2011年10月18日火曜日

大日本帝国憲法入門(3) 第3条 天皇の神聖性

 こんばんは(´ω)


 まず、皆様に厚くお礼申し上げます。


 皆様のご支持のおかげで、このブログが「人気ブログランキング」法学・法律ジャンルで6位となりました(101218時現在)。


 正直言って、このブログを始めた当初はここまでのご支持を頂けるとは、夢にも思っておりませんでした。


 このブログを作った趣旨は、大日本帝国憲法の真の姿を知ってもらうとともに、その根底にある保守思想について学んで頂きたいと思ったからです。


 非常に残念なことに、我が国の教育界ではいわゆるリベラルな学派のみに力点が置かれた教育がなされ、保守思想についてはほとんど教えられていません。これはどう考えても非常に偏ったものであると言わざるをえません。おかげで、多くの方が物事を公平に見る見識を身につけることができないままとなっています。これは非常に不当です。


 このブログを通じて、皆様が保守思想とは何であるのかを学び、このような偏りを正す一つの助けとなるのならば、大変うれしいことです。


 これからも、分かりやすくレベルの高いものを目指して参りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




 

 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス


 

(1) 天皇は統治すれども親裁せず


 

 さて、今日は第3条の解説をいたします。このブログを途中からお読みの方は、『入門の入門(2)』~天皇は統治すれども親裁せず~ をお読みになってからこちらを読んで下さい。


 まず、第1条を思い出しましょう。第1条は、「天皇による統治」が規定されています。第3条は、この「天皇による統治」をやや具体的に説明したものなのです。


 つまり、これは以前『入門の入門』でお話しした、「天皇は統治すれども親裁せず」の不文の法を成文化したものです。天皇は統治するが、政務をとるのではない、ということです。


 実は、この不文の法は、何と『古事記』に見える高天原の神々の代に遡るのです。高天原の統治者は天照大御神ですが、天照大御神は独断で物事を決定されたりはなさいません。神々の合議によって決定されていくのです。天照大御神は統治者であっても、独裁者ではないのです。


 ここから、我が国の政務においては合議制が採られるということが、国体に関する不文の法であることが分かります。


 また、天照大御神の命を受けた建御雷神は大国主神にこのように問うています。


「汝(大国主神)がうしはける葦原中国(日本のこと)は、我(天照大御神)が御子(天忍穂耳命)の知らす国ぞと・・・」


 ここには、非常に興味深いことが述べられています。すなわち、「知らす」と「うしはく」です。大国主神は、「うしはく」存在です。うしはくとは、実際の政務をとる、ということです。これに対して、天照大御神の御子である天忍穂耳命やその御子、邇邇藝命の「知らす」とは、まさに統治するということです。


 大国主神は葦原中国を完成させ、その政務を執っていました。しかし、これは「統治」していたわけではありません。この国を統治するのはあくまでも天照大御神とその子孫です。まさにこれこそが、現在に至るまで続いている天皇の統治の淵源なのです。


 つまり、この神話には天皇は統治する(知らす)けれども親裁(うしはく)はしないのだ、ということがはっきりと現れているのです。天皇の統治と、その下の実際の政務を執る権力とをはっきりと分けるということです。


 人の代となっても、この伝統はそのまま引き継がれていきます。天皇は、豪族らの合議に基づいて統治を行う(知らす)が親裁(うしはく)しない。やがて、「うしはく」者が摂政・関白、幕府などというように変遷しても、この国体に関する規範は不変です。統治する(知らす)天皇による任命がなければ政務を執る(うしはく)者らはその力は持ち得ない。


 なぜこのような、いわば役割分担が行われてきたのでしょうか。これは思うに、国体の中心であり、祭祀と統治を司り(知らす)、不文の法の世界に属する天皇(聖なる存在)は、国体とは間接的な関わりしか持たず、政務を司り(うしはく)、成文法の世界に属する摂政・関白・幕府など(俗なる存在)に関わるべきではないということでしょう。


 かくして、この「天皇は統治すれども親裁せず」「政務においては合議制を採る」は成文化され、帝国憲法第3条となったのですが、起草者はこれを天皇の「神聖」という言葉で表現しました。この短く簡潔な条文には、このような神代に淵源する不文の法が込められているのです。


 ただし、国家の大変事などには例外的に天皇が親裁することもあります。しかし、あくまでもそれは例外であり、平時には天皇が親裁することは法に反するのです。




(2)「天皇主権」というウソ


 帝国憲法においてはこのように、「天皇は統治すれども親裁せず」の法が成文化され、この伝統は守られてきました。確かに、第5条や第55条、第57条を一見すると、まるで天皇が自ら立法権や行政権、司法権を行使し、議会や内閣や裁判所はこれに従属するだけであったかのようです。しかし、それは全くの誤解です。


 条文の文言(成文法)のみを見て、背後にある不文の法を知らなければそのような解釈になってしまうでしょうが、以上に述べた通り、帝国憲法下においても我が国の不文の法の通り、「うしはく」のは内閣や帝国議会、裁判所です。


 教科書などには、「天皇主権」という言葉が出てきます。よく見られるのは、大日本帝国憲法は「天皇主権」を定めていた、という記述ですが、これは完全な間違いです


 『入門の入門』 ~法の支配(立憲主義)~ でもお話したように、「政治についての完全で最終的な決定権」という意味での「主権」などというものは、法の支配(立憲主義)と真っ向から対立するものです。


 我が国においては、神代より「天皇は統治すれども親裁せず」「政務においては合議制を採る」の不文の法が守られています。


 しかし、「天皇主権」とは、「天皇が政治についての完全で最終的な決定権を持つ」ということです。つまり、合議によらず、全て政務を天皇自らが決し、そして天皇個人の考えであらゆる法を廃止・破壊することも可能である・・・極端に言えば、我が国を滅ぼすことも可能であるという無茶苦茶な観念なのです。


 このようなことが帝国憲法下で認められていたなどというのは、あまりにも馬鹿馬鹿しくて話にならないのです。なのに、堂々と教科書には書かれています。一体なぜなのでしょう。


 これについては、また後ほど詳しくお話したいと思います。



 このブログはこちらからの転載です → ブログ『大日本帝国憲法入門』



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