2010年11月29日月曜日

東条英機の遺言

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。


日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。

『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)

東条英機の辞世の句

「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」

道義を回復するための憲法論

憲法問題を考える上でとても重要な視点を与えてくれる理論です。
護憲か改憲といった議論にもう一つ無効論という視点を入れることで、我が国の憲法問題がわかりやすくなります。

以下はYouTubeの動画の説明からの引用です。



「日本国憲法」を帝国憲法体制内に存在する講和条約(講和大権を権限根拠とする行為に 基づく規範)と認定し、かつ、憲法としてはもともと無効であることを内閣や国会の決議 にて確認宣言します(つまり現国会や内閣は、講和条約「日本国憲法」に基づく国家機関 です=帝国憲法に合憲の国家機関です)。

現実社会の法的安定を乱すことなく皇統護持の実現可能な正統典範体制、正統憲法体制への認識の転換(憲法や典範の復元)が実現します。国家をあげてこの認識の転換さえ起こせば離脱強要をさせられた皇族の原状回復も個々人の意志選択に基づくことなく自動復帰 、地位の回復ということになります。

(これに反し「正統性の回復行為」を現在の日本人が逆に「拒む行為」というのはいったいどういう意味をもつものなのか、この図解等
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/45996606.html
を参考に考えてみてください。そうすれば護憲派護憲論も護憲派改正論も、さらに言えば新憲法制定論も自主憲法制定論もあっさりと茶番であることが理解できますでしょう。)

次にこの体制下で「日本国憲法」の縛りを整序(不要な条項を状勢を見ながら対外的に順 次破棄通告)すれば自衛隊は皇軍となります。あとは時間をかけて帝国憲法改正論議を国民の課題とすればよいのです。以上は南出喜久治先生のみが唱えている「新無効論」の概略です。

再生リストへ直行
http://www.youtube.com/view_play_list?p=32A3C431067846B2

簡単で安心!「新無効論」実施手順で~す。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/30365077.html

國體護持塾(こくたいごじじゅく) 公式ホームページ
http://kokutaigoji.com/

2010年11月28日日曜日

読書録 - 食の堕落と日本人 その2

第2章 日本の食の堕落と崩壊 

お箸のこころは、八百万の神様の存在や、ご先祖様、伝統などの日本人としての縦軸のつながりを感じさせてくれます。そして横軸のつながりを意識したら、周囲の人に不快な思いをさせないように、あるいはその共同体の中で受け入れられるべき作法を身につけようと思うのかもしれません。

ナイフとフォークが使えない西洋人がいたら、さぞかし奇異なことだろう。当人だって恥ずかしいだろうし、周囲から見たら「どんな育ち方をしたのだろう」と思うに違いない。箸の使えない日本人だって同じことである。
(中略)
たった二本の小さな木の枝のようなものだが、ここからさまざまな食文化が発展していくのだ。箸は食の入り口を司る大切な存在であるのだから、そこを粗末にすると心身の入り口からもう堕落してしまう。


お箸の正しい使い方は、単に堅苦しい決まりごととして一方的に決められたものではなく、その伝統の中でいちばん合理的にかつ美しく使う「型」として生み出されてきたものだと思います。意味も分からず厳しく躾けられる間は辛く感じることもあるかもしれませんが、ゼロから自分で使い方や意味を発見していくよりもずっと手っ取り早く、また確実にその道に通じている「型」なのだと、おそらく後になって分かって来るものなのでしょう。

