生まれた町に戻ってなんとか日常を取り戻そうとしている人たち。
そして東京や神奈川でも放射性物質がいたるところで検出され、それが東北の問題ではなくて日本の問題であることを実感しています。

依然として原子炉からの放射性物質の漏洩は止まっていません。
止まっていないのだから、後から後から放射性物質は広い範囲に拡散しているはずです。
「○○県の浄水場で基準値を超える放射性物質が検出された」というニュースがありましたが、放射性物質の拡散が止まったわけではないので、引き続き検出されているはずですが、最近はあまりニュースになりません。
情報統制が行われているのでしょう。

しばしば、軍事独裁下の北朝鮮や共産党支配下の中国に対して、民主主義がない、自由がないという批判を目にします。チベットやウィグルの人々への弾圧や拉致への批判を目にします。

ふり返って日本の現状はどうでしょうか?
さしずめ占領下の官僚独裁という様相ではないでしょうか?
原発利権というものの存在が浮き彫りにされていきます。
その利権の下で政治家、官僚、学者、メディアが口裏を合わせたように情報を操作しています。
そしてその体制は原発周辺の人々を見捨てている状態です。
健康被害を受けるだろうことを知りながら見捨てている状態です。
少し過激な書き方をすれば「ただちに殺さない大量虐殺」のようにも見えます。

反原発、脱原発、原発推進、原発容認などいろいろな立場の人が論争をしています。
論争をしている間に、どんどん汚染が広がり、福島の農家を中心に人々が追い込まれて行きます。
論争の元になっている情報は操作された情報かもしれません。
自分で見て、自分で感じて、自分で考えて。
そういうことが求められていると思います。

このブログは「自立再生」をキーワードに、それに関連するテーマで数名が投稿をしています。
元に戻すだけなら復旧や復元という言葉でいいでしょう。
復興というからには、「興す」わけですから、より創造的な意味合いを持つことになると思います。
既成の考え方にとらわれず、新しい考え方で家庭、地域、日本を自立再生に向かうという流れが考えられると思います。

「自律型の生活単位」がたくさん「分散して存在」していて、それらが「技術と情報を交換」しながら必要に応じて「協調」するようなモデルが良いのではないかと思います。
「自律」「分散」「技術・情報」「協調」ですね。

何も問題がなければ「自律型の生活単位」だけで生きていけるという形。
この生活単位の中で発電、浄水、食料生産、資源の再生をする。最初は村や町の単位かもしれませんが、これをどんどん小さくしていき最終的には家庭単位に。

このような形態になると、およそ官僚の利権などというものが入り込む余地がなくなります。そして、今の「あらゆるところに網をかけたような税金の仕組みと関連する法制度」が邪魔であることに気がつくでしょう。
今までは、税金が吸い上げられていても、制度でがんじがらめにされていても、そうするしか仕方がないから従っていた、ということだったのではないでしょうか。

このような生活単位が、技術と情報を交換することでさらに発展し高度化します。高度化しますが、生活単位は小さいまま、あるいはもっと小さくなる。決して拡大や発散はしない。
拡大しないから統制する権力も小さくて済む。

小さな生活単位ではできないこと、例えば専門性を要する医療や消防・警察などの機能は複数の生活単位が協調して連合体として対応する(維持費を分担して運営する)。どこかの生活単位が危機に陥れば、すかさず他の生活単位や連合体がバックアップする。

生活単位を小さくするために行う技術革新はたくさんあると思います。
情報を交換するための技術革新もあると思います。
収束方向に向けた経済発展というのがあると思います。

よく考えてみたら、コンピュータの世界ではトレンドですね。

先日飯舘村(福島県相馬郡飯館村)の方と話をしていて、「学校の給食の食材は全部自給自足でやってたんですよ」「自給自足で生きると決めてみんな頑張ってきたんですよ」なんていう話を聴いていて、自給自足から自立・自律という流れを目指すと、いいことがたくさんあるんじゃないかと思いました。

発電、蓄電、送電を個人がやろうとすることを邪魔しようとする力。
食料自給を邪魔しようとする力。
資源の再生を邪魔しようとする力。
自給自立に向かっていくと、そういう力が現れるかもしれません。(今までもありましたが)
そういうものが私たちの敵なのでしょう。

上の写真のようなきれいな日本をまた見られるでしょうか。
きっと無理でしょう。
進んでしまった時間は戻せませんが、時間が進んだ分、生活も精神も進んだと思えるような生き方をしたいものです。上の写真とは違うけれど、別のきれいな日本が目の前に現れるかもしれません。

