2011年1月22日土曜日

いわゆる「百人斬り」報道と「百人斬り」訴訟

NPOネイビークラブ様より情報を提供していただきました。



1「百人斬り」報道
昭和12(1937)8月勃発した第二次上海事変が拡大、1213日南京が陥落する前の約1か月間、戦勝に沸く日本国内での戦意高揚記事として、東京日々新聞(毎日新聞)の浅海一男従軍記者らによって新聞掲載されたのが、いわゆる「百人斬り」報道である。それは、南京への進軍間に、第16師団(京都)隷下の歩兵第9連隊第3大隊に所属する大隊長副官の野田毅少尉(終戦時少佐)と歩兵砲小隊長向井敏明少尉(終戦時少佐)が「人(敵兵とは明記されていない)斬り競争」を行い、百人以上を斬殺したという記事であった。国内では、単なる戦闘行為としての人斬りであると受けとられ、陸戦法規違反の嫌疑を受けることもなく、両将校は故郷の英雄となった。この報道を蒋介石側から見れば、日本の蛮行を世界へ伝える格好の材料となり、英字紙によって「殺人ゲーム」として喧伝された。
2「百人斬り」の信憑性論争
 大東亜戦争終戦までパイロット(歩兵から航空へ職種転換)および砲兵指揮官として戦い続けた野田、向井両将校は、戦後BC級戦犯として逮捕され、東京法廷では不起訴となったものの南京法廷へ召喚、南京虐殺の一つとして有罪となり昭和23128日銃殺刑に処された。
 それから20数年経過した昭和46年、朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という連載の中で「百人斬り」競争を取り上げ、さらに単行本として発刊、事実の信憑性を巡って論争が再燃した。本多批判の先鞭をきったのはノンフィクション作家鈴木明氏で、彼は綿密な現地取材や多数の生存者証言を基礎にして、「百人斬り」がまったくの捏造報道であったことを克明に証明した。それを受けて山本七平氏は自身の戦場体験を踏まえ、日本軍の組織、規則、習慣や軍刀の機能・性能面の分析などからみた「百人斬り」の非現実性を冷静かつ徹底的に究明した「私の中の日本軍」という大著を出版した。虚報記事を書いた浅海氏、それを報道した毎日新聞、本多氏と朝日新聞は、鈴木氏や山本氏に反論することはできなかったが、虚報であったことの表明もなく、謝罪もなく、その後も「中国の旅」が国民に読まれ(昭和59年、平成9年の二度、高校生読書感想文課題図書に、昭和61年に中学生同図書に推薦された)、北京の南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)には目玉的展示物として並べられている。
 なお、毎日新聞社が発行した昭和史年鑑では、「百人斬りは事実無根」と記されている。
3 「百人斬り」訴訟
 平成15428日、野田毅少尉の妹野田マサ氏と向井敏明少尉の娘エミコ・クーパー氏、向井千恵子氏が原告となり、「中国の旅」を書いた本多勝一、それを発行した朝日新聞、虚報記事を報道した毎日新聞、「南京大虐殺否定論13のウソ」を出版した柏書房の4者を相手取り、「二人の将校とその遺族の名誉が毀損され、遺族のプライバシーと故人に対する敬愛追慕の情が侵害された」と訴えた。
 平成17823日、東京地裁は、毎日新聞の報道を「虚構であることが明らかになったとまでは認めることはできない」とし、本多勝一の「中国の旅」などの記述についても「一見して明白に虚構であるとまでは認めるに足りない」と判決、原告の訴えを退けた。平成18524日、控訴審においては十分な審議がなされないまま原告の訴えは棄却され、同年1222日、最高裁への上告も棄却され結審した。
4 研究所見
(1) 「百人斬り」の虚報性
 鈴木明氏及び山本七平氏の詳細・緻密な検討・分析を待つまでもなく、昭和12年当時、歩兵砲小隊長であった向井少尉と大隊副官であった野田少尉が作戦実施間(有事)に、自らの本来の職務を離れ、突撃する歩兵小隊指揮官のごとく敵陣に飛び込み、ましてや軍刀で人を斬ることは、絶対にあり得ないことである。あったとすれば軍法会議が正常に機能していたこの当時、この二人の将校は軍律違反により処断されていたはずである。砲兵部隊指揮官は一時も砲の側を離れることは許されず、離れればそれは敵前逃亡罪を意味する。副官は大隊長の幕僚として最も多忙な職務の一つであることは自衛隊の副官業務からも推察され、大隊長の命令なくして他用を果たすことは100%あり得ない。しかし、報道では向井少尉が歩兵砲小隊長であること、野田少尉が副官であることが伏せられ、読み手が勝手に歩兵小隊長と解釈できるように記事が書かれていた。新聞を読んだ国民は、戦闘中に中国兵を日本刀で斬ったものだと受け取り、まるで時代劇を見るかのような感覚で拍手喝采したのであろう。
