日本の文化・伝統・歴史防衛講座
十万フランの贈り物
今から87年前の大正12年9月1日のことです。
マグニチュード7.9の大地震が南関東一帯を襲いました。
死者行方不明者は十万人以上となる大惨事となりました。
このニュースは世界各国に流れ、各国は日本への支援に動き出します。
経済大国であるアメリカ、イギリスから莫大な援助金が送られてきましたが、
日本中を一番驚かせたのは地震発生からわずか11日後にベルギーが
10万フランもの大金を贈ってくれたことです。
最終的には264万フラン(約35万円)となり、現在の価値にすると
7億円相当で、大国アメリカ、イギリスに次ぐ金額でした。
ベルギーは国土が日本の1/10という小さな国です。しかも、
このときはヨーロッパで大きな戦争があった後でベルギーは大変傷ついていました。
どうしてベルギーは過大なまでに日本を助けたのでしょうか。
このわけはもう少し昔の明治時代にさかのぼります。
ベルギーからダネタンという大使が日本にやってきました。
明治時代に日本は清国、ロシアと戦争をしています。
このとき、各国の報道で「日本軍は残虐なことをしました」「日本国内で
外国人が迫害されている」という間違った報道が行われました。
これをダネタン大使が報道の誤りを是正し、真実を伝えてくれたのです。
大正3年にヨーロッパで大きな戦争が起こり、ベルギーは戦争に巻き込まれ、
ドイツに占領されてしまいました。
国王のアルベール1世は亡命し、多くの国民は難民生活をさせられました。
日本国民はベルギーに同情し、義捐金を集め送り届けます。
新聞社は日本の心を伝えようとアルベール1世に備前長船という織田信長が所持していた
とされる日本刀を献上しました。
戦争が終った後、日本の皇太子殿下(後の昭和天皇)はヨーロッパ歴訪の際、
ベルギー訪問を強くご希望され実現します。
皇太子殿下の訪問が弔問の意味があることを知ったベルギー国民は殿下を熱烈歓迎しました。
関東大震災のベルギーの贈り物はこうした背景があったのです。
そして、平成7年の阪神大震災のときもベルギーは日本を支援してくれています。
それからベルギーの王室と日本の皇室とは深い親交が続いており、平成5年、
ベルギー国王の葬儀に両陛下で出席されましたが、これは歴代天皇で外国王室の葬儀に
出席した初めての例となっています。
(月刊「みんなのうけひのもり」より)
毎月、月刊誌では、
太郎先生の「大好き!ニッポン」講座で
日本の文化・伝統・歴史防衛が学べます♪
月刊「みんなのうけひのもり」ご購読はコチラからできます。
2010年12月31日金曜日
家庭で自給率アップ!
常日頃から低い低いと言われている日本の食糧自給率。
いろいろな基準で数字が発表されていますが、どれをとってもそれほど高くないですね。
また、何年か前に中国で作られた冷凍ギョーザに農薬が入っていて、食の安全についての議論が巻き起こりました。
究極の安全な食べ物ということになると、これはもう自分で作るのが一番であることを疑う人は少ないのではないでしょうか?
最初は小さな規模でもいいので、思い切って自分で作ってみるというのはどうでしょうか?
そんなお誘いが「うけひのもり学園」様からいただいた「月刊みんなのうけひのもり」にあったのでご紹介します。
はじめようー♪
家庭で自給率アップ!
無農薬・無肥料で家庭菜園を始めたい!
自分でハーブや薬草を育ててみたい!
でも近くに相談できる人がいない・・・
というお声を頂く事が増えました。
土と触れる生活の楽しさや
毎日、土や植物から元気をもらう嬉しさは
「やってみたいわ!」という方には
ぜひとも始めていただきたいと思います。
そこで来年度より、家庭菜園の情報交換会や
自分でとった種の交換、また収穫物の交換・報告会
などを各地で出来ればとっても楽しい♪と思います。
地元で御世話いただける方がおられましたら、
ぜひ!ご連絡頂きたいです。
とっても楽しみにして、
皆様からのご連絡をお待ち致しております!
メールで♪ office@ukehi.com
お電話で♪ 075.204.8609
『月刊みんなのうけひのもり』には小学生でも読めるような漫画を使った「日本人らしい生き方」や大人が読んでもうなるような思想、哲学、法学、歴史に関する内容、家庭菜園や文化に関する話題など、日本を知るために有益な情報がぎっしり詰まっています。「うけひのもり」のホームページはこちら→ http://ukehi.com/
いろいろな基準で数字が発表されていますが、どれをとってもそれほど高くないですね。
また、何年か前に中国で作られた冷凍ギョーザに農薬が入っていて、食の安全についての議論が巻き起こりました。
究極の安全な食べ物ということになると、これはもう自分で作るのが一番であることを疑う人は少ないのではないでしょうか?
最初は小さな規模でもいいので、思い切って自分で作ってみるというのはどうでしょうか?
そんなお誘いが「うけひのもり学園」様からいただいた「月刊みんなのうけひのもり」にあったのでご紹介します。
はじめようー♪
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でも近くに相談できる人がいない・・・
というお声を頂く事が増えました。
土と触れる生活の楽しさや
毎日、土や植物から元気をもらう嬉しさは
「やってみたいわ!」という方には
ぜひとも始めていただきたいと思います。
そこで来年度より、家庭菜園の情報交換会や
自分でとった種の交換、また収穫物の交換・報告会
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地元で御世話いただける方がおられましたら、
ぜひ!ご連絡頂きたいです。
とっても楽しみにして、
皆様からのご連絡をお待ち致しております!
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お電話で♪ 075.204.8609
『月刊みんなのうけひのもり』には小学生でも読めるような漫画を使った「日本人らしい生き方」や大人が読んでもうなるような思想、哲学、法学、歴史に関する内容、家庭菜園や文化に関する話題など、日本を知るために有益な情報がぎっしり詰まっています。「うけひのもり」のホームページはこちら→ http://ukehi.com/
大祓とは?
とうとう今日で今年も終わり。
明日から新しい年です。
大祓は国民のために行われる神事の一つです。
知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事を「大祓」といいます。 毎年六月と十二月の二回、その月の末日に行います。 六月の大祓を「夏越しの大祓」、十二月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。 平安時代初期の国家の法制書『延喜式(えんぎしき)』にも、六月と十二月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。 大祓には「形代」(撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかげます。 そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。 また、疫病や罪穢を祓う「茅の輪くぐり」も行われます。
神社と神道より引用
http://jinja.jp/
新年を迎える準備は万端でしょうか?
家族で年越し蕎麦を食べたり、家族でテレビを観ながらお酒を飲んだり、初詣に出かけたり。
みなさんはどんな大晦日を過ごすのでしょうか?
来年も良いお年を。
明日から新しい年です。
大祓は国民のために行われる神事の一つです。
知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事を「大祓」といいます。 毎年六月と十二月の二回、その月の末日に行います。 六月の大祓を「夏越しの大祓」、十二月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。 平安時代初期の国家の法制書『延喜式(えんぎしき)』にも、六月と十二月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。 大祓には「形代」(撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかげます。 そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。 また、疫病や罪穢を祓う「茅の輪くぐり」も行われます。
神社と神道より引用
http://jinja.jp/
新年を迎える準備は万端でしょうか?
家族で年越し蕎麦を食べたり、家族でテレビを観ながらお酒を飲んだり、初詣に出かけたり。
みなさんはどんな大晦日を過ごすのでしょうか?
来年も良いお年を。
2010年12月28日火曜日
式年遷宮とギリシャの友人
伊勢神宮(神宮という)では持統天皇4年(皇紀1350年=西暦690年)の第1回から20年ごとに式年宮が行われています。平成25年には第62回目が予定されています。
上の動画は第61回のものです。
詳しくは伊勢神宮公式サイトをご覧ください。http://www.isejingu.or.jp/shikinensengu/
Facebookで知り合ったギリシャの友人とは、どちらも神話に興味があったので、よくお互いの国の歴史や文化について話をしました。
ギリシャにも数々の神話があり、興味深い話をたくさん教えてくれました。
神話を持つ日本に対しては特別な感情を持っているようで、熱心に私のつたない英語の説明を読んで質問をされたんですが、この式年遷宮の話をしたときは、かなり驚いたようです。
友人曰く
「ギリシャでは神話は残っているけれど、古い宮殿は今では観光スポットとして残されているだけど、多くの文化的歴史的価値のあるものは、他の国に奪われてしまった」
「新幹線や送電システム、インターネットや家電製品、自動車や船舶など、多くの分野で世界最先端の技術を持っている日本では、古代が今も生きていて、現代と共存している」
「日本人は時間と一緒に生きているんだね」
祖先祭祀や自然祭祀と科学技術が共存しているのが当たり前のことのように思っている私たちですが、ギリシャの友人からみると Amazing なんだそうです。
今では「生まれと見た目はギリシャ人、心は日本人だ」なんていうほどの日本びいきで、将来日本人なるのが夢だとか。
第62回の式年遷宮。
平成17年の山口祭に始まり着々と進められているようです。
平成25年には多くの催しが執り行われるので、いくつかは実際に自分の目で見てみたいです。できれば、このギリシャの友人も連れて。
2010年12月27日月曜日
「よい日本人」 尋常小学校修身書より
修身とは「身を正しくおさめ、立派な行いをすることにつとめること」。
教育勅語とともに我が国の教育において重要な位置をあった修身。教育勅語が繰り返し暗唱することで「身に付く」ことを狙ったように、わかりやすい言葉で書かれた修身が日本人の道徳観を養うのに大きな役割を持っていました。
尋常小学校修身書第三第二十七
「よい日本人」
よい日本人となるためには、つねに天皇陛下・皇后陛下の御徳をあふぎ、またつねに皇大神宮をうやまつて、ちゆうくんあいこくの心をおこさなければなりません。
父母に孝行をつくし、師をうやまひ、友だちにはしんせつにし、近所の人にはよくつきあはなければなりません。しやうじきで、くわんだいで、じぜんの心も深く、人からうけたおんをわすれず、人と共同してたすけあひ、じぶんの物と人の物とのわかちをつけ、又せけんのためにこうえきをはからなければなりません。その外ぎやうぎをよくし、物をせいとんし、しごとにほねをりがくもんにははげみ、からだのけんかうにきをつけ、ゆうきをやしなひ、かんにんの心つよく、物にあわてないやうにし、又けんやくの心がけがなければなりません。
かやうにじぶんのおこなひをつつしんで、よく人にまじはり、よのため人のためにつくすやうに心がけるのは、よい日本人になるに大切なことです。
さうしてこれらの心えはまごころからおこなはなければなりません。
修身書は旧仮名遣い(正統仮名遣い?)なので、少し慣れるまでは読みにくいかもしれませんが、小学生でもわかるように平易な言葉で書かれているので、すぐに読めるようになるでしょう。
いわゆる日本国憲法に書かれているような「個人の権利」のみを尊重した現代の個人主義が広まった時代では、「よい」日本人が何か、「こうしなければいけない」という教えなどは、思想の押しつけだという人も出てくるでしょうが、書かれていることはもっともなことばかりです。
ここに書かれているようなことを大人が実践して子供に示すようにすれば、決してそれは押しつけにはならないでしょうし、これらは修身書として書かれる前から日本人が良いと思って実践してきたことでもあります。
開国や明治維新を経て日本には欧米の文化や学問が激流のごとく流れ込んできましたが、日本人としてどうあるべきか、あるいは日本人はどんなだったのか、ということが薄れていくことへの懸念もあったと思います。
このような教えが当たり前だった時代の日本人と今の日本人はどれくらいの違いがあるのでしょうか?
今回は自分の反省も含めて、修身の1ページをご紹介しました。
「物をせいとんし」・・・年末の大掃除をやらなくては。
本ブログに情報提供をしていただいているうけひのもり学園様より『月刊みんなのうけひのもり』のサンプルをいただいて紹介しました。『月刊みんなのうけひのもり』には小学生でも読めるような漫画を使った「日本人らしい生き方」や大人が読んでもうなるような思想、哲学、法学、歴史に関する内容、家庭菜園や文化に関する話題など、日本を知るために有益な情報がぎっしり詰まっています。「うけひのもり」のホームページはこちら→ http://ukehi.com/
教育勅語とともに我が国の教育において重要な位置をあった修身。教育勅語が繰り返し暗唱することで「身に付く」ことを狙ったように、わかりやすい言葉で書かれた修身が日本人の道徳観を養うのに大きな役割を持っていました。
尋常小学校修身書第三第二十七
「よい日本人」
よい日本人となるためには、つねに天皇陛下・皇后陛下の御徳をあふぎ、またつねに皇大神宮をうやまつて、ちゆうくんあいこくの心をおこさなければなりません。
父母に孝行をつくし、師をうやまひ、友だちにはしんせつにし、近所の人にはよくつきあはなければなりません。しやうじきで、くわんだいで、じぜんの心も深く、人からうけたおんをわすれず、人と共同してたすけあひ、じぶんの物と人の物とのわかちをつけ、又せけんのためにこうえきをはからなければなりません。その外ぎやうぎをよくし、物をせいとんし、しごとにほねをりがくもんにははげみ、からだのけんかうにきをつけ、ゆうきをやしなひ、かんにんの心つよく、物にあわてないやうにし、又けんやくの心がけがなければなりません。
かやうにじぶんのおこなひをつつしんで、よく人にまじはり、よのため人のためにつくすやうに心がけるのは、よい日本人になるに大切なことです。
さうしてこれらの心えはまごころからおこなはなければなりません。
修身書は旧仮名遣い(正統仮名遣い?)なので、少し慣れるまでは読みにくいかもしれませんが、小学生でもわかるように平易な言葉で書かれているので、すぐに読めるようになるでしょう。
いわゆる日本国憲法に書かれているような「個人の権利」のみを尊重した現代の個人主義が広まった時代では、「よい」日本人が何か、「こうしなければいけない」という教えなどは、思想の押しつけだという人も出てくるでしょうが、書かれていることはもっともなことばかりです。
ここに書かれているようなことを大人が実践して子供に示すようにすれば、決してそれは押しつけにはならないでしょうし、これらは修身書として書かれる前から日本人が良いと思って実践してきたことでもあります。
開国や明治維新を経て日本には欧米の文化や学問が激流のごとく流れ込んできましたが、日本人としてどうあるべきか、あるいは日本人はどんなだったのか、ということが薄れていくことへの懸念もあったと思います。
このような教えが当たり前だった時代の日本人と今の日本人はどれくらいの違いがあるのでしょうか?
今回は自分の反省も含めて、修身の1ページをご紹介しました。
「物をせいとんし」・・・年末の大掃除をやらなくては。
本ブログに情報提供をしていただいているうけひのもり学園様より『月刊みんなのうけひのもり』のサンプルをいただいて紹介しました。『月刊みんなのうけひのもり』には小学生でも読めるような漫画を使った「日本人らしい生き方」や大人が読んでもうなるような思想、哲学、法学、歴史に関する内容、家庭菜園や文化に関する話題など、日本を知るために有益な情報がぎっしり詰まっています。「うけひのもり」のホームページはこちら→ http://ukehi.com/
2010年12月22日水曜日
【寄稿・読書録】さらば 在日日本人
日本国憲法とは何か、どのようにできたかについての読書録です。
寄稿いただきありがとうございました。
Ⅰ.国家理念なき憲法ー国家の正当性の欠落
現在では日本国憲法はGHQの押し付け憲法であることは公然の秘密だが、世界最大の軍事大国が戦争放棄の憲法を人類の理想であるからと押し付けるのは冗談にもほどがある。それをするなら自らが放棄してからにせよと言ってみても仕方がないが。
現行憲法の制定過程については多少の紆余曲折はあったが基本的にはs21年2月13日に手交された次の三原則(マッカーサー三原則)に基づいて作成された。
また形式的には明治憲法第73条による改正ということにされたが、GHQが一週間位でつくった英文憲法を日本政府案として提出し、それを審議してあたかも日本の国会が憲法制定したような形を整えたにすぎない。そこで当時の帝国議会(貴族院)は時間切れで審議未了でながしてしまう計画であったが、それも時間切れの5分前で時計は全部止められ強行採決されてしまったのである。衆議院にしてもS21年の4月の総選挙が行われてできたのだが直前に公職追放が行われ、当時の進歩党などは既成議員が90%以上も追放されて候補者がいなくなっていた。さらに当時国民には言論の自由があたえられず、新聞社は厳重な検閲下に置かれており、その検閲のもっとも重要な対象が「SCAPが憲法を起草したことにたいする批判」であった。このような顛末でできあがった憲法がまともであるはずがない。従属国フィリピンの憲法にお湯をかけてたった1週間でできたインスタントラーメンのような憲法なのである。国家は独立国として当然あるべき主権を放棄し逆に国民にはあるはずのない主権を与え国民を「無限の権力」として主権の保有者とする。つまり、国際社会においては殴られても殴り返しませんと表明し、正当な権利を主張せず、国家にたいしては不当な権利を要求して国内騒乱を扇動示唆しているのである。
憲法前文ではそれらが人類普遍の原理だと喝破するのだから恐れいる。現行憲法が我が国を骨抜きするための「占領憲法」である所以だ。憲法はあらゆる国家の基本権(主権、独立、平等、自衛、宣戦布告、交戦、名誉権など)を前提とするが故に成立するわけだが、これはもう実質的には憲法ではなく「独立放棄宣言」かあるいは「国家否定宣言」の類であって条約的性質のものである。そもそも憲法の議論になると第9条が中心になるきらいがあるがこの第9条はそもそも前文に由来する。重要なのは個々の条文よりもむしろ全体を貫く思想であって問題の本質は現行憲法の理念である前文が最大の論点といえる。東京裁判史観によって成り立つ憲法前文の論理は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という悪い日本政府が間違った戦争を起こしたことを反省するという見解に立脚していて、日本は侵略国であり、国家権力は悪であるということをまず前提としているのだ。そして「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」のはいいとしても、「平和を愛する国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という東京裁判史観に輪をかけたようなウソが書いてある。この世界に公正と信義に信頼できる諸国がどこに存在するのか。国際法のなかでも基本中の基本である「内政不干渉の原則」すら守れない国(中共憲法の前文には相互内政不干渉が書かれている)が近隣にあるのに。このように憲法前文には国家観念を喪失せしめる、もしくは反国家、反権力を賛美する思想が込められているのである。
この思想汚染によって「負けるから軍備をもってもしようがない」という敗北主義がこの国を支配するに至ったのである。
また日本民族の精神生活を縛るために米国から押し付けられた憲法なのだから当然であるが、歴史や伝統を継承していないという意味で常識が欠落した「非常識憲法」ともいえる。
そもそも憲法とはコンスティチューションのことで英国ではじまった考え方だが、この意味するところは、体格、体質、であって、それは国柄である。それをどれだけ憲法に盛り込めるかが大事なのであって憲法には、その国が歴史の中で培ってきた伝統に基づく国柄が)述べられたものでなくてはならない。
Ⅱ.現行憲法の三大悪 平和主義、国民主権、基本的人権
一つ目、最大の害悪は他人まかせの平和主義観念である。「平和を愛する諸国民、、、」は憲法9条と関連したもので、自らの安全も生存も他国に依存しようとする平和主義の「戦争放棄」の根拠はここにある。自らの生存さえも守ろうとしないと決意するとは、まさに奴隷宣言である。欧米では平和主義といえば、その多くが無責任で無関心な者という否定的な意味でつかわれる。
二つ目は憲法前文には「主権が国民に存する」ことが人類普遍の原理だと謳っているが、「国民主権」は人治主義であって「戦後民主主義教」もこの「国民主権」に由来し、法治主義である文明に逆行する。それはハイエクがいっているように「主権」がどこにあるかと問われればどこにもないというのがその答えである。
現在の国際社会を構成している国民国家は、すべて憲法に基づく立憲体制をとっているのであって、「主権」が無制限の権利と定義されるなら、そこの主権の入り込む余地はありえないのだ。ルソーにより「国民主権」が編み出された。誰が絶対的で無制限の権力を握るのかという対立でしかなく、対内的な主権概念は前近代の概念である。本来、主権は最高性、独立性を意味するもので、法によって制限を受けたり権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約をうける統治権とは異なり、近代では不要で不適合なものであって、主権は絶対主義のイデオロギーなのである。したがって「主権」の用語は国際法上の「国家主権」という意味のみに使用するのが現実的である。
そして三つ目の「人権」についてはアナクロニズムだということである。こんな時代錯誤のスローガンを並べるのが現行憲法である。
人権等がある程度有効であったのは、奴隷制度や人身売買などによって著しく人の自由が束縛されている場合であって、我が国には全く無用であるし現在は国際社会で外交に悪用されているだけで全く益はない。人間ならばだれだって持っている権利が人権なのだというような人間であることですでに何らかの権利を保持しているという前提で成り立っている。これは一神教的な考えに由来するもので、欧米流の一元的な世界観から成り立っている。人間を他の動物より上位に置く独善的で思いあがった思想はわが日本人には理解しがたい観念というしかない。