2011年6月17日金曜日

自尊自立のための家庭の医学 番外編5 当たり前のことを淡々とする

黄砂や花粉、化学物質、そして放射性物質への対策は基本的に同じです。

睡眠をしっかり取る
水分をたくさんとる
ミネラルバランスをとる


もちろんそれ以外にそれぞれ、もっとこうしたらいい、というのはありますが、基本中の基本はいつもと変わらないわけです。つまり体のしくみをサポートして尚且つ体に負担をかけ過ぎないように気をつける=自分の体を大切にする ということですね。これは何も非常事態、特別な時だけにすることではなく、いつだって、これからもずっとそのようにするべきことなんです。
何だそんなことか、と当たり前のこと過ぎて拍子抜けするかもしれません。でも案外、これが出来ていないものなのです。

心や体に関することを言う人たち、スピリチュアルな世界で著名な方々や各種療法家、医師の中で、これを言わない人はいないくらいです。最初はそういうことを言う人たちは専門的なことに言及しきれないし、特別な方法を知らないから、そのようなことを言って誤魔化しているのかとも思いましたが、皆がこれを言うには理由があるのだと思うようになりました。私たち普通の人間も結構これが出来ていないのだということ、自分を省みてもそう思います。そしてこういう当たり前の養生をしなさいという理由は、それらが治療や治癒の障害となるものだからです。どのような療法を用いたとしてもこの障害を無視するわけにはいかないという現実がある、ということなんですね。治療をして一時的に治ったとしても、患者さん自身が不摂生な生活や生き方を改めない限りはまたいづれは元の状態に戻ってしいます。

健康な人ならば自然治癒力が働くと、体に不要なものは外に出そうとする働きがあります。
体の中の不要なものを外に出すとき、それは体液の排出も伴う場合がほとんどです。ここでいう体液とは体の中から出てくる液体を指し、例えば、下痢、尿、鼻水、痰、膿、浸出液、血液、涙、などのことです。
突然の症状を伴って急激に排出されることもあるでしょうし、長期間にわたってダラダラと排出される場合もありますが、これにより体は消耗します。ですから、不要なものと一緒に外に出てしまった体液を補わなければなりません。場合によってはこれで命を落としますよね。だからミネラルと水分はとても大切なんです。汗をかいても運動をしても必要ですし、寝ている間にも水分は汗となってたくさん出て行きます。一緒に外へ出ていく体液の中にもミネラルが含まれていますね。循環器系や神経、脳、筋肉の働きにミネラルは欠かせません。しっかり外へ出すためにミネラルのバランスと水分摂取を心がけましょう。

また体を冷やしすぎないようにすることも大切です。
体温が一度下がると免疫力は30%下がり、体温が一度上がると免疫力は500~600%上がる、とも言われています。低体温の方がガンになりやすいなどという話も聞きますね。体を冷やす食べ物のほかにも、薬やその他の化学物質も体を冷やすと言われていますし、そういったものは冷えたところに集まりやすいともいいます。女性の体は男性よりも冷えやすく創られているので、お気を付け下さいね。

以上のことから、免疫力・解毒力を上げるために睡眠や水分をしっかり取って、体を温めて(冷やさないように気をつけて)ミネラルを摂って日本人の体にあった食生活をすることが大切かと思われます。
これらは当たり前のこととして行われている養生法です。足りないものを足す(睡眠不足、水分不足、ミネラル不足)、という逆症療法ですね。

そして必要以上に嗜好品や加工食品から添加物や保存料などの化学物質を摂らないようにも気をつけたいですね。「絶対」摂ってはいけない!ということではなく、これからはなるべく気をつけましょうね、というかんじですね。善悪の決めつけ、過ぎたるは・・・です。。
あと、血液をきれいにするために腸をきれいにすることも大切なので、食べるものや食べ方にも気を配りましょう。  腸をきれいにすると心もきれいになるとまで言う人もいます。断食も良いですね。断食の後や熱が出て薬を飲まずに熱が下がった後の爽快感は格別です。

ついでに言えば問題を問題として騒ぎすぎない心も大切かと思います。
私たちは問題を自ら探し出して大騒ぎすることがあります。「問題を問題だとすることが問題である」、と言われることもありますが、(自分が)悪(だと思うもの)を徹底的に排除・駆逐しようとする姿勢は、菌を悪者として徹底的に戦う西洋医学の考え方に似ていると思うのです。不安や恐怖、抵抗は緊張やストレスを生み、苦しみを生みます。だって納得がいかない!と思考は言うかもしれませんが、その状態を維持してしまうと免疫力が低下し、生命力の流れが滞ってしまいます。
でも放射能とはこれからしばらくお付き合いしないといけない日本になってしまいました。
ですので「すでにそうであるもの」(=放射能がダダ漏れである、放射性物質を100%避けることはできない)を一旦受け入れてしまいましょう。これは無抵抗、甘んじて維持することではなく、否定しないということです。一旦「状況」を受け入れることによって、それに抵抗することで生まれる不安や恐怖を軽減し、出来ることを探してただそれをやる、ということです。必死に抵抗して心も体もガチガチの状態よりも比較的楽に「状況」に対応出来るようになると思うのです。