(2) 軍隊とマスコミのモラル低下の前兆
 平時編制から戦時編制へ移行しつつあった時期とはいえ、昭和12年は国家総動員法施行の前であり、召集兵の多くは訓練召集を経験した青年兵によって構成されていたはずだ。しかし、前年には2.26事件が起きているように国家的なレベルでは既に軍隊の健全さが失われつつあったのかもしれない。このような荒唐無稽な記事が大新聞によって書かれ、それを政府も軍も放置したことにその兆候が表れている。日清戦争以来、戦争法規の遵守に厳格であり、それゆえ勝ち取った世界的信用を台無しにするおそれのある報道記事であり、軍指導部は夢にも看過してはならない事件であった。新聞も、国民感情を煽り、軍の御用新聞的存在となって、日本国民を戦争へと駆り立てていくことに抵抗感をなくしていくその後の報道姿勢を彷彿とさせる。近代戦において刀剣をもって戦うことのおかしさをわからない新聞者の編集長はいなかったはずであり、新聞社そのものが徹底して事実を追い、真実を伝えるというマスコミ魂を失っていたように思えてならない。
 尖閣事件のマスコミ報道にもその兆候が垣間見える。ビデオ映像がネット流出したとき、多くのマスコミがその犯人探しの報道に明け暮れた。わが国の国益を損なう恐れのある特段の秘密情報でない限り、マスコミは真実が世間に伝えられることを歓迎するはずだ。現政権がビデオの公開をしないと表明したとき、マスコミ界は一斉にその政府の姿勢を攻撃、弾劾すべきであったにもかかわらず、なんと政府の意向に迎合する報道がほとんどであった。
(3) 南京大虐殺の象徴的事件としての「百人斬り」
 戦後、南京法廷の石裁判長は、「百人斬り事件は南京虐殺事件の代表的なもので、この事件で処罰されたのは谷中将(6師団長)と「300人斬り」の田中軍吉元大尉そして野田、向井両少尉しかいない。南京事件は大きな事件であり、彼らを処罰することによって南京事件を皆にわからせる狙いがあった」と鈴木明氏に語っている。大虐殺でありながら、僅か4人の死刑者しか出ていないこと自体不思議な事実である。その不自然さを払拭するためにも「百人斬り」は南京大虐殺の象徴として必要不可欠の事件であり、中国によって政治的に利用されたものである。逆にいえば、「百人斬り」がなかったと断定できる現在、南京大虐殺もなかったと考えるのが自然である。鈴木明氏は、南京事件の実態についても当時の関係者たちの証言を通して控え目にあるいは暗に否定しつつ「真相はわからない」と結論している。鈴木明氏の歴史の真実を追い続ける人間としての誠実な探求姿勢に感銘する。
(4) 中国におもねる司法界
 東京日々新聞の浅海一男記者の「百人斬り」報道がまったくの創作記事であったこと、また本多勝一の「中国の旅」が何の証拠調べをしないまま中国の一方的な言い分を書いたに過ぎない低質・愚劣な内容であることは明々白々であるにもかかわらず、野田、向井両遺族らの訴えに耳を傾けなかった日本の司法の在り方に疑問を感じる。訴えを認め、「百人斬り」がなかったと日本の裁判所が判決を下せば、中国の機嫌を損じて日中友好に亀裂が入るとでも考えたのであろうか。これもまた中国の顔色を伺って船長を釈放、さらには中国漁船の犯罪行為を鮮明に示すビデオ映像の公開及び世界への発信を躊躇した現日本政府と同じ思考パターンである。内閣、検察、裁判所がこぞって中国の顔色を伺う日本の現状は余りにも姑息かつ異常である。
*参考文献 ① 「私の中の日本軍」         山本七平        文春文庫
      ② 「南京大虐殺のまぼろし」      鈴木明         WAC BUNKO
      ③ 「南京事件『証拠写真』を検証する」 東中野修道ほか2名   草思社   
④ 「南京事件の総括」         田中正明        小学館文庫   その他インターネット資料

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