2011年10月24日月曜日

大日本帝国憲法入門(6)天皇の緊急勅令など

 こんばんは 


 今日は、『第1章 天皇』のその他の条文についての解説をします。なお、今回から各条文に口語訳をつけました。適宜、読みやすいように句読点などを振り、意訳している場合もありますので、ご了承ください。




 第8条 


 1 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要二由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス


 2 此ノ勅令ハ次ノ会期二於テ帝国議会二提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来二向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ


(口語訳)


1 天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要により帝国議会の閉会の場合において法律に代わるべき勅令を発する。


2 この勅令は次の会期において帝国議会に提出しなければならない。もし議会において承諾を得られなかった時には、政府は将来に向かってその効力を失うことを公布しなければならない。



 第8条は、天皇の緊急勅令と呼ばれるものです。もちろん、「天皇は統治すれども親裁せず」ですので、天皇自身が勅令の内容を考えるわけではありません。実際に勅令の内容を考えるのは内閣です。内閣の考案した勅令を、天皇の名において発するわけです。


 但し、勅令や命令もまた憲法(国体に関する不文の法)の下位にあるものなので、国体の中心である天皇がそれらを発する権限を持つ、ということなのです。


 ここで、内閣について簡単に触れておきます。


 大日本帝国憲法は、伊藤博文・井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治ら、当代の保守思想を熟知した英才によって起草されたのですが、その外形は当時の欧化政策に倣い、ヨーロッパの立憲君主国であったプロイセン王国憲法を範としました。


 教科書などを読むと、あたかもその内容までプロイセンの憲法に倣って起草したように思われてしまうのですが、今までお話してきたことからもお分かりのように、それは完全な誤りです。大日本帝国憲法は、我が国の国体に関わる不文の規範(法)を成文化したもの(この点について、初めてお読みになっている方は『入門の入門』「立憲主義(法の支配)」などを参照して下さい)であって、プロイセン憲法を模倣したというのはあくまで制度上の外形に過ぎません。


 そして、その制度として導入されたものの一つが内閣です。内閣制度については第4章などでお話しますが、実は、大日本帝国憲法の条文上では、内閣や、総理大臣というものは規定されていないのです。単に、国務大臣という言い方でしか表現されていません。


 しかし、大日本帝国憲法下においても内閣制度や内閣総理大臣は、憲法上の習律として存在を当然視されてきました。条文にはなくても、存在するのが当たり前だとされてきたのです。


 さて、第8条は、もしも帝国議会が閉会中に、緊急を要する事態が発生し(例えば戦争など)、何らかの法律を制定しなければならないときはどう対応すべきか、ということについて定めたものです。この場合、内閣は天皇を輔弼し、天皇の名において、法律の代わりとなる勅令を発することができる、というのです。


 「政務の合議制」は我が国の国体に関わる不文の法です。勅令の内容は、閣議という形で合議により決定されるのですが、何ぶん緊急のことであり、二院制を採ってより多くの議員によって慎重に審議の上協賛された法律と比べるならば、「合議」の徹底度でいえば、やはり法律の方が上でしょう。法律は勅令や命令の上位規範なのです。


 そこで、第8条第2項は、このような緊急勅令の存在をやむをえないものとしつつ、その勅令が合議制の度合いがより徹底している議会の承諾を得られなければ、将来に向かってその勅令は無効となる、と規定したのです。


 無効とは、ある法律がその効果を失うことであり、通常は初めに遡って無効となるのですが、この場合はそれでは様々な混乱を生じてしまうので、議会の承認が得られなかった時点から無効とする、とされたのです。


 このように、第8条は緊急事態において議会が開かれない時の対処と、政務の合議制の法とのバランスを取った条文です。




 第9条 


 天皇ハ法律ヲ執行スル為二又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及ヒ臣民ノ幸福ヲ増進スル為二必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス


(口語訳)


 天皇は法律を執行するために、または公共の安寧秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進するために必要な命令を発し、または発させる。ただし、命令をもって法律を変更することはできない。



 法律を制定しても、どうしても細かいところまで決めるわけにはいきません。また、言葉の意味をどう解釈すべきか疑問が生じることもあります。さらに、第8条のように議会が閉会中でなくても、何らかの形で法律を補う必要も出てくることがあります。


 そこで、内閣は天皇を輔弼し、かつその名において、このような場合に命令を出し、法律を補うことができるようにしました。それがこの第9条です。


 しかし、これにも第8条と同様の問題があります。合議制の度合いでいえば、法律の方が上です。従って、このような命令を出すのはいいとしても、これをもって法律を変更してしまうことはできません。法律に反するような命令は無効、というわけです。但し書きではこのことを、「命令で法律を変更することはできない」として定めています。




 10条 


 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任命ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各其ノ条項二依ル


(口語訳)


 天皇は行政各部の制度、及び文武官の俸給を定め、文武官を任命する。ただし、この憲法や他の法律に特例を定めている場合はそれによる。



 第10条は、天皇が文武の官僚を統制し、これに任命権を持つことなどを定めています。官僚は国家に奉仕すべき存在であり、国体の中心たる天皇が任命権を持つのは当然です。もちろん、任命は内閣の輔弼によって行われます。




 11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス


(口語訳)天皇は陸海軍を統帥する。



 12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム


(口語訳)天皇は陸海軍の編成と常備兵力を定める。



 13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス


(口語訳)天皇は宣戦布告をし、講和し、その他様々な条約を締結する。


 

 神武天皇もそうであられたように、国体の中心である天皇が軍を統帥することは我が国の国体に関わる不文の法です。実際の指揮は戦争のプロである軍人が行うとしても、全軍の大元帥は天皇であるのです。従って、その編成や常備兵力も、各大臣の輔弼をもって天皇が決定するのです。


 第13条では、宣戦布告や講和の他に、平時に締結される条約においても各大臣の輔弼をもってすることとし、帝国議会の協賛は必要ないものとしています。


 


 14条 1 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス


     2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム


(口語訳)1 天皇は戒厳を宣告する。


     2 戒厳令を発する要件と、その効力は法律によって定める。



 第14条は戒厳について定めています。戒厳とは、国内が緊急事態に陥ったとき、国体を護持するため一時的に臣民の権利や法律の効力などを停止するなどの必要な措置を取ることです。「戒厳令」という法律によって、要件や効力が定められていました。




 15条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス


(口語訳)天皇は爵位や勲章、その他の栄典を授与する。


 

