2011年1月25日火曜日

ドイツ商船『R・J・ロベルトソン号』遭難事件

1873年(明治6年)7月、この頃の沖縄は明治政府によって琉球王朝が強制廃止され、律令国として琉球藩が設置されたばかりでした。(1871年に廃藩置県、1872年琉球藩設置)
アジアでは清が欧米烈強に翻弄されていた頃でした。
ドイツのハンブルグからやって来た商船「R.J.ロベルトソン号」は、貿易品である茶を福建省から積み込んで、オーストラリアのアデレードに向けて出港しました。

ところがロベルトソン号は台風による激しい暴風に遭い、いつ沈没してもおかしくない非常に危険な状態となり、宮古島の南岸へと流れ、座礁してしまいます。

最初にロベルトソン号の座礁を目撃したイギリスの軍艦カーリュー号が、ボートを出して救出を企てましたが高波のため断念しました。
続いて、島の住人が座礁した外国船を発見し、島から小舟を漕いで救出を試みましたが、暴風明けで夜間の高波のために断念しました。この様子を見ていたロベルトソン号の乗組員は激しく落胆しましたが、島民は海岸でかがり火を焚き、難破船の乗組員を励まし続けまた。
翌朝、いまだ打ち寄せる高波の中、小舟2艘を出し船に残っていた救命ボート1艘とともに、生存者8名(ドイツ人6名、うち女性1名。中国人船員2名)を無事に救出しました。その後、ロベルトソン号は激しい波で破壊されました。
島民が海岸に打ち寄せられた積荷を親身になって拾い集めましたが、濡れて商品にならないものは要らないとなじられる場面もあったそうです。

救出はしたものの相手は外国人、言葉が通じずコミュニケーションがうまく出来ない状況であったそうですが、島の人々は遭難者たちを手厚く保護し、役人は役場を宿泊所として提供して、自らはその周りに仮小屋を立てて過ごしました。当時の島民の主食はキビだったそうですが、遭難者には米や鶏肉を与えたそうです。この頃の宮古は人頭税がまかり通っていたそうですので、8名の人間に食事を提供するのは、大変なことであったと思われます。

しばらく後、ロベルトソン号の乗組員たちは、宮国から野原(ぬばる)へと移送され、新たな宿舎に移ります。体力も回復し、ロベルトソン号から持ち出した銃で、余暇を兼ねて島内の森で鳩を狩ったりするなど、自由な生活をしたそうです。
しかしいつまでも彼らを島にとどませる訳にもいかないと、島の役人が中国へ送る船を出すよう首里まで使いを出しましたが、いっこうにその船が出なかったため、島の役人は王朝の許可なく独断で、たまたま宮古島へ来ていた官船を出すことにしたのでした。

こうして34日ぶりに宮古島を出たロベルトソン号の乗組員たちは、中国経由でドイツへ帰る事になりました。

ロベルトソン号船長のエドゥアルド・ルドヴィヒ・ヘルンツハイムは、この出来事を「ドイツ商船 R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」として新聞に発表したところ大反響を呼び、それを読んだドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、宮古島の人々の博愛精神に感動し、1876年に軍艦チクローブ号を日本へ派遣しました。
 そして皇帝の誕生日でもある3月22日に、宮古島の中心港、漲水港(平良港)を見渡せる斜面に、博愛精神を賞賛する記念碑が建立されました。

またその後には、日独間が同盟関係を結んでいた1936年(昭和11年)、記念碑の建立から60年目にあたり、外務省や日独親善団体、宮古教育部会の協力のもと、「獨逸商船遭難の地」の碑が建てられました。
翌1937年(昭和12年)には、文部省が全国から募集した「知らせたい美しい話」で、「博愛」と題したこの史実が1等に選ばれ、小学校の修身教科書に載り、全国に広く知られることになりました。
1996年(平成8年)には、遭難地近くに「うえのドイツ文化村」というテーマパークが作られ、2000年(平成12年)の主要国首脳会議が沖縄で開催された折に、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相が親善訪問しました。


教育勅語とともにこういう先人の美談を多くの日本人に知ってもらいたいですね。

4 件のコメント:

Love Nippon さんのコメント...

投稿ありがとうございました。
これはいい話ですね。
知りませんでした。

匿名 さんのコメント...

エルトゥールル号のお話以外にも
こんな素晴らしい実話があったんですね。
探せば、他にもあるのでしょうか。

郷援社の人 さんのコメント...

海難事故に際しては、国籍を問わず人道的な対応をしたのですね。貧しくても豊かな心をもった日本人がいたことを忘れてはなりませんね。

koe さんのコメント...

Love Nippon様
ありがとうございます。
こういった先人の方の徳があってこそ、今の海外での日本人への対応や評価があるという事を忘れてはいけないですね。

匿名様
コメントありがとうございます。
きっと沢山あるのではないでしょうか。

郷援社の人様
はじめまして。コメントありがとうございます。
美談として崇めるのは簡単なのですよね。
自分たちが苦しい時貧しい時、果たして同じように出来るか?
なぜこの方達にはそれが出来たのか?

私たちもこういった心を取り戻して後世に残さねばなりませんね。