2012年2月25日土曜日

保守思想入門(1)

 こんばんは。今日から『大日本帝国憲法入門』と併行して、『保守思想入門』をスタートさせることに致しました。(・ω・)ノ

 「日本が好き、でも、正直言って『天皇陛下』とか、『皇室』とか、『国体』とか・・・何だか遠い存在だったり難しいことのようでよく分からない・・・」

 このシリーズは、そんな方々のために分かりやすく、保守思想の根幹から理解して頂けるようにお話していこうと思っています。

 中学校までに習ったレベルの、『日本国憲法』、国会、内閣、裁判所、基本的人権・・・などがだいたい頭に浮かんでくる方であれば、このシリーズを初めから読んでいけば、最後には保守思想というものがよく理解でき、「左翼のウソ」など簡単に看破できるようになります。

 ぜひ最後までおつき合い下さい。

 こちらの方は不定期連載となります。『大日本帝国憲法入門』は従来通り週1~2回程度の連載です。これからもよろしくお願いいたします。

 


<保守思想って何? (1)>


 皆さんは、保守とか、保守思想という言葉を聞かれたことはあると思います。政治家の誰々は保守だとか、そうでないとか、などというように使いますが、そもそも保守とは、何を保守するのでしょうか?一体保守思想とは、何なのでしょう?

 このシリーズでは、保守思想とは何か、優れた先人の方々の業績に学びつつ、所々私の考えもつけ加えながらできるだけ分かりやすく書いていきたいと思います。




 少し、想像してみて下さい。

 ルールがある国と、ルールのない国があるとします。どちらに住みたいでしょうか?

 ほとんどの方は、ルールのある国に住みたいと思うでしょう。では、それは、なぜでしょうか?

 もちろん当然のことですが、人を殺しても構わない、人の物を盗んでも構わない、そんな国に住むのは嫌ですね。

 ルールというものは、私たちの行動を規制しますが、一方では私たちの生命や財産などを守ってくれるものでもあるのです。

 ルールのために、ある程度の自由は制限されますが、そのおかげで私たちは逆に殺されない、物を盗まれない、などという自由を保障されるのです。

 では、更に考えてみましょう。

 そんなルールは、どのようにして作ればいいのでしょうか? いや、例えば、「人を殺してはいけない」「他人の物を盗んではいけない」などというルールは、誰が作ったのでしょうか?

 面白いことに、重要な役割を果たしているルールには、誰が、いつ、どうやって作ったか、などが分からないものが少なくないのです。

 家族というものは、誰かが始めたのでしょうか? 国家というものは、誰かがその仕組みを考案して作ったのでしょうか?

 このような人間にとって基本的な要素をなすものは、誰か特定の偉い人や、集団が作った、というわけではありません。

 家族とか、国家とか、このようなものは誰か英雄が現れて仕組みを全て考えだしたのではなく、誰が始めたものでも、考えだしたものでもなく、無数の人々の営みの中で長い年月の間に生成されていったものなのです。

 そして、これは、先ほど挙げた「人を殺してはいけない」「他人の物を盗んではいけない」などというルールにも言えることだと、気づきますね。

 このようなルールは、誰が決めたのか分かっていません。しかし、そんな誰が作ったか分からないようなルールこそ、長く続き、みんなの暮らしを守っています

 よく、ルールを決める時には、「話し合いが大切だ、誰にでも納得できるちゃんとした説明が大切だ」などと言われることがあります。

 確かに、そんな場合もあります。でも、「人を殺してはいけない」「物を盗んではいけない」などというルールは、誰かが話し合いで決めたのでしょうか?誰かが、誰にでも納得できる説明をして決めたのでしょうか?

 全くそうではありませんね。話し合いで決めたわけでも、誰かが納得できる説明をしたわけでもありません。しかし、これらは何千年もの間、廃止されたり、変更されることすらなく、人々の暮らしを守ってきました。

 それに比べて、「誰か特定の人が決めたルールや命令」や「話し合い」や「納得できる説明」などで決められたルールはどうでしょうか?これから少しずつお話ししていきますが、このようなルールは、決められたその時は通用するかのように思われるのですが、年月が経つにつれて、うまくいかなくなることが多いのです。

 現代でも、法律の改正など日常茶飯事のように行われていますね。国会という場で、話し合いもされ、一応は納得のいくような説明がされているのにも関わらず、それらはどんどん変更されていくのです。

 でも、そんなに軽々しく変えられていくものに、果たして重大な価値があるといえるのでしょうか?