それに現行憲法では様々な権利が明記されているがいずれにせよ人民の自決権が認められず、国家が奴隷のように外国に従属するような状況の下では権利もクソもない。たとえ人権なるものがありうるとしても、人権そのものの享有が不可能となる。25条で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」などと、謳っているが、個人が化的な生活を営めるのは、その個人を支える共同体の歴史や伝統が守られているからである。国家の独立が許されず、国家の自由が縛られたままで個人の自由などあるはずがなく、個人の文化的生活を保障するのは、国家の歴史や伝統が護持されているが故であって、それが否定された状況で個人の文化的生活が営める訳がない。
「さらば 在日日本人」山下 正仁著 展転社
寄稿いただきありがとうございました。
Ⅰ.国家理念なき憲法ー国家の正当性の欠落
現在では日本国憲法はGHQの押し付け憲法であることは公然の秘密だが、世界最大の軍事大国が戦争放棄の憲法を人類の理想であるからと押し付けるのは冗談にもほどがある。それをするなら自らが放棄してからにせよと言ってみても仕方がないが。
現行憲法の制定過程については多少の紆余曲折はあったが基本的にはs21年2月13日に手交された次の三原則(マッカーサー三原則)に基づいて作成された。
- 天皇は国家の首部にある。皇位の継承は世襲である。天皇の義務および機能は、憲法にもとづき行使され、憲法の定める人民の基本意思に対応する。
- 国家の主権的権利としての戦争を破棄する。日本は国家の紛争解決のための手段としての戦争および自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念にゆだねる。
- 日本の封建制度は廃止される。皇室を除き華族の権利は現存する者一代以上に及ばない。華族の授与は爾後どのような国民的または市民的な政治権力を含むものではない。
また形式的には明治憲法第73条による改正ということにされたが、GHQが一週間位でつくった英文憲法を日本政府案として提出し、それを審議してあたかも日本の国会が憲法制定したような形を整えたにすぎない。そこで当時の帝国議会(貴族院)は時間切れで審議未了でながしてしまう計画であったが、それも時間切れの5分前で時計は全部止められ強行採決されてしまったのである。衆議院にしてもS21年の4月の総選挙が行われてできたのだが直前に公職追放が行われ、当時の進歩党などは既成議員が90%以上も追放されて候補者がいなくなっていた。さらに当時国民には言論の自由があたえられず、新聞社は厳重な検閲下に置かれており、その検閲のもっとも重要な対象が「SCAPが憲法を起草したことにたいする批判」であった。このような顛末でできあがった憲法がまともであるはずがない。従属国フィリピンの憲法にお湯をかけてたった1週間でできたインスタントラーメンのような憲法なのである。国家は独立国として当然あるべき主権を放棄し逆に国民にはあるはずのない主権を与え国民を「無限の権力」として主権の保有者とする。つまり、国際社会においては殴られても殴り返しませんと表明し、正当な権利を主張せず、国家にたいしては不当な権利を要求して国内騒乱を扇動示唆しているのである。
憲法前文ではそれらが人類普遍の原理だと喝破するのだから恐れいる。現行憲法が我が国を骨抜きするための「占領憲法」である所以だ。憲法はあらゆる国家の基本権(主権、独立、平等、自衛、宣戦布告、交戦、名誉権など)を前提とするが故に成立するわけだが、これはもう実質的には憲法ではなく「独立放棄宣言」かあるいは「国家否定宣言」の類であって条約的性質のものである。そもそも憲法の議論になると第9条が中心になるきらいがあるがこの第9条はそもそも前文に由来する。重要なのは個々の条文よりもむしろ全体を貫く思想であって問題の本質は現行憲法の理念である前文が最大の論点といえる。東京裁判史観によって成り立つ憲法前文の論理は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」という悪い日本政府が間違った戦争を起こしたことを反省するという見解に立脚していて、日本は侵略国であり、国家権力は悪であるということをまず前提としているのだ。そして「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」のはいいとしても、「平和を愛する国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という東京裁判史観に輪をかけたようなウソが書いてある。この世界に公正と信義に信頼できる諸国がどこに存在するのか。国際法のなかでも基本中の基本である「内政不干渉の原則」すら守れない国(中共憲法の前文には相互内政不干渉が書かれている)が近隣にあるのに。このように憲法前文には国家観念を喪失せしめる、もしくは反国家、反権力を賛美する思想が込められているのである。
この思想汚染によって「負けるから軍備をもってもしようがない」という敗北主義がこの国を支配するに至ったのである。
また日本民族の精神生活を縛るために米国から押し付けられた憲法なのだから当然であるが、歴史や伝統を継承していないという意味で常識が欠落した「非常識憲法」ともいえる。
そもそも憲法とはコンスティチューションのことで英国ではじまった考え方だが、この意味するところは、体格、体質、であって、それは国柄である。それをどれだけ憲法に盛り込めるかが大事なのであって憲法には、その国が歴史の中で培ってきた伝統に基づく国柄が)述べられたものでなくてはならない。
Ⅱ.現行憲法の三大悪 平和主義、国民主権、基本的人権
一つ目、最大の害悪は他人まかせの平和主義観念である。「平和を愛する諸国民、、、」は憲法9条と関連したもので、自らの安全も生存も他国に依存しようとする平和主義の「戦争放棄」の根拠はここにある。自らの生存さえも守ろうとしないと決意するとは、まさに奴隷宣言である。欧米では平和主義といえば、その多くが無責任で無関心な者という否定的な意味でつかわれる。
二つ目は憲法前文には「主権が国民に存する」ことが人類普遍の原理だと謳っているが、「国民主権」は人治主義であって「戦後民主主義教」もこの「国民主権」に由来し、法治主義である文明に逆行する。それはハイエクがいっているように「主権」がどこにあるかと問われればどこにもないというのがその答えである。
現在の国際社会を構成している国民国家は、すべて憲法に基づく立憲体制をとっているのであって、「主権」が無制限の権利と定義されるなら、そこの主権の入り込む余地はありえないのだ。ルソーにより「国民主権」が編み出された。誰が絶対的で無制限の権力を握るのかという対立でしかなく、対内的な主権概念は前近代の概念である。本来、主権は最高性、独立性を意味するもので、法によって制限を受けたり権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約をうける統治権とは異なり、近代では不要で不適合なものであって、主権は絶対主義のイデオロギーなのである。したがって「主権」の用語は国際法上の「国家主権」という意味のみに使用するのが現実的である。
そして三つ目の「人権」についてはアナクロニズムだということである。こんな時代錯誤のスローガンを並べるのが現行憲法である。
人権等がある程度有効であったのは、奴隷制度や人身売買などによって著しく人の自由が束縛されている場合であって、我が国には全く無用であるし現在は国際社会で外交に悪用されているだけで全く益はない。人間ならばだれだって持っている権利が人権なのだというような人間であることですでに何らかの権利を保持しているという前提で成り立っている。これは一神教的な考えに由来するもので、欧米流の一元的な世界観から成り立っている。人間を他の動物より上位に置く独善的で思いあがった思想はわが日本人には理解しがたい観念というしかない。
それに現行憲法では様々な権利が明記されているがいずれにせよ人民の自決権が認められず、国家が奴隷のように外国に従属するような状況の下では権利もクソもない。たとえ人権なるものがありうるとしても、人権そのものの享有が不可能となる。25条で「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」などと、謳っているが、個人が化的な生活を営めるのは、その個人を支える共同体の歴史や伝統が守られているからである。国家の独立が許されず、国家の自由が縛られたままで個人の自由などあるはずがなく、個人の文化的生活を保障するのは、国家の歴史や伝統が護持されているが故であって、それが否定された状況で個人の文化的生活が営める訳がない。
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2010年12月21日火曜日
日中国交正常化にみる憲法の矛盾
日本国憲法が憲法としての効力を持っていないことが現象として現れている例の一つです。
いつまで国はこのような偽装を続けるのでしょうか? これを見ると、日本は法治国家という言葉も疑いたくなります。
以下、『日本の暦』のコンテンツからの引用です。
日中国交正常化とは、日本と中国共産党率いる中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった出来事である。
1972年9月29日、中華人民共和国の北京で行われた「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立した。なお、日中共同声明に基づき、日本はそれまで国交のあった中華民国に断交を通告した。
【憲法9条と交戦権】
この声明の中には「戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は~」という件がある。つまりこの調印によって日中間の戦争状態が終結したことを意味し、いわばそれ以前は停戦状態ではあっても法的には戦争状態は続いていたということになる。1952年(昭和27年)サンフランシスコ平和条約において、我が国は主権を回復したものの、日本はいまだ交戦権を持たない国家である。(1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法の9条第2項では「国交戦権はこれを認めない」とある)この9条の解釈は、とくに様々である。交戦権においては「国際法において交戦国に認められている権利(Belligerent Rights)」をいうとする説が多数説であり、また政府見解も「交戦者として戦時国際法上認められている権利」をいうとしている。交戦権とは単に戦争をする権利、ということではなく、戦争に付随するその戦争の始まりから終わりまでのいっさいの行動全般の権利を指す。とするならば、憲法9条第2項において我が国は、戦争を終結する講和を結ぶ権利は認められていないということになる。
更に、我が国は日中国交正常化と同時に、台湾の中華民国政府(国民政府)との国交を断絶し、日華平和条約(1952年4月調印)は失効した。日華平和条約とは、日本と中華民国の間の第二次世界大戦における戦争状態を終結した条約(第1条)であった。端的に述べれば、これは戦争状態の終結を破棄したことを意味し、現実的には台湾と戦争状態にはないものの、法的には一旦終結させた戦争を取り消した=宣戦布告という解釈も可能になる出来事であった。
日本国憲法
Chapter II. Renunciation of War
第2章 戦争の放棄
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
このような憲法9条を保持しながら、日中国交正常化における一連の我が国の行為の矛盾をどう捉えるべきなのか、またこのことを広く日本国民が認識するところとなる事を願う。
いつまで国はこのような偽装を続けるのでしょうか? これを見ると、日本は法治国家という言葉も疑いたくなります。
以下、『日本の暦』のコンテンツからの引用です。
日中国交正常化とは、日本と中国共産党率いる中華人民共和国とが国交を結ぶこととなった出来事である。
1972年9月29日、中華人民共和国の北京で行われた「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立した。なお、日中共同声明に基づき、日本はそれまで国交のあった中華民国に断交を通告した。
【憲法9条と交戦権】
この声明の中には「戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は~」という件がある。つまりこの調印によって日中間の戦争状態が終結したことを意味し、いわばそれ以前は停戦状態ではあっても法的には戦争状態は続いていたということになる。1952年(昭和27年)サンフランシスコ平和条約において、我が国は主権を回復したものの、日本はいまだ交戦権を持たない国家である。(1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法の9条第2項では「国交戦権はこれを認めない」とある)この9条の解釈は、とくに様々である。交戦権においては「国際法において交戦国に認められている権利(Belligerent Rights)」をいうとする説が多数説であり、また政府見解も「交戦者として戦時国際法上認められている権利」をいうとしている。交戦権とは単に戦争をする権利、ということではなく、戦争に付随するその戦争の始まりから終わりまでのいっさいの行動全般の権利を指す。とするならば、憲法9条第2項において我が国は、戦争を終結する講和を結ぶ権利は認められていないということになる。
更に、我が国は日中国交正常化と同時に、台湾の中華民国政府(国民政府)との国交を断絶し、日華平和条約(1952年4月調印)は失効した。日華平和条約とは、日本と中華民国の間の第二次世界大戦における戦争状態を終結した条約(第1条)であった。端的に述べれば、これは戦争状態の終結を破棄したことを意味し、現実的には台湾と戦争状態にはないものの、法的には一旦終結させた戦争を取り消した=宣戦布告という解釈も可能になる出来事であった。
日本国憲法
Chapter II. Renunciation of War
第2章 戦争の放棄
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
このような憲法9条を保持しながら、日中国交正常化における一連の我が国の行為の矛盾をどう捉えるべきなのか、またこのことを広く日本国民が認識するところとなる事を願う。
修身書一巻二十から
最近手に入れた修身書から、時々抜粋するなどして書いてみようと思います。
一巻二十
セイキチ ハ エンピツ ヲ ヒロヒマシタ ガ、オトシタ コドモ ニ ソレ ヲ カヘシテ ヤリマシタ。
こんな短い文章が挿絵付きでたくさん書かれています。
書かれていることは、たいていの人にはうなづける内容ばかりですが、分別の備わっていない子供のころから、当たり前のことを当たり前に教えることは、分別をわきまえる大人に育てるには必要でしょう。
もともとの日本語の使い方を知るきっかけにもなります。
例えば、子供に何かを与えたりする場合は「〜〜してやる」と言うのが正しい日本語です。「〜〜してあげる」は使いません。間違った言葉遣いの人も多いんじゃないでしょうか?
言葉は変化して行きますから、何が正しいしいかを判断するのは難しいですが、相手に応じて言葉を選ぶということは、相手に対しての敬意の表現だったり、関係性を確認する意味があったりで、重要なのではないかと思います。
一巻二十
セイキチ ハ エンピツ ヲ ヒロヒマシタ ガ、オトシタ コドモ ニ ソレ ヲ カヘシテ ヤリマシタ。
こんな短い文章が挿絵付きでたくさん書かれています。
書かれていることは、たいていの人にはうなづける内容ばかりですが、分別の備わっていない子供のころから、当たり前のことを当たり前に教えることは、分別をわきまえる大人に育てるには必要でしょう。
もともとの日本語の使い方を知るきっかけにもなります。
例えば、子供に何かを与えたりする場合は「〜〜してやる」と言うのが正しい日本語です。「〜〜してあげる」は使いません。間違った言葉遣いの人も多いんじゃないでしょうか?
言葉は変化して行きますから、何が正しいしいかを判断するのは難しいですが、相手に応じて言葉を選ぶということは、相手に対しての敬意の表現だったり、関係性を確認する意味があったりで、重要なのではないかと思います。
2010年12月20日月曜日
就活前の必読書!【喜びの種を蒔こう】
喜びの種を蒔こう
愚痴は貴方の「心のゴミ」。貴方の愚痴を聞いてくれている方に、
自分の心のゴミを投げつけている。
---途中略---
営業というお仕事も、全く同じことが言えます。
つまり業績という実りは、果物や食物の生長と同じく、
まずはしっかりと種をまき、肥やしや水をやりながら、
雑草はしっかり刈り取りながら育てるものなんです。
絶対に行ってはいけないことは、不平・不満・憤怒の言葉は厳禁です。
お客様に対してだけでなく、接する全ての一切の人・物・事に対しても、
同じことが言えます。
どうしてって思われるかもしれませんが、この世の中の仕組みが、
そのようにできているからです。
では、不平・不満・憤怒の気持ちが起こりそうになった時、どうしたらよいかと言えば、
「きっと良くなる前兆に違いない」と気持ちを置き換えます。
そうして一日を送っていると、必ず好転していきます。
夜の外灯をごらんなさい。多くの虫が明りに集まってきてるでしょう。
虫でさえというと語弊がありますが、明るいところに集まってきます。
さあ、みなさんも今日からは、常に喜び言葉や明るい笑顔で営業に飛び出していってみてください。
① 朝、一番家族内で挨拶をする。(御先祖様にもですよ)
② 笑顔でお客様始め全ての人と接する。
③ 訪問する際は、前もってアポイントを入れる。
④ 面談していただいた方には、お礼のハガキをお送りする。
⑤ 同業者の悪口は絶対に口に出さない。
⑥ 「ありがとうございます」の言葉を頻繁に使う。
⑦ 褒め言葉を使う。
⑧ 「~させていただきます」という謙虚な言葉を使う
月刊「みんなのうけひのもり」11月号「たけさんの営業心得帳 其の六」より
日本一元気が出る!たのしい!月刊誌♪「みんなのうけひのもり」は
此方から購読できます♪
愚痴は貴方の「心のゴミ」。貴方の愚痴を聞いてくれている方に、
自分の心のゴミを投げつけている。
---途中略---
営業というお仕事も、全く同じことが言えます。
つまり業績という実りは、果物や食物の生長と同じく、
まずはしっかりと種をまき、肥やしや水をやりながら、
雑草はしっかり刈り取りながら育てるものなんです。
絶対に行ってはいけないことは、不平・不満・憤怒の言葉は厳禁です。
お客様に対してだけでなく、接する全ての一切の人・物・事に対しても、
同じことが言えます。
どうしてって思われるかもしれませんが、この世の中の仕組みが、
そのようにできているからです。
では、不平・不満・憤怒の気持ちが起こりそうになった時、どうしたらよいかと言えば、
「きっと良くなる前兆に違いない」と気持ちを置き換えます。
そうして一日を送っていると、必ず好転していきます。
夜の外灯をごらんなさい。多くの虫が明りに集まってきてるでしょう。
虫でさえというと語弊がありますが、明るいところに集まってきます。
さあ、みなさんも今日からは、常に喜び言葉や明るい笑顔で営業に飛び出していってみてください。
① 朝、一番家族内で挨拶をする。(御先祖様にもですよ)
② 笑顔でお客様始め全ての人と接する。
③ 訪問する際は、前もってアポイントを入れる。
④ 面談していただいた方には、お礼のハガキをお送りする。
⑤ 同業者の悪口は絶対に口に出さない。
⑥ 「ありがとうございます」の言葉を頻繁に使う。
⑦ 褒め言葉を使う。
⑧ 「~させていただきます」という謙虚な言葉を使う
月刊「みんなのうけひのもり」11月号「たけさんの営業心得帳 其の六」より
日本一元気が出る!たのしい!月刊誌♪「みんなのうけひのもり」は
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2010年12月18日土曜日
「自立自営」 尋常小学校修身書より
近江に高田善右衞門といふ商人がありました。十七歳の時、自分ではたらいて家をおこさうと思ひ立ちました。父からわづかの金をもらひ、それをもとでにして、とうしんとかさを買入れ、遠いところまで商売にでかけました。道にはけはしい山さかが多かったので、善右衞門はかさばつた荷物をかついで登るのに、大そうなんぎをしていましたが、片荷づつはこび上げて、やうやう山をこえたこともありました。又時々はさびしい野原を通って、村々をまわつてあるき雨が降っても、風が吹いても、休まずにはたらいたので、わづかのもとでで多くの利益をえました。
その後呉服類を仕入れて方々に売りあるきました。いつも正直で、けんやくで、商売に勉強しましたから、だんだんと、りつぱな商人になりました。
尋常小学校終身書 第四月第十三
教育勅語と並ぶものとして道徳を教えるのが修身書。
なくす必要はなかったと思います。
その後呉服類を仕入れて方々に売りあるきました。いつも正直で、けんやくで、商売に勉強しましたから、だんだんと、りつぱな商人になりました。
尋常小学校終身書 第四月第十三
教育勅語と並ぶものとして道徳を教えるのが修身書。
なくす必要はなかったと思います。
2010年12月16日木曜日
カムイロケットで北海道から宇宙産業の「小型化」を目指す。
北海道の植松電機社長である植松努さん。
町工場から宇宙へ。
やればできる、諦めるなと熱く語る方です。
まずはJAXAのホームページに掲載されたインタビューから。
いま、北海道でユニークな宇宙開発が進められている。その核となるのがCAMUI *1 型ハイブリッドロケット(通称カムイロケット)と、超小型人工衛星(キューブサット)。国の大型プロジェクトと違い、小型ながら民間技術を中心に開発を進めるその手法は宇宙開発関係者のみならず、メディアの注目をも集めている。その機体づくりを担っているのが、社員たった18人の植松電機だ。ロケットエンジン噴射試験設備を持ち、敷地内に近年、微小重力実験塔まで作ってしまった。町の小さな電機工場から見据える宇宙ビジネスの今後について、植松電機専務取締役・植松努氏にお話を伺った。
カムイロケットで北海道から宇宙産業の「小型化」を目指す
そして植松さんの講演の様子です。
日本のあちらこちらで頑張っている人がいる。
応援したいです。
町工場から宇宙へ。
やればできる、諦めるなと熱く語る方です。
まずはJAXAのホームページに掲載されたインタビューから。
いま、北海道でユニークな宇宙開発が進められている。その核となるのがCAMUI *1 型ハイブリッドロケット(通称カムイロケット)と、超小型人工衛星(キューブサット)。国の大型プロジェクトと違い、小型ながら民間技術を中心に開発を進めるその手法は宇宙開発関係者のみならず、メディアの注目をも集めている。その機体づくりを担っているのが、社員たった18人の植松電機だ。ロケットエンジン噴射試験設備を持ち、敷地内に近年、微小重力実験塔まで作ってしまった。町の小さな電機工場から見据える宇宙ビジネスの今後について、植松電機専務取締役・植松努氏にお話を伺った。
カムイロケットで北海道から宇宙産業の「小型化」を目指す
そして植松さんの講演の様子です。
日本のあちらこちらで頑張っている人がいる。
応援したいです。
2010年12月14日火曜日
「アジア太平洋の情勢変化とわが国の安全保障」
平成22年11月20日
「アジア太平洋の情勢変化とわが国の安全保障」
元航空自衛隊航空支援集団司令官 永岩俊道(元空将)氏講演
20世紀後半、我が国は、隣国李鵬首相に「日本は20年もすれば消えてなくなる国。所詮、論ずべき相手ではない。」と表現されたとか。この話は事実かどうかはともかくとして、最近の我が国の国内外の状況を鑑みるに、この表現はあながち無視できないと危惧せざるを得ない。わが日本は、今、自らの安全保障を真剣に考え直さないと、本当に、消滅してしまうかもしれない深刻な状況にあると認識する必要がある。
講演レポートはこちらを!