 爵位についていえば、帝国議会は貴族院と衆議院の二院制であり、合議制もかかる世襲と民選の組み合わせで所期の効果を発揮し得ます。詳細は第三章で述べます。

 



 16条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス


(口語訳)天皇は大赦、特赦、減刑、復権を命じる。



 裁判によって刑の宣告がされ、服役中の者に対して、何らかの事情で刑の免除が行われることがあります。これらももちろん、大臣の輔弼によって天皇の名において行われます。




 17条 1 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル


     2 摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ


(口語訳)1 摂政を置く場合には皇室典範の定めによる。


     2 摂政は天皇の名において大権を行う。



 天皇が幼少であったり、長きにわたってその役割を果たせないときには摂政が置かれます。摂政は天皇の名においてその役割を代行しますが、75条では摂政が置かれている間は大日本帝国憲法や皇室典範を改正できない旨定めています。後に詳述します。



 次回は、『第2章 臣民権利義務』に入ります。




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大日本帝国憲法入門(5)天皇の立法権

 こんばんはo(`・ω´)o


 今日は天皇の統治に関する各行為のうち、第5条から第7条について、お話します。第5条以下には、天皇の統治に関する行為が列挙されています。これらは、第4条にある「統治権の総攬」を受けて、これを具体的に列挙したものです。




 

 (1)法律の淵源たる天皇


 

 第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ


 第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其公布及執行ヲ命ス



 第5条は天皇の立法権を定めたものです。ただし、法案を審議し、法律として可決するのは第三章に規定されている帝国議会です。従って、立法権といっても、法案を起草したり、法律として可決するわけではありません。第6条にあるように、天皇の立法権についての行為は法律の裁可、公布、執行の命令ということになります。


 すなわち、これは第3条に現れている、「政務の合議制」の法によるものです。立法権は天皇に属するものの、法案の審議や可決は必ず合議制である議会において行われなければならず、これを経ていない法律は、「政務の合議制」の法に反し無効である、というわけです。「政務の合議制」が神話時代の高天原からの伝統であることもお話しました。


 では、実際に法案を審議し、可決する権限が帝国議会にあるならば、なぜ立法権は帝国議会にあるとしなかったのでしょうか? 法律の内容を決定する権限は、帝国議会にあるわけですから、立法権もあるとしても違和感はないのではないでしょうか?


 しかし、我が国においては法律とは書かれざる不文の「法」が文字として表現されたものです。法の淵源は国体です。よって、国体の中心である天皇こそが、全ての法律の淵源であるのです。


 確かに、その実質的な内容について決定するのは帝国議会です。ただし、法律が国家全体についての規範である以上、法律の淵源たる法の中心である天皇こそが、その立法権を有することになります。


 もちろん、「政務の合議制」や「天皇は統治すれども親裁せず」の法により、帝国議会が協賛した法案について、天皇が裁可を拒否したりすることは通常は認められないのです。


 法律は、法案を帝国議会が第5条によって協賛し、天皇が第5条の立法権に基づいて第6条の行為を行うことで国家に通用することになる、というわけです。


 よって、第5条及び第6条は、「政務の合議制」「天皇は親裁すれども統治せず」を帝国議会の協賛による天皇の立法権について成文化したものであるといえます。



 第7条 天皇ハ帝国議会ヲ招集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス


 

 天皇が法律の淵源である以上、第7条に定めるその協賛機関である帝国議会の招集などの行為が天皇の権限に属することは言うまでもないでしょう。ただし、これらも「天皇は統治すれども親裁せず」ですので、実際に決定するのは内閣です。




 

 (2)「法」と「法律」の違い


 

 さて、非常に大切なことですので、上の説明でも出てきましたが、少し「」と「法律」についておさらいしておきます。これは保守思想の基礎ですので、しっかり理解しておいて下さい。


 日常生活では、法も法律もほぼ同じ意味で用いられています。しかし、保守思想においてはこれらは完全に区別されます。


 「法律」とは国家の議会において可決を経た、その国家全体に通用する規範です。従って、その議会を構成する議員である特定の人々によって制定されたものです。法律は条文化された、書かれた規範です(成文法)。


 これに対して、「法」とは、その国家において祖先から伝統的に継承されてきた道徳や慣習、文化などの規範です。従って、特定の誰かによって作られたものではなく、無数の名もない人々の営みにより形成されてきたものです。法は道徳や慣習などであり、従って書かれた規範ではありません(不文法)。


 この法の中でも、特に国体に関わる重要な法のことを、憲法といいます。従って、憲法とは元々は国体に関わる重要な道徳や慣習などであり、不文法です。時代の節目においては、これらの規範の中で適当と思われるものをあえて成文化することもあります。このように成文化された憲法のことを、憲法典ということもあります。憲法十七条や五箇条の御誓文、大日本帝国憲法などは憲法典です。


 しかし、日本国憲法は憲法の定義に当てはまるものではありませんので、憲法としては無効です。憲法ではないものを条文化して縷々書き連ねてしまっているものであり、タイトルが憲法となっていても、中身は憲法ではありません。


 法律は議会において、その多数決をもって可決されるものです。しかし、多数決で決めてしまえばどんなことでも許されるかというと、それはとんでもない間違いです。多数決ならどんなことでも許されるのだ、というものが国民主権(民主主義)であり、これは法に支えられた国体を護持しようとする立憲主義(法の支配)と真っ向から対立するものです。


 立憲主義(法の支配)においては、法に違反する法律は、たとえ多数決をもって可決されても無効です。憲法違反で無効である、というわけです。


 このように、法は法律の上位に位置するものであり、両者は完全に区別されるべきものです。このブログでは、特に断りのない限りは「法」と「法律」を区別してお話していきますので、気をつけてください。


 


 次回は、第8条・第9条「天皇の勅令」です。( ω)



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2011年10月18日火曜日

大日本帝国憲法入門(4) 第4条 国体の下の天皇

 (1)第3条の補足(天皇の無答責)


 こんばんはo(`・ω´)o


 今日は「第4条 国体の下の天皇」ですが、第3条について、少し補足をしておきたいと思います。


 第3条は天皇の神聖性ですが、この「神聖」という言葉の定義について、この前お話しました。すなわち、「神聖」とは政務の合議制と、統治すれども親裁せず、の二つの法を指すものである、と。


 実は、更にここには、もう一つの法が含まれているのです。天皇は国体の中心であることから、その存在は国家の根幹に関わるものです。また、政務は合議によって行われ、親裁しないということから、天皇は政務について責任を負わない(天皇の無答責)のです。