 もちろん、法律を守らなくてもいいなどと言うわけではありません。国家の法規範(ルール)は守っていかねばなりません。

 しかし、今までのお話で、同じ法規範の中でも、このように二種類に分かれていることをお気づきになったと思います。

 すなわち、法規範は大きく二種類に分かれているのです。これが今日のポイントですので、しっかり覚えて下さい。


 1.誰が決めたか分からず、話し合いもされず、誰にでも納得のいくような説明さえもされていないのに、何百年、何千年もの間変更も廃止もされず、守られているもの。(例:「人を殺してはならない」など)

 2.誰が決めたか分かっており、あるいは話し合いがされたり、または誰にでも納得のいくような説明がされているのに、変更されたり、廃止されたりしているもの。(例:各国の国王(君主)や大統領などの命令や、国会で議決された法律など)


 さて、このように考えると、1の方が2よりも重要な、価値のある法規範だということも分かるでしょう。

 そして、1の法規範を保守思想ではといい、2の法規範を法律といいます。

 日常生活では、法も法律もほぼ同じ意味で使うことが多いですが、保守思想ではこれらを1と2のように区別します。

 また、法律は議会の議決した法規範、命令は君主や大統領などの権限により発する法規範であり、それぞれ違いますが、ここでは特に断らない限り、法律といえば、法律と命令の両方を含むものとします。



<今日のポイント>

一、 法規範は「法」と「法律」の二種類に分かれている。

二、 法は法律の上位にある。


 今日はまず、この二つをしっかり覚えて下さい。ではまた次回。(・ω・)ノ




このブログはこちらからの転載です → 『大日本帝国憲法入門』

皇室典範入門(2)

 こんばんは。今日から、皇室典範の各条文の解説に入ります。

 前回もお話したように、皇室典範は「皇室の家法」であるとともに、我が国の成文憲法です。

 『皇室典範義解』は、この法典の性質をこのように説明しています。なお、各引用文中の旧漢字は適宜新漢字またはひらがなに改めている箇所がありますので、ご注意下さい。



<以下引用>


 祖宗国を肇め、一系相承け、天壌と與に無窮に垂る。此れ蓋し言説を假らずして既に一定の模範あり。以て不易の基準たるに因るに非ざるはなし。今人文漸く進み、遵由の路必ず憲章に依る。而して皇室典範の成るは實に祖宗の遺意を明徴にして子孫の為に永遠の銘典をのこす所以なり。(注①)


<引用ここまで>



 まず、「言説を假らずして既に一定の模範あり」、すなわち、言葉にはしないがすでに定まったきまりがある、としています。そして、これは「不易の基準たるに因るに非ざるはなし」、すなわち、決して変更されてはならないきまりによっている、というのです。

 皇位継承をはじめとする皇室に関わるきまりは文書などの形あるものとはされていないものの、決して変更することのできない不文憲法として存在しているのだ、という趣旨なのです。

 では、なぜそれをこのように成文化したのかというと、「今人文漸く進み、遵由の路必ず憲章に依る」、すなわち、時代の変化とともに守るべきことは成文化されるべきとなった、ということです。それまでは不文の法であったものが、明治維新以降は時代の趨勢に合わせて成文化すべきとなったのだ、ということです。

 法令を伝統や慣習を顧慮して立法することは古来より我が国の常道であり、まさにこれこそが保守思想の真髄です。そしてこの保守思想に基づいて起草されたものこそが正統の憲法典たる皇室典範なのです。

 これは、皇室典範や憲法典を解釈するときだけの話ではなく、法律を解釈するとき一般に言えることですが、条文には必ずその立法の趣旨や背景があります。それを無視して文言のみをひねくり回しても正しい解釈にはなりません。いかなる趣旨や背景でその条文が記述されているのか、が大切なのです。