2010年12月12日日曜日
史実を世界に発信する会
内容についてはいずれチェックしてみたいと思いますが、面白い試みだと思いますのでご紹介します。
史実を世界に発信する会
http://hassin.org/
当会の目的は、欧米諸国で流布されている反日プロパガンダに英文で反駁するため、その土台となる「英文Web資料館」を構築することにあります。
活動の中心は、近現代史に関する有用な日本語文献を英訳し、これをWeb上で無料で公開することです。
English speaker が感心して読むレベルの英語に翻訳することが、絶対的に必要な条件です。したがって、英訳費用がどうしてもかさむことになります。当会は政府の支援を受けていないため、この翻訳費用を全て皆様からのご寄付で賄っています。
このようにして英訳された文献は、英文のWeb資料館(http://www.sdh-fact.com/)に掲載され、世界中の誰でもが読み、ダウンロードできます。
また、文献をアップロードする際には、その概要を Email Newsletterで、海外の4千余のリストに案内しています。国内のリストにも送っています。
英語圏の理性ある人々に対してこの資料館の英語文献をベースとした正論を訴えていくことが出来ます。南京問題、慰安婦問題、尖閣問題、竹島問題等につきましては、すでにこれらのデータを使って米大統領、議会他への手紙、雑誌への投稿などを実施してまいりました。
外務省が当然行うべきことを行っていません。その結果、世界の人々は、南京虐殺は事実と思い、中国はこれを外交の手段として悪用しています。
慰安婦の強制連行などと云うウソがあったという前提で、アメリカ、カナダ、オランダ、 EU の議会で、日本非難決議が採択されるありさまです。
われわれ日本人の名誉が損なわれるばかりか、子々孫々にわたり不名誉を残すことになります。
外務省がやるべきだ!といくら叫んでも一歩も事態は改善されません。
やれることをやれる人がやろう!私たちは立ち上がりました。志ある皆さまのご支援を宜しくお願い致します。
例1.日本語版
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
8 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
16 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
21 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
23 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
28 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など)によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。
子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
平成20年5月5日
南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
史実を世界に発信する会
http://hassin.org/
当会の目的は、欧米諸国で流布されている反日プロパガンダに英文で反駁するため、その土台となる「英文Web資料館」を構築することにあります。
活動の中心は、近現代史に関する有用な日本語文献を英訳し、これをWeb上で無料で公開することです。
English speaker が感心して読むレベルの英語に翻訳することが、絶対的に必要な条件です。したがって、英訳費用がどうしてもかさむことになります。当会は政府の支援を受けていないため、この翻訳費用を全て皆様からのご寄付で賄っています。
このようにして英訳された文献は、英文のWeb資料館(http://www.sdh-fact.com/)に掲載され、世界中の誰でもが読み、ダウンロードできます。
また、文献をアップロードする際には、その概要を Email Newsletterで、海外の4千余のリストに案内しています。国内のリストにも送っています。
英語圏の理性ある人々に対してこの資料館の英語文献をベースとした正論を訴えていくことが出来ます。南京問題、慰安婦問題、尖閣問題、竹島問題等につきましては、すでにこれらのデータを使って米大統領、議会他への手紙、雑誌への投稿などを実施してまいりました。
外務省が当然行うべきことを行っていません。その結果、世界の人々は、南京虐殺は事実と思い、中国はこれを外交の手段として悪用しています。
慰安婦の強制連行などと云うウソがあったという前提で、アメリカ、カナダ、オランダ、 EU の議会で、日本非難決議が採択されるありさまです。
われわれ日本人の名誉が損なわれるばかりか、子々孫々にわたり不名誉を残すことになります。
外務省がやるべきだ!といくら叫んでも一歩も事態は改善されません。
やれることをやれる人がやろう!私たちは立ち上がりました。志ある皆さまのご支援を宜しくお願い致します。
例1.日本語版
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
8 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
16 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
21 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
23 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
28 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など)によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。
子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
平成20年5月5日
南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
2010年12月11日土曜日
悪魔の飽食 ガリオア・エロア資金
http://6501.teacup.com/cnx/bbs/157
*ガリオア資金(占領地域救済政府資金)
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱。
日本向けには「家畜の飼料」用であった「脱脂粉乳」「雑穀類」を食料として送った。
援助総額は、ガリオア資金と合わせて18億ドル以上援助開始時には無償とされたが、1948年01月、アメリカは突如として日本に対し返済を要求。
日本は反発し、1954年以来、日米間で交渉が行われ、7年後の1961年06月、返済額4億9000万ドル、返済期間15年、年利2.5%の条件でが調印された。
妥協案が成立。翌1962年01月09日、外相小坂善太郎と駐日大使エドウィン・O・ライシャワーとの間で返済協定が調印され債務は、1973年に前倒しで完済。
戦後、増産を続けていたアメリカの余剰農産物のはけ口として日本は標的になった。家畜の飼料の飼料用の小麦や脱脂粉乳を「善意」による無償の食料供給という形で、学校給食などに供給した。しかし、1950年代になると、アメリカは余剰農産物を将来にわたって売り込めるように策謀し、 1951年サンフランシスコ講和条約締結により日本は形のうえで独立国となると同時にガリオア資金援助を打ち切り、1954年にアメリカは余剰農産物処理法(農業貿易促進援助法)を成立させた。パンと脱脂粉乳を使った学校給食を食べた子供たちが大人になったとき、パンを食べることが当たり前にする習慣性を狙ったものである。パンを食べれば、副食は牛乳製品・卵製品・肉製品となりそれらの畜産物を飼育するための飼料であるトウモロコシや大豆(これもアメリカ余剰農産物)なども同時に輸入せざるを得なくなる図式である。
*ガリオア資金(占領地域救済政府資金)
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱。
日本向けには「家畜の飼料」用であった「脱脂粉乳」「雑穀類」を食料として送った。
援助総額は、ガリオア資金と合わせて18億ドル以上援助開始時には無償とされたが、1948年01月、アメリカは突如として日本に対し返済を要求。
日本は反発し、1954年以来、日米間で交渉が行われ、7年後の1961年06月、返済額4億9000万ドル、返済期間15年、年利2.5%の条件でが調印された。
妥協案が成立。翌1962年01月09日、外相小坂善太郎と駐日大使エドウィン・O・ライシャワーとの間で返済協定が調印され債務は、1973年に前倒しで完済。
戦後、増産を続けていたアメリカの余剰農産物のはけ口として日本は標的になった。家畜の飼料の飼料用の小麦や脱脂粉乳を「善意」による無償の食料供給という形で、学校給食などに供給した。しかし、1950年代になると、アメリカは余剰農産物を将来にわたって売り込めるように策謀し、 1951年サンフランシスコ講和条約締結により日本は形のうえで独立国となると同時にガリオア資金援助を打ち切り、1954年にアメリカは余剰農産物処理法(農業貿易促進援助法)を成立させた。パンと脱脂粉乳を使った学校給食を食べた子供たちが大人になったとき、パンを食べることが当たり前にする習慣性を狙ったものである。パンを食べれば、副食は牛乳製品・卵製品・肉製品となりそれらの畜産物を飼育するための飼料であるトウモロコシや大豆(これもアメリカ余剰農産物)なども同時に輸入せざるを得なくなる図式である。
ラベル:
ガリオア・エアロ資金,
学校給食,
食糧自給率,
日本食
2010年12月10日金曜日
DV被害女性と日本国憲法下の日本人
自尊心を奪うもの
このブログのタイトル「日本が日本であるために」を個人レベルに置き換えると、自分が自分らしく生きるとはどういうことかという問いが生まれると思います。
自分さえ良ければいい、人と比べる、勝ち負けを気にする、自分の思い通りに周りの人が動いてくれることを望むetc・・・社会に出ればそんな気持ちから生まれるパワーゲームに巻き込まれてしまう事があります。ついついそんなことにばかり終始してしまって自分らしく生きていない人が多い、そんな気がします。
日本が日本であるためにはそこに暮らす一人一人が、自分らしく、日本人らしく、生き生きと生きていなければ、日本が日本であることはできないと思います。体を作っている一つ一つの細胞と体の関係と同じですね。個は全体の構成要素の大切な一つということですね。
心理学では一般に、養育者から過剰な期待をかけられたり、「お前はダメだダメだ」と言われて育った人は、自分がいろいろなことを当たり前にやることができるんだという自信を育てられないという傾向があるといいます。人は、自分でやってみて失敗したり成功したり試行錯誤したりしながら、自分への信頼や自信を育てていきます。それが自分の存在の確かさ、自尊心へとつながっている訳です。ダメだダメだと言われ続けてきた人は、その価値観を自分の中に取り入れてしまって、心の中で自分に対してダメだダメだと批判したり、まだまだダメだと叱咤激励をしてしまうそうです。これを辛い、苦しいという「痛み」として感じられないとしたら、それは感覚が鈍磨しているからなのです。痛みを痛みとして感じないように心を防衛しているからなんですね。
こういう精神状態を考えると、いつも、これはまさに今の日本の状態に当てはまるんじゃないかと思ってしまいます。
アルコール依存症や暴力をふるう夫を持つ女性たちを例に挙げてみると、もちろん女性に暴力をふるう男性にも問題があるのですが、被虐待女性にも特徴的な問題があるそうです。彼女たちは加害者である男性との暴力的な関係からなかなか離れようとせず、殴られながら離婚を考えようともしない人も多いそうです。なぜなら男性が暴力の後で示す優しさや愛の誓いを過大に評価してしまうからです。そして彼女たちは、もともと自己評価の低い女性ばかりとは限らず、明るく活発で、夫やパートナーよりも学歴や社会的能力が高い女性も少なくないそうです。そんな女性がなぜそういう状況から抜け出そうとしなくなるのでしょうか。
こうなったのは「お前が悪いのだ」という言葉の暴力を受け続けてその価値観を内在化していることもありますが、こういう状況の中にいると一種の腰抜け状態に陥ってしまい、逃げる機会が与えられても逃げられなくなるのだそうです。これは心理学者セリグマンの提唱した学習性無力感という、逃げられない状況の中で攻撃にさらされた犬が、逃げられるようになってからも抵抗せず、その場から逃げなくなってしまうという実験でも明らかにされています。
誰でも他人の思うままに動かされるのは嫌なものです。他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。現在の我が国においても、いろいろな問題がある中で、朝鮮半島や支那の問題には怒りを感じても、我が国が現在も占領下に行われたことの延長にあることを意識する人は少ないように感じます。
我々日本人から自尊心を奪い取ったものとは、何か?
何が今の日本の状況を作りだしたのか?
日本国憲法は占領下において制定された憲法であるにもかかわらず、それを改正しようというのは、それを正当化しているという認識からくる発想です。自覚があるにせよ、無いにせよ、改正してまでそれを維持しようと言っていることだと思うのですが、どうでしょうか。
被虐待女性は、暴力的関係から自分から離れようとしないと述べました。そして彼女たちはよくこのように言います。
「でもあの人、いいところもあるのよ」「でも私があの人を怒らせるようなことをしたのが悪いのよ」「でもあの人には私が必要なのよ」
夫や子供の世話、そして家計を支える為に働き、彼女たちは大変に多忙な緊張感のある日々を送り自分の状況を振り返る余裕はありません。周囲の者が心配しアドバイスをしても、「でも・・・(以下省略)」のループを繰り返し、踏み切ることが出来ません。
この被虐待女性と現在の日本、そして夫やパートナーとの関係を終わらせたり変えたりしようとしないことと占領憲法を捨てられない心理や日本の置かれた状況を認識できないこととが似ていると思ってしまいます。占領軍の軍事的・政治的圧力の下で、天皇が、日本政府がYESと言ったからといって、ではそこにNOという選択肢はあったのでしょうか。とにかく受けるものはすべてYESと言わざるを得ない状況に置かれていた、そしてそれを改めることなく現在に至っている今の日本の状態が、被虐待女性とその夫やパートナーとの暴力的関係と類似しているように感じてしまうのです。
占領下で押しつけられた憲法だから正統性はないとしても現実に60年以上運用されてきて
「いい憲法だからいいじゃないか」
学校で真面目に勉強をして自虐史観を信じてしまっているので
「日本が悪いことをしたのだから仕方がないじゃないか」
そういう護憲派の意見があります。
これは被虐待女性が言う
「でもあの人はいい人なの」
「でも私が悪いのがいけないのよ」
という言い分によく似ていませんか?
一方で改憲派では
「今の憲法を維持して、現代にそぐわなくなった部分や問題が生じている部分を少し変えるか、あるいは解釈を変えればいいじゃないか」という意見があります。
これは「暴力はイヤなんだけど、でも少しお酒をやめてくれれば、あの人はきっといい旦那になるわ」
そんな女性の言い分とよく似ているように思います。暴力と一口で言っても、このような被虐待女性が受ける暴力とは、専門家によれば、頬をはたくような生易しいものではなく命の危険に関わるようなケースも珍しくないそうです。「あの人」にも問題はあるのですが、女性の方もこういう危険な状況に身をさらしながら「あの人」が少しだけ変わってくれたら・・・と状況の好転は「あの人」次第なのです。ここまでくると、「あの人」が変わってくれるのを期待したり、「あの人」を変える努力をするよりは、この女性が現状を正しく認識して、こういう状況に甘んじている自分を変えることの方が正しい解決方法のように感じないでしょうか?そして、「あの人」は占領憲法だったり米国をはじめとする連合国やGHQだったり、「女性」は日本人一人一人の事だったり、「危険な状況」というのは日本人の伝統や精神が破壊されていることだったり、交戦権がないこと(憲法第9条第2項後段:国の交戦権は、これを認めない)だったりが当てはまるように思いませんか?
「暴力は辛いんだけど、でもきっとあの人は私を愛してるの」
暴力の後で示される優しさや愛の誓いを信じる被虐待女性は、彼女の夫、パートナーに何を望んでいるのでしょうか。愛されること、必要とされることでしょうか。信じている、信じたいけれど相手様次第というところは何やら日米同盟にも似ているような気がします。
こんな風に考えると、私たちは、なんだかとっても危険な不確かなものを大切に手放さずに抱きしめているような気がしてきませんか?
他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。しかし、自分の受けた不当な扱いについて正当に怒ることが出来るようになれば、本当の感情を感じられるようになります。感情に良い・悪いはありません。それを歪めず正しく受け止める事が、大切なことです。感情を抑え込むと、いつか爆発するか体を壊したり誰かを過剰に傷付けたりコントロールしようとしたり・・・と本筋から離れて、複雑な心を持って生きてくことになってしまいます。感情を受け止め上手に表現できるようになると、怒りは洗練されて自己主張へとなっていきます。だから、怒ってもいいのです。自尊心を奪われて傷付いていることを感じることができれば、少しずつ自分らしさを回復して、自分の為に生きられるようになって来る。自分らしさや自分の為になることを追求すれば、自分勝手、我が儘放題ばかりということではなく、本当に自分を大切に思えてくるようになったその先には、必ず日本人らしさ、日本人としての誇りというものに出会うと私は信じています。そうすれば何をすればよいのか、何を正せばよいのか、誰かに指摘されたり言いなりにならずとも自ずとそういう認識が育ってくるのではないでしょうか。
被虐待女性だけでなく、戦後の自虐史観の中で日本人としての誇りや精神を失いつつある我々日本人がこのように自らを省みる必要があるのではないかと感じます。
このブログのタイトル「日本が日本であるために」を個人レベルに置き換えると、自分が自分らしく生きるとはどういうことかという問いが生まれると思います。
自分さえ良ければいい、人と比べる、勝ち負けを気にする、自分の思い通りに周りの人が動いてくれることを望むetc・・・社会に出ればそんな気持ちから生まれるパワーゲームに巻き込まれてしまう事があります。ついついそんなことにばかり終始してしまって自分らしく生きていない人が多い、そんな気がします。
日本が日本であるためにはそこに暮らす一人一人が、自分らしく、日本人らしく、生き生きと生きていなければ、日本が日本であることはできないと思います。体を作っている一つ一つの細胞と体の関係と同じですね。個は全体の構成要素の大切な一つということですね。
心理学では一般に、養育者から過剰な期待をかけられたり、「お前はダメだダメだ」と言われて育った人は、自分がいろいろなことを当たり前にやることができるんだという自信を育てられないという傾向があるといいます。人は、自分でやってみて失敗したり成功したり試行錯誤したりしながら、自分への信頼や自信を育てていきます。それが自分の存在の確かさ、自尊心へとつながっている訳です。ダメだダメだと言われ続けてきた人は、その価値観を自分の中に取り入れてしまって、心の中で自分に対してダメだダメだと批判したり、まだまだダメだと叱咤激励をしてしまうそうです。これを辛い、苦しいという「痛み」として感じられないとしたら、それは感覚が鈍磨しているからなのです。痛みを痛みとして感じないように心を防衛しているからなんですね。
こういう精神状態を考えると、いつも、これはまさに今の日本の状態に当てはまるんじゃないかと思ってしまいます。
アルコール依存症や暴力をふるう夫を持つ女性たちを例に挙げてみると、もちろん女性に暴力をふるう男性にも問題があるのですが、被虐待女性にも特徴的な問題があるそうです。彼女たちは加害者である男性との暴力的な関係からなかなか離れようとせず、殴られながら離婚を考えようともしない人も多いそうです。なぜなら男性が暴力の後で示す優しさや愛の誓いを過大に評価してしまうからです。そして彼女たちは、もともと自己評価の低い女性ばかりとは限らず、明るく活発で、夫やパートナーよりも学歴や社会的能力が高い女性も少なくないそうです。そんな女性がなぜそういう状況から抜け出そうとしなくなるのでしょうか。
こうなったのは「お前が悪いのだ」という言葉の暴力を受け続けてその価値観を内在化していることもありますが、こういう状況の中にいると一種の腰抜け状態に陥ってしまい、逃げる機会が与えられても逃げられなくなるのだそうです。これは心理学者セリグマンの提唱した学習性無力感という、逃げられない状況の中で攻撃にさらされた犬が、逃げられるようになってからも抵抗せず、その場から逃げなくなってしまうという実験でも明らかにされています。
誰でも他人の思うままに動かされるのは嫌なものです。他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。現在の我が国においても、いろいろな問題がある中で、朝鮮半島や支那の問題には怒りを感じても、我が国が現在も占領下に行われたことの延長にあることを意識する人は少ないように感じます。
我々日本人から自尊心を奪い取ったものとは、何か?
何が今の日本の状況を作りだしたのか?
日本国憲法は占領下において制定された憲法であるにもかかわらず、それを改正しようというのは、それを正当化しているという認識からくる発想です。自覚があるにせよ、無いにせよ、改正してまでそれを維持しようと言っていることだと思うのですが、どうでしょうか。
被虐待女性は、暴力的関係から自分から離れようとしないと述べました。そして彼女たちはよくこのように言います。
「でもあの人、いいところもあるのよ」「でも私があの人を怒らせるようなことをしたのが悪いのよ」「でもあの人には私が必要なのよ」
夫や子供の世話、そして家計を支える為に働き、彼女たちは大変に多忙な緊張感のある日々を送り自分の状況を振り返る余裕はありません。周囲の者が心配しアドバイスをしても、「でも・・・(以下省略)」のループを繰り返し、踏み切ることが出来ません。
この被虐待女性と現在の日本、そして夫やパートナーとの関係を終わらせたり変えたりしようとしないことと占領憲法を捨てられない心理や日本の置かれた状況を認識できないこととが似ていると思ってしまいます。占領軍の軍事的・政治的圧力の下で、天皇が、日本政府がYESと言ったからといって、ではそこにNOという選択肢はあったのでしょうか。とにかく受けるものはすべてYESと言わざるを得ない状況に置かれていた、そしてそれを改めることなく現在に至っている今の日本の状態が、被虐待女性とその夫やパートナーとの暴力的関係と類似しているように感じてしまうのです。
占領下で押しつけられた憲法だから正統性はないとしても現実に60年以上運用されてきて
「いい憲法だからいいじゃないか」
学校で真面目に勉強をして自虐史観を信じてしまっているので
「日本が悪いことをしたのだから仕方がないじゃないか」
そういう護憲派の意見があります。
これは被虐待女性が言う
「でもあの人はいい人なの」
「でも私が悪いのがいけないのよ」
という言い分によく似ていませんか?