何か大きなことをするのが世の為人の為ばかりではなく、どうせ自分は大したことは出来ないし役に立たないなんて思わずに淡々と今できることをする、目の前にある事をする、当たり前のことをする、それが自分の為であり、自分の周りにいる大切な人たちの為になります。それで充分世の為人の為だと思いませんか?もちろん従来のことだけやっていればいいという意味ではなく、自分にとって新しいことをやってみるのも今出来ることをするに含まれますね。つまり「何をするか」、よりも「どのようにするか」という心構えが大切かなと思います。
イライライしたり焦れたりせずに、どっしり構えていきましょう。。

2011年6月14日火曜日

新選組に見る武士道

JJ太郎さんの『かつて日本は美しかった』より転載です。
オリジナルはこちら。http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10891575359.html

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。


 昔よく新選組の本を読んだもので、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのが出てきます。「葉隠」という江戸時代中期に記録されたものからきていますが、私が子供の頃はこういうのは命を粗末にする考えであって、戦前の悪い考え方だと教わったような記憶があります。
 この「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは「死ぬ」のが目的ではなく、いつも「死」を意識することにより「生」が燦然と輝くということを言っています。今日か明日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとして光を放つでしょう、ということです。また、生か死かの選択のとき、「死」を選べば「恥」にならない、これが武士道の本質と言っています。

 新選組の話には西洋医学者の松本良順が登場します。良順は攘夷派に命を狙われているとき、新選組局長近藤勇のところへ尋ねていきました。
 
良順「近藤君、見苦しくねえように斬られてやるには、どうしたらいいのだえ」

 「死」の覚悟、そして「恥」にならないようにするにはどうしたらいいか、相談にきたのですね。「葉隠」からするとこれは「生」を輝かせることにつながります。

近藤「こちらが大剣をふりかざしたまま、両眼を閉じます」
良順「なに目を閉じる。それでは相手が見えなくなっちまうではねえかよ」
近藤「一向にお気になさることはありません。やがてからだの何処かが冷やりといたしましょう。その瞬間に大剣を真っ向に振り落とします。自分も斬られましょうが相手も斬ることができます。」

 新選組の剣法は天然理心流と言い、相打ちを極意とする剣法であり、これは死を覚悟する、死を選択する武士道の本質を持っています。

良順「確かに侍がやりあう斬りあいでの心得はわかったが、近藤君、俺等は無腰だよ。それで狙われた時は、いったいどうするね。」
近藤「相手の目から、自分の目をそらさずにすたすたと前に進まれたがよろしい。具合よく斬られること間違いございません」
良順「やれやれ」

 この話はある程度創作が入っていると思われますが、松本良順の息子が語ったところから作られています。以下のほうが実話に近いと思われます。

良順「近藤君、敵に囲まれたときはどうすれば活路を開くことができるか」
近藤「まあ死ぬのですな。生きることが念頭にあってはだめです。一方をうかがって、猛然と捨て身に斬り込むのです。そこにだけ命を救うところがあります」。

 とにかく死ぬこと、そこに「生」があるということですね。

 現代は戦争もないし、長寿になったので「死」というものを意識して生きることは稀ですし、「死」のイメージとして西洋の「死神」という恐ろしいイメージを持つ人が多く、「考えたくない」というところではないでしょうか。また、学校では「命を大切に」としか教わらないので、「死」というものを忌み嫌う傾向にあるでしょう。しかし、「死」というのは誰にでもやってきます。ならば、日本の伝統である「武士道」を見直して、「死」を有効に使い「生」を輝かせる努力をしたほうが大変意義のあることのように思います。



参考文献
 実業之日本社「新撰組」松浦玲(監修)
 文春文庫「新撰組風雲録」広瀬仁紀(著)
 新潮文庫「葉隠入門」三島由紀夫(著)
参考サイト
 WikiPedia「武士道」「葉隠」

添付画像
 近藤勇(PD)

2011年6月11日土曜日

夫婦の誓い

神前で教育勅語を夫婦の誓いとして唱和する。
素晴らしいと思いますね。
億兆心を一つにするには、夫婦相和しなければ出来ないと思います。
夫婦仲良く助け合って暮らし、子供をもうけて未来につながって行く。新郎新婦のご両親もそう願ってそうしてきたに違いない。その積み重ねがずっと続いてきたし、これからもずっと続いて行く。
過去、現在、未来の一体感みたいなものを感じます。