 皇位の男系継承という不文の憲法を成文化したのがこの第1条である以上、その解釈もそこから外れるようなものは明白に誤った解釈です。

            

                  


皇位は男系継承である(不文の憲法)

           

  皇室典範第1条として成文化




 
 

 第一章 皇位継承


 第1条 大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス

(口語訳)大日本国の皇位は祖宗の皇統たる男系の男子が継承する。


 第1条は、不文憲法の中の不文憲法といえる皇位継承についての法です。さて、どのような法典でも、第1条にはその法典の基本的な理念、精神が掲げられます。皇室典範はこのように、第1条で、皇位の男系男子継承を明文で定めました。

 同時にこのことは、皇位の女系継承や女系天皇を明確に否定、排撃するものに他なりません。すなわち、この第1条のみならず、皇室典範という法典の立法趣旨、存在の意義そのものが、皇位の女系継承や女系天皇をはっきりと否定、排撃するものなのです。

 皇室典範の起草者による解説書、『皇室典範義解』にはこのことがはっきりと書かれています。では、見てみましょう。



<以下引用>


 皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり。・・・其の後、推古天皇以来皇后皇女即位の例なきに非ざるも、当時の事情を推原するに、一時國に当り幼帝の歳長ずるを待ちて位を伝えたまはむとするの権宜に外ならず。之を要するに、祖宗の常憲に非ず。而して終に後世の模範と為すべからざるなり。(注②)


<引用ここまで>


 
 皇位の男系継承は我が国の不文憲法であり、『皇室典範義解』はこれを「皇家の成法」であると表現しています。更に、推古天皇以来女性天皇が即位した事情について、皇太子たる男性が成長するのを待って位を譲ろうとするという権宜(臨時の措置)でしかないのだ、と明言しているのです。

 すなわち、第1条は皇位の男系継承の不文憲法を成文化した確認的規定であり、女系継承を明確に拒否、禁止したものです。

 『皇室典範義解』は更に、皇位継承の三大則として以下のものを挙げています。


<以下引用>


第一 皇祚を践むは皇胤に限る。

第二 皇祚を践むは男系に限る。

第三 皇祚は一系にして分裂すべからず。(注③)


<引用ここまで>


 我が国の国柄の核心は、天皇による祭祀と天皇による統治です。そして、天皇や皇室は数千年の歴史の中で、その役割を生成してきました。天皇と我が国の歴史は一体であり、歴史とそれを背景にする伝統を排除して天皇や皇室を語ることなどはできません。それを排除してしまえば、すでにそれは天皇や皇室ではなく、単なる名称が残るだけの無意味なものとなってしまいます。

 我が国は古来、法令を従来の伝統や歴史に照らして立法、解釈するのが通例でしたが、明治維新以降になってドイツなどの大陸法的法学が入り、法律を伝統や歴史を顧慮せず立法し、またその文言に拘泥して解釈することも行われるようになりました。しかし、これは我が国のやり方とそぐわないばかりか、その規範の趣旨を失わせることにもなりかねません。

 法解釈はその立法趣旨に従って、文言に必要以上に拘泥せず行わねばなりません。また、憲法規範については不文憲法を顧慮しない解釈はウソ解釈になってしまうのです。





<今日のポイント>

 1.皇室典範の意義は、女系継承や女系天皇の否定、排撃にある。

 2.第1条は、皇位の男系継承の不文の法を成文化したものである。

 3.条文は立法の趣旨に則り解釈するのが、法解釈の基本である。



注① 『憲法義解』 伊藤博文 著(岩波文庫)p.127

注② 『憲法義解』 伊藤博文 著(岩波文庫)p.128 ~ p.129

注③ 『憲法義解』 伊藤博文 著(岩波文庫)p.129




このブログはこちらからの転載です → 『大日本帝国憲法入門』

皇室典範入門(1)

 こんばんは。今日から、皇室典範についての解説を始めます。

 なお、ここでは「法」「不文憲法」などという保守思想の基本的な用語については、解説しません。これらの用語の定義がよく分からないという方は、『保守思想入門』などをご覧下さい。