一方で改憲派では
「今の憲法を維持して、現代にそぐわなくなった部分や問題が生じている部分を少し変えるか、あるいは解釈を変えればいいじゃないか」という意見があります。
これは「暴力はイヤなんだけど、でも少しお酒をやめてくれれば、あの人はきっといい旦那になるわ」
そんな女性の言い分とよく似ているように思います。暴力と一口で言っても、このような被虐待女性が受ける暴力とは、専門家によれば、頬をはたくような生易しいものではなく命の危険に関わるようなケースも珍しくないそうです。「あの人」にも問題はあるのですが、女性の方もこういう危険な状況に身をさらしながら「あの人」が少しだけ変わってくれたら・・・と状況の好転は「あの人」次第なのです。ここまでくると、「あの人」が変わってくれるのを期待したり、「あの人」を変える努力をするよりは、この女性が現状を正しく認識して、こういう状況に甘んじている自分を変えることの方が正しい解決方法のように感じないでしょうか?そして、「あの人」は占領憲法だったり米国をはじめとする連合国やGHQだったり、「女性」は日本人一人一人の事だったり、「危険な状況」というのは日本人の伝統や精神が破壊されていることだったり、交戦権がないこと(憲法第9条第2項後段:国の交戦権は、これを認めない)だったりが当てはまるように思いませんか?
「暴力は辛いんだけど、でもきっとあの人は私を愛してるの」
暴力の後で示される優しさや愛の誓いを信じる被虐待女性は、彼女の夫、パートナーに何を望んでいるのでしょうか。愛されること、必要とされることでしょうか。信じている、信じたいけれど相手様次第というところは何やら日米同盟にも似ているような気がします。
こんな風に考えると、私たちは、なんだかとっても危険な不確かなものを大切に手放さずに抱きしめているような気がしてきませんか?
他人の思い通りでなければ生きていけないと感じ、他人の言うまま・されるままになったとき、人間は自分の無力さを感じ、自尊心を失います。しかし、自分の受けた不当な扱いについて正当に怒ることが出来るようになれば、本当の感情を感じられるようになります。感情に良い・悪いはありません。それを歪めず正しく受け止める事が、大切なことです。感情を抑え込むと、いつか爆発するか体を壊したり誰かを過剰に傷付けたりコントロールしようとしたり・・・と本筋から離れて、複雑な心を持って生きてくことになってしまいます。感情を受け止め上手に表現できるようになると、怒りは洗練されて自己主張へとなっていきます。だから、怒ってもいいのです。自尊心を奪われて傷付いていることを感じることができれば、少しずつ自分らしさを回復して、自分の為に生きられるようになって来る。自分らしさや自分の為になることを追求すれば、自分勝手、我が儘放題ばかりということではなく、本当に自分を大切に思えてくるようになったその先には、必ず日本人らしさ、日本人としての誇りというものに出会うと私は信じています。そうすれば何をすればよいのか、何を正せばよいのか、誰かに指摘されたり言いなりにならずとも自ずとそういう認識が育ってくるのではないでしょうか。
被虐待女性だけでなく、戦後の自虐史観の中で日本人としての誇りや精神を失いつつある我々日本人がこのように自らを省みる必要があるのではないかと感じます。
2010年12月9日木曜日
12月16日(木曜日)近現代史研究会のお知らせ
近現代史に興味のある方。
気軽に参加できる研究会です。
テーマ:
「第二次大戦指導者列伝 ヒトラー、スターリン、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石、近衛文麿について」
歴史は時代の流れと指導者の決断によって作られる。第二次大戦を指導した人達の人間と事績を研究する。
1)ヒトラー
国の救世主であり破滅へ導いた悪魔的な天才指導者。ソ連征服計画は「我が闘争」にあった。
2)スターリン
米国のウェデマイヤー将軍から第二次大戦唯一の勝利者と判定された、冷血な恐怖の支配をした独裁者。
米外交官G・ケナンはこの上なく邪悪だが、間違いなく偉大な人物ではあった、と記した。
3)ルーズベルト
半身不随のハンデイを隠して大統領を4期続けた大衆政治家。しかしその評価は低い。
何故彼はスターリンに徹底的に利用されたのか。日本の北方領土問題を起こした張本人である。
4)チャーチル
有名な鉄のカーテン演説で予想外の戦後の冷戦世界を嘆いたが、時すでに手遅れであった。
5)蒋介石
米ソに持ち上げられた傀儡で、支那を失った原因の「西安事件の裏切者‐張学良」を終生許さなかった。
6)近衛文麿
命がけで日米トップ交渉を提案したが、ルーズベルトに断られた。敗戦後自決した。
彼の上奏文は有名。身辺にスパイの尾崎が潜入していた為に誤解されているが立派な愛国者であった。
日時:平成22年12月16日(木)午後6時~(午後8時過ぎ位まで)、その後忘年会を開きます。
会場:目黒区向原住区センター(目黒区目黒本町5丁目22-11 03-3794-5841
東急目黒線武蔵小山駅より、目黒区中央体育館を目標に徒歩10分)
基調講演:落合道夫氏 当会会長、近代史研究家、日本会議・靖国神社崇敬奉賛会々員)
平成20年度アパ論文「真の近現代史観」が田母神氏に次ぐ優秀賞を受賞
参加費:500円(資料代等を含む)、但し高校生・大学生は無料、忘年会(参加希望者):500円
主催:目黒近現代史研究会
申し込み・問合せ先:メール tooron.in.meguro@gmail.com、又は電話090-9326-7019 細谷まで
気軽に参加できる研究会です。
テーマ:
「第二次大戦指導者列伝 ヒトラー、スターリン、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石、近衛文麿について」
歴史は時代の流れと指導者の決断によって作られる。第二次大戦を指導した人達の人間と事績を研究する。
1)ヒトラー
国の救世主であり破滅へ導いた悪魔的な天才指導者。ソ連征服計画は「我が闘争」にあった。
2)スターリン
米国のウェデマイヤー将軍から第二次大戦唯一の勝利者と判定された、冷血な恐怖の支配をした独裁者。
米外交官G・ケナンはこの上なく邪悪だが、間違いなく偉大な人物ではあった、と記した。
3)ルーズベルト
半身不随のハンデイを隠して大統領を4期続けた大衆政治家。しかしその評価は低い。
何故彼はスターリンに徹底的に利用されたのか。日本の北方領土問題を起こした張本人である。
4)チャーチル
有名な鉄のカーテン演説で予想外の戦後の冷戦世界を嘆いたが、時すでに手遅れであった。
5)蒋介石
米ソに持ち上げられた傀儡で、支那を失った原因の「西安事件の裏切者‐張学良」を終生許さなかった。
6)近衛文麿
命がけで日米トップ交渉を提案したが、ルーズベルトに断られた。敗戦後自決した。
彼の上奏文は有名。身辺にスパイの尾崎が潜入していた為に誤解されているが立派な愛国者であった。
日時:平成22年12月16日(木)午後6時~(午後8時過ぎ位まで)、その後忘年会を開きます。
会場:目黒区向原住区センター(目黒区目黒本町5丁目22-11 03-3794-5841
東急目黒線武蔵小山駅より、目黒区中央体育館を目標に徒歩10分)
基調講演:落合道夫氏 当会会長、近代史研究家、日本会議・靖国神社崇敬奉賛会々員)
平成20年度アパ論文「真の近現代史観」が田母神氏に次ぐ優秀賞を受賞
参加費:500円(資料代等を含む)、但し高校生・大学生は無料、忘年会(参加希望者):500円
主催:目黒近現代史研究会
申し込み・問合せ先:メール tooron.in.meguro@gmail.com、又は電話090-9326-7019 細谷まで
2010年12月8日水曜日
黄文雄氏 講演のお知らせ - 日本ネイビークラブ
この度は9月に引き続き、我が国の近現代史及び文明論を中心に執筆活動を続けていらっしゃる黄文雄氏からお話をいただきます。ご承知のとおり黄文雄氏は台湾では哲学者としても知られ、ダイナミックな歴史観と博覧強記の知識によって、数多くの著作を出版されており、我々日本人に自信を取り戻すよう励まされていらっしゃいます。
今回は3回シリーズの2回目ですが、前回も大変に好評でした。ご一緒に勉強いたしましょう。皆様、万障お繰り合わせの上、是非ご出席下さるようご案内申し上げます。
テーマ
「我が国の近現代史シリーズ その2」
講師
黄文雄氏(拓殖大学日本文化研究所客員教授)
日時
平成22年12月18日(土)
受付開始 午後2時00分~
開会 午後2時30分~
場所
日本橋公会堂 第4洋室
中央区日本橋蛎殻町1-31-1
・東京メトロ 東西線・日比谷線 茅場町駅 徒歩6分
・東京メトロ 半蔵門線 水天宮前駅 徒歩2分
・東京メトロ 日比谷線・都営地下鉄浅草線 人形町駅 徒歩5分
5 資料代等 2,500円
会員は、2,000円、学生は1,000円、高校生以下は不要です。
とても気軽に参加できる勉強会です。
詳しくはこちらを。
今回は3回シリーズの2回目ですが、前回も大変に好評でした。ご一緒に勉強いたしましょう。皆様、万障お繰り合わせの上、是非ご出席下さるようご案内申し上げます。
テーマ
「我が国の近現代史シリーズ その2」
講師
黄文雄氏(拓殖大学日本文化研究所客員教授)
日時
平成22年12月18日(土)
受付開始 午後2時00分~
開会 午後2時30分~
場所
日本橋公会堂 第4洋室
中央区日本橋蛎殻町1-31-1
・東京メトロ 東西線・日比谷線 茅場町駅 徒歩6分
・東京メトロ 半蔵門線 水天宮前駅 徒歩2分
・東京メトロ 日比谷線・都営地下鉄浅草線 人形町駅 徒歩5分
5 資料代等 2,500円
会員は、2,000円、学生は1,000円、高校生以下は不要です。
とても気軽に参加できる勉強会です。
詳しくはこちらを。
2010年12月6日月曜日
「日本よ、魂ある国を立て直そう」 支那人亡命作家袁紅冰 来日講演 日本の危機警告
「日本よ、魂ある国を立て直そう」 支那人亡命作家袁紅冰 来日講演 日本の危機警告
こちらからの転載です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuukarikari/34064188.html
【大紀元日本10月29日】「桜は咲き続けているが、日本の武士道精神はすでに凋落してしまった。第二世界大戦後、日本は魂のない国、経済的な機能だけの存在に堕落してしまったのだ。物欲だけにコントロールされる道をそのまま進めていくと、日本はいつの日か行き詰まり、滅びるだろう」
今年7月に出版された邦訳の『暴かれた中国の極秘戦略』(中国語『台湾大劫難』)のプローモーションのために来日した亡命中国人作家で法学者の袁紅冰(ユァン・ホンビン)氏が28日夜、東京文京区で開催された初めての日本での講演会で、まもなく日本が直面する危機について警告した。
(中略)
対日戦略:日米同盟を分裂させ、尖閣諸島は譲らぬ
それに関連して、アジアの民主勢力のなかで最大の存在である日本には、台湾問題に干渉させないことを第一として対日戦略を立てているという。その主な内容は、日米関係を分裂させること、日本にとって「有利」である戦略的互恵関係を結ぶことの2点。
北京大学で勤めた際、陳昊蘇氏(60年代に中国の外相を勤めた陳毅将軍の息子)と会談したことがあり、その際に陳氏から直接聞いた話として、障ナ小平氏の対日外交戦略の目的は日米同盟を分裂させることであったと述べた。それを実現するカードは、広島と長崎への原子爆弾投下の歴史を使って米国に対する日本国民の恨みを煽ること、および中国大陸の資源とマーケットに依存する日本の経済状況を利用することであるという。
さらに、日本と戦略的互恵関係を結び、北方領土問題において中国が日露間の仲介役を果たし日本に味方する立場を取る、東シナ海ガス田問題に関して日本に譲歩する姿勢を見せる、日本の国連安保理入りを支持する、という3点について日本支持のスタンスを見せかける。
一方、尖閣諸島問題は、決して譲らない姿勢を取る。その真の目的は、国家の領土への関心ではなく、尖閣諸島の領有権を主張する台湾に対して外交上の連帯感をアピール、台湾の国民党政権を丸呑みする
ことにあると袁氏は主張する。先日起きた尖閣諸島沖の漁船衝突問題について、中共内部における闘争が外交上の不一致を起こさせたものとする見方もあるが、同氏の見解によれば、台湾の馬英九政権に見せかけるための戦略の一環であるという。
中共に対抗し、日本精神を立て直せ
民主自由の台湾を潰し、中国本土での独裁政権を固めながら、世界支配を実現していく。そうした中共の野望の前に、台湾の自由が奪われる危機を傍観するだけの日本と世界には、遠からず自分自身に危機が迫ると袁紅冰氏は警告する。
哲学者の洞察力と法学者の理智をもつ同氏は、作家で詩人でもある独特な語りのスタイルで、日本の武士道精神に対する憧れについても触れた。
「日本国の精神である武士道から、私は孔子の教え、孟子の英雄の気概、墨子の天下衆生を普く愛する侠気を思い出す」
しかし、このような「豊富な精神内包がある日本国の魂」は、第二次世界大戦では間違った方向へ利用されてしまったと袁氏はため息をつく。「人々を苦難から救うのではなく、他国への侵略で多くの人に苦難を与えてしまった」
「第二次世界大戦後、日本は魂のない国に化してしまった。歴代の日本の首相や政治家はすでに、中国を含めた各国に、先の大戦で犯した罪について謝罪と懺悔(ざんげ)を幾たびも行って来た。中国共産党の強権主義と膨張的野心が世界に災難をもたらそうとしている今こそ、日本は自由民主と人権を守る人々を支持し、自国の武士道精神を立て直すことが本当に意味のある懺悔になると私は思う。しかし、今の日本は、明確かつ堅実な国家の意思と政策に欠けているように見える。日本は自国の前途、世界の前途に対して全貌的な認知に欠けていると思う。今のまま目先の経済的利益に振り回され、中共にコントロールされてしまうとすれば、日本はますます恥を重ねる道に陥ってしまうからだ」
中国人として自国を愛し祖国の文化を立て直したいとの本音を語りながら、袁氏は日本に、中共の強権政権と対抗する中で、自国の伝統的精神を立て直していくことを願うという。「日本は武士道精神を立て直し、自由と真理の味方になるよう切に願う」と、詩人の熱い口調で同氏は語った。
今月末の31日、来日中の袁紅冰氏による2回目の講演会(後援、大紀元)が行われる。尖閣諸島問題の本質や、中共の野望の前に危機に直面している日本への提言などが語られる予定。詳細は本社サイトのお知らせご参照。
(趙莫迦Zhao)
こちらからの転載です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuukarikari/34064188.html
【大紀元日本10月29日】「桜は咲き続けているが、日本の武士道精神はすでに凋落してしまった。第二世界大戦後、日本は魂のない国、経済的な機能だけの存在に堕落してしまったのだ。物欲だけにコントロールされる道をそのまま進めていくと、日本はいつの日か行き詰まり、滅びるだろう」
今年7月に出版された邦訳の『暴かれた中国の極秘戦略』(中国語『台湾大劫難』)のプローモーションのために来日した亡命中国人作家で法学者の袁紅冰(ユァン・ホンビン)氏が28日夜、東京文京区で開催された初めての日本での講演会で、まもなく日本が直面する危機について警告した。
(中略)
対日戦略:日米同盟を分裂させ、尖閣諸島は譲らぬ
それに関連して、アジアの民主勢力のなかで最大の存在である日本には、台湾問題に干渉させないことを第一として対日戦略を立てているという。その主な内容は、日米関係を分裂させること、日本にとって「有利」である戦略的互恵関係を結ぶことの2点。
北京大学で勤めた際、陳昊蘇氏(60年代に中国の外相を勤めた陳毅将軍の息子)と会談したことがあり、その際に陳氏から直接聞いた話として、障ナ小平氏の対日外交戦略の目的は日米同盟を分裂させることであったと述べた。それを実現するカードは、広島と長崎への原子爆弾投下の歴史を使って米国に対する日本国民の恨みを煽ること、および中国大陸の資源とマーケットに依存する日本の経済状況を利用することであるという。
さらに、日本と戦略的互恵関係を結び、北方領土問題において中国が日露間の仲介役を果たし日本に味方する立場を取る、東シナ海ガス田問題に関して日本に譲歩する姿勢を見せる、日本の国連安保理入りを支持する、という3点について日本支持のスタンスを見せかける。
一方、尖閣諸島問題は、決して譲らない姿勢を取る。その真の目的は、国家の領土への関心ではなく、尖閣諸島の領有権を主張する台湾に対して外交上の連帯感をアピール、台湾の国民党政権を丸呑みする
ことにあると袁氏は主張する。先日起きた尖閣諸島沖の漁船衝突問題について、中共内部における闘争が外交上の不一致を起こさせたものとする見方もあるが、同氏の見解によれば、台湾の馬英九政権に見せかけるための戦略の一環であるという。
中共に対抗し、日本精神を立て直せ
民主自由の台湾を潰し、中国本土での独裁政権を固めながら、世界支配を実現していく。そうした中共の野望の前に、台湾の自由が奪われる危機を傍観するだけの日本と世界には、遠からず自分自身に危機が迫ると袁紅冰氏は警告する。
哲学者の洞察力と法学者の理智をもつ同氏は、作家で詩人でもある独特な語りのスタイルで、日本の武士道精神に対する憧れについても触れた。
「日本国の精神である武士道から、私は孔子の教え、孟子の英雄の気概、墨子の天下衆生を普く愛する侠気を思い出す」
しかし、このような「豊富な精神内包がある日本国の魂」は、第二次世界大戦では間違った方向へ利用されてしまったと袁氏はため息をつく。「人々を苦難から救うのではなく、他国への侵略で多くの人に苦難を与えてしまった」
「第二次世界大戦後、日本は魂のない国に化してしまった。歴代の日本の首相や政治家はすでに、中国を含めた各国に、先の大戦で犯した罪について謝罪と懺悔(ざんげ)を幾たびも行って来た。中国共産党の強権主義と膨張的野心が世界に災難をもたらそうとしている今こそ、日本は自由民主と人権を守る人々を支持し、自国の武士道精神を立て直すことが本当に意味のある懺悔になると私は思う。しかし、今の日本は、明確かつ堅実な国家の意思と政策に欠けているように見える。日本は自国の前途、世界の前途に対して全貌的な認知に欠けていると思う。今のまま目先の経済的利益に振り回され、中共にコントロールされてしまうとすれば、日本はますます恥を重ねる道に陥ってしまうからだ」
中国人として自国を愛し祖国の文化を立て直したいとの本音を語りながら、袁氏は日本に、中共の強権政権と対抗する中で、自国の伝統的精神を立て直していくことを願うという。「日本は武士道精神を立て直し、自由と真理の味方になるよう切に願う」と、詩人の熱い口調で同氏は語った。
今月末の31日、来日中の袁紅冰氏による2回目の講演会(後援、大紀元)が行われる。尖閣諸島問題の本質や、中共の野望の前に危機に直面している日本への提言などが語られる予定。詳細は本社サイトのお知らせご参照。
(趙莫迦Zhao)
2010年12月5日日曜日
日本時代の水道を「世界遺産に!」と沸く台湾
日本時代の水道を「世界遺産に!」と沸く台湾
こちらからの転載です。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1359.html
このほど土木学会は平成二十二年度の「選奨土木遺産」として二十七の構造物を選定した。選ばれたのは札幌市の「創成橋」や仙台市の「煉瓦下水道」、宇都宮市の「鬼怒橋」、日田市の「川原隧道と石畳」等々だが、そこには一つだけ国外のものが含まれている。
「元国内のもの」というべきだろう。台湾の台南県山上郷にある「台南水道」(一九二二年竣工)がそれだ。「授賞理由」は「浜野弥四郎氏の計画・設計と施工監理による、当時の最新技術である急速濾過法を採用した大規模な浄水場である」というものだ。
浜野弥四郎(一八六九~一九三二)は台湾の衛生環境の大改善における大功労者である。
一八九五年、日本が領有した当時の台湾はペスト、マラリア、コレラなどの風土病がつねに猖獗を極め、そのため島民の平均寿命はわずか四十歳程度だった。島内の武力反抗平定のため上陸した日本軍は五千人に近い死者を出したが、そのうち戦死者はわずか百六十人ほどで、四千六百人は風土病に罹った戦病死者だった。
かくして衛生環境の改善を統治政策の要の一つとした台湾総督府は上下水道建設のため、一八九六年に東京帝大の英国人教師ウィリアム・バルトンを衛生工事顧問として招聘したが、その助手として同行したのが教え子の浜野弥四郎だった。
浜野は滞在三年目でマラリアに罹って東京へ戻ったバルトンの任を継ぎ、一九一八年に離台するまでの二十三年間で、当時はまだ東京にも見られなかった先進的な貯水池、上下水道計画を基隆、台北、台中、台南などの主要都市で完成させたのだった。
「台南水道」(現山上浄水場)が出来上がったことで、当時台南市民を悩ませていた飲用水不足の問題は一気に解決を見た。当時の市民人口は六、七万人だが、これによって十万人分の水が供給されるようになったからだ。
このように、浜野の水道建設は台湾を「人の住める島」に変えたばかりか、「近代化の島」へと変貌させて行く上で大きな役割を果たしたのである。
こうした歴史的功績は、日本人は忘れてしまったが、しかし台湾人は忘れていなかった。奇美実業の許文龍董事長は二〇〇五年、山上浄水場に残る浜野の胸像の台座(胸像は戦時中供出された)の上に新たな胸像を設けた。
復元された浜野弥四郎の胸像
またその年、「台南水道」は「国定古蹟」となるなど、その歴史的意義が大きくクローズアップされている。
間もなく台南市と台南県が合併し、直轄市(政令指定都市)としての台南市が誕生するが、先ごろ行なわれたその台南市長選挙で当選した頼清徳氏(民進党)は選挙期間中、「台南水道」を視察に訪れ、「日本統治時代の台湾近代化を物語る重要な歴史建築であり、台南及び台湾の発展史上極めて深い意義を持つ。もし私が当選したら、ここを整備して景観ポイントとし、文化観光事業を推進して、台南の誇りとして再興したい」「台南を台湾の文化的首都とするためにも、ここはまさに最も重視されるべき指標となる」とし、世界遺産への登録申請を行う考えまで示していた。
そうしたところへ届いたのが土木学会による「土木遺産」への認定の報だ。現地では世界遺産への登録申請の機運が盛り上がっているらしい。