 内閣・議会・裁判所など国家機関が様々な行為を行い、それらは天皇の名においてなされるのであっても、天皇は政治について一切責任を負うことはない、ということなのです。


 例えば、ある政策が不当であったからといって、天皇がそれについて責任を問われることはありません。立法や判決について、それが不当であっても責任を問われることはないということです。


 以上、第3条は簡潔な条文ですが、非常に大切な法を三つも成文化している、非常に重要な条文であるということですね。



 



 (2)第4条 国体の下の天皇


 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ



 まず、前段の「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」については、天皇は我が国の元首であり、統治権を総攬(一手に引き受けること)する、という意味であり、特に問題はないでしょう。元首であることや、統治権を総攬することについては第1条からも読み取れることであり、これだけでは第4条の存在意義はほとんどありません。


 第4条の存在意義はむしろ後段の、「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」にあります


 まず、ここで、天皇の統治権が、「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とされていることに留意して下さい。すなわち、天皇は統治権を憲法に従って行使しなければならない、とはっきりと書かれているのです。


 統治権というものは、天皇の好き勝手に行使してよいのではなく、あくまでも憲法の規定に従って行使しなければならない。このことからも、「天皇主権」などというものが憲法の条文に明白に違反していることは明らかでしょう。法律学というものは、条文に明白に反する解釈などできないのですが、「天皇主権」説は明らかに第4条に反する解釈であり、到底認められないことがここからも分かります。


 さて、ここで思い出してみましょう。憲法とはそもそも何でしょうか?基本中の基本です。


 憲法とは国体に関わる道徳や慣習、伝統などの不文の規範(法)のことです。従って、憲法の本来の姿は道徳や慣習などであって、成文化されたものではありません。


 ただ、国家の重大な節目などにおいて、それらの重要な規範を再確認する必要が生まれます。そこで、それらの一部を成文化し、条文にしておくわけです。


 このように成文化されたものが憲法典と呼ばれ、成文憲法となるわけですが、憲法の本体はあくまでも国体に関わる不文の規範です。従って、憲法十七条や五箇条の御誓文、大日本帝国憲法や皇室典範などは憲法ですが、このような書かれたものだけが憲法ではありません。言ってみればこれらは憲法本体の影のようなものであって、しかも成文化されているのはほんの一部に過ぎないのです。


 憲法といえば、どうしても「~憲法」というタイトルの、第何条、・・・というものを思い浮かべてしまいますが、保守思想においては憲法とはこのような不文の法です。しっかりと理解しておいて下さい。


 ということは、この第4条にいう「この憲法の条規」という文言も、「この憲法」とは大日本帝国憲法という成文法のみを指すのではなく、国体に関わる不文の規範を指すと解釈すべきです。


 すなわち、成文法である大日本帝国憲法の背後には国体に関する不文の法があります。従って、各条文を解釈するには、必ずこれらの不文の法を斟酌しなければ正しい解釈にはなりません。つまり、「この憲法」とは大日本帝国憲法も含めた、国体に関わる不文の法全てであるのです。


 これをもって、この第4条こそは入門の入門でお話しした国体に関する不文の法、「天皇といえども国体の下にある」を成文化したものであることが分かります。


 すなわち、天皇は統治権を総攬するものであるが、それはあくまでも国体に関わる規範に反しないように行使しなければならないという立憲主義(法の支配)の原理を宣言するとともに、「天皇主権」のような「主権論」を明確に否定したものこそが、第4条です。


 このように、一見すると第1条と重複するようであったり、あるいは当たり前のことだけを述べているような条文なのですが、解釈してみると非常に重要なことを述べているのが分かります。




 このブログはこちらからの転載です → ブログ『大日本帝国憲法入門』

大日本帝国憲法入門(3) 第3条 天皇の神聖性

 こんばんは(´ω)


 まず、皆様に厚くお礼申し上げます。


 皆様のご支持のおかげで、このブログが「人気ブログランキング」法学・法律ジャンルで6位となりました(101218時現在)。


 正直言って、このブログを始めた当初はここまでのご支持を頂けるとは、夢にも思っておりませんでした。


 このブログを作った趣旨は、大日本帝国憲法の真の姿を知ってもらうとともに、その根底にある保守思想について学んで頂きたいと思ったからです。


 非常に残念なことに、我が国の教育界ではいわゆるリベラルな学派のみに力点が置かれた教育がなされ、保守思想についてはほとんど教えられていません。これはどう考えても非常に偏ったものであると言わざるをえません。おかげで、多くの方が物事を公平に見る見識を身につけることができないままとなっています。これは非常に不当です。


 このブログを通じて、皆様が保守思想とは何であるのかを学び、このような偏りを正す一つの助けとなるのならば、大変うれしいことです。


 これからも、分かりやすくレベルの高いものを目指して参りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




 

 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス


 

(1) 天皇は統治すれども親裁せず


 

 さて、今日は第3条の解説をいたします。このブログを途中からお読みの方は、『入門の入門(2)』~天皇は統治すれども親裁せず~ をお読みになってからこちらを読んで下さい。


 まず、第1条を思い出しましょう。第1条は、「天皇による統治」が規定されています。第3条は、この「天皇による統治」をやや具体的に説明したものなのです。


 つまり、これは以前『入門の入門』でお話しした、「天皇は統治すれども親裁せず」の不文の法を成文化したものです。天皇は統治するが、政務をとるのではない、ということです。


 実は、この不文の法は、何と『古事記』に見える高天原の神々の代に遡るのです。高天原の統治者は天照大御神ですが、天照大御神は独断で物事を決定されたりはなさいません。神々の合議によって決定されていくのです。天照大御神は統治者であっても、独裁者ではないのです。


 ここから、我が国の政務においては合議制が採られるということが、国体に関する不文の法であることが分かります。


 また、天照大御神の命を受けた建御雷神は大国主神にこのように問うています。


「汝(大国主神)がうしはける葦原中国(日本のこと)は、我(天照大御神)が御子(天忍穂耳命)の知らす国ぞと・・・」


 ここには、非常に興味深いことが述べられています。すなわち、「知らす」と「うしはく」です。大国主神は、「うしはく」存在です。うしはくとは、実際の政務をとる、ということです。これに対して、天照大御神の御子である天忍穂耳命やその御子、邇邇藝命の「知らす」とは、まさに統治するということです。