 ここで扱う皇室典範とは、『日本国憲法』という講和条約ないし特別な法律の下で制定された『皇室典範』という法律ではなく、大日本帝国憲法と並ぶ皇室典範という成文憲法ですので、ご注意下さい。

 ただし、事案によっては『日本国憲法』下で法律と位置づけられている『皇室典範』を扱うこともありますが、名称が同じでややこしいので、色を使って書き分けることもあります。通常は皇室典範は大日本帝国憲法と並ぶ成文憲法としての皇室典範、『皇室典範』というように『』がついていれば『日本国憲法』下の法律として位置づけられている『皇室典範』だということにします。




<皇室典範とは>


 今日は、皇室典範というものの意義や性質を簡単にお話します。


 皇室典範とは、皇室に関わる憲法規範を、特別にまとめた憲法典(成文憲法)である。


 皇室典範とは、皇位継承などの皇室に関わる不文憲法を成文化し、これらを中心にまとめた法典です。よって、皇室典範とは成文憲法であるのです。

 ただし、大日本帝国憲法と同様、中心になっているのは不文憲法ですが、全ての条文が不文憲法を成文化したというわけではありません。つまり、これらの条文については「改正」(=不文憲法の再確認、あるいは不文憲法ではない規範の追加、削除)ができるということになります。大日本帝国憲法と同様の「改正の限界」が存在するのです。

 皇室典範が成文憲法である、ということは、大日本帝国憲法と対等、同格であることを意味します。どちらが上、下、ということはありません。

 憲法典が複数あるということは、一見何だか奇妙に感じられる方もいるかもしれませんが、これはその下位規範である法律も多数存在しているのと同様だと考えれば、ごく当たり前のことだと分かるでしょう。もちろん、憲法典相互の間では規範が矛盾しないように条文を起草する必要があります。

 
 では、なぜ同じ憲法規範を、皇室典範と大日本帝国憲法に分けて成文化しているのでしょうか?

 これは、皇室典範の性質上、大日本帝国憲法と別の憲法典とすることが必要だったからです。

 皇室典範は、憲法規範の中でも特に、皇室に関わる特別な憲法規範です。すなわちこれらはいわば「皇室の家法」とも言うべき規定であって、その他の憲法規範とは別の憲法典として成文化し、これを取り扱うことがその趣旨にかなうものであるのです。

 よって、これらを大日本帝国憲法とは別の皇室典範として定め、運用することとなったのです。





<『日本国憲法』下の『皇室典範』という法律の性質>


 では、『日本国憲法』下の法律として制定された『皇室典範』の性質は、どう捉えるべきでしょうか。

 本来、皇室典範は憲法典です。法律ではありません。では、『皇室典範』は憲法典としての性質を備えているでしょうか?

 たとえば、『第五章 皇室会議』の規定などを見ると、それらが「皇室の家法」たるべき皇室典範の規定にそぐわないものであるといえます。よって、『皇室典範』は不文憲法や皇室典範に照らして無効となる規定を多く含んでいるものといえます。

 しかし、全く憲法典としての性質を持っていないかというと、そうは言えません。その第1条は、皇位の男系男子継承という不文憲法を成文化したものであり、これは正しく憲法規範です。

 このように、『皇室典範』とは実質上は憲法規範と、それに反して無効となる規範などが混在したものであるといえるのです。『皇室典範』とは中心となっている(第1条など)規定は憲法規範でありつつ、そうでないものをも多く含んでいる、中途半端なものといえます。「準・憲法典」とでもいえるでしょうか。

 従って、『日本国憲法』という講和条約下に制定された『皇室典範』という法律は、これが憲法規範を含んでいる以上、少なくともこれを一般の法律と同様とすることは誤り、不適切なのです。

 すなわち、憲法規範であるはずの皇室典範を、法律と位置づけることは重大にして明白な制定手続上の瑕疵であり、また実質的・内容的にもそもそも法律ではないものを法律であるとしていることになります。

 『日本国憲法』が実質上は講和条約ないし特別な法律であるゆえに憲法としては無効であるのと同様、『皇室典範』もまた、実質上は憲法規範であるものを含んでいるゆえに法律としては無効ということになるのです。よって、『皇室典範』という法律は法律としては無効であり、それが不文憲法や大日本帝国憲法や皇室典範に反しない限度で、憲法として有効ということになります。