実は二十一年度の「選奨土木遺産」では、やはり台南県で八田與一技師が建造した烏山頭ダムも選ばれており、その際も世界遺産申請への夢が大きく膨らんだことがあった(台湾の文化建設委員会は同ダムなどを「世界遺産申請の潜在的ポイント」として登録している。民間でも申請を求める署名活動が行われている)。
これらを世界遺産に登録するには、台湾政府がユネスコに申請しなければならないが、同国はその機関に加盟していないため、申請資格はない。そこで期待が集まるのが日本政府が代理申請するとの方法だ。ただこうした代理申請が認められるか否かは、前例がないためよくわからないらしい。
しかし日本政府が動き出したら、これはとても素晴らしいことだ。こうしたアクション一つで国民は大きく変わる。
自国の近代史に対する愛着、誇りは一気に高まることだろう。またこのように日本の先人の歴史的営みを高く評価してくれる台湾という国の存在に気付き、感動することだろう。
だが仮に日本政府が代理申請を行おうとすれば、中国はきっと妨害の圧力を加えてくることだろう。
全文はこちらを。http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1359.html
こちらからの転載です。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1359.html
このほど土木学会は平成二十二年度の「選奨土木遺産」として二十七の構造物を選定した。選ばれたのは札幌市の「創成橋」や仙台市の「煉瓦下水道」、宇都宮市の「鬼怒橋」、日田市の「川原隧道と石畳」等々だが、そこには一つだけ国外のものが含まれている。
「元国内のもの」というべきだろう。台湾の台南県山上郷にある「台南水道」(一九二二年竣工)がそれだ。「授賞理由」は「浜野弥四郎氏の計画・設計と施工監理による、当時の最新技術である急速濾過法を採用した大規模な浄水場である」というものだ。
浜野弥四郎(一八六九~一九三二)は台湾の衛生環境の大改善における大功労者である。
一八九五年、日本が領有した当時の台湾はペスト、マラリア、コレラなどの風土病がつねに猖獗を極め、そのため島民の平均寿命はわずか四十歳程度だった。島内の武力反抗平定のため上陸した日本軍は五千人に近い死者を出したが、そのうち戦死者はわずか百六十人ほどで、四千六百人は風土病に罹った戦病死者だった。
かくして衛生環境の改善を統治政策の要の一つとした台湾総督府は上下水道建設のため、一八九六年に東京帝大の英国人教師ウィリアム・バルトンを衛生工事顧問として招聘したが、その助手として同行したのが教え子の浜野弥四郎だった。
浜野は滞在三年目でマラリアに罹って東京へ戻ったバルトンの任を継ぎ、一九一八年に離台するまでの二十三年間で、当時はまだ東京にも見られなかった先進的な貯水池、上下水道計画を基隆、台北、台中、台南などの主要都市で完成させたのだった。
「台南水道」(現山上浄水場)が出来上がったことで、当時台南市民を悩ませていた飲用水不足の問題は一気に解決を見た。当時の市民人口は六、七万人だが、これによって十万人分の水が供給されるようになったからだ。
このように、浜野の水道建設は台湾を「人の住める島」に変えたばかりか、「近代化の島」へと変貌させて行く上で大きな役割を果たしたのである。
こうした歴史的功績は、日本人は忘れてしまったが、しかし台湾人は忘れていなかった。奇美実業の許文龍董事長は二〇〇五年、山上浄水場に残る浜野の胸像の台座(胸像は戦時中供出された)の上に新たな胸像を設けた。
復元された浜野弥四郎の胸像
またその年、「台南水道」は「国定古蹟」となるなど、その歴史的意義が大きくクローズアップされている。
間もなく台南市と台南県が合併し、直轄市(政令指定都市)としての台南市が誕生するが、先ごろ行なわれたその台南市長選挙で当選した頼清徳氏(民進党)は選挙期間中、「台南水道」を視察に訪れ、「日本統治時代の台湾近代化を物語る重要な歴史建築であり、台南及び台湾の発展史上極めて深い意義を持つ。もし私が当選したら、ここを整備して景観ポイントとし、文化観光事業を推進して、台南の誇りとして再興したい」「台南を台湾の文化的首都とするためにも、ここはまさに最も重視されるべき指標となる」とし、世界遺産への登録申請を行う考えまで示していた。
そうしたところへ届いたのが土木学会による「土木遺産」への認定の報だ。現地では世界遺産への登録申請の機運が盛り上がっているらしい。
実は二十一年度の「選奨土木遺産」では、やはり台南県で八田與一技師が建造した烏山頭ダムも選ばれており、その際も世界遺産申請への夢が大きく膨らんだことがあった(台湾の文化建設委員会は同ダムなどを「世界遺産申請の潜在的ポイント」として登録している。民間でも申請を求める署名活動が行われている)。
これらを世界遺産に登録するには、台湾政府がユネスコに申請しなければならないが、同国はその機関に加盟していないため、申請資格はない。そこで期待が集まるのが日本政府が代理申請するとの方法だ。ただこうした代理申請が認められるか否かは、前例がないためよくわからないらしい。
しかし日本政府が動き出したら、これはとても素晴らしいことだ。こうしたアクション一つで国民は大きく変わる。
自国の近代史に対する愛着、誇りは一気に高まることだろう。またこのように日本の先人の歴史的営みを高く評価してくれる台湾という国の存在に気付き、感動することだろう。
だが仮に日本政府が代理申請を行おうとすれば、中国はきっと妨害の圧力を加えてくることだろう。
全文はこちらを。http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1359.html
食生活は土づくりから
食の堕落と日本人
第4章 日本食の将来
私がお世話になっている農家の方の作る野菜の味はとても濃くて鮮烈な味、香りがします。
有機栽培の野菜は食べたことがありますが、今まで食べた物とは全く違うものに感じました。
知り合いの農家の方は土作りの事を一番大切に考えていて、落ち葉を何十キロも集めてきては堆肥を作っています。また、落ち葉の種類によって出来る野菜の味が違うらしく、そういうのをいろいろ試してみるのも楽しいと言っていました。そして、いつも小泉さんが指摘することと同じようなことを言っています。本当に手間暇かかる大変な作業のようですが、それでもそれをするのはなぜか、なぜそれほどまでに土作りがが大切かという事をよく話してくれます。
これから自分でベランダ菜園をやってみようと考えている私としては、土作りについてもう少し勉強してみようと思いました。
家庭菜園での土作り
第4章 日本食の将来
私がお世話になっている農家の方の作る野菜の味はとても濃くて鮮烈な味、香りがします。
有機栽培の野菜は食べたことがありますが、今まで食べた物とは全く違うものに感じました。
最近、どうも野菜や果物がうまくない。トマトにしてもスイカにしても、薄っぺらな味でコクがまったくないのだ。スカスカした歯触りだけがあって、まるで水っぽくて食べているような気がしない。試しに水に入れてみると、みんなプカプカと浮いてくる。こんなことは昔にはなかった。確かに最近の野菜は味や香りが薄いと感じます。ニンジンやピーマン、玉ねぎ、トマト、なんでも甘くて水分が多くて食べやすいです。品種改良されて育ちやすく収穫量が多く、食べ易い品種が出来ているのだと思うのですが、子どもの頃に食べたような苦いピーマンや玉ねぎは店頭から姿を消してしまっているようで、淋しい気がします。
知り合いの農家の方は土作りの事を一番大切に考えていて、落ち葉を何十キロも集めてきては堆肥を作っています。また、落ち葉の種類によって出来る野菜の味が違うらしく、そういうのをいろいろ試してみるのも楽しいと言っていました。そして、いつも小泉さんが指摘することと同じようなことを言っています。本当に手間暇かかる大変な作業のようですが、それでもそれをするのはなぜか、なぜそれほどまでに土作りがが大切かという事をよく話してくれます。
今の野菜や根菜がまずくなった原因はいろいろあるだろうが、最大の理由は土が痩せてしまったことである。私に言わせれば、今の農家で使っている土の大半はインスタント土だ。畑に化学肥料を撒いて手っ取り早く作った土だから、そんなところでできた野菜や果物は、食べてもうまいはずがない。土は生きるものの命を作る根源であるから、土に力がなければ野菜にも力が付かない。母なる大地とも言うように、土は野菜、命を育てる力を持っているんですね。昔の土と今の土の違いは、まず亜鉛、マンガン、コバルト、銅、マグネシウムなどの微量元素が減ってしまっていることだそうです。これは窒素、リン酸、カリの三要素を重視する化学肥料に頼り過ぎていることが原因の一つでしょう。あと土の中でいろんな役割を果たしてくれる小さな生き物や微生物がいなくなってしまっているそうです。これは農薬の影響でしょう。昔は、藁や落ち葉、屎尿、残飯、かまどの灰など集めて発酵させて堆肥を作り、捨てるものなどなかったようです。そうやって土を再生させて、田畑で作物を作り、という循環があったのですね。そして最近の野菜は昔に比べてビタミンやミネラルなどの栄養価が下がっているというのも当然の結果という気がします。ビタミンCだけを見てみても20年前と比べて半分近くに下がってしまっている野菜がたくさんあります。
これから自分でベランダ菜園をやってみようと考えている私としては、土作りについてもう少し勉強してみようと思いました。
家庭菜園での土作り
2010年12月4日土曜日
中国はどうして日本に後れを取ってしまったのか:林 思雲氏
他のブログの記事で興味深いものがあったので転載しました。
中国はどうして日本に後れを取ってしまったのか:林 思雲氏 [中国経済新論]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/396.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 17 日 21:32:00:
かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。しかし、1840年、イギリスの軍艦の前に、中国は開国を余儀なくされ、そして、1853年、アメリカ軍艦の来航をきっかけに、日本も同様に対外開放せざるをえなかった。当時の日本は中国と同様、欧米列強との間に多くの不平等条約が結ばれ、侵略の危機に直面した。
こうした外圧にさらされる情況の下、中国と日本のいずれも近代化運動を展開しはじめた。富国強兵は、中国と日本が目指す近代化の共通の目標となった。1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。なぜ中国が日本に後れてしまったのか、以上の事実に対して、われわれは中国が持つ問題点を考えなければならないのである。
客観的に見て、中国は日本より先に進む理由を多く持っている。中国の国土は広く、資源が豊富であるのに対して、日本の天然資源は非常に少ない。中国の人口は非常に多いが、人口密度は日本より小さい(中国の人口密度は1平方キロメートルあたり130人であるのに対して、日本は330人である)。また、1840年以来、中国に対する欧米の投資は日本に対するものよりもはるかに多い。中国が日本より遅れてしまった原因は、明らかに中国人自身の問題によるものである。
原因1:中国人は自尊自大であるが、日本人は謙虚で勉強好きである
中国は列強に敗戦を余儀なくされた後も、依然として「中華文明こそ天下第一」という認識に何の疑問も持たなかった。欧米による侵略を「息子の父親に対する反抗」と見なし、自分を慰めていた。中国の改良派にしても、中国が西欧に敗れた原因を西欧の「堅船利砲」(強大な軍艦と強力な艦載砲)に求め、中華文明自身が西欧より立ち遅れていたということを認めようとしなかった。逆に、日本人は外圧に屈した後、なぜ欧米の人々が「堅船利砲」を作り出せるのか、と真剣に考えた。
昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。欧米列強の侵略を受けると、かつて野蛮人に思われた欧米人こそが、真に文明を持つ人々であり、自分自身が、まだ開化を果していない野蛮人であると、日本人は悟ったのである。その後、日本では、「脱亜入欧」運動が展開された。それによると、中国、朝鮮などの東アジア諸国はまだ開化していない野蛮な国家であり、こうした野蛮国と一緒にいると、いずれだめになってしまう。文明国となるには、日本がこうした東アジアの「悪友」とは決別し、欧米の「良い友」と誠心誠意に接しなければならず、日本人を黄色の皮と、白い中身を持つバナナのような、白人の魂を持つアジア人に改造しなければならないと考えたのである。
1871年、日本は大蔵卿大久保利通や工部大輔伊藤博文をはじめとする百人余りの視察団(岩倉使節団)を欧米に派遣し、22ヶ月に渡って、欧米各国の政府制度、司法機構、教育体制などの詳細な調査研究を行った。日本使節団は当時の列強の元首と相次いで面会を持った。とりわけ、プロイセン(ドイツ)のビスマルク大統領は、日本の代表団を宴会に招待し、その席で弱小国家であるプロイセンが新興強国になる経験を披露した。その話を聞いた日本人達は、「富国強兵の秘密はこれか」と驚きを抑えずに感嘆した。その後、日本がドイツをモデルにし、軍国主義の道を歩む建国方針を確定した。これは後に日本が対外侵略に走る遠因ともなった。
1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。なぜなら、当時の日本はすでに「脱亜入欧」を決意し、中国のような後進国との連盟を望まなくなっていたのである。日本が1894-95年の甲午(日清)戦争で中国を、さらに1904-1905年の日露戦争でロシアを相次いで破り、「脱亜入欧」という抜本的な構造改革の正しさを証明した。1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。
中国はいまだに立ち後れ、貧困から抜け出すことができていない。その最も重要な原因は、自尊自大な国民性にある。中国人はいつも自分の長所ばかりを強調し、逆に他人の欠点を過大視する傾向がある。欧米に学ぼうという話になると、多くの中国人は、中国には中国なりの長所があり、欧米には欧米の短所があると、自己弁護を行う。中国人は欧米の科学技術の面における優位性は何とか認めるが、欧米文明の中華文明に対する優位性は決して認めようとしないのである。日本人が二回もノーベル文学賞を獲得したのに対して、中国人はいまだに獲得したことがない。中国人はこうした現象を中国現代文学が日本のそれより劣っているためではなく、むしろノーベル賞の評価のあり方に問題があると理解している。
中国人の自尊自大の態度は、日本のように他国の経験を謙虚に学ぶことを妨げている。これまで、中国人がそう遠くない将来、日本を追い越す夢を何度も見たが、それを現実にすることはできていない。
原因2:中国人は現状に安住するが、日本人は絶えず進歩を求める
1950年代、日本がアメリカに商品を輸出し始めた頃、MADE IN JAPANは現在のMADE IN CHINAと同様に、「安かろう、悪かろう」の同義語であった。当時、日本製の1ドルのワイシャツはアメリカの商店では、最も安い品物用の棚に置かれ、その一方で、10ドルもするアメリカとヨーロッパ製のワイシャツが高額商品の棚に陳列されていた。
そこで、日本の服装メーカーは考え始めた。なぜ同じワイシャツでありながら、日本製がわずか1ドルなのに、アメリカとヨーロッパ製のものは10ドルもするのであろうか。そこで、日本のメーカーは各種の高級ワイシャツを買い集め、高級ワイシャツを生産する秘密を研究し始めた。10年後、日本製のワイシャツは高級品の棚に置かれるようになり、安売りの棚には見かけなくなったのである。
中国は1980年代初めから、アメリカに1ドルのワイシャツを輸出し始めたが、現在になっても、依然として同じ物を作っている。1ドルのワイシャツでも売れてさえいれば、それを永遠に作ろうとする、すなわち製品に対する革新の精神が欠けている。中国では、数百のカラーテレビの生産ラインを導入したが、各メーカーがそれを頼りにして、永遠に生産しようとしており、なんの技術革新もしてこなかった。
中国人が現状に安住した結果、中国製品のモデル・チェンジは受身になりがちで、製品が売れなくなるまでは改良をしない。これに対して、日本企業は製品のモデル・チェンジを積極的に行っている。従って、中国企業の製品は常に日本製品の競争相手になれないのである。
現在、一部の中国人が日本製品に対するボイコットを主張している。しかし、こうした人々は中国人が日本の製品を買いたがる理由が何か、ということは殆ど考えたことがない。仮に日本の製品より中国製のものが高品質で価格も手頃であれば、ボイコットするまでもなく、日本製品は自然に淘汰されてしまうであろう。中国人はひたすら日本製品のボイコットを主張するが、いかに中国製品の品質を向上させるかについては、何の方策も捻り出せないのである。
原因3:中国人は私利私欲ばかり追いかけるのに対し、日本人は滅私奉公の心を持っている
中国人がバスに乗るとき、我先に席を奪う風景を多く見かける。中国人は私利に対して、非常に敏感で、例えば、バスでの席のようなほんの小さいことも他人に譲らない。中国の国有企業も日本の企業も「大鍋飯」(親方日の丸)に特徴付けられるが、日本の場合、それが全員に豊かな生活をもたらしたのに対して、中国の場合、揃って貧乏になってしまった。日本人は結果に関係なく一生懸命に働いている。少し他人より多く働いたことを損したと思う人はだれもいない。中国人の発想は全く逆である。すなわち、いかに自分が他人より少なく働くかしか考えないのである。結果的に、みんなが仕事をサボることになる。中国共産党が掲げている滅私奉公を原則とする「大鍋飯」は、結局、行き詰まってしまったのである。
中国人の世界観は、「自分の利益しか考えず、困難がある時は他人に犠牲になってもらう」というものである。これに対して、日本人は滅私奉公の精神を中国人よりはるかに強く持っている。日本軍が戦うとき、士官の死亡率は非常に高い。なぜなら、日本の士官達は普通の兵士より前に進んでいるからである。日本軍の勇敢さの理由の一つはここにある。中国軍の場合、士官が最も後ろに隠れ、銃を構えて兵士達に前に進むように命令するだけである。中国の軍人達が他人を犠牲に自らの安全を図る猿知恵は、結果的に中国軍の敗北と大きな犠牲をもたらした。「目先の利益を追いかけて、結果的に、大きな損失を被る」ということである。
現在、中国の大学生達はひたすら海外に行きたがり、貧困から抜け出そうとしているが、中国本土に残り、中国人全体を貧困から脱出させるという責任を担おうとする者は少ない。1950年代、日本はアメリカに大量の留学生を派遣したが、当時のアメリカの生活水準が日本よりはるかに高かったにもかかわらず、学問を修めてから帰国しない日本人は極めて少なかった。戦乱に遭うたびに、中国人は各種の文化財と文化遺産を盗みだそうとしている。最近の新聞には、中国人が貴重な仏像の頭部を切り落とし、それを海外で売りさばくといった記事が載せられていた。しかし、日本では第二次世界大戦当時、空襲で多くの名所旧跡が破壊されたが、その隙を見て文化財や文化遺産を盗もうとする人は殆どいなかった。日本人の祖国に対する献身の精神と責任感は、中国人にとって理解しにくいものである。
中国人の心の中では、自分という「小我」しかなく、国家と民族という「大我」という発想が存在しない。かつて孫文は中国人をばらばらな砂だと例え、中国人の「心」をまとめる手段がどこにもないと語った。中国人の世界観に、自分自身の利益を越えた「大我」という観念を形成させない限り、中国人が世界先進の民族への仲間入りを果たすことは永遠に不可能であろう。
原因4:中国人は内部闘争を好むが、日本人は一心団結している
あらゆる集団には競争と団結の両面がある。しかし、中国人は集団内部の競争を闘争へと転換させることを好んでいる。かつて、中国人同士の闘争が中国にもたらした被害は、外国の侵略によるものをはるかに超えている。そもそも中国人にとって、お互いに対立しあう傾向は生まれつきのものであり、それは政治運動の時に最もよく現れる。中国人は小さな頃から他人を信用しない教育を受けてきた。政治運動が訪れるたびに、中国人はお互いを疑い、他人の秘密を暴露あるいは密告する。場合によっては、自らの利益のために他人を犠牲にすることも辞さない。
日本人の間にも内部の闘争はある。しかし、それには限度があり、共同の利益が損なわれるまでには発展しない。これに対して、中国人の内部闘争は留まるところを知らない。自らの敵を倒すには、中国人は異民族あるいは外国人の力を借りてでも、その目的を実現しようとする。かつて呉三桂は李自成を倒すために、清に軍隊の派遣を要請し、同じ民族との戦いに臨んだ。汪精衛は蒋介石との権力闘争のために、日本人の手先になることも辞さなかった。中国人は、外部にいる共通の敵より、内部の敵をやっつけた方が重要だと思うため、国を裏切る者が大勢いる。
日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。中国人は外国の捕虜に対して、非常に友好的である。中国で服役した日本人の捕虜達も人道的な扱いを受けてきたとの多くの証言がある。しかし、中国人は同じ中国人の捕虜に対して非常に残虐である。共産党と国民党の内戦で捕虜になった兵士達の運命は非常に悲惨なものであった。中国の教科書には、「中華民族は平和を愛する民族である」と書かれている。中国人は、確かにめったに外部の民族を侵略しない。中国人はほかの民族との平和を愛するが、しかし自らの民族同士の平和を愛していないようである。文化大革命での内部闘争を経験してきた中国人は、「中華民族が平和を愛する民族である」という表現に対して、疑問を持っているであろう。
現在、中国人の内部闘争は経済分野にまで及んでいる。中国のメーカーは輸出を獲得するためにひたすら価格競争を行い、結果的に、全てのメーカーが大きなダメージを受けてしまうことになる。日本企業は日本国内においては激しい競争を展開しているが、しかし一旦海外に出ると、お互いに協力し合う傾向が見られ、海外市場を獲得するために激しい内部闘争を行う現象は殆ど見られない。これが日本の輸出が絶えず黒字を保つ理由の一つでもある。
