2010年11月14日日曜日

広島被爆地への巡幸

このビデオは昭和天皇が大東亜戦争直後に原爆の被災地である広島を巡幸された時のものです。
とてつもない歓迎ぶりですね。

昭和天皇は爆心地「相生橋」を通過されて、平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万人の奉迎を受けられました。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われ、原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして目頭を押さえられました。
各地で昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」、「家はあるのか」と人々に声をかけられました。
全国各地の、あまりの熱烈な歓迎、そして禁止されていた日の丸を振る者もあらわれ、危惧したGHQは巡幸を1年間中止にしました。

陛下は戦争で疲弊した臣民を励ますために日本中を巡幸なさいましたが、陛下を迎える人々が逆に陛下を慰めるような事もあったそうです。天皇と臣民の一体感とでも言えるのかもしれません。

この投稿では「臣民」という言葉を使ってみました。
私は国民という言葉に少し抵抗があります。
祖母には「お前は日本人なんだから・・・」のように言われて育ったし、他の人にも「あなたは日本国民だ」なんて言われた事がありません。また、国民という言葉がどこか虚ろな印象を持っていました。
調べてみたら「国民」という概念は「想像上の共同体」のような意味だとか。我が国の歴史上、この言葉が使われるようになったのは最近のことのようです。伝統的な日本の国の在り方から考えれば臣民の方が似合うのかもしれないです。

2 件のコメント:

吉之輔 さんのコメント...

いつもありがとう御座います。
これは始めて視る動画です。
当時は日章旗が禁止されていたのですね。

私も国民という表現は極力避けています。
たまに臣民と表現もしますが、おもに日本人という表現を使うようにしています。
何れにせよ国民という表現では、何処の国の国民を指すのか分かりませんね。

Love Nippon さんのコメント...

吉之輔さん

こちらこそいつもありがとうございます。

私もあまり国民ということば好きではありません。
マッカーサー草案の日本語訳では、人民になってるんですよね。
どこか日本じゃない国のようです。