一人一人の想いと汗がしみ込んだ襷を次のランナーへつないで行く駅伝。
来年のシード権を争う姿にも感動しました。
来年に向けて襷をリレーしていると言ってもいいかもしれません。
来年のシード権を争う姿にも感動しました。
来年に向けて襷をリレーしていると言ってもいいかもしれません。
東海道沿線に住んでいるために、駅伝を追いかけて選手たちの一生懸命な走りや、選手たちを応援する沿道の人々の姿を見る機会があり、その度に「つないで行く」ことへの情熱というか執念というか、何か大きな力がそこにあるように思えてなりません。
襷をリレーしようと必死に走る選手と、それを見守り応援する人々。そういう姿を見て感動せずにはいられません。
襷をリレーしようと必死に走る選手と、それを見守り応援する人々。そういう姿を見て感動せずにはいられません。
箱根駅伝の歴史
箱根駅伝公式Webサイトより引用
箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から90年も前のことである。
創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。
創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。
そうした中で、1917年(大正6)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。
東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。
読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。
東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。
「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じたというのが、創設のいきさつである。
第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものだ。
箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが実を結んだものでもあった。
第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものだ。
箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが実を結んだものでもあった。
当時は、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終わったばかり。
工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。
スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。
引用ここまで
スポーツ界だけでなく「世界に通用する」という志と「やってやろうじゃないか」という気概を持った先人たちが築いてきたものがたくさんありますね。
そんな先人たちの努力とその成果をつないでいくという大きな使命が私たちにはあるんじゃないかと思います。
襷のリレーを見るとどうしてもそのことを考えてしまいます。
そんな思いとは裏腹に、我が国は大東亜戦争で敗戦し、私たちのご先祖様が営々と築いてきた文化や伝統を断ち切るような仕掛けがたくさん埋め込まれています。
東京裁判史観などというものや占領期に制定された日本国憲法もその仕掛けの一部です。
東京裁判史観は謝罪史観です。
日本国憲法が詫び証文だと言った政治家がいますが、次のように条文を読んでみるとまさに詫び証文です。
前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
これは生かすも殺すも諸国民におまかせします、文句は言いません、という意味です。
第9条2項「国の交戦権は、(GHQが)これを認めない。」
お前たちは二度と戦争するなんて言うな、わかったか?
はい、わかりました。
という感じでしょうか。
第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」
わかったらとにかく黙って言うことを聞け。
はい、わかりました。
という感じでしょうか。
東京裁判史観は戦後史観であり謝罪史観でもあり、日本国憲法体制とセットなんですね。
このようなものがあるのですから、社会党の村山元首相が村山談話なる謝罪文を発信してしまったのも、自民党がその村山談話を踏襲してしまったのも無理はないのかもしれません。前者は謝る必要のないアジアの国々に、後者は謝る必要のないアメリカへの配慮です。謝る相手が違うだけで、謝る必要のないことを謝るという点では一緒です。
つぶさに見て行くと、戦後は嘘のオンパレード。
嘘も百回つけば本当になる?みたいな空気が蔓延しています。
嘘に固められた現実でも、何不自由なく暮らせてきてたのだから、これはこれでいいじゃないか、みたいな空気です。
嘘によって歴史が分断されても、かろうじて人の心の中にうっすらと連続性が残っているような状態なのかもしれません。
日本全土に原爆を投下するぞという脅迫をされ、國の守り=子孫繁栄(民族の絶滅を防ぐ)だけは死守しようと降伏というご聖断を下された先帝陛下。まさに「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」でした。その先帝陛下は「日本人が目覚めるのには100年か200年はかかるであろう」という趣旨のことをおっしゃられていますが、すでに戦後65年が経過した今、どれほどの人が戦後の嘘を見破って覚醒しているでしょうか?
白州次郎が「我々は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言いましたが、はたしてそうでしょうか?
このブログの過去の人気エントリー「DV被害女性と日本国憲法下の日本人」にも書かれているような、倒錯した状態にいることにどれだけの日本人が気づくでしょうか?