一人一人の日本人はたいしたことはないが、しかし、日本人が10人集まると状況が一変する。ばらばらである中国人は、結局、団結力の強い日本人との競争に勝てないのである。日本人が一心団結できる秘密はどこにあるのであろうかと日本人に聞くと、逆に、どうして同じ民族同士の団結がそれほど難しいか、そのこと自体が理解できないという答えが返ってくる。このように、民族性は決して短期間で形成されたものではない。内部闘争を好む中国人の国民性を変えるには、一世代あるいは二世代以上の時間を要するであろう。
原因5:中国人は忘れがちであるが、日本人は執着心が強い
日本人が新年の初詣に靖国神社を参拝することは、戦犯を偲ぶもので、軍国主義復活の兆候であると、中国国内では絶えず批判の声がある。その動機はどうあれ、毎年、大勢の日本人が自発的に神社に参拝していることは、日本人には、昔国家に命をささげた「先祖」達に対する感謝の気持ちがあることを物語っている。一方、抗日戦争(日中戦争)の際、国家のために大勢の中国人が犠牲になったが、現在、その存在は殆ど忘れられ、ましてその魂を参拝することはありえない。自らの祖国に命を捧げた先祖をすぐ忘れてしまう民族には、強大な民族集結力が永遠に訪れないのである。
戦後、日本は巨額の資金を投入し、かつて激戦が繰り広げられていた太平洋の島々に残された日本兵の遺骨を日本に持ち帰り、埋葬している。ベトナム戦争後、アメリカはベトナムと国交を回復する際、ベトナムに対しアメリカ兵の遺骨の返還とベトナム各地における米兵の遺骨の調査を行う事を要求した。しかし、中国とベトナムとの関係の正常化が実現するときに、戦死した中国兵士の遺骨を回収に関する問題は殆ど提起されたことがなく、人気のあった中越戦争の中国軍の英雄達も、現在は忘れられようとしているし、まして朝鮮戦争、抗日戦争でなくなられた先祖のことは、完全に忘れられているといっても過言ではない。
中国人は絶えず日本に侵略された歴史を忘れるなと言い張るが、実際、大多数の中国人はもはやその事実を忘れかけている。中国の大学生が日本留学を試み、少女ができるだけ日本人との結婚を望み、そして農民達が相次いで日本に密入国を図る現状からも、中国人の日本に対する憎しみの度合いを推し量ることができよう。数年前にユーゴスラビアで中国大使館がアメリカの誤爆にあったが、それによって引き起こされた中国大学生達の激しい反米感情はわずか数ヶ月程度ですっかりなくなった。TOEFLの試験を受けてアメリカに行きたがる人数は減るどころか、むしろ増加していることも、中国人が歴史を忘れがちであることを示す一例であるといえる。
最後の問題:果たして中国は日本に追いつけるのか
多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。
中国人は日本に追いつくことをいつも夢見ているが、日本人の優れた所を真正面から評価しようとも、そして自分の弱点も認めようともしない。確かに日本人にも多くの短所と問題がある。しかし、もしわれわれが日本人の短所だけを強調し、絶えずそれを批判し、色めがねで日本を観察しても、日本の発展になんら影響も与えないだけでなく、逆に自分の視野を狭くしてしまったのである。昔、中国人はソ連とアメリカを帝国主義として多くの悪口を言ってきたが、相手を懸命にののしった結果、ソ連とアメリカの実力どころか、むしろ自分の国力を削減しただけであった。
日本人はアメリカに敗れたことを自らの恥であるとみなし、逆に中国人は日本に敗れたことを日本の恥であると考えている。実は、日本になかなか追いつけないという事実は、まさしく中国人自身の恥なのである。自分に言い訳を求める手段として日本に批判を展開する人々は、中国人の自尊心を満足させるだけで、中国の発展と進歩になんの役割も果たせないのである。
もし別の角度から日本を見れば、日本人は非常に謙虚で勉強好きで、絶えず進歩を求め、そして滅私奉公の精神を持ち、忍耐強く、粘り強い民族で、世界で最も優れている民族の一つであるということがわかる。中国人が日本に追いつけないのは、結局、中国人自身の抱える問題があまりにも多すぎることにある。中華民族が多くの短所と問題を抱えている民族であることを、中国人が自ら認め、絶えずそれを変えることに努力しなければならない。これができなければ、中国が日本に追いつく夢は泡のように消えてしまうだろう。
(出所)原文は中国語。和文の掲載にあたり著者の許可を頂いている。
2003年6月16日掲載
林思雲 Lin Si Yun
1963年中国南京市生まれ。南京大学理工学科卒。1992年に日本に留学。1996年に日本で工学博士を取得し、日本の化学材料の会社に務める。理工学院卒の理系出身ではあるが、文学や歴史に興味を持ちその方面の書籍を愛読する。1997年以降、インターネット上に独自の観点から書かれた政治、歴史、日中関係に関する文章を数多く発表している。
中国はどうして日本に後れを取ってしまったのか:林 思雲氏 [中国経済新論]
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/396.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 6 月 17 日 21:32:00:
かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。しかし、1840年、イギリスの軍艦の前に、中国は開国を余儀なくされ、そして、1853年、アメリカ軍艦の来航をきっかけに、日本も同様に対外開放せざるをえなかった。当時の日本は中国と同様、欧米列強との間に多くの不平等条約が結ばれ、侵略の危機に直面した。
こうした外圧にさらされる情況の下、中国と日本のいずれも近代化運動を展開しはじめた。富国強兵は、中国と日本が目指す近代化の共通の目標となった。1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。なぜ中国が日本に後れてしまったのか、以上の事実に対して、われわれは中国が持つ問題点を考えなければならないのである。
客観的に見て、中国は日本より先に進む理由を多く持っている。中国の国土は広く、資源が豊富であるのに対して、日本の天然資源は非常に少ない。中国の人口は非常に多いが、人口密度は日本より小さい(中国の人口密度は1平方キロメートルあたり130人であるのに対して、日本は330人である)。また、1840年以来、中国に対する欧米の投資は日本に対するものよりもはるかに多い。中国が日本より遅れてしまった原因は、明らかに中国人自身の問題によるものである。
原因1:中国人は自尊自大であるが、日本人は謙虚で勉強好きである
中国は列強に敗戦を余儀なくされた後も、依然として「中華文明こそ天下第一」という認識に何の疑問も持たなかった。欧米による侵略を「息子の父親に対する反抗」と見なし、自分を慰めていた。中国の改良派にしても、中国が西欧に敗れた原因を西欧の「堅船利砲」(強大な軍艦と強力な艦載砲)に求め、中華文明自身が西欧より立ち遅れていたということを認めようとしなかった。逆に、日本人は外圧に屈した後、なぜ欧米の人々が「堅船利砲」を作り出せるのか、と真剣に考えた。
昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。欧米列強の侵略を受けると、かつて野蛮人に思われた欧米人こそが、真に文明を持つ人々であり、自分自身が、まだ開化を果していない野蛮人であると、日本人は悟ったのである。その後、日本では、「脱亜入欧」運動が展開された。それによると、中国、朝鮮などの東アジア諸国はまだ開化していない野蛮な国家であり、こうした野蛮国と一緒にいると、いずれだめになってしまう。文明国となるには、日本がこうした東アジアの「悪友」とは決別し、欧米の「良い友」と誠心誠意に接しなければならず、日本人を黄色の皮と、白い中身を持つバナナのような、白人の魂を持つアジア人に改造しなければならないと考えたのである。
1871年、日本は大蔵卿大久保利通や工部大輔伊藤博文をはじめとする百人余りの視察団(岩倉使節団)を欧米に派遣し、22ヶ月に渡って、欧米各国の政府制度、司法機構、教育体制などの詳細な調査研究を行った。日本使節団は当時の列強の元首と相次いで面会を持った。とりわけ、プロイセン(ドイツ)のビスマルク大統領は、日本の代表団を宴会に招待し、その席で弱小国家であるプロイセンが新興強国になる経験を披露した。その話を聞いた日本人達は、「富国強兵の秘密はこれか」と驚きを抑えずに感嘆した。その後、日本がドイツをモデルにし、軍国主義の道を歩む建国方針を確定した。これは後に日本が対外侵略に走る遠因ともなった。
1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。なぜなら、当時の日本はすでに「脱亜入欧」を決意し、中国のような後進国との連盟を望まなくなっていたのである。日本が1894-95年の甲午(日清)戦争で中国を、さらに1904-1905年の日露戦争でロシアを相次いで破り、「脱亜入欧」という抜本的な構造改革の正しさを証明した。1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。
中国はいまだに立ち後れ、貧困から抜け出すことができていない。その最も重要な原因は、自尊自大な国民性にある。中国人はいつも自分の長所ばかりを強調し、逆に他人の欠点を過大視する傾向がある。欧米に学ぼうという話になると、多くの中国人は、中国には中国なりの長所があり、欧米には欧米の短所があると、自己弁護を行う。中国人は欧米の科学技術の面における優位性は何とか認めるが、欧米文明の中華文明に対する優位性は決して認めようとしないのである。日本人が二回もノーベル文学賞を獲得したのに対して、中国人はいまだに獲得したことがない。中国人はこうした現象を中国現代文学が日本のそれより劣っているためではなく、むしろノーベル賞の評価のあり方に問題があると理解している。
中国人の自尊自大の態度は、日本のように他国の経験を謙虚に学ぶことを妨げている。これまで、中国人がそう遠くない将来、日本を追い越す夢を何度も見たが、それを現実にすることはできていない。
原因2:中国人は現状に安住するが、日本人は絶えず進歩を求める
1950年代、日本がアメリカに商品を輸出し始めた頃、MADE IN JAPANは現在のMADE IN CHINAと同様に、「安かろう、悪かろう」の同義語であった。当時、日本製の1ドルのワイシャツはアメリカの商店では、最も安い品物用の棚に置かれ、その一方で、10ドルもするアメリカとヨーロッパ製のワイシャツが高額商品の棚に陳列されていた。
そこで、日本の服装メーカーは考え始めた。なぜ同じワイシャツでありながら、日本製がわずか1ドルなのに、アメリカとヨーロッパ製のものは10ドルもするのであろうか。そこで、日本のメーカーは各種の高級ワイシャツを買い集め、高級ワイシャツを生産する秘密を研究し始めた。10年後、日本製のワイシャツは高級品の棚に置かれるようになり、安売りの棚には見かけなくなったのである。
中国は1980年代初めから、アメリカに1ドルのワイシャツを輸出し始めたが、現在になっても、依然として同じ物を作っている。1ドルのワイシャツでも売れてさえいれば、それを永遠に作ろうとする、すなわち製品に対する革新の精神が欠けている。中国では、数百のカラーテレビの生産ラインを導入したが、各メーカーがそれを頼りにして、永遠に生産しようとしており、なんの技術革新もしてこなかった。
中国人が現状に安住した結果、中国製品のモデル・チェンジは受身になりがちで、製品が売れなくなるまでは改良をしない。これに対して、日本企業は製品のモデル・チェンジを積極的に行っている。従って、中国企業の製品は常に日本製品の競争相手になれないのである。
現在、一部の中国人が日本製品に対するボイコットを主張している。しかし、こうした人々は中国人が日本の製品を買いたがる理由が何か、ということは殆ど考えたことがない。仮に日本の製品より中国製のものが高品質で価格も手頃であれば、ボイコットするまでもなく、日本製品は自然に淘汰されてしまうであろう。中国人はひたすら日本製品のボイコットを主張するが、いかに中国製品の品質を向上させるかについては、何の方策も捻り出せないのである。
原因3:中国人は私利私欲ばかり追いかけるのに対し、日本人は滅私奉公の心を持っている
中国人がバスに乗るとき、我先に席を奪う風景を多く見かける。中国人は私利に対して、非常に敏感で、例えば、バスでの席のようなほんの小さいことも他人に譲らない。中国の国有企業も日本の企業も「大鍋飯」(親方日の丸)に特徴付けられるが、日本の場合、それが全員に豊かな生活をもたらしたのに対して、中国の場合、揃って貧乏になってしまった。日本人は結果に関係なく一生懸命に働いている。少し他人より多く働いたことを損したと思う人はだれもいない。中国人の発想は全く逆である。すなわち、いかに自分が他人より少なく働くかしか考えないのである。結果的に、みんなが仕事をサボることになる。中国共産党が掲げている滅私奉公を原則とする「大鍋飯」は、結局、行き詰まってしまったのである。
中国人の世界観は、「自分の利益しか考えず、困難がある時は他人に犠牲になってもらう」というものである。これに対して、日本人は滅私奉公の精神を中国人よりはるかに強く持っている。日本軍が戦うとき、士官の死亡率は非常に高い。なぜなら、日本の士官達は普通の兵士より前に進んでいるからである。日本軍の勇敢さの理由の一つはここにある。中国軍の場合、士官が最も後ろに隠れ、銃を構えて兵士達に前に進むように命令するだけである。中国の軍人達が他人を犠牲に自らの安全を図る猿知恵は、結果的に中国軍の敗北と大きな犠牲をもたらした。「目先の利益を追いかけて、結果的に、大きな損失を被る」ということである。
現在、中国の大学生達はひたすら海外に行きたがり、貧困から抜け出そうとしているが、中国本土に残り、中国人全体を貧困から脱出させるという責任を担おうとする者は少ない。1950年代、日本はアメリカに大量の留学生を派遣したが、当時のアメリカの生活水準が日本よりはるかに高かったにもかかわらず、学問を修めてから帰国しない日本人は極めて少なかった。戦乱に遭うたびに、中国人は各種の文化財と文化遺産を盗みだそうとしている。最近の新聞には、中国人が貴重な仏像の頭部を切り落とし、それを海外で売りさばくといった記事が載せられていた。しかし、日本では第二次世界大戦当時、空襲で多くの名所旧跡が破壊されたが、その隙を見て文化財や文化遺産を盗もうとする人は殆どいなかった。日本人の祖国に対する献身の精神と責任感は、中国人にとって理解しにくいものである。
中国人の心の中では、自分という「小我」しかなく、国家と民族という「大我」という発想が存在しない。かつて孫文は中国人をばらばらな砂だと例え、中国人の「心」をまとめる手段がどこにもないと語った。中国人の世界観に、自分自身の利益を越えた「大我」という観念を形成させない限り、中国人が世界先進の民族への仲間入りを果たすことは永遠に不可能であろう。
原因4:中国人は内部闘争を好むが、日本人は一心団結している
あらゆる集団には競争と団結の両面がある。しかし、中国人は集団内部の競争を闘争へと転換させることを好んでいる。かつて、中国人同士の闘争が中国にもたらした被害は、外国の侵略によるものをはるかに超えている。そもそも中国人にとって、お互いに対立しあう傾向は生まれつきのものであり、それは政治運動の時に最もよく現れる。中国人は小さな頃から他人を信用しない教育を受けてきた。政治運動が訪れるたびに、中国人はお互いを疑い、他人の秘密を暴露あるいは密告する。場合によっては、自らの利益のために他人を犠牲にすることも辞さない。
日本人の間にも内部の闘争はある。しかし、それには限度があり、共同の利益が損なわれるまでには発展しない。これに対して、中国人の内部闘争は留まるところを知らない。自らの敵を倒すには、中国人は異民族あるいは外国人の力を借りてでも、その目的を実現しようとする。かつて呉三桂は李自成を倒すために、清に軍隊の派遣を要請し、同じ民族との戦いに臨んだ。汪精衛は蒋介石との権力闘争のために、日本人の手先になることも辞さなかった。中国人は、外部にいる共通の敵より、内部の敵をやっつけた方が重要だと思うため、国を裏切る者が大勢いる。
日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。中国人は外国の捕虜に対して、非常に友好的である。中国で服役した日本人の捕虜達も人道的な扱いを受けてきたとの多くの証言がある。しかし、中国人は同じ中国人の捕虜に対して非常に残虐である。共産党と国民党の内戦で捕虜になった兵士達の運命は非常に悲惨なものであった。中国の教科書には、「中華民族は平和を愛する民族である」と書かれている。中国人は、確かにめったに外部の民族を侵略しない。中国人はほかの民族との平和を愛するが、しかし自らの民族同士の平和を愛していないようである。文化大革命での内部闘争を経験してきた中国人は、「中華民族が平和を愛する民族である」という表現に対して、疑問を持っているであろう。
現在、中国人の内部闘争は経済分野にまで及んでいる。中国のメーカーは輸出を獲得するためにひたすら価格競争を行い、結果的に、全てのメーカーが大きなダメージを受けてしまうことになる。日本企業は日本国内においては激しい競争を展開しているが、しかし一旦海外に出ると、お互いに協力し合う傾向が見られ、海外市場を獲得するために激しい内部闘争を行う現象は殆ど見られない。これが日本の輸出が絶えず黒字を保つ理由の一つでもある。
一人一人の日本人はたいしたことはないが、しかし、日本人が10人集まると状況が一変する。ばらばらである中国人は、結局、団結力の強い日本人との競争に勝てないのである。日本人が一心団結できる秘密はどこにあるのであろうかと日本人に聞くと、逆に、どうして同じ民族同士の団結がそれほど難しいか、そのこと自体が理解できないという答えが返ってくる。このように、民族性は決して短期間で形成されたものではない。内部闘争を好む中国人の国民性を変えるには、一世代あるいは二世代以上の時間を要するであろう。
原因5:中国人は忘れがちであるが、日本人は執着心が強い
日本人が新年の初詣に靖国神社を参拝することは、戦犯を偲ぶもので、軍国主義復活の兆候であると、中国国内では絶えず批判の声がある。その動機はどうあれ、毎年、大勢の日本人が自発的に神社に参拝していることは、日本人には、昔国家に命をささげた「先祖」達に対する感謝の気持ちがあることを物語っている。一方、抗日戦争(日中戦争)の際、国家のために大勢の中国人が犠牲になったが、現在、その存在は殆ど忘れられ、ましてその魂を参拝することはありえない。自らの祖国に命を捧げた先祖をすぐ忘れてしまう民族には、強大な民族集結力が永遠に訪れないのである。
戦後、日本は巨額の資金を投入し、かつて激戦が繰り広げられていた太平洋の島々に残された日本兵の遺骨を日本に持ち帰り、埋葬している。ベトナム戦争後、アメリカはベトナムと国交を回復する際、ベトナムに対しアメリカ兵の遺骨の返還とベトナム各地における米兵の遺骨の調査を行う事を要求した。しかし、中国とベトナムとの関係の正常化が実現するときに、戦死した中国兵士の遺骨を回収に関する問題は殆ど提起されたことがなく、人気のあった中越戦争の中国軍の英雄達も、現在は忘れられようとしているし、まして朝鮮戦争、抗日戦争でなくなられた先祖のことは、完全に忘れられているといっても過言ではない。
中国人は絶えず日本に侵略された歴史を忘れるなと言い張るが、実際、大多数の中国人はもはやその事実を忘れかけている。中国の大学生が日本留学を試み、少女ができるだけ日本人との結婚を望み、そして農民達が相次いで日本に密入国を図る現状からも、中国人の日本に対する憎しみの度合いを推し量ることができよう。数年前にユーゴスラビアで中国大使館がアメリカの誤爆にあったが、それによって引き起こされた中国大学生達の激しい反米感情はわずか数ヶ月程度ですっかりなくなった。TOEFLの試験を受けてアメリカに行きたがる人数は減るどころか、むしろ増加していることも、中国人が歴史を忘れがちであることを示す一例であるといえる。
最後の問題:果たして中国は日本に追いつけるのか
多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。
中国人は日本に追いつくことをいつも夢見ているが、日本人の優れた所を真正面から評価しようとも、そして自分の弱点も認めようともしない。確かに日本人にも多くの短所と問題がある。しかし、もしわれわれが日本人の短所だけを強調し、絶えずそれを批判し、色めがねで日本を観察しても、日本の発展になんら影響も与えないだけでなく、逆に自分の視野を狭くしてしまったのである。昔、中国人はソ連とアメリカを帝国主義として多くの悪口を言ってきたが、相手を懸命にののしった結果、ソ連とアメリカの実力どころか、むしろ自分の国力を削減しただけであった。
日本人はアメリカに敗れたことを自らの恥であるとみなし、逆に中国人は日本に敗れたことを日本の恥であると考えている。実は、日本になかなか追いつけないという事実は、まさしく中国人自身の恥なのである。自分に言い訳を求める手段として日本に批判を展開する人々は、中国人の自尊心を満足させるだけで、中国の発展と進歩になんの役割も果たせないのである。
もし別の角度から日本を見れば、日本人は非常に謙虚で勉強好きで、絶えず進歩を求め、そして滅私奉公の精神を持ち、忍耐強く、粘り強い民族で、世界で最も優れている民族の一つであるということがわかる。中国人が日本に追いつけないのは、結局、中国人自身の抱える問題があまりにも多すぎることにある。中華民族が多くの短所と問題を抱えている民族であることを、中国人が自ら認め、絶えずそれを変えることに努力しなければならない。これができなければ、中国が日本に追いつく夢は泡のように消えてしまうだろう。
(出所)原文は中国語。和文の掲載にあたり著者の許可を頂いている。
2003年6月16日掲載
林思雲 Lin Si Yun
1963年中国南京市生まれ。南京大学理工学科卒。1992年に日本に留学。1996年に日本で工学博士を取得し、日本の化学材料の会社に務める。理工学院卒の理系出身ではあるが、文学や歴史に興味を持ちその方面の書籍を愛読する。1997年以降、インターネット上に独自の観点から書かれた政治、歴史、日中関係に関する文章を数多く発表している。
2010年12月3日金曜日
新年の一般参賀
皇居でとり行われる新年の一般参賀に行ったことがありますか?
