もう10年以上テレビはほとんど観ないので、最近のアニメなどには疎いのですが、子供が親を呼び捨てにしたり、やたらと主人公の女性が強いものがあったり、子供の頃に観たアニメとは様子が変わってきたと思います。
子供の頃に親を呼び捨てするなんて想像もできなくて、外国のドラマなどを観て、自分の親にマイクとかジェーンのかって話すのがなんとも不快でした。
宇宙戦艦ヤマトは好きで全部観たと思います。
そのヤマトを生んだ松本零士さんの育った背景を知ることができる話を見つけたので紹介します。
松本零士 父に見た本物のサムライ魂
福岡県久留米市で、石ノ森章太郎と同じ年月日に生まれる。
6歳までは兵庫県明石市で過ごし、第二次世界大戦中は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた。
このときアメリカ軍機動部隊の戦闘機や松山市へ空襲に向かうB29などの軍用機を多数目撃していた。
この体験が後の作品に影響を与えたという。父親は陸軍航空隊の少佐でパイロット。
四式戦闘機(疾風)に乗って、終戦の日まで連合軍と戦っていたという。
戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、松本の父は「敵の戦闘機には乗れない。」と言い、
野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落とした。
しかし、家族で父に反対する者はおらず松本少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足。」と行商のリヤカーを押したという。
この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にキャプテン・ハーロックや、宇宙戦艦ヤマトの沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。
また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけてつぶした。」という。
2 件のコメント:
宇宙戦艦ヤマトって懐かしいですね~。
松本零士さんの心根には、父の姿があったんですね。
良いお話をありがとうございます。
宇宙戦艦大和を日本武道館で、故黛敏郎氏が指揮する中、大声で歌ったのを思い出しました。
不動明王さん
コメントありがとうございます。
懐かしいですね。
男らしい男と女らしい女が描かれていましたよね。
萌えとかカワイイとか、そういうものとは無縁の世界でした。
父の遺言とか、祖母の意志とか、そういうものを胸に秘めて暮らしている人ってどれくらいいるんでしょうか?
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