ご結婚おめでとうございます。
感動をいただけました。

2011年6月9日木曜日

第8回 憲法無効論公開講座 神奈川大会 ―国家本能と憲法― レポート①

5月22日(日)藤沢産業センター 8階情報ラウンジにて、第8回憲法無効論公開講座が開催されました。

チラシPDF

國體護持塾ホームページ


占領憲法は、機能しているでしょうか。

占領憲法は緊急時に関する規定がありません。
普通どこの国の憲法にも、国家に何らかの緊急事態があった際の条項が必ずありますが、占領憲法にはそれがありません。

第95条、地方自治特別法でしか災害に対する法はないのです。ところがこの地方自治特別法は住民投票によってしか作れません。

例えば今回のような大災害時に住民投票などやっている余裕はありませんよね。現実にあっていないのです。
つまり、日本国憲法は憲法緊急事態に対応できない、平和時、平安時のみに機能する憲法なのです。

これに対し、帝国憲法に置いては、緊急事態に対する条項があります。
関東大震災の折は、帝国憲法第8条により、緊急勅令が発令され、14条での戒厳令が出され、速やかに復旧が為されていったそうです。

繰り返しますが、占領憲法にはそれがありません。

3月16日の今上陛下の玉音御真影放送はまさに緊急勅令です。
特に一番初めに自衛隊の労を労ったことは特筆に値します。

自衛隊は小泉元総理も言ったJapanese Army、誰がなんと言おうと軍隊であり、よく問題視される日本国憲法第9条2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」に明らかに反します。
日本国憲法が憲法として有効ならば、あの放送は政治発言であり、日本国憲法第4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」に反した事になります。自衛隊が違憲であれば、陛下は決して口にしはならないのですから。

あの玉音放送は今も尚、大日本帝国憲法が生きている事の証明となったのではないでしょうか。

2011年6月1日水曜日

日露戦争で日本が得たもの〜日本人は決して大人しいわけではない

 明治三十八年六月。米国大統領ルーズベルトの勧告で、日本とロシアは日露戦争の講和をすることになりました。ロシア側の全権はウィッテ元蔵相、日本側の全権は外務大臣の小村寿太郎でした。
 会議場のまったポーツマスに乗り込んだウィッテは終始ニコニコ顔。対する小村寿太郎は苦虫をかみつぶしたような表情だったそうです。それもそのはず。戦争に負けたロシアは「賠償金は一銭も出さない。樺太も半分くらいは譲ってもいいが、それ以上はごめんだ。不服ならもう一戦することも辞さない。」そんな態度でした。
 日本側は樺太だけでなく沿海州までを割譲させ、多額の賠償金も手に入れることを目論んでいたのが水の泡、もう一度戦争をする体力は残っていない。苦しい立場に追い込まれていました。
 この講和条約の内容が知られると、多くの日本人が不満を持つことは必至。日本政府はなるべく内容を知られないようにしました。
 ところが大阪朝日が新聞にこのことを掲載してしまいます。特ダネでした。政府は狼狽します。大阪朝日は記者との間で事前に平文の暗号(合い言葉のようなもの)を決め、電報でこの講和の内容を知らせてきていたのです。
 この朝日の報道が多くの日本人に火をつけました。
 九月五日には、日比谷公園で講和条約反対の国民大会が開かれ、前衆議院議長の河野広中、小川平吉、大竹貫一らが演壇に立って熱弁をふるう。怒りに燃えていた数千の人々は、一斉に町に流れ出し、それを押さえようとした警察とぶつかり、交番が焼き討ちされ、電車も焼かれました。内務大臣官邸も襲われ、暴徒はますます数を増して夜になっても騒ぎが収まりません。
 明け方になって一旦騒ぎが収まったかと思うと、夜になるとまた人々が集まり騒動が収まりません。これが九月十三日に戒厳令がしかれるまで続きました。負傷者数千二十九名、死者は十三名。焼き討ちされた警察が八署、派出所や交番が二百二十六カ所、民家が四十七戸、教会が三つと電車が十五台、消防ポンプ三台も焼かれました。その後、時の総理であった桂太郎は、責任を取って第二次桂内閣を総辞職させます。

近年では竹島や尖閣諸島、北方領土などの領土の問題が取り上げるられることが増えました。
これらは長い間、放置されてきた問題です。

パチンコ反対、人権擁護法案反対といった抗議活動もしばしば見られます。
パチンコの問題は警察の天下り利権、人権擁護法案は法務省官僚の企てだという話を聞きます。

最近の抗議行動は日の丸を掲げて行進してシュプレヒコールをあげる。
とても大人しい抗議行動です。
しばしば、日本人は行儀が良いから暴動なんか起こさないという話をする人がいますが、本当に行儀が良いからでしょうか?
もしかすると、国の危機に対して鈍感なだけかもしれない、そんなことを歴史を振り返って思うことがあります。
いつのまにか戦後の「命は重い」という考え方が浸透して、「命をかけて国を守る」という気概を失っているかもしれません。