君民の一体感とでも言えばいいんでしょうか、なんとも言えない気分を味わうことができます。
新しい年を晴れやかな気分で始めるのにいいと思います。
以下は宮内庁のホームページに掲載された昨年の案内です。
項目 内容
期日 平成22年1月2日
参入時刻 (午前9時30分~午後2時10分)
閉門時間が例年より1時間早まりましたので,ご注意ください。
参入門 皇居正門(二重橋)
退出門 坂下門,桔梗門(ききょうもん),乾門
お出まし(予定) ○第1回及び第2回は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下始めお出ましになれる成年の皇族方
○第3回以降は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下
第1回 午前10時10分頃
第2回 午前11時00分頃
第3回 午前11時50分頃
第4回 午後1時30分頃
第5回 午後2時20分頃
日にちが近づいたら宮内庁のホームページでチェックしてみてください。
君民の一体感とでも言えばいいんでしょうか、なんとも言えない気分を味わうことができます。
新しい年を晴れやかな気分で始めるのにいいと思います。
以下は宮内庁のホームページに掲載された昨年の案内です。
項目 内容
期日 平成22年1月2日
参入時刻 (午前9時30分~午後2時10分)
閉門時間が例年より1時間早まりましたので,ご注意ください。
参入門 皇居正門(二重橋)
退出門 坂下門,桔梗門(ききょうもん),乾門
お出まし(予定) ○第1回及び第2回は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下始めお出ましになれる成年の皇族方
○第3回以降は,天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下
第1回 午前10時10分頃
第2回 午前11時00分頃
第3回 午前11時50分頃
第4回 午後1時30分頃
第5回 午後2時20分頃
日にちが近づいたら宮内庁のホームページでチェックしてみてください。
2010年12月2日木曜日
ちびっ子による教育勅語リレー
すごい!
可愛い!
「身に付く」という事は、繰り返しやってみるということで得られるものだと言われています。
意味がわからなくても繰り返し声を出して読んでいるうちに、何となくわかってくるとも聞いたことがあります。
うけひのもり学園ホームページ http://ukehi.com/
参考までに原文を。
教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
現代語訳はネットで検索すればすぐに見つかるので探してみてください。
この勅語は教育というよりは徳育ですね。
次のような徳目が書かれています。
教育勅語の12の徳目
孝行・・・・親に孝養をつくそう
友愛・・・・兄弟・姉妹は仲良くしよう
夫婦の和・・夫婦はいつも仲むつまじくしよう
朋友の信・・友だちはお互いに信じあって付き合おう
謙遜・・・・自分の言動をつつしもう
博愛・・・・広く全ての人に愛の手をさしのべよう
修業習学・・勉学に励み職業を身につけよう
知能啓発・・知識を養い才能を伸ばそう
徳器成就・・人格の向上につとめよう
公益世務・・広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう
遵法・・・・法律や規則を守り社会の秩序に従おう
義勇・・・・正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう
どれもが人が人として生きていくのに大切なものですね。
戦後すぐに教育勅語を学校で復唱させることが廃止されました。
しばしば江戸や明治期の日本を訪問した欧米人が、日本人の礼儀正しさや高貴さを文章に残していましたが、そんな日本人の道徳感が簡潔かつ見事に書かれているのが教育勅語です。
旧漢字仮名遣いですが、これは現代語訳で読んでしまうと、言霊の力が減じてしまいますので、是非原文のまま読んでください。
身に付けるために読むのですから、最初は理解できなくても構いません。
2010年12月1日水曜日
握り飯の神秘
食の堕落と日本人
第3章 美しき哉、日本食の本質
握り飯は「おむすび」「おにぎり」とも呼ばれますが、調べてみると、この二つは意味が違っているように思います。「おむすび」は上記のように古事記の神産巣日神(かみむすひのかみ)に由来している、一方で「おにぎり」はご飯を「握る」という動作を表したにすぎないような感じでしょうか。
「おむすび」には昔の人の稲作、お米に対する特別な思いを感じます。稲は「い」=いのち+「ね」=根っこ、なんだそうです。また、男女が結婚するなど新しい縁を作ることを「むすぶ」といい、「むす」に「こ」あるいは「め」がつくと「むすこ」「むすめ」といいます。これが「むすぶ」という意味の本質なのでしょう。田植えや畑仕事は生きていく糧を得る営みです。そういう生産活動をした後で、万物を生む霊力を持つおむすびを食べる、そういう新たな命や力が生まれる循環をとても大切にしていたのではないかと感じます。そう考えると「おむすび」という言葉の方を大切にしたいなぁという気がしてきます。
おむすびの具はやっぱり鮭がいちばん好きかな
第3章 美しき哉、日本食の本質
握り飯は「おむすび」とも言うが、これは単に手で結ぶからだけではない。江戸時代の国学者、新井白石が著した『東雅(とうが)』によると、「むすび」は『古事記』の中に現れる「産巣日(むすひ)」または「産霊(むすひ)」と関係があるという。いずれも、「万物を生み、成長させる、神秘的で霊妙な力」を指すことばで、「むす」は「発生する、生える」の意、「ひ」は「心、霊」の意である。握り飯は何やらとてつもないパワーが込められている食べ物なのかもしれません。とてもシンプルで素朴な食べ物なのに、とても満足感があって不思議とうきうきとするような高揚感を感じます。そして何も具の入ってない真っ白な握り飯であっても米粒のおいしさを堪能できます。
握り飯は「おむすび」「おにぎり」とも呼ばれますが、調べてみると、この二つは意味が違っているように思います。「おむすび」は上記のように古事記の神産巣日神(かみむすひのかみ)に由来している、一方で「おにぎり」はご飯を「握る」という動作を表したにすぎないような感じでしょうか。
「おむすび」には昔の人の稲作、お米に対する特別な思いを感じます。稲は「い」=いのち+「ね」=根っこ、なんだそうです。また、男女が結婚するなど新しい縁を作ることを「むすぶ」といい、「むす」に「こ」あるいは「め」がつくと「むすこ」「むすめ」といいます。これが「むすぶ」という意味の本質なのでしょう。田植えや畑仕事は生きていく糧を得る営みです。そういう生産活動をした後で、万物を生む霊力を持つおむすびを食べる、そういう新たな命や力が生まれる循環をとても大切にしていたのではないかと感じます。そう考えると「おむすび」という言葉の方を大切にしたいなぁという気がしてきます。
おむすびの具はやっぱり鮭がいちばん好きかな
いろんな具を入れてみるのも楽しそうです→★
「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
話題になっている映画の紹介です。
「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
英題:”442-LIVE WITH HONOR, DIE WITH DIGNITY-”
製作年:2010年
製作国:日本/アメリカ
日本公開:2010年11月13日 (新宿K's cinema ほか)
上映時間:1時間37分
配給:フィルムヴォイス
カラー/モノクロ/ステレオ
場所『神戸映画資料館』
神戸市長田区腕塚町5丁目5番1
アスタくにづか1番館北棟2F 201
078-754-8039(FAX兼)
http://kobe-eiga.net/
info@kobe-eiga.net
JR(大阪および姫路方面)からは 新長田下車、南へ徒歩5分
※国道2号線(または高速高架)と大正筋商店街の交差点角にあるエスカレーターで2Fへお越しください。
※同ビル3Fの中華料理「神戸飯店」さんが目印です。
開館時間は、水曜および木曜のぞく10:30〜18:00です。
JR(大阪および姫路方面)からは 新長田下車、南へ徒歩5分
3(金)、4(土)、日(日)
13:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
15:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
17:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
6(月)、7(火)
10:30 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
13:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
10(金)、11(土)、12(日)、13(月)、14(火)
10:30 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
英題:”442-LIVE WITH HONOR, DIE WITH DIGNITY-”
製作年:2010年
製作国:日本/アメリカ
日本公開:2010年11月13日 (新宿K's cinema ほか)
上映時間:1時間37分
配給:フィルムヴォイス
カラー/モノクロ/ステレオ
場所『神戸映画資料館』
神戸市長田区腕塚町5丁目5番1
アスタくにづか1番館北棟2F 201
078-754-8039(FAX兼)
http://kobe-eiga.net/
info@kobe-eiga.net
JR(大阪および姫路方面)からは 新長田下車、南へ徒歩5分
※国道2号線(または高速高架)と大正筋商店街の交差点角にあるエスカレーターで2Fへお越しください。
※同ビル3Fの中華料理「神戸飯店」さんが目印です。
開館時間は、水曜および木曜のぞく10:30〜18:00です。
JR(大阪および姫路方面)からは 新長田下車、南へ徒歩5分
3(金)、4(土)、日(日)
13:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
15:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
17:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
6(月)、7(火)
10:30 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
13:00 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
10(金)、11(土)、12(日)、13(月)、14(火)
10:30 「442 日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」
2010年11月29日月曜日
東条英機の遺言
開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。
日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。
なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。
『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)
東条英機の辞世の句
「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」
天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。
日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。
なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。
『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)
東条英機の辞世の句
「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」
道義を回復するための憲法論
憲法問題を考える上でとても重要な視点を与えてくれる理論です。
護憲か改憲といった議論にもう一つ無効論という視点を入れることで、我が国の憲法問題がわかりやすくなります。
以下はYouTubeの動画の説明からの引用です。
「日本国憲法」を帝国憲法体制内に存在する講和条約(講和大権を権限根拠とする行為に 基づく規範)と認定し、かつ、憲法としてはもともと無効であることを内閣や国会の決議 にて確認宣言します(つまり現国会や内閣は、講和条約「日本国憲法」に基づく国家機関 です=帝国憲法に合憲の国家機関です)。
現実社会の法的安定を乱すことなく皇統護持の実現可能な正統典範体制、正統憲法体制への認識の転換(憲法や典範の復元)が実現します。国家をあげてこの認識の転換さえ起こせば離脱強要をさせられた皇族の原状回復も個々人の意志選択に基づくことなく自動復帰 、地位の回復ということになります。
(これに反し「正統性の回復行為」を現在の日本人が逆に「拒む行為」というのはいったいどういう意味をもつものなのか、この図解等
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/45996606.html
を参考に考えてみてください。そうすれば護憲派護憲論も護憲派改正論も、さらに言えば新憲法制定論も自主憲法制定論もあっさりと茶番であることが理解できますでしょう。)
次にこの体制下で「日本国憲法」の縛りを整序(不要な条項を状勢を見ながら対外的に順 次破棄通告)すれば自衛隊は皇軍となります。あとは時間をかけて帝国憲法改正論議を国民の課題とすればよいのです。以上は南出喜久治先生のみが唱えている「新無効論」の概略です。
再生リストへ直行
http://www.youtube.com/view_play_list?p=32A3C431067846B2
簡単で安心!「新無効論」実施手順で~す。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/30365077.html
國體護持塾(こくたいごじじゅく) 公式ホームページ
http://kokutaigoji.com/
護憲か改憲といった議論にもう一つ無効論という視点を入れることで、我が国の憲法問題がわかりやすくなります。
以下はYouTubeの動画の説明からの引用です。
「日本国憲法」を帝国憲法体制内に存在する講和条約(講和大権を権限根拠とする行為に 基づく規範)と認定し、かつ、憲法としてはもともと無効であることを内閣や国会の決議 にて確認宣言します(つまり現国会や内閣は、講和条約「日本国憲法」に基づく国家機関 です=帝国憲法に合憲の国家機関です)。
現実社会の法的安定を乱すことなく皇統護持の実現可能な正統典範体制、正統憲法体制への認識の転換(憲法や典範の復元)が実現します。国家をあげてこの認識の転換さえ起こせば離脱強要をさせられた皇族の原状回復も個々人の意志選択に基づくことなく自動復帰 、地位の回復ということになります。
(これに反し「正統性の回復行為」を現在の日本人が逆に「拒む行為」というのはいったいどういう意味をもつものなのか、この図解等
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/45996606.html
を参考に考えてみてください。そうすれば護憲派護憲論も護憲派改正論も、さらに言えば新憲法制定論も自主憲法制定論もあっさりと茶番であることが理解できますでしょう。)
次にこの体制下で「日本国憲法」の縛りを整序(不要な条項を状勢を見ながら対外的に順 次破棄通告)すれば自衛隊は皇軍となります。あとは時間をかけて帝国憲法改正論議を国民の課題とすればよいのです。以上は南出喜久治先生のみが唱えている「新無効論」の概略です。
再生リストへ直行
http://www.youtube.com/view_play_list?p=32A3C431067846B2
簡単で安心!「新無効論」実施手順で~す。
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/30365077.html
國體護持塾(こくたいごじじゅく) 公式ホームページ
http://kokutaigoji.com/
2010年11月28日日曜日
読書録 - 食の堕落と日本人 その2
第2章 日本の食の堕落と崩壊
お箸のこころは、八百万の神様の存在や、ご先祖様、伝統などの日本人としての縦軸のつながりを感じさせてくれます。そして横軸のつながりを意識したら、周囲の人に不快な思いをさせないように、あるいはその共同体の中で受け入れられるべき作法を身につけようと思うのかもしれません。
お箸の正しい使い方は、単に堅苦しい決まりごととして一方的に決められたものではなく、その伝統の中でいちばん合理的にかつ美しく使う「型」として生み出されてきたものだと思います。意味も分からず厳しく躾けられる間は辛く感じることもあるかもしれませんが、ゼロから自分で使い方や意味を発見していくよりもずっと手っ取り早く、また確実にその道に通じている「型」なのだと、おそらく後になって分かって来るものなのでしょう。
以下 不作法とされるお箸の使い方について調べてみました。
お箸のこころは、八百万の神様の存在や、ご先祖様、伝統などの日本人としての縦軸のつながりを感じさせてくれます。そして横軸のつながりを意識したら、周囲の人に不快な思いをさせないように、あるいはその共同体の中で受け入れられるべき作法を身につけようと思うのかもしれません。
ナイフとフォークが使えない西洋人がいたら、さぞかし奇異なことだろう。当人だって恥ずかしいだろうし、周囲から見たら「どんな育ち方をしたのだろう」と思うに違いない。箸の使えない日本人だって同じことである。
(中略)
たった二本の小さな木の枝のようなものだが、ここからさまざまな食文化が発展していくのだ。箸は食の入り口を司る大切な存在であるのだから、そこを粗末にすると心身の入り口からもう堕落してしまう。
お箸の正しい使い方は、単に堅苦しい決まりごととして一方的に決められたものではなく、その伝統の中でいちばん合理的にかつ美しく使う「型」として生み出されてきたものだと思います。意味も分からず厳しく躾けられる間は辛く感じることもあるかもしれませんが、ゼロから自分で使い方や意味を発見していくよりもずっと手っ取り早く、また確実にその道に通じている「型」なのだと、おそらく後になって分かって来るものなのでしょう。
以下 不作法とされるお箸の使い方について調べてみました。
- 刺し箸 箸を食べ物に突き刺して食べること。
- 指し箸 箸で人を指差すこと。
- 二人箸 一つの食器の上で、二人一緒に同じ料理を挟むこと。
- 立て箸 ご飯の上に箸を突き刺すことは仏箸ともいわれ、死者の枕元に供える枕ご飯のときのみ許されます。
- ねぶり箸 箸についたものを口でなめること。
- こじ箸 食器に盛った料理を箸でかき回し、自分の好物を取り出すこと。
- 涙箸 箸の先から汁をぽたぽた落とすこと。
- 箸渡し 箸で挟みあげた料理を別の箸で取ったり、箸と箸とで料理のやり取りをすること。
- 渡し箸 食事の途中で箸を食器の上に渡して置くこと。これは「ご馳走様」の意味になる。
- かき箸 食器の縁に口をあてて料理をかき込むこと。
- 叩き箸 食器や食卓を箸で叩いたり、お箸どうしで太鼓のように音をたてること。
- 探り箸 汁物など食器の中でかき混ぜて中身を探ること。
- 迷い箸 どの料理にしようかと迷って料理の上であちこちと箸を動かすこと。
- 寄せ箸 食器を箸で手前に引き寄せること。
- 受け箸 箸を持ったままおかわりすること。
- 持ち箸 箸を持った手で同時に他の食器を持つこと。
- 振り箸 箸先に着いた食べ物を振り落とすこと。
- 空箸 箸を一度料理につけておきながら、食べないで箸を置いてしまうこと。
- くわえ箸 箸を置かず、お箸から手を離して口にくわえたままにすること。
- 移り箸 あれこれとおかずばかり続けて食べること。
- 込み箸 口に入れた食べ物をさらに箸で口の奥へ押し込むこと。
日本とChinaの思想と文化の違い
『海と日本』 第20回
「大陸の発想VS島国の発想」
Chinaと日本。大陸の宿命と島国の限界が、両者の間に思わぬ発想方法の差異を育ててきた。
巨大な大陸国家であるChinaは6000年以上に渡って、東夷・西戎・南蛮・北狄の四辺と争いながら権力が存続してきた。周囲は敵であり力で劣れば国は収縮・消滅せざるをえない。
方や、国家の成立前から海洋によって隔離・保護されてきた島国の日本にとって、隣国は争うべき相手ではなかった。
アジアに存在する、この異なる2つの立場は互いを理解することが出来るのか、そしてその未来は?
「大陸の発想VS島国の発想」
Chinaと日本。大陸の宿命と島国の限界が、両者の間に思わぬ発想方法の差異を育ててきた。
巨大な大陸国家であるChinaは6000年以上に渡って、東夷・西戎・南蛮・北狄の四辺と争いながら権力が存続してきた。周囲は敵であり力で劣れば国は収縮・消滅せざるをえない。
方や、国家の成立前から海洋によって隔離・保護されてきた島国の日本にとって、隣国は争うべき相手ではなかった。
アジアに存在する、この異なる2つの立場は互いを理解することが出来るのか、そしてその未来は?