本当のことを知らせないようにしようという力が働いていて、政界やマスコミ、インターネットなどを使って巧妙に情報の隠蔽や操作が行われいるため、多くの人が自由意志で物事の正否を判断するのが難しい状況が続いています。
三島由紀夫が市ヶ谷で檄を飛ばしたときの映像で、多くの自衛官がこの事がわからずに必死に訴えかける三島を嘲笑しているのを見てがっかりしたことを思い起こしますが、自衛官ですらそのような状態に置かれている人が多いということでしょう。
歴史を振り返って、あのときはああだったこうだったと言うだけでなく、過去の出来事が今の私たちにどう影響を与えているかを認識して、今後の行動に活かさなければ歴史から学んだとは言えません。
幸いなことに我々日本人は学ぶべき歴史をたくさん持っています。資料も手に入りますし、考える能力も高いです。
ご先祖様からの襷を次の世代へリレーする役目を持っているのは私たちです。
工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。
スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。
引用ここまで
スポーツ界だけでなく「世界に通用する」という志と「やってやろうじゃないか」という気概を持った先人たちが築いてきたものがたくさんありますね。
そんな先人たちの努力とその成果をつないでいくという大きな使命が私たちにはあるんじゃないかと思います。
襷のリレーを見るとどうしてもそのことを考えてしまいます。
そんな思いとは裏腹に、我が国は大東亜戦争で敗戦し、私たちのご先祖様が営々と築いてきた文化や伝統を断ち切るような仕掛けがたくさん埋め込まれています。
東京裁判史観などというものや占領期に制定された日本国憲法もその仕掛けの一部です。
東京裁判史観は謝罪史観です。
日本国憲法が詫び証文だと言った政治家がいますが、次のように条文を読んでみるとまさに詫び証文です。
前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
これは生かすも殺すも諸国民におまかせします、文句は言いません、という意味です。
第9条2項「国の交戦権は、(GHQが)これを認めない。」
お前たちは二度と戦争するなんて言うな、わかったか?
はい、わかりました。
という感じでしょうか。
第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」
わかったらとにかく黙って言うことを聞け。
はい、わかりました。
という感じでしょうか。
東京裁判史観は戦後史観であり謝罪史観でもあり、日本国憲法体制とセットなんですね。
このようなものがあるのですから、社会党の村山元首相が村山談話なる謝罪文を発信してしまったのも、自民党がその村山談話を踏襲してしまったのも無理はないのかもしれません。前者は謝る必要のないアジアの国々に、後者は謝る必要のないアメリカへの配慮です。謝る相手が違うだけで、謝る必要のないことを謝るという点では一緒です。
つぶさに見て行くと、戦後は嘘のオンパレード。
嘘も百回つけば本当になる?みたいな空気が蔓延しています。
嘘に固められた現実でも、何不自由なく暮らせてきてたのだから、これはこれでいいじゃないか、みたいな空気です。
嘘によって歴史が分断されても、かろうじて人の心の中にうっすらと連続性が残っているような状態なのかもしれません。
日本全土に原爆を投下するぞという脅迫をされ、國の守り=子孫繁栄(民族の絶滅を防ぐ)だけは死守しようと降伏というご聖断を下された先帝陛下。まさに「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」でした。その先帝陛下は「日本人が目覚めるのには100年か200年はかかるであろう」という趣旨のことをおっしゃられていますが、すでに戦後65年が経過した今、どれほどの人が戦後の嘘を見破って覚醒しているでしょうか?
白州次郎が「我々は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言いましたが、はたしてそうでしょうか?
このブログの過去の人気エントリー「DV被害女性と日本国憲法下の日本人」にも書かれているような、倒錯した状態にいることにどれだけの日本人が気づくでしょうか?
本当のことを知らせないようにしようという力が働いていて、政界やマスコミ、インターネットなどを使って巧妙に情報の隠蔽や操作が行われいるため、多くの人が自由意志で物事の正否を判断するのが難しい状況が続いています。
三島由紀夫が市ヶ谷で檄を飛ばしたときの映像で、多くの自衛官がこの事がわからずに必死に訴えかける三島を嘲笑しているのを見てがっかりしたことを思い起こしますが、自衛官ですらそのような状態に置かれている人が多いということでしょう。
歴史を振り返って、あのときはああだったこうだったと言うだけでなく、過去の出来事が今の私たちにどう影響を与えているかを認識して、今後の行動に活かさなければ歴史から学んだとは言えません。
幸いなことに我々日本人は学ぶべき歴史をたくさん持っています。資料も手に入りますし、考える能力も高いです。
ご先祖様からの襷を次の世代へリレーする役目を持っているのは私たちです。
2 件のコメント:
本当にその通りだと思います。
私も最後の一時間を家族で食事をしながら見ていました。
襷を繋ぐというところは私たちのご先祖が、ご皇室を中心に纏まる意識の中で、受け継がれてきた日本のあるべき姿ではないかと感じます。
しかし、戦後から今日までの日本は、マスコミ・政界・財界・法曹界・教育機関ありとあらゆるところで、真の日本の歴史を消し去ろうとしてるものと言わざるを得ませんね。
遠き古より繋いできた文化伝統は、後世に繋いでゆく必要があります。これから私たちがどうしていくかが問われるものとなりましょうね。
不動明王さん
コメントありがとうございます。
戦後体制はこの「つなぐ」ということを否定してきましたね。伝統は古いものという刷り込み、過去は悪いものという刷り込みをして。
過去があって現在があるわけで、因果関係はあるにしても、過去を断罪することは難しいです。
でも、多くの日本人の心はそんなに簡単に壊せるものではない。気がついた人から襷を持って走り出せばいい。そんな風に思います。
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