以下 不作法とされるお箸の使い方について調べてみました。

  • 刺し箸   箸を食べ物に突き刺して食べること。

  • 指し箸   箸で人を指差すこと。

  • 二人箸   一つの食器の上で、二人一緒に同じ料理を挟むこと。

  • 立て箸   ご飯の上に箸を突き刺すことは仏箸ともいわれ、死者の枕元に供える枕ご飯のときのみ許されます。

  • ねぶり箸  箸についたものを口でなめること。

  • こじ箸   食器に盛った料理を箸でかき回し、自分の好物を取り出すこと。

  • 涙箸    箸の先から汁をぽたぽた落とすこと。

  • 箸渡し   箸で挟みあげた料理を別の箸で取ったり、箸と箸とで料理のやり取りをすること。

  • 渡し箸   食事の途中で箸を食器の上に渡して置くこと。これは「ご馳走様」の意味になる。

  • かき箸   食器の縁に口をあてて料理をかき込むこと。

  • 叩き箸   食器や食卓を箸で叩いたり、お箸どうしで太鼓のように音をたてること。

  • 探り箸   汁物など食器の中でかき混ぜて中身を探ること。

  • 迷い箸   どの料理にしようかと迷って料理の上であちこちと箸を動かすこと。

  • 寄せ箸   食器を箸で手前に引き寄せること。

  • 受け箸   箸を持ったままおかわりすること。

  • 持ち箸   箸を持った手で同時に他の食器を持つこと。

  • 振り箸   箸先に着いた食べ物を振り落とすこと。

  • 空箸    箸を一度料理につけておきながら、食べないで箸を置いてしまうこと。

  • くわえ箸  箸を置かず、お箸から手を離して口にくわえたままにすること。

  • 移り箸   あれこれとおかずばかり続けて食べること。

  • 込み箸   口に入れた食べ物をさらに箸で口の奥へ押し込むこと。

ついついやってしまってるなぁということもありますが、こういうことをきちんと知って実践していくのが日本人としての下ごしらえの一つなのだろうなぁと感じました。


日本とChinaの思想と文化の違い

『海と日本』 第20回
「大陸の発想VS島国の発想」
Chinaと日本。大陸の宿命と島国の限界が、両者の間に思わぬ発想方法の差異を育ててきた。
巨大な大陸国家であるChinaは6000年以上に渡って、東夷・西戎・南蛮・北狄の四辺と争いながら権力が存続してきた。周囲は敵であり力で劣れば国は収縮・消滅せざるをえない。
方や、国家の成立前から海洋によって隔離・保護されてきた島国の日本にとって、隣国は争うべき相手ではなかった。
アジアに存在する、この異なる2つの立場は互いを理解することが出来るのか、そしてその未来は?

誰にでも簡単にできる土作り!

誰にでもできる、家庭でできる土作りだそうです。家庭菜園をするとなると、堆肥を買ったり、グッズをそろえたりと何かと出費が多くなりがちですが、生ごみをたい肥にして土作りをすればお金もかかりません。
このような生活の中での実践を、うけひのもり学園でやっているようです。
うけひのもり公式HPはこちら!
http://ukehi.com

2010年11月25日木曜日

お箸のこころ

箸の語源

大和言葉の「は」 物の両端、物と物との境目
大和言葉の「し」 物をつなぎ止める、固定する、固着する、静止するなどの意

この二つの言葉を組み合わせた「はし」ということばは、向こうとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つ道具につけられたものだそうです。
例えば、端と端をつなぐ「橋」、高いところと地上をつなげる「はしご」。
そして、「お箸」もつなぐものです。一方の口に運ぶ先は人のもの、もう片方の端は神様のものとして考えられていました。食事の時にはお箸に神様が宿ると考えられていたそうです。

また、お供え物をするときにも「竹」が神様と人=もの(者)とをつなぐ役目をしたことから
その道具が「箸」と呼ばれるようになったといわれています。使うことで神様に感謝を捧げる、人と神様を結ぶ「橋渡し」の道具だったのでした。 

日本人の食事といえば、お箸を使うという行為があります。
正しいお箸の持ち方や、不作法とされる使い方など行儀や作法にも気を付けたいですが
お箸というものは器から口へ食べ物を運ぶための単なる道具ではないのですね。
まず、このお箸の由来、ご先祖様の発想、その心がとても素晴らしいと感じました。

昔の人は、どこへ行くにも自分の箸を持っていき、食事が終われば箸を手拭いでふいて箸入れにしまっていたそうです。今でいうところのマイ箸みたいですが、そればかりではなく死んだ時はお棺の中に箸を一緒に入れたりもしたそうです。

プラスチック製のお箸や使い捨ての割り箸などではなく、美しいお箸を持って大切に使いたくなりますね。長い長い年月、受け継がれてきたお箸のこころを知れば、自然とお箸の行儀や作法を敬う気持ちも湧いてくるのではないかと思います。

2010年11月24日水曜日

読書録 - 食の堕落と日本人

厳しいことがビシバシと書かれている小泉武夫さんの著書「食の堕落と日本人」 
第1章 日本食を食べない日本人は堕落するを読んで
食生活が乱れるとその人の体調が崩れるのと同じく、国民の食の周辺が乱れてくると、その国の社会も乱れてくる。
(中略)
そんな国になり下がった日本人だから、国の力もガタガタ低下。国民一体になって日の丸弁当と握り飯でがんばって、高度経済成長を実現し、世界一の富める国を築いたまではよかったが、皆が浮かれて民族としての生きる知恵や基本を忘れてしまったとたんから、食い物は外国からカネで買えば楽だわ、魚だって捕るの面倒臭いから外から買うのがちょうどいいわ、ということになって、食べ物は作らないわ、加工もしないわという堕落心がはびこってきたのである。