誰にでも簡単にできる土作り!
誰にでもできる、家庭でできる土作りだそうです。家庭菜園をするとなると、堆肥を買ったり、グッズをそろえたりと何かと出費が多くなりがちですが、生ごみをたい肥にして土作りをすればお金もかかりません。
このような生活の中での実践を、うけひのもり学園でやっているようです。
うけひのもり公式HPはこちら!
http://ukehi.com
このような生活の中での実践を、うけひのもり学園でやっているようです。
うけひのもり公式HPはこちら!
http://ukehi.com
2010年11月25日木曜日
お箸のこころ
箸の語源
大和言葉の「は」 物の両端、物と物との境目
大和言葉の「し」 物をつなぎ止める、固定する、固着する、静止するなどの意
この二つの言葉を組み合わせた「はし」ということばは、向こうとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つ道具につけられたものだそうです。
例えば、端と端をつなぐ「橋」、高いところと地上をつなげる「はしご」。
そして、「お箸」もつなぐものです。一方の口に運ぶ先は人のもの、もう片方の端は神様のものとして考えられていました。食事の時にはお箸に神様が宿ると考えられていたそうです。
また、お供え物をするときにも「竹」が神様と人=もの(者)とをつなぐ役目をしたことから
その道具が「箸」と呼ばれるようになったといわれています。使うことで神様に感謝を捧げる、人と神様を結ぶ「橋渡し」の道具だったのでした。
日本人の食事といえば、お箸を使うという行為があります。
正しいお箸の持ち方や、不作法とされる使い方など行儀や作法にも気を付けたいですが
お箸というものは器から口へ食べ物を運ぶための単なる道具ではないのですね。
まず、このお箸の由来、ご先祖様の発想、その心がとても素晴らしいと感じました。
昔の人は、どこへ行くにも自分の箸を持っていき、食事が終われば箸を手拭いでふいて箸入れにしまっていたそうです。今でいうところのマイ箸みたいですが、そればかりではなく死んだ時はお棺の中に箸を一緒に入れたりもしたそうです。
プラスチック製のお箸や使い捨ての割り箸などではなく、美しいお箸を持って大切に使いたくなりますね。長い長い年月、受け継がれてきたお箸のこころを知れば、自然とお箸の行儀や作法を敬う気持ちも湧いてくるのではないかと思います。
大和言葉の「は」 物の両端、物と物との境目
大和言葉の「し」 物をつなぎ止める、固定する、固着する、静止するなどの意
この二つの言葉を組み合わせた「はし」ということばは、向こうとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つ道具につけられたものだそうです。
例えば、端と端をつなぐ「橋」、高いところと地上をつなげる「はしご」。
そして、「お箸」もつなぐものです。一方の口に運ぶ先は人のもの、もう片方の端は神様のものとして考えられていました。食事の時にはお箸に神様が宿ると考えられていたそうです。
また、お供え物をするときにも「竹」が神様と人=もの(者)とをつなぐ役目をしたことから
その道具が「箸」と呼ばれるようになったといわれています。使うことで神様に感謝を捧げる、人と神様を結ぶ「橋渡し」の道具だったのでした。
日本人の食事といえば、お箸を使うという行為があります。
正しいお箸の持ち方や、不作法とされる使い方など行儀や作法にも気を付けたいですが
お箸というものは器から口へ食べ物を運ぶための単なる道具ではないのですね。
まず、このお箸の由来、ご先祖様の発想、その心がとても素晴らしいと感じました。
昔の人は、どこへ行くにも自分の箸を持っていき、食事が終われば箸を手拭いでふいて箸入れにしまっていたそうです。今でいうところのマイ箸みたいですが、そればかりではなく死んだ時はお棺の中に箸を一緒に入れたりもしたそうです。
プラスチック製のお箸や使い捨ての割り箸などではなく、美しいお箸を持って大切に使いたくなりますね。長い長い年月、受け継がれてきたお箸のこころを知れば、自然とお箸の行儀や作法を敬う気持ちも湧いてくるのではないかと思います。
2010年11月24日水曜日
読書録 - 食の堕落と日本人
厳しいことがビシバシと書かれている小泉武夫さんの著書「食の堕落と日本人」
第1章 日本食を食べない日本人は堕落するを読んで
食事療法や健康維持の観点からご先祖様の昔ながらの知恵や習慣に沿った食事が理にかなっているのですよ、という切り口の本はたくさんありますが食文化の放棄・堕落が、民族性の放棄や食料自給率の問題、国防的観点にまで言及されているものは少ないのではないかと思います。
「金があるんだから買ってくればいいじゃないか」という発想が堕落の原点だと筆者は訴えています。まさに民族の存亡に関わる重大な現象であると。
お腹がすいたら食べ物を口に入れてお腹を満たす。
食べるとは、ただそれだけの行為ではありません。何となく、やれ暇だ退屈だと、あるいは何かほかの欲求を満たす代わりに食べ物を口へ入れるということがあります。そこには個々ののライフスタイルや様々な事情があり、それにとやかく口出しをするのは余計なお世話とでも言われてしまいそうな昨今ですが。でもあえて厳しい言い方をすれば、これはやはり堕落なのだと。
食べ物に感謝するのは大切なことです。まずは頂いた命に感謝。こうして食べられることに感謝。作ってくれた人や調理してくれた人にも感謝。そしてその次に、もっと大切なことがあります。
それは、その食べ物を無駄にしないように目的を持って、家族や周りの人の為、世の中の為になるような行いを心がけて生きるということです。頂いた命を無駄にしない、自分はそれらに生かされているということはそういうことなのだと。感謝する気持ちはあってもなかなか、ここまでの発想は出来ていない。自覚することとは自らをわきまえること、即ち気持ちを行動にまで向かわせることなんですね。
「食べ物で得たエネルギーは無駄にせずに何かを生産する為に使ってほしい」小学校の授業で筆者は子供たちにそう伝えたそうです。そういうエネルギーを作るために私たちはご飯を食べるんだと。
食べる事の意味を考えながら、日本食の素晴らしさについてもっと知りたいと思いました。
第1章 日本食を食べない日本人は堕落するを読んで
食生活が乱れるとその人の体調が崩れるのと同じく、国民の食の周辺が乱れてくると、その国の社会も乱れてくる。(中略)そんな国になり下がった日本人だから、国の力もガタガタ低下。国民一体になって日の丸弁当と握り飯でがんばって、高度経済成長を実現し、世界一の富める国を築いたまではよかったが、皆が浮かれて民族としての生きる知恵や基本を忘れてしまったとたんから、食い物は外国からカネで買えば楽だわ、魚だって捕るの面倒臭いから外から買うのがちょうどいいわ、ということになって、食べ物は作らないわ、加工もしないわという堕落心がはびこってきたのである。
食事療法や健康維持の観点からご先祖様の昔ながらの知恵や習慣に沿った食事が理にかなっているのですよ、という切り口の本はたくさんありますが食文化の放棄・堕落が、民族性の放棄や食料自給率の問題、国防的観点にまで言及されているものは少ないのではないかと思います。
「金があるんだから買ってくればいいじゃないか」という発想が堕落の原点だと筆者は訴えています。まさに民族の存亡に関わる重大な現象であると。
お腹がすいたら食べ物を口に入れてお腹を満たす。
食べるとは、ただそれだけの行為ではありません。何となく、やれ暇だ退屈だと、あるいは何かほかの欲求を満たす代わりに食べ物を口へ入れるということがあります。そこには個々ののライフスタイルや様々な事情があり、それにとやかく口出しをするのは余計なお世話とでも言われてしまいそうな昨今ですが。でもあえて厳しい言い方をすれば、これはやはり堕落なのだと。
食べ物に感謝するのは大切なことです。まずは頂いた命に感謝。こうして食べられることに感謝。作ってくれた人や調理してくれた人にも感謝。そしてその次に、もっと大切なことがあります。
それは、その食べ物を無駄にしないように目的を持って、家族や周りの人の為、世の中の為になるような行いを心がけて生きるということです。頂いた命を無駄にしない、自分はそれらに生かされているということはそういうことなのだと。感謝する気持ちはあってもなかなか、ここまでの発想は出来ていない。自覚することとは自らをわきまえること、即ち気持ちを行動にまで向かわせることなんですね。
「食べ物で得たエネルギーは無駄にせずに何かを生産する為に使ってほしい」小学校の授業で筆者は子供たちにそう伝えたそうです。そういうエネルギーを作るために私たちはご飯を食べるんだと。
食べる事の意味を考えながら、日本食の素晴らしさについてもっと知りたいと思いました。
とびっきりニッポン人を楽しもうよ!
とびっきりニッポン人を楽しもうよ!
うけひのもり学園というところのキャッチフレーズです。
この学園はニッポンの家庭における理想的な家族生活モデルの実践・指導・普及を推進する教育機関です。
カリキュラムを見ると子育ての極意とか家族円満の素といった言葉が出てきます。現代は核家族化が進んだりして子育てに悩んでいる人や孤独を感じている人が増えたという話を聞くこともあります。
また、外国で仕事をしたり、外国人と接していて、ニッポン人ってなんだろう?みたいな疑問を持つこともあります。
うけひのもり学園。
おもしろいかもしれません。
うけひのもり学園ホームページ http://ukehi.com/
うけひのもり学園というところのキャッチフレーズです。
この学園はニッポンの家庭における理想的な家族生活モデルの実践・指導・普及を推進する教育機関です。
カリキュラムを見ると子育ての極意とか家族円満の素といった言葉が出てきます。現代は核家族化が進んだりして子育てに悩んでいる人や孤独を感じている人が増えたという話を聞くこともあります。
また、外国で仕事をしたり、外国人と接していて、ニッポン人ってなんだろう?みたいな疑問を持つこともあります。
うけひのもり学園。
おもしろいかもしれません。
うけひのもり学園ホームページ http://ukehi.com/
2010年11月19日金曜日
読書録 - 大西郷遺訓
最近は通勤電車に乗らないので、本を読む時間がなくて読もうと思って買った本がたまる一方。そんな中から一冊を紹介します。
この『大西郷遺訓』は、国学を少し勉強しようと思って物色しているときにたまたま見つけた本です。
あまり歴史の授業が面白く思えずに、学生時代にしっかり勉強しなかったこともあって、歴史に関しての知識はあまりありません。私が紹介する本はそんな人でも読みやすいはずです。
この本は西郷さんが言ったとされる言葉を、政治や人材といったテーマごとに、原文に意訳と解釈を付けて一つ一つ味わおうという趣旨のようです。
「政の大体は文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は、皆この三つのものを助けるの具なり。この三つのものの中において、時に従い勢いに因り、施行先後の順序はあれど、この三つのものを後にして他を先にする更になし。」
これは、大事なのは教育、軍事、農業で、それ以外はこれらを助けるものだ、というわかりやすい例です。
日本の教育が衰退しているという声はよく聞きます。お隣の韓国などは留学して学位を取らないと見識があるとは認められないなどという熾烈な教育競争をしているようです。
軍事に関しては、日本は交戦権が否定されてしまっている憲法下で、立派な装備を持った自衛隊を持つといういびつな形です。
違憲なのに違憲ではないなどと言い加減な解釈をしたり。
農業は食糧自給率の問題と言い換えてもいいかもしれませんが、これも日本はお世辞にもいい状況とは言えません。
エネルギー自給率も低いので、燃料を使って生産される農産物の自給率は相当低いでしょう。
西郷さんの言葉は今を生きる私たちへの忠告とも言えるかもしれません。
この『大西郷遺訓』は、国学を少し勉強しようと思って物色しているときにたまたま見つけた本です。
あまり歴史の授業が面白く思えずに、学生時代にしっかり勉強しなかったこともあって、歴史に関しての知識はあまりありません。私が紹介する本はそんな人でも読みやすいはずです。
この本は西郷さんが言ったとされる言葉を、政治や人材といったテーマごとに、原文に意訳と解釈を付けて一つ一つ味わおうという趣旨のようです。
「政の大体は文を興し、武を振い、農を励ますの三つに在り。その他百般の事務は、皆この三つのものを助けるの具なり。この三つのものの中において、時に従い勢いに因り、施行先後の順序はあれど、この三つのものを後にして他を先にする更になし。」
これは、大事なのは教育、軍事、農業で、それ以外はこれらを助けるものだ、というわかりやすい例です。
日本の教育が衰退しているという声はよく聞きます。お隣の韓国などは留学して学位を取らないと見識があるとは認められないなどという熾烈な教育競争をしているようです。
軍事に関しては、日本は交戦権が否定されてしまっている憲法下で、立派な装備を持った自衛隊を持つといういびつな形です。
違憲なのに違憲ではないなどと言い加減な解釈をしたり。
農業は食糧自給率の問題と言い換えてもいいかもしれませんが、これも日本はお世辞にもいい状況とは言えません。
エネルギー自給率も低いので、燃料を使って生産される農産物の自給率は相当低いでしょう。
西郷さんの言葉は今を生きる私たちへの忠告とも言えるかもしれません。
2010年11月15日月曜日
日本のアニメの威力
アニメはそんなに観ないのでアニメに関する薀蓄は持ち合わせていませんが、面白い話を聞いたのでそれを書きます。
Facebookのメンバーになっているのですが、海外での日本のアニメや音楽の人気はかなりのものです。
時々チャットをする友人の中にも日本のアニメファンが大勢います。面白いのは彼らがアニメをきっかけに、日本語を勉強し始めたり、日本食を食べるようになったり、日本の歴史を勉強したりすることです。アニメの力は凄いなと思って話を聞いています。
そんな彼らの一人に聞かされた話を一つ紹介します。
ギリシャの人ですが、Narutoの大ファンで心は日本人だと言ってる人がいます。
日本のアニメによく出てくる言葉で好きな言葉があって、それがギリシャでは最近あまり聞かれなくなったと言います。その言葉は「護る」。日本のアニメには「家族を護る」、「女性を護る」という言葉が多い。そういう感覚を日本人が持っているんじゃないかと思って日本に興味を持ったとか。
大昔のギリシャの戦士たちは男性も女性も勇敢で強かったけれど、今のギリシャは変わってしまったと。個人的な感想なので、実際にどうなのかはわかりませんが。
そんな会話から始まって、日本とギリシャの違いを文化、歴史、思想、産業、風俗など、いろいろな側面で比べてお互いの事を理解して行くのが好きだったりします。
日本の武士道や神話、伝統的な価値観を下手な英語で、というか英語やギリシャ語を教えてもらいながら説明するようにしていますが、わかってもらえると日本に対する関心が高まる。
東洋の不思議な国の日本が魅力的な国であるように。日本人が魅力的であるように。頑張れよと言われているような気がします。
アニメの世界に現実が負けないようにしないと。
Facebookのメンバーになっているのですが、海外での日本のアニメや音楽の人気はかなりのものです。
時々チャットをする友人の中にも日本のアニメファンが大勢います。面白いのは彼らがアニメをきっかけに、日本語を勉強し始めたり、日本食を食べるようになったり、日本の歴史を勉強したりすることです。アニメの力は凄いなと思って話を聞いています。
そんな彼らの一人に聞かされた話を一つ紹介します。
ギリシャの人ですが、Narutoの大ファンで心は日本人だと言ってる人がいます。
日本のアニメによく出てくる言葉で好きな言葉があって、それがギリシャでは最近あまり聞かれなくなったと言います。その言葉は「護る」。日本のアニメには「家族を護る」、「女性を護る」という言葉が多い。そういう感覚を日本人が持っているんじゃないかと思って日本に興味を持ったとか。
大昔のギリシャの戦士たちは男性も女性も勇敢で強かったけれど、今のギリシャは変わってしまったと。個人的な感想なので、実際にどうなのかはわかりませんが。
そんな会話から始まって、日本とギリシャの違いを文化、歴史、思想、産業、風俗など、いろいろな側面で比べてお互いの事を理解して行くのが好きだったりします。
日本の武士道や神話、伝統的な価値観を下手な英語で、というか英語やギリシャ語を教えてもらいながら説明するようにしていますが、わかってもらえると日本に対する関心が高まる。
東洋の不思議な国の日本が魅力的な国であるように。日本人が魅力的であるように。頑張れよと言われているような気がします。
アニメの世界に現実が負けないようにしないと。
2010年11月14日日曜日
広島被爆地への巡幸
このビデオは昭和天皇が大東亜戦争直後に原爆の被災地である広島を巡幸された時のものです。
とてつもない歓迎ぶりですね。
昭和天皇は爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万人の奉迎を受けられました。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われ、原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして目頭を押さえられました。
各地で昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」、「家はあるのか」と人々に声をかけられました。
全国各地の、あまりの熱烈な歓迎、そして禁止されていた日の丸を振る者もあらわれ、危惧したGHQは巡幸を1年間中止にしました。
陛下は戦争で疲弊した臣民を励ますために日本中を巡幸なさいましたが、陛下を迎える人々が逆に陛下を慰めるような事もあったそうです。天皇と臣民の一体感とでも言えるのかもしれません。
この投稿では「臣民」という言葉を使ってみました。
私は国民という言葉に少し抵抗があります。
祖母には「お前は日本人なんだから・・・」のように言われて育ったし、他の人にも「あなたは日本国民だ」なんて言われた事がありません。また、国民という言葉がどこか虚ろな印象を持っていました。
調べてみたら「国民」という概念は「想像上の共同体」のような意味だとか。我が国の歴史上、この言葉が使われるようになったのは最近のことのようです。伝統的な日本の国の在り方から考えれば臣民の方が似合うのかもしれないです。
とてつもない歓迎ぶりですね。
昭和天皇は爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万人の奉迎を受けられました。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われ、原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして目頭を押さえられました。
各地で昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」、「家はあるのか」と人々に声をかけられました。
全国各地の、あまりの熱烈な歓迎、そして禁止されていた日の丸を振る者もあらわれ、危惧したGHQは巡幸を1年間中止にしました。
陛下は戦争で疲弊した臣民を励ますために日本中を巡幸なさいましたが、陛下を迎える人々が逆に陛下を慰めるような事もあったそうです。天皇と臣民の一体感とでも言えるのかもしれません。
この投稿では「臣民」という言葉を使ってみました。
私は国民という言葉に少し抵抗があります。
祖母には「お前は日本人なんだから・・・」のように言われて育ったし、他の人にも「あなたは日本国民だ」なんて言われた事がありません。また、国民という言葉がどこか虚ろな印象を持っていました。
調べてみたら「国民」という概念は「想像上の共同体」のような意味だとか。我が国の歴史上、この言葉が使われるようになったのは最近のことのようです。伝統的な日本の国の在り方から考えれば臣民の方が似合うのかもしれないです。
2010年11月12日金曜日
日本が日本であり続けるために
日本っていいなぁと思う人のために、どうすれば日本が日本らしくいられるか、どうしたら日本がもっと良い国になるか、そんなことを考えるきっかけになる事をときどき書こうと思います。
最初のエントリーは真正護憲論(新日本国憲法無効論)です。
國體護持塾のホームページを見つけてこの理論を読んだ時は衝撃的でした。
人によっては現実の認識を一変させてしまうくらいの衝撃があるかもしれません。
この理論を産んだ南出喜久治氏は、この憲法論を世界の安定を目指す理論体系の序章として位置付けているようです。
國體護持塾のページはこちら。
http://kokutaigoji.com
國體護持総論のページはこちら。
http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
旧漢字仮名遣いで書かれているので、最初は読みにくいかもしれませんが。
目から鱗が落ちたという人が続出しています。
また、この憲法論に関連する公開講座のビデオもあります。
YouTubeで検索すればすぐに見つかると思いますが、面倒臭いという人のために、全講座のビデオはここにも置いてあります。
http://portal.artesware.net/~ktsubaki/index.html
次回は経済、神話、文學、何を書こうか悩んでます。
たぶんかなり不定期なブログになると思いますので、気長にお付き合いください。
最初のエントリーは真正護憲論(新日本国憲法無効論)です。
國體護持塾のホームページを見つけてこの理論を読んだ時は衝撃的でした。
人によっては現実の認識を一変させてしまうくらいの衝撃があるかもしれません。
この理論を産んだ南出喜久治氏は、この憲法論を世界の安定を目指す理論体系の序章として位置付けているようです。
國體護持塾のページはこちら。
http://kokutaigoji.com
國體護持総論のページはこちら。
http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
旧漢字仮名遣いで書かれているので、最初は読みにくいかもしれませんが。
目から鱗が落ちたという人が続出しています。
また、この憲法論に関連する公開講座のビデオもあります。
YouTubeで検索すればすぐに見つかると思いますが、面倒臭いという人のために、全講座のビデオはここにも置いてあります。
http://portal.artesware.net/~ktsubaki/index.html
次回は経済、神話、文學、何を書こうか悩んでます。
たぶんかなり不定期なブログになると思いますので、気長にお付き合いください。
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