 大国主神は葦原中国を完成させ、その政務を執っていました。しかし、これは「統治」していたわけではありません。この国を統治するのはあくまでも天照大御神とその子孫です。まさにこれこそが、現在に至るまで続いている天皇の統治の淵源なのです。


 つまり、この神話には天皇は統治する(知らす)けれども親裁(うしはく)はしないのだ、ということがはっきりと現れているのです。天皇の統治と、その下の実際の政務を執る権力とをはっきりと分けるということです。


 人の代となっても、この伝統はそのまま引き継がれていきます。天皇は、豪族らの合議に基づいて統治を行う(知らす)が親裁(うしはく)しない。やがて、「うしはく」者が摂政・関白、幕府などというように変遷しても、この国体に関する規範は不変です。統治する(知らす)天皇による任命がなければ政務を執る(うしはく)者らはその力は持ち得ない。


 なぜこのような、いわば役割分担が行われてきたのでしょうか。これは思うに、国体の中心であり、祭祀と統治を司り(知らす)、不文の法の世界に属する天皇(聖なる存在)は、国体とは間接的な関わりしか持たず、政務を司り(うしはく)、成文法の世界に属する摂政・関白・幕府など(俗なる存在)に関わるべきではないということでしょう。


 かくして、この「天皇は統治すれども親裁せず」「政務においては合議制を採る」は成文化され、帝国憲法第3条となったのですが、起草者はこれを天皇の「神聖」という言葉で表現しました。この短く簡潔な条文には、このような神代に淵源する不文の法が込められているのです。


 ただし、国家の大変事などには例外的に天皇が親裁することもあります。しかし、あくまでもそれは例外であり、平時には天皇が親裁することは法に反するのです。




(2)「天皇主権」というウソ


 帝国憲法においてはこのように、「天皇は統治すれども親裁せず」の法が成文化され、この伝統は守られてきました。確かに、第5条や第55条、第57条を一見すると、まるで天皇が自ら立法権や行政権、司法権を行使し、議会や内閣や裁判所はこれに従属するだけであったかのようです。しかし、それは全くの誤解です。


 条文の文言(成文法)のみを見て、背後にある不文の法を知らなければそのような解釈になってしまうでしょうが、以上に述べた通り、帝国憲法下においても我が国の不文の法の通り、「うしはく」のは内閣や帝国議会、裁判所です。


 教科書などには、「天皇主権」という言葉が出てきます。よく見られるのは、大日本帝国憲法は「天皇主権」を定めていた、という記述ですが、これは完全な間違いです


 『入門の入門』 ~法の支配(立憲主義)~ でもお話したように、「政治についての完全で最終的な決定権」という意味での「主権」などというものは、法の支配(立憲主義)と真っ向から対立するものです。


 我が国においては、神代より「天皇は統治すれども親裁せず」「政務においては合議制を採る」の不文の法が守られています。


 しかし、「天皇主権」とは、「天皇が政治についての完全で最終的な決定権を持つ」ということです。つまり、合議によらず、全て政務を天皇自らが決し、そして天皇個人の考えであらゆる法を廃止・破壊することも可能である・・・極端に言えば、我が国を滅ぼすことも可能であるという無茶苦茶な観念なのです。


 このようなことが帝国憲法下で認められていたなどというのは、あまりにも馬鹿馬鹿しくて話にならないのです。なのに、堂々と教科書には書かれています。一体なぜなのでしょう。


 これについては、また後ほど詳しくお話したいと思います。



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2011年10月11日火曜日

大日本帝国憲法入門(2) 〜 第2条 皇位の男系男子継承 〜

 第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス



 こんばんは (*´ω*)


 今日は、「第2条 皇位の男系男子継承」についてお話します。皇位継承についての法は、国体に関する最も重要な不文法であることはいうまでもないでしょう。



(1)皇位の男系男子継承(万世一系)


 皇位の男系男子継承とは、父方が皇室出身(天皇であるかどうかは問わない)である男性により、皇位が継承されることです。母方の出身は問われません。


 皇位の男系男子継承は、我が国の皇位継承についての法として数千年にわたって受け継がれてきました。皇統は神武天皇から今上天皇に至る125代の間、全て男系男子をもって継承され、ただの一度も途切れることはありません。つまり、皇位の男系男子継承は、国体に関する不文の法なのです。


 そして、これは第1条にある「万世一系」を具体的に表したものです。「万世一系」とは皇統が男系男子をもって過去も現在も、そして未来も続いていくことを表しているのです。そして、「君が代」に歌われているのも男系男子継承の法であるといえます。


 第1条が天皇を中心とする国体を総論的に表現したものであることは前回お話しました。そして、第2条は第1条の中の「万世一系」を少し具体的に表現し、第3条は第1条の中の「天皇による統治」を少し具体的に表現したものなのです。


 さて、ここで疑問に思われた方もおられるでしょう。実際、歴史上には10代の女性天皇がおられます(内2代は重祚なので8名)。推古天皇や皇極天皇などは有名ですね。女性天皇がおられるのに、なぜ「男系男子の皇位継承が一度も途切れることなく続いてきた」といえるのでしょうか?



(2)「女性天皇」と「女系天皇」は全く違う


 この点も誤解されている方が多いのですが、「女性天皇」と「女系天皇」は全く違います


 「女性天皇」とは、単にその天皇が女性である、というだけのことです。例えば、父方が皇室出身の男性(天皇であるかは問わない)の子である女性が天皇になった場合は、男系女性天皇です。


 これに対して、「女系天皇」とは、他家の男性と結婚された皇室出身の女性(天皇である必要はない)からお生まれになった方(男性、女性は関係ない)が、天皇である、ということです。つまり、母方が皇室出身であって、父方は皇室出身ではない人物が天皇になる場合です。従って、女系男性天皇と、女系女性天皇があり得ます。天皇本人が男性か女性かは関係ないのです。


 つまり、単に「女性天皇」という場合、男系の女性天皇と女系の女性天皇の両方があるのです。


 歴史を振り返ってみましょう。例えば、称徳天皇は聖武天皇の皇女ですが、生涯独身を通されました。また、天智天皇・天武天皇の母は皇極天皇ですが、そもそも皇極天皇は舒明天皇の皇后であられたわけで、他家の男性と結婚されたわけではありません。天智天皇・天武天皇の父は舒明天皇であって、いうまでもなく男系男子による継承なのです。


 つまり、全ての「女性天皇」のうち、他家の男性と結婚された方もおられなければ、その子(男性・女性問わず)が天皇に即位された例は一度たりともないのです。つまり、全て女系ではなく、男系女性天皇なのです。


