2011年1月16日日曜日

うちの神様

少し時期の外れてしまった話題です。

毎年元旦から二日にかけて、私の実家では氏神様と近所の小さな鳥居に祀られている神様にご挨拶に行きます。

御幣と塩と米(よね)と御賽銭を持って父と一緒に回ってくるのですが、氏神様以外は何の神様だかよくわからないんですね。
毎年行ってるので大体は覚えているんですけど、たまに間違えて覚えていたりして。父がお参りする前に「ここはお稲荷さん、商売の神様だ」とか「ここは出雲様、お前ら、一番よーく拝んでおけ!!」なんて言って拝む前に教えてくれます。

その中に「うちの神様」といって紹介される神様がいらっしゃいます。金山様だったかな。石場様だったかな。(今年も行ったのにうろ覚えですよ!!)

そこは本当に足元に小さく自然の石で祠が組まれているだけなんですけど、代々お守り頂いているうちだけの神様なんですね。勿論その周りには他の家の神様がいらっしゃって賑わっています。

最近になって祭祀のお話を教えて頂いたのをすんなり理解出来たのは、こういう風習が脈脈と受け継がれているからなんだと思います。

前は宗教とごっちゃに理解してたんですが、祭祀とは先祖祭祀。

異なる人種、文化、風習、宗教を持つ人類に共通している事、それは親がいなくては私達は存在出来ないという事実。その親もその親がいなければ存在出来ません。そうやってもとを辿れば数億の人々と同じ遺伝子を共有している事になります。

それが唯一の共通事項。

十字軍から度々起こる宗教戦争をみればわかるように、宗教は異なる神様を持てば傷つけあいます。しかし両親、先祖を敬う先祖祭祀は他人を傷つけません。

祭祀こそ、人類共通の価値観として見直す時なのではないでしょうか。

2 件のコメント:

不動明王 さんのコメント...

同感です。
ここからすべてが始まるといっても過言ではない位に的を得てると思います。

「人生は 浄土に向かう 旅なれば
      父を拝まん  母を拝まん」
師である故人が詠まれた歌ですが、祖先祭祀の大本ととして思い出しました。

wakaki さんのコメント...

不動明王さん

コメントありがとうございます。
「人生は浄土に向かう旅」って凄いですね。良いおうた。

最近の命に対する考え方って人はいつか死ぬ事、その辺が抜けている気がします。

そこが重要なのに。
そういう意味でも祭祀の考え方は必要ですよね。