2011年4月28日木曜日

『大義』第二章

今日も軍神と言われた杉本五郎中佐の遺著『大義』のご紹介です。

杉本五郎中佐は支那において、敵の銃弾に倒れながらも、持っていた銃剣を杖に立ち上がり、皇居を遥拝したまま絶命したと言われる人物です。

第一章「天皇」はこちらです。










『大義』杉本五郎中佐遺著

第二章

道徳

天皇の大御心に合ふ如く、「私」を去りて行爲する、是れ日本人の道徳なり。天皇の御意志・大御心とは如何なるのもなりや。 御歴代皇祖皇宗の御神勅、皆是れ 大御心の發露に外ならず。別けて 明治天皇の教育勅語は、最も明白に示されたる 大御心の代表的なるものと拜察し奉る。換言すれば、天皇の御意志は教育勅語に直截簡明に示されある故に、教育勅語の御精神に合ふ如く「私」を去りて行爲すること、すなわち日本人の道徳なり。而して此の御勅語の大精神は「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、個人道徳の完成に非ず。天皇の御守護には、老若男女を問はず、貴賤貧富に拘らず、齊しく馳せ參じ、以て死を鴻毛の輕きに比すること、是れ即ち日本人道徳完成の道なり。天皇の御爲めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。此の理を換言すれば、天皇の御前には自己は「無」なりとの自覺なり。「無」なるが故に億兆は一體なり。天皇と同心一體なるが故に、吾々の日々の生活行爲は悉く皇作皇業となる。是れ日本人の道徳生活なり。而して日本人の道徳生活必須先決の條件は、「無」なりの自覺に到達することなり。

 橘曙覽先生歌

 大綱と天(あま)つ日繼(ひつぎ)を先づ取りて
   もろもろの目(もく)をあむ國と知れ


教育勅語に触れているこの章。
簡潔に書かれていてわかりやすいですね。
内容に関して、そうだそうだと思う人はどれくらいいるでしょうか?
この本は当時100万部も売れたと言われているので、昭和11年の頃に大人だった人は、教育勅語が必須だったこともあり、ここに書かれていることがよくわかったに違いありません。
現在では、その年代の人で存命の方は少ないでしょう。

このブログを読んでいただいている方の中には、教育勅語を暗唱している人が多いと思います。
そうじゃない方はこれは是非暗唱するのをオススメします。
何度も声に出して読むうちに、ここに書かれていることが自覚できるようになります。
楽譜を見るだけではなく、実際に声を出して歌ったり楽器を演奏してみないと決してわからない音楽の領域があります。
それと一緒です。
読んで理解するよりも、理解できなくても、声に出すことの方が重要です。
譜面が読めないのに音楽で自分を表現できる人もたくさんいます。
それと一緒です。
やってみるとわかります。
やらないとわかりません。

情報過多の時代だからこそ、実践して学ぶのが大事なんじゃないかと思います。

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