 ここで、疑問に思われる方も多いでしょう。男系男子継承の法の下で、なぜ女性天皇が即位する必要があったのだろうか?女性は天皇に即位せずに、先代の天皇が崩御されたら男性が天皇になればいいではないか、と。

 

 この点については、本命の男性の皇太子がまだ幼少であるなど、すぐに即位が難しいことを理由に、いわば中継ぎとして女性が(例えばその男性の近親の)即位したといわれています。従って、歴代の女性天皇は次の本命の男性天皇の「中継ぎ」であったわけです。

 

 すなわち、男系男子継承の下においても男系女性天皇の存在は否定されるものではありません。女性でも天皇に即位されることはできます。ただし、その女性天皇が他家の男性と結婚され、その子(男性・女性問わず)が天皇に即位された場合、この天皇は女系天皇となってしまうので、それは認められない、ということなのです。女性天皇は、あくまでも本命の男系男子天皇が即位されるまでの中継ぎに過ぎません。


 

(3)男系男子継承の様々な例


 実際、今までにも天皇が崩御され、その近親に適切な皇位継承者の男子がいなかったことは幾度かあります。しかし、そんな時にも他家に嫁がれた皇女の子が天皇に即位する(女系天皇が即位する)ということは一度もありませんでした。このような場合も、かなり遠い親戚であろうと天皇に迎えて皇族出身の男系男子による皇位継承を守ったのです。


 例えば、第25代武烈天皇が皇太子なくして崩御された折には、第15代応神天皇の5世の孫であられる継体天皇が即位されました。かなり遠い親戚ですね。


 また、第48代称徳天皇が崩御された折には、曾祖父であられる天武天皇の兄、第38代天智天皇の孫が光仁天皇として即位されました。桓武天皇のお父上です。


 更に、第118代後桃園天皇の崩御の折には、第113代東山天皇の曾孫が光格天皇として即位されました。この時にあの「尊号一件」が起こっています。


 この他にもいくつかの例があります。このように、あくまでも皇位を男系男子継承でつないできたのは、それが我が国の国体に関わる重要な不文の法であることが理解されていたからに他なりません。皇位の男系男子継承は、万古不易の国体に関わる法の、特にその真髄であることを再度確認するとともに、これを女系継承も可であるというように改変しようなどという試みは、それこそ国体破壊の最たるものであることを、よくよく知るべきです。



(4)成文化された第2条の解釈 ~ 帝国憲法下では男系女性天皇は認められるのか ~


 江戸時代までは、男系であれば女性天皇は認められていました。男系女性天皇は、我が国の国体に関わる不文の法に反するものではありません。そして、その法を成文化したものが第2条です。では、帝国憲法下においても男系女性天皇は認められるのでしょうか?


 先ほどお話したように、男系女性天皇の存在は、皇位の男系男子継承という国体に関する不文の法に反するものではありません。あくまで本命の男性皇太子が即位することができるまでの中継ぎとしてであれば、即位は法に反するわけではないのです。


 しかし、そのような女性天皇の存在は、ともすれば皇位継承を巡る混乱を招く恐れさえあります。でき得る限り中継ぎなしで、男性天皇からすぐに男性天皇へと皇位を継承する方が、無用な混乱は避けられます。男系女性天皇の即位はやむを得ない緊急避難的な措置であって、法が積極的に認めるものではありません。


 従って、国体に関する不文法としては男系女性天皇の即位は禁じられてはいませんが、皇位継承に伴う混乱の排除という観点から、帝国憲法第2条はあえて男系女性天皇の即位を禁止したものと解するのが相当でしょう。


 確かに、「成文法は不文法を制限できない」のですが、皇位継承については男系男子継承が法であり、男系女性天皇はそれを守るための本当に一時的な方便にすぎないものであって、法の本質的要素とはいえません。従って、これは成文法が不文法を制限しているわけではないのです。



 次回は「第3条 天皇の神聖性」です。ここでは、第1条でも出てきた「天皇による統治」についてもう少し詳しくお話します。 (*´ω*)




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2011年10月6日木曜日

大日本帝国憲法入門(1) 第1条 天皇統治と万世一系 (´ω`)

 こんばんは(´ω)


 今日から、大日本帝国憲法の各条文の解説をしていきます。


 大日本帝国憲法は冒頭の「告文」「憲法発布勅語」、並びに全七章、全76条の条文から成り立っています。「告文」「憲法発布勅語」には、憲法が私たち日本人が連なる先祖の神々の世から培われてきた法に則り、この憲法を発布する旨が宣言されています。


 ところで、各条文の解説をする前に、お断りしておきます。


 以前からお話しているように、憲法とは本来国体に関する不文法(書かれざる法)です。その不文の国体に関する法のうち、成文化するのが適切であると起草者らが判断した一部分を文字に起こしたに過ぎないものが成文憲法(ここでは大日本帝国憲法)なのです。


 ここでは、文字によって表現することが到底難しい国体の神聖性などは成文憲法で表現しきれず、削ぎ落されてしまうことになります。従って、前回お話したように、成文憲法は不文憲法の一部を表現したものにすぎません。不文憲法=聖なるもの、成文憲法=俗なるものというわけです。


 つまり、憲法とは国体に関する規範ですが、あくまでもその中の成文化し得るものだけが成文化されているわけです。国体の神聖性を完全に成文化することは不可能で、成文化されるのはその影のような部分でしかありません。


 従って、ここで行う解説は、国体に関する事柄全てについて行うことはできません。あくまでも国体に関する規範のうち、成文化し得る、成文化されたものだけの解説にとどめます。


 たとえば、天皇の役割は祭祀と統治です。この二つはどちらも同じ重要な役割です。しかし、ここでは統治についてのみ扱い、祭祀については扱いません。成文憲法は専ら国政に関わる規範を集めたものであって、祭祀についてはその範囲外であり、そして何よりもその神聖性のゆえに完全に成文化することは難しいものなのです。


 また、本来は国体に関する規範とはいえないようなもの(憲法ではないもの)さえも、国体に関する規範と一体で成文憲法に載せておけば都合がいい、という便宜上の理由で成文化されているものもあります。


 これは、各条文にはそれぞれ、本来の憲法であるものとそうでないものの違いがあるということを意味します。これこそがまさに、憲法の「改正権の限界」なのです。


 すなわち、憲法にはどうしても時代の流れにあわせて、改正しなければならないところが出てきます。このとき、憲法を部分的に改正するわけですが、「変えていいところ、悪いところ」があるのです。これを改正権の限界といいます。変えてはいけないところを区別するのです。