食事療法や健康維持の観点からご先祖様の昔ながらの知恵や習慣に沿った食事が理にかなっているのですよ、という切り口の本はたくさんありますが食文化の放棄・堕落が、民族性の放棄や食料自給率の問題、国防的観点にまで言及されているものは少ないのではないかと思います。
「金があるんだから買ってくればいいじゃないか」という発想が堕落の原点だと筆者は訴えています。まさに民族の存亡に関わる重大な現象であると。

お腹がすいたら食べ物を口に入れてお腹を満たす。
食べるとは、ただそれだけの行為ではありません。何となく、やれ暇だ退屈だと、あるいは何かほかの欲求を満たす代わりに食べ物を口へ入れるということがあります。そこには個々ののライフスタイルや様々な事情があり、それにとやかく口出しをするのは余計なお世話とでも言われてしまいそうな昨今ですが。でもあえて厳しい言い方をすれば、これはやはり堕落なのだと。

食べ物に感謝するのは大切なことです。まずは頂いた命に感謝。こうして食べられることに感謝。作ってくれた人や調理してくれた人にも感謝。そしてその次に、もっと大切なことがあります。
それは、その食べ物を無駄にしないように目的を持って、家族や周りの人の為、世の中の為になるような行いを心がけて生きるということです。頂いた命を無駄にしない、自分はそれらに生かされているということはそういうことなのだと。感謝する気持ちはあってもなかなか、ここまでの発想は出来ていない。自覚することとは自らをわきまえること、即ち気持ちを行動にまで向かわせることなんですね。
「食べ物で得たエネルギーは無駄にせずに何かを生産する為に使ってほしい」小学校の授業で筆者は子供たちにそう伝えたそうです。そういうエネルギーを作るために私たちはご飯を食べるんだと。

食べる事の意味を考えながら、日本食の素晴らしさについてもっと知りたいと思いました。


とびっきりニッポン人を楽しもうよ!

とびっきりニッポン人を楽しもうよ!

うけひのもり学園というところのキャッチフレーズです。
この学園はニッポンの家庭における理想的な家族生活モデルの実践・指導・普及を推進する教育機関です。

カリキュラムを見ると子育ての極意とか家族円満の素といった言葉が出てきます。現代は核家族化が進んだりして子育てに悩んでいる人や孤独を感じている人が増えたという話を聞くこともあります。
また、外国で仕事をしたり、外国人と接していて、ニッポン人ってなんだろう?みたいな疑問を持つこともあります。

うけひのもり学園。
おもしろいかもしれません。

うけひのもり学園ホームページ http://ukehi.com/

2010年11月19日金曜日

読書録 - 大西郷遺訓

最近は通勤電車に乗らないので、本を読む時間がなくて読もうと思って買った本がたまる一方。そんな中から一冊を紹介します。
この『大西郷遺訓』は、国学を少し勉強しようと思って物色しているときにたまたま見つけた本です。
あまり歴史の授業が面白く思えずに、学生時代にしっかり勉強しなかったこともあって、歴史に関しての知識はあまりありません。私が紹介する本はそんな人でも読みやすいはずです。

この本は西郷さんが言ったとされる言葉を、政治や人材といったテーマごとに、原文に意訳と解釈を付けて一つ一つ味わおうという趣旨のようです。


「政の大体は文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は、皆この三つのものを助けるの具なり。この三つのものの中において、時に従い勢いに因り、施行先後の順序はあれど、この三つのものを後にして他を先にする更になし。」

これは、大事なのは教育、軍事、農業で、それ以外はこれらを助けるものだ、というわかりやすい例です。

日本の教育が衰退しているという声はよく聞きます。お隣の韓国などは留学して学位を取らないと見識があるとは認められないなどという熾烈な教育競争をしているようです。
軍事に関しては、日本は交戦権が否定されてしまっている憲法下で、立派な装備を持った自衛隊を持つといういびつな形です。
違憲なのに違憲ではないなどと言い加減な解釈をしたり。
農業は食糧自給率の問題と言い換えてもいいかもしれませんが、これも日本はお世辞にもいい状況とは言えません。
エネルギー自給率も低いので、燃料を使って生産される農産物の自給率は相当低いでしょう。

