2011年2月15日火曜日

マッカーサーの検閲「三十項目」

終戦後の昭和20年9月21日、GHQは、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)(SCAPIN-33/9月21日付)、日本放送遵則(ラジオ・コード)(最高司令官指令=SCAPIN-43/9月22日付)を報道関係者に公表させました。
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」その具体的な検閲内容の指針として以下の「三十項目」が設けられました。
 
 
1.SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判
2.極東軍事裁判(東京裁判)に対する批判
3.SCAPが憲法を起草したことについての言及と批判
4.検閲制度への言及と批判
5.合衆国に対する批判
6.ロシアに対する批判
7.英国に対する批判
8.朝鮮人に対する批判
9.中国に対する批判
10.他の連合国に対する批判
11.連合国一般に対する批判
12.満州における日本人への取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他のあらゆる宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交際を扱うストーリー
24.闇市の状況への言及
25.占領軍軍隊への言及
26.飢餓を誇張した記事
27.暴力と不穏の行動を扇動する記事
28.明白な虚偽の報道
29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

読書録-日本人が知ってはならない歴史 戦後篇 でも触れましたがこれに従事した日本人が昭和21年の時点で5100人以上いたそうです。
「原子爆弾は国際法違反の戦争犯罪である」という鳩山一郎の談話を掲載した朝日新聞を48時間の発行停止処分にしたという言論弾圧がありました。実際、報道機関にとってこのような処罰は経営上大損害であったことでしょう。
昭和20年9月のプレスコード、ラジオコードに次いで同年10月にはGHQが新聞の事前検閲を朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して開始しました。これに困惑した新聞社は自主規制を強めることで事後検閲へと変えてもらうことを懇願し、自らがこの三十項目に従った報道姿勢を取っていたのです。こうして連合国に不都合な報道は封じられ、報道機関はGHQの政策や意見を表明する手先となってしまいました。 サンフランシスコ講和条約発効後、主権が回復した後に、このことを公表し謝罪した報道機関はあるのでしょうか。今のマスコミは現在もこの自己検閲の言論統制が続いているような印象を受けます。

 
 ちなみに占領政策は何でもかんでもGHQによって作られたような印象が強いですが、これは誤りで、実際はOSS→米国大統領→マッカーサー(GHQ)と言う順に伝達されていたそうです。
OSS(Office of Strategic Service:アメリカ戦略情報局)とは、CIAの前進の情報機関で昭和16年5月に計画され、翌17年6月に活動を開始していたそうです。
OSSはマッカーサー(GHQ)の上部組織で、「日本計画」はこの頃すでにOSSにより策定されていたのです。この「三十項目」もOSS製です。
 
 

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