 この「変えてはいけないところ」こそが本来の憲法(=不文憲法を成文化した条文)なのです。つまり、国体に関わる規範は改正できません。以前からお話しているように、国体を変更することは誰にも、永久にできません。


 従って、もしも国体に関わる規範を変更してもそれは不文の法に基づいておらず、従って憲法ではないので、たとえそれが条文になっていても無効である、というわけです。


 大日本帝国憲法を復元するにおいては、改正しなければならない箇所についての議論がなされることでしょう。その時には、「その条文が不文憲法に基づくものであるかどうか」が基準となるわけです。




 大日本帝国憲法


 第1章 天皇


 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


 我が国の国体の核心は、法の下の天皇による祭祀と統治です。このうち、天皇による統治の部分を確認するために設けられたのが第1条です。すなわち、この条文は天皇による我が国の統治という、国体に関する不文の法の中で最も重要なものを成文化した条文です。


 この条文には、それと並んで重要な不文の法が含まれています。それが「万世一系」です。


 『古事記』では、天照大御神が天孫邇邇藝命に対して、「豊葦原水穂国は汝知らさむ国ぞ」と詔なさいます。邇邇藝命は神々を従えて日向の高千穂に天下られ、我が国を知らしめし給うのです。


 そして、実に皇祖天照大御神を遡り、高天原に初めてお姿を現された天之御中主神に皇室の流れは始まり、現在に至っているのです。


 この天照大御神の詔には、未来永劫も、我が国を天皇が統治されるべきことが含まれています。果てしない過去から現在、そして永劫の未来に至るまで・・・まさに、「君が代」に歌われていることそのままですね。


 このように、この条文は「我が国を天皇が過去も、現在も、未来永劫に及んで統治されるのだ」という不文の法を成文化したものです。


 このように、この憲法第1条は、我が国の国体の核心のうち、統治に関する総論的な事柄を実に簡明に表現したものであり、憲法中最も重要な規定です。


 そして、その万世一系、特に皇位継承のあり方、並びに統治について、もう少し詳しく述べたもの、それが続く第2条並びに第3条です。次回は、第2条「皇位の男系男子継承」についてお話致します(´ω) 




 

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2011年10月3日月曜日

大日本帝国憲法 入門の入門(9) 〜 国体について

とてもわかり易く書かれています。
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 さて、今日は我が国の国体について簡単にお話し、今までのまとめをします。



(1)国体について

まず、「国体」という言葉の意味ですが、これは「その国の国柄」です。つまり、「その国らしさ」「その国の独自性」「その国がそれを失えばその国でなくなってしまうほどの特質」を指します。

従って、我が国の国体は何であるか?という問いの答えは、広く文化的なものも含まれて多岐にわたるのですが、やはりその核心は天皇を中心とする皇室です。ただし、天皇には高天原の神々に始まる我々日本人の先祖に対する祭祀、建国以来変わらない我が国の統治という二つの役割があります。つまり、我が国の国体の核心は天皇による祭祀と天皇による統治である、ということになります。

そして、この天皇による祭祀と天皇による統治を中心として、様々な文化的要素を有するものがひろく我が国の国体であるというわけです。

ところで、国体を護持するにおいては、そのための様々な規範が必要とされます。これこそが今まで説明してきた国体に関する規範です。これは、道徳や慣習などといった不文の法の形を取って現れます。全ての道徳や慣習などがそうだというのではありません。あくまでも国体に関わる道徳や慣習などが国体に関わる規範ということです。

歴代の天皇陛下の行われてきた祭祀と統治も、かかる規範に従って行われてきました。よって、我が国の国体の核心は、さらに詳しく言えば「法の下における天皇による祭祀と天皇による統治」であるということになります。

国体そのもの国体に関する規範は一応別のものです。しかし、どちらが欠けても意味をなしませんので、両者は一体不可分です。国体に関する道徳や慣習などのことを法と呼び、法の集合を憲法と呼ぶことはこれまで説明してきました。

それゆえ、憲法とは元々は不文法であり、書かれざる法なのです。大日本帝国憲法をはじめ、憲法十七条や五箇条の御誓文などのいわゆる「成文憲法」は、この不文憲法の一部を文字にして表現したものに過ぎないのです。「法」と「法律」の関係でいえば、不文憲法は法であり、成文憲法は「法律」であるわけです。この点、通常の法律学の用語とは異なる用法ですので、気をつけて頂きたいと思います。「法」と「法律」の違いは、以前述べていますのでしっかりと理解しておいて下さい。

国体とは本来神聖なるものであり、また眼に見えないものであって、それに関わる規範もまた眼に見えない(不文の)ものです。その不文の法をあえて文字に書き起すわけですから、どうしても精確に記述しえない点が出てきてしまいます。また、場合によっては、必ずしも憲法とはいえない観念をも便宜上あえて条文として挿入することもあります。

従って、あえて分かりやすく言えば、不文憲法=神聖なるもの、成文憲法=俗なるもの、という関係になります。よって、成文憲法の解釈を行うにあたっては、必ず背後にある不文の法を斟酌せねばなりません

次回から、大日本帝国憲法の条文を逐条的に解説していきますが、各条文は必ず法に照らして解釈されねばなりません。単なる国語辞典上の言葉の意味に依ったり、いたずらに外国の制度を参照するのみで解釈しては、法を無視することとなります。

また、条文だけを根拠にして、背後にある法を考慮しないのは、国体に反する解釈を生むもとになります。断じてあってはならないことです。

大日本帝国憲法が我が国の正統の憲法であるといえるのは、それがあくまでも背後にある国体に関する規範を元に解釈・運用されるからであって、これを離れてしまっては容易に「天皇主権」の如き謝った説にとらわれる恐れさえあるのです。


(2)大日本帝国憲法は現存している

国体とは古来より続いてきたその国のあり方です。従って、時の為政者により、それが破壊されることもあります。これは、国体に明確に反する政治体制や成文法の制定など、様々な形をとって現れます。

しかし、その国家の中に道徳や慣習として国体に関する規範が根づいているのであれば、国体が死滅することはありません。むしろ、その国民の中に存在し続けています。

我が国についていえば、憲法ではない「日本国憲法」が憲法と名乗るという、国体破壊状況が続いています。しかし、我が国の国体は厳然として存在し続けています。よって、我が国の国体に関する規範を成文化した大日本帝国憲法もまた、憲法として現存しているのです。これは憲法十七条や、五箇条の御誓文についても同じです。

