2011年1月30日日曜日

展開料理のすすめ

食事は毎日3回。それをきちんと栄養バランスを考えて食べる。
結構大変なんですよね。あれがいいこれがいい、こういうものはあまり良くない、でも今日はあれが食べたい・・・
正しい食生活も欲望との戦いと思うと辛くなってしまいます。本当はそれだけではないのですが。

そしてそれ以上に大変なのが3度3度の食卓を整えること。
作る事なんですよね。

料理本、料理番組、ネット検索と頭をひねりながらどうにかこうにか今日の献立が決まった(疲
という経験をしている方は少なくないと思います。
献立が決まったらば、さあ材料を買いに行きましょう、ということになって
分量は4人分、うちは3人だからじゃがいも400gのところを300gにしておこう・・・
そんな感じで1回分の食事を作る。

その繰り返し。
それを辰巳芳子さんが「家庭の台所仕事は、積んだりくずしたりの繰り返しで、どれほど愛に
つられても、自己を見失うような不安ともどかしさに、かられるものであります。」と仰っていました。(冬野菜 大根 と食事を作ることの大切さ 参照)
きちんと作ろうと思えば思うほど、果てしないような気の遠くなるような思いに駆られる
きっとそういうこともあると思います。

相克を抱え続けていると人間の尊厳が傷つく
これを否定しても苦しいです。

現代人は忙しいです。いつも時間に追われています。
食事の用意も同じです。
しかしその慌しさの中で手早く段取り良く片付けてしまいたい、と思うとき
子供たちとゆったりした時間を過ごしたい、家族のだんらんの時間を持ちたい、
仕事や家事だけで1日を終わらせたくない、自分の時間が欲しい、好きな人たちと楽しい時間を過ごしたい
そういう気持ちが根底にあると思うのです。

だから展開料理。
1回分を毎度毎度作る、作りたては美味しいのですが
次もまた1から作らなければ食べるものがない。
それは「その日暮らし」ともいえるのではないかという気がします。

展開料理といってもそれほど難しいことではなく
余分に作っておいて次の日も、またその次の日も使いまわす、という方法です。
例えば野菜を余分にゆでたり蒸したりしておいて
それを汁物の具、オムレツやコロッケの具、サラダ、というふうに使いまわす。
カレーなら皆さんよくやってらっしゃると思います。
カレーうどん、ドリア、グラタン、コロッケ、カレーパンに姿を変えて。
この発想を下ごしらえの段階から持つということです。

ちょっぴり能率重視、時間重視、の方法だとは思いますが
その中で心を込めることは出来るはずです。
たまーーに凄く栄養バランスのとれた食事を一生懸命こしらえることよりも
毎日安くて栄養バランスが良くて、その時の家族の健康状態にあった、食事を整えること方が大切なんですよね。
それが生活ですよね。

辰巳芳子さんは暮らしと生活の違いをこう述べています。
「暮らし」と「生活」は違います。
「暮らし」は一日一日の実態であり、個人に属することだと思います。
「生活」はその実態の集積であり、そこからひとつの概括が生まれ、より普遍化されたもの。
社会性を帯びたものだと思います。人間がみんなでともに考え合い、助け合って生きやすくするための要素が「生活」です。


確かにそうなのかもしれません。
実践とその積み重ねが大切。これが人間の精神を磨いていくものなのかなぁと感じます。
そのためにも、無理なく楽しく続けられることも大切なのですよね。

2 件のコメント:

不動明王 さんのコメント...

最後の言葉が、心に残ります。
『実践とその積み重ねが大切。これが人間の精神を磨いていくものなのかなぁと感じます。』
食生活に限らず、すべてのことに当てはまるような気がします。健康管理も、喉元過ぎれば熱さ忘れるではダメですね。

koe さんのコメント...

不動明王様

こんにちは。いつもコメントを下さりありがとうございます^^

はい、何事もきっとそうなのでしょうね。これまでは「やれるときはやる。出来ない時は無理しない」をモットーにしていたのですが「無理しないで続けること」にシフトしていこうと思いました。。

料理は祭祀だと思います。理を料(はか)る。
実践によって失敗もしながら、勘のようなものもの、スキルが培われます。干しモノやお味噌作りなどは手を尽くしたら後は自然に任せるしかない訳で「上手く行きますように」の世界です(笑)。そして感謝して頂く。自然の中で生かされていることが分かる、そういう手仕事をもう一度取り戻さねばいけませんね。