2011年1月31日月曜日

【親学】「善」と「悪」について

本能に忠実な方向が「善」であり、これに背く方向が「悪」

---途中省略---

これまで一般に、多くの人々が、本能とか、本能的という言葉に対して、極めて不道徳で非理論的で悪徳な響きを感じていたのは、合理主義(理性論)に毒されていたためであるといえます。
何が善で何が悪かの判断は、極めて規範的なものであり、その判断基準は世界の各地において様々な様相と態様を呈しているのですが、その原型は、人類の本能に由来するものです。
繰り返し述べますが、本能に忠実な方向が「善」であり、これに背く方向が「悪」なのです。
「忠」とは、本来の意味はその字義からして、「まごころ」を意味し、本能に適合する状態を指します。
自己保存本能か、種族保存本能かの二者択一に迫られたとき、ためらいつつも後者を選ぶことを云います。
また、「孝」とは、その解字からして、老人を背負った子の姿であり、親に対する「忠」の意味です。
それゆえに忠孝一如であり、水戸学では、誠を尽くせば「忠孝一本」になると強調したのです。

―親学 子育ての道しるべ「第8道 「善」と「悪」について」より抜粋―

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