もちろん、将来これらの成文憲法を復元する上においては、時代にそぐわないところは改正する必要があるでしょう。しかし、それはあくまでも国体に関わる規範に反しないものでなければなりません。よって、国体に関わる規範(法)とはどんなものであるのかの考察は必要不可欠であり、この考察なくして憲法を語ることはありえません。


(3)「日本国憲法」の無効理由

「日本国憲法」は憲法として無効であります。無効理由には様々なものが挙げられています。しかし、保守思想に立って無効を言うのであれば、まず第一義には正面から「国体に反し無効である」としなければ論理的ではありません。国体に関する規範こそが、まさに改正権の限界を決定するのです。





さて、『入門の入門』篇はこれで一旦終わりとします。次回より大日本帝国憲法の各条文について、個別の解説を行っていきます。第1回はもちろん、第1条です(´ω`)

ただし、これからも各条文の解説のみにはとどまらず、これまでのような保守思想の理念についての解説も必要に応じて随時行っていきます。

これからもどうぞご支援のほど、よろしくお願い致します。皆様からのコメントもお待ちしております。疑問の点や気づいた点など、ご意見頂ければ幸いです( ´ω`)ノ

大日本帝国憲法 入門の入門(8) 〜 「日本国憲法」は憲法ではない

とてもわかり易く書かれています。
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 今日は、「日本国憲法」は憲法ではない、というお話をします。

そんなこと言ったって、憲法っていうんだから憲法じゃないの?と思われるかもしれません。でも、そうではないのです。少しずつ説明していきましょう。(・ω・)ノ

またおさらいです。そもそも憲法とは何でしょうか?ここから話を進めなければいけません。

憲法とは、国体に関わる道徳、慣習、伝統や文化などの不文の規範のことです。これは非常に大切なことなので、必ず理解した上で読んで頂きたいのです。これこそは保守思想の基礎の基礎です。憲法とは、元々は成文化(文章化)されたものではありません。元々憲法とは、道徳や慣習などなので、文章で書かれたものではないのです。そしてこの憲法のことを、「」とも呼びます。

そして、「法」と「法律」の違いについても理解されているでしょうか?お忘れでしたら前回のブログ記事を参照して下さい。

この点について誤解されやすいことがあります。例えば、「成文化(文章化)されていないということは何だかあいまいでいい加減な感じがする。道徳とか慣習とかいうのは何だかあいまいで、人によって解釈が違ってきそうだ。道徳や慣習なんていい加減なものではないか。」とと言う人もいるでしょう。

しかし、ここでいう道徳や慣習などとは、あくまでも国体に関わるものです。例えば、皇位の男系男子継承を考えてみてください。これこそまさに法の中の法です。これは大日本帝国憲法や「日本国憲法」にも規定されていますが、そんなこととは関係なく、神武天皇の時代から当然のこととして行われています。皇位の男系男子継承は我が国の最も重要な法です。

このような法は、何千年もの長い間にわたって当然のこととして行われているものです。従って、明確ではっきりしており、今さらわざわざ文章にして確認しなくても当たり前のことなのです。だから、あいまいであったり人によって解釈が違ったりすることなどないのです。

法は、あいまいなものではなく、明確ではっきりしたものだからこそ成文化する必要はないのです。そしてそんな法を羅列したものが憲法です。繰り返します。憲法とは元々は不文法です。

このような考えを徹底して、「~憲法」を持たない国さえあります。英国がそうです。英国憲法というものはありません。しかし、様々な国体に関わる慣習やマグナ・カルタ、権利の章典その他の諸法が憲法であるとみなされています。まさに国体に関わる道徳や慣習などが不文の憲法とされているのです。

我が国においては、明治維新という国家の転換期において、今一度建国の理念に立ち返ることを確認するべく、法を成文化し、その他の法とはいえないまでも重要な規範をも併せて成文化して大日本帝国憲法が公布されたのです。

さて、「憲法は最高規範である」と言われます。なぜ、憲法は最高規範なのでしょうか?それはまさに、憲法が法であるからです。国体に関わる規範に違反する法律や命令などを有効としてしまうようでは、国家内部の法秩序がむちゃくちゃになってしまうからです。

では、果たして「日本国憲法」と呼ばれているものが憲法であるといえるかどうか、検討していきましょう。

「日本国憲法」には「国民主権」「基本的人権」についての規定があります。実は、すでにこれでアウトなのです。

前回までお話したように、「国民主権(民主主義)」「基本的人権」が立憲主義(法の支配)とは対極の思想に立つ観念であることはすでにご存知だと思います。

「国民主権」の「主権」とは国家のあり方について完全かつ最終的に決定する権利のことであり、これは法を破壊する力をも内包します。また、「基本的人権」も道徳や慣習を破壊、否定して国家から「解放」された「人」の権利を打ち立てるものです。

お分かりですね。両者とも、国体に関わる道徳や慣習などを破壊する意図で作られた観念なのです。ということは・・・びっくりしませんか?何と、「国民主権」「基本的人権」とは法、すなわち憲法を破壊する観念なのです!!

憲法を否定して破壊する観念によって、「日本国憲法」と称する文書は書かれたわけです。矛盾していますね。これほどふざけた、人をバカにした話があるでしょうか?

例えば、日本国憲法第1条を見て下さい。こう書かれています。「天皇は・・・(略)・・・この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

真っ赤なウソですね。天皇の地位は国民の意思で左右されるものではありません。神武天皇以来の皇統によって定まっているものです。これこそ「法」です。なのに、この規定は天皇の地位は国民の意思でどうにでもできるとはっきり書いています。法を否定しています。革命によって天皇の地位を左右できるとする恐ろしい条文です。

このように、「日本国憲法」なる文書は、その根本理念が憲法破壊思想に立つものなのです。こんな矛盾したものが憲法と認められるわけがありません。それでも制定手続きが正当だったとか、ともかくも60年以上通用してきたとか、そんなことは枝葉の本当にどうでもいいことなのです。

「日本国憲法」が憲法である、あるいは問題はあるかもしれないが、改正すればいいじゃないか、とおっしゃる方に申し上げます。もっと事柄の本質を見て下さい。あなた方は、憲法ではないものを憲法だと主張しているのです。