西郷さんの言葉は今を生きる私たちへの忠告とも言えるかもしれません。

2010年11月15日月曜日

日本のアニメの威力

アニメはそんなに観ないのでアニメに関する薀蓄は持ち合わせていませんが、面白い話を聞いたのでそれを書きます。
Facebookのメンバーになっているのですが、海外での日本のアニメや音楽の人気はかなりのものです。
時々チャットをする友人の中にも日本のアニメファンが大勢います。面白いのは彼らがアニメをきっかけに、日本語を勉強し始めたり、日本食を食べるようになったり、日本の歴史を勉強したりすることです。アニメの力は凄いなと思って話を聞いています。

そんな彼らの一人に聞かされた話を一つ紹介します。
ギリシャの人ですが、Narutoの大ファンで心は日本人だと言ってる人がいます。
日本のアニメによく出てくる言葉で好きな言葉があって、それがギリシャでは最近あまり聞かれなくなったと言います。その言葉は「護る」。日本のアニメには「家族を護る」、「女性を護る」という言葉が多い。そういう感覚を日本人が持っているんじゃないかと思って日本に興味を持ったとか。
大昔のギリシャの戦士たちは男性も女性も勇敢で強かったけれど、今のギリシャは変わってしまったと。個人的な感想なので、実際にどうなのかはわかりませんが。

そんな会話から始まって、日本とギリシャの違いを文化、歴史、思想、産業、風俗など、いろいろな側面で比べてお互いの事を理解して行くのが好きだったりします。
日本の武士道や神話、伝統的な価値観を下手な英語で、というか英語やギリシャ語を教えてもらいながら説明するようにしていますが、わかってもらえると日本に対する関心が高まる。

東洋の不思議な国の日本が魅力的な国であるように。日本人が魅力的であるように。頑張れよと言われているような気がします。
アニメの世界に現実が負けないようにしないと。

2010年11月14日日曜日

広島被爆地への巡幸

このビデオは昭和天皇が大東亜戦争直後に原爆の被災地である広島を巡幸された時のものです。
とてつもない歓迎ぶりですね。

昭和天皇は爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万人の奉迎を受けられました。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われ、原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして目頭を押さえられました。
各地で昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」、「家はあるのか」と人々に声をかけられました。
全国各地の、あまりの熱烈な歓迎、そして禁止されていた日の丸を振る者もあらわれ、危惧したGHQは巡幸を1年間中止にしました。

陛下は戦争で疲弊した臣民を励ますために日本中を巡幸なさいましたが、陛下を迎える人々が逆に陛下を慰めるような事もあったそうです。天皇と臣民の一体感とでも言えるのかもしれません。

この投稿では「臣民」という言葉を使ってみました。
私は国民という言葉に少し抵抗があります。
祖母には「お前は日本人なんだから・・・」のように言われて育ったし、他の人にも「あなたは日本国民だ」なんて言われた事がありません。また、国民という言葉がどこか虚ろな印象を持っていました。
調べてみたら「国民」という概念は「想像上の共同体」のような意味だとか。我が国の歴史上、この言葉が使われるようになったのは最近のことのようです。伝統的な日本の国の在り方から考えれば臣民の方が似合うのかもしれないです。

2010年11月12日金曜日

日本が日本であり続けるために

日本っていいなぁと思う人のために、どうすれば日本が日本らしくいられるか、どうしたら日本がもっと良い国になるか、そんなことを考えるきっかけになる事をときどき書こうと思います。

最初のエントリーは真正護憲論(新日本国憲法無効論)です。
國體護持塾のホームページを見つけてこの理論を読んだ時は衝撃的でした。
人によっては現実の認識を一変させてしまうくらいの衝撃があるかもしれません。
この理論を産んだ南出喜久治氏は、この憲法論を世界の安定を目指す理論体系の序章として位置付けているようです。

國體護持塾のページはこちら。
http://kokutaigoji.com
國體護持総論のページはこちら。
http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
旧漢字仮名遣いで書かれているので、最初は読みにくいかもしれませんが。
目から鱗が落ちたという人が続出しています。

また、この憲法論に関連する公開講座のビデオもあります。
YouTubeで検索すればすぐに見つかると思いますが、面倒臭いという人のために、全講座のビデオはここにも置いてあります。
http://portal.artesware.net/~ktsubaki/index.html


次回は経済、神話、文學、何を書こうか悩んでます。
たぶんかなり不定期なブログになると思いますので、気長にお付き合いください。