「日本国憲法」は我が国の国体に関わる道徳や慣習などの規範(法)を成文化したものではなく、従って憲法ではありません。憲法の定義に当てはまる我が国の正統な憲法は、大日本帝国憲法です。「日本国憲法」は憲法として無効です。

大日本帝国憲法 入門の入門(7)立憲主義(法の支配)その3

とてもわかり易く書かれています。
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では、以前からのおさらいをもう一度。

 Q:憲法とは何か?
 A:憲法とは国体に関わる道徳や慣習、伝統などの不文の規範のこと。このような規範のことを「」ともいう。

 Q:「法」と法律はどう違うの?
 A:「法」は道徳や慣習などであり、不文法であって誰が定めたか分からないが長い年月にわたって祖先から継承してきたものであって、それゆえに神聖なものである。これに対して法律は特定の誰かが定めたものであり、成文法である。法律は法の下位に属し、法に従属する。法律は法に反して制定されてはならず、法に反する法律は無効となる。

 Q:立憲主義(法の支配)ってどういう意味?
 A:法に反する全ての国家機関(内閣・議会・裁判所など)の行為(命令・立法・判決など)は無効となる、という意味。「法に反する法律は無効となる」というのもその一つの現れ。


 以上3点が立憲主義(法の支配)の基礎中の基礎です。保守思想の基礎中の基礎でもありますので、しっかりと理解して下さい。

 さて、今日はそんな立憲主義(法の支配)の対立概念である「基本的人権」についてお話いたします。

 「人権を守ろう」という言葉はよく聞かれます。人権(基本的人権)というものが素晴らしいものであり、これがあってこそ人は自由に生きていけるのだ、と言われてきました。また、不都合があっても、それは人権を濫用(むちゃくちゃに使う)するから起こる不都合であって、人権そのものは素晴らしいものだと。

 これは、全くの誤りです。はっきり言いますと、基本的人権(人権)とはその理念そのものが左翼思想によるものであり、国民の自由を圧殺できる、恐るべき観念なのです。

 どういうことか、これから解説していきます。

 大日本帝国憲法下の保守思想に基づく自由については以前『国体の下の自由』でお話しました。少しだけ、おさらいをします。

 自由というものは、私たちの祖先から継承した道徳や慣習、伝統に基づいてこそ、初めて保たれます。お互いに道徳や礼儀を守り、一人一人様々に立場は違いつつも互いを尊重する気持ちがあってこそ、自由な活動をすることができます。互いに道徳や慣習を守る中にこそ信頼関係は生まれるのです。

 これこそが、「国体の下の自由」です。大日本帝国憲法下において保障されていた「臣民の権利」とはまさにこの国体の下の自由に他なりません。「法律の範囲内で」という留保はあるものの、そもそも法律は法に従属し、法に反する法律は無効ですので、これは結局のところ法によって自由を保障されていることになります。

 では、「基本的人権」はどうでしょうか。そもそも、「人」権とは「人の」権利という意味です。
この「人」とは一体何なのでしょう?

 この「人」とは、「今までの国家や道徳などというものを否定した、バラバラになってゼロの状態になった人間」という意味なのです。

 一体なぜ、このような奇妙な「人間」が想定されたのでしょうか?奇妙どころか不気味でさえあります。どんな人間でも、この世に生を受けた後は家族などから道徳などを学んでいきます。そのような道徳や家族をも否定してバラバラにされた単なる「人」とは一体何なのでしょう?

 この「基本的人権」という言葉が活躍したのは、フランス革命(1789年勃発)の時でした。革命を起こした人々は、従来のフランス王国の下で保障されていた慣習上の諸権利などを否定し、『フランス人権宣言』などでこの「基本的人権」の観念を主張していったのです。

 彼らはなぜ「基本的人権」を採用したのでしょうか?それは、この「基本的人権」が国体の破壊を起こすのに好都合の観念だったからです。

 「基本的人権」は従来の道徳や慣習などを無視して作られた観念です。つまり、これを奉じる者は、道徳や慣習や伝統などを顧みる必要はありません。「人間として生まれ持った権利だ!」とさえ主張すれば、どんな無茶苦茶なことでも権利になって主張することができてしまうのです。

 革命によって「フランス王国」を破壊し、全く別の国家である「フランス共和国」を建国して、更には「反革命派」だと一方的に名指しされた人々を処刑し、財産を没収するなどの暴虐を行うことも、「基本的人権」を振りかざせば正当化できます。

 「基本的人権」は、臣民(国民)としての道徳や義務などを一切否定し、まるで野獣に堕落したよりも質の悪い恣意と暴虐を行うことを可能にするのです。それがここで想定されている「人」なのです。

 にわかには信じられない、という方もおられるでしょう。では、『日本国憲法』を見て下さい。確かに、第12条には「これを濫用してはならない」とは書いてあります。しかし、続けてこう書かれています。「常に『公共の福祉』のためにこれを利用する責任を負ふ」。

 一見、この文言は人権といえども、好き勝手に利用してはならず、「公共の福祉」を考慮して行使しなければならない、なるほど、至極まっとうな規定だ・・・そう思えます。しかし、果たして本当にそうでしょうか?

 「公共の福祉」とは何でしょう?この言葉の定義については諸説ありますが、平たくいえば、「全体の利益」だと言っていいでしょう。つまり、基本的人権といえども、必ず全体の利益を考慮して行使されねばならない、ということになります。

 しかし、「全体の利益」とは何でしょうか?あまりにも曖昧で、一体何を価値基準に置いているのかさえもこれだけでははっきりとしません。はっきり言ってしまえば、好きなように解釈できるのです。ここには国家とか、道徳などの重要で明確な価値が完全に抜けています。「公共の福祉」は好き勝手に解釈できる曖昧なものなのです。これで本当に国民の自由を守ることなどできるはずがありません。

 国民(臣民)の自由(権利)を守るには、それが法に基づいたものでなければなりません。言論の自由や信教の自由、その他様々な重要な自由は、道徳や慣習の守られる国体の下でこそ保障されるのです。

 「基本的人権を守ろう」という言葉は、「国体を破壊しよう」「革命を起こそう」「自由を破壊しよう」というのと同じ意味です。あからさまには言えない言葉をもっともらしく言っているだけです。だまされないようにして下さい。基本的人権を守ってはいけません。基本的人権の守られる社会は、自由の消滅した恐るべき全体主義社会です。

 
 次回は、『「日本国憲法」は憲法ではない』をアップする予定です。



(参考文献)『フランス革命の省察』 エドマンド・バーク著