 さて、このように考えると、お分かりでしょうか?『皇室典範』は「準・憲法典」である以上、講和条約たる『日本国憲法』の上位規範ということになるのです。

 今説明した我が国の現在の法体系を、皇室典範『皇室典範』を赤と青に分けて加えて表すとこのようになります。

       

     【我が国の法体系】


     不文憲法

       ↓

皇室典範・大日本帝国憲法(成文憲法)
  (不文憲法に反しない限度で有効)

       ↓

 『皇室典範』(準・成文憲法)
(不文憲法や皇室典範に反しない限度で憲法として有効)

       ↓

    日本国憲法(講和条約)
  (大日本帝国憲法に反しない限度で有効)

       ↓

      法律






<今日のポイント>



1.皇室典範とは、皇室に関わる憲法規範を、特別にまとめた憲法典(成文憲法)である。

2.皇室典範は、大日本帝国憲法と同格、対等な成文憲法である。

3.『皇室典範』は、『日本国憲法』の上位規範たる「準・成文憲法」である。



このブログはこちらからの転載です → 『大日本帝国憲法入門』

大日本帝国憲法入門(23)

 こんばんは。皆様のご支援のかいあって、このシリーズ『大日本帝国憲法入門』も今回で無事、最終回を迎えることとなりました。次回より、『皇室典範入門』を開始いたします。これまで以上のご愛読をどうぞよろしくお願い申し上げます。


 私が、このブログを立ち上げた趣旨は、

① まず、保守思想というものが存在し、我が国の政治も古来よりそれに従って行われてきたことを広く知って頂くこと。

② 大日本帝国憲法その他、不文憲法(法)を確認し、それを成文化した法典こそが正統の憲法典たり得ること。

③ よって、『日本国憲法』は実質的・内容的に憲法たり得ず、まずは大日本帝国憲法が現在も存在していることを確認した上で、これを適宜改正すべきこと。


 以上3点を訴えるためです。


 今回をもって、大日本帝国憲法の条文の解説は一旦終了致します。しかし、次回より開始する『皇室典範入門』、現在進行中の『保守思想入門』では更に一層の保守思想の分かりやすい解説とその普及に心を尽くし、上記の①②③の解説に心を砕いていく所存ですので、今後ともよろしくお願い致します。

 また、このシリーズ『大日本帝国憲法入門』においては、いずれ大日本帝国憲法が復元、現存が確認された際になされるべきであろう大日本帝国憲法の改正について、「改正の限界」について確認するという作業を随所で施したつもりです。すなわち、各条文について、それらを国体に関わる規範(不文憲法を成文化したものであり、改正できない)とそうでないもの(不文憲法とは関わりのないもので、改正できる)を分けるという作業です。

 これによって、改正の限界を明確にし、将来の大日本帝国憲法復元の際の改正の一助たるべきことを目指したつもりではありますが、まだまだ論じるべき点は多く、いずれは更に詳細な保守思想の憲法学についての解説も何らかの形で始めるべきことも考えています。

 さて、これまで何度もお話してきましたところから明らかなように、「憲法改正」というのはあくまでも我が国の正統な憲法典(成文憲法)たる大日本帝国憲法の改正でなければなりません。憲法典ではなく、講和条約としての法規範性しか持ち得ない『日本国憲法』を改正することは無意味かつ徒労でしかないのです。
 
 * これまで、『日本国憲法』を『』つきで記載してきたのには理由があります。これは、あくまで『日本国憲法』という名称の講和条約であり、憲法典ではないということを強調するがゆえの記載でした。

 そこで、この最終回では大日本帝国憲法復元の際、様々な改正案が出てくるであろうことを考え、私自身の改正箇所を簡単ではありますが、ここに記してこのシリーズを終わりたいと思います。

 

 
【大日本帝国憲法の改正すべき箇所の提案】


 
 <成文憲法(憲法典)を「改正」するということ>


 憲法を改正する、という言い方はよくされますが、これは正確には成文憲法(憲法典)が不文憲法に合致しているかどうか再確認する、ということです。そうでない「改正」は改正の限界を越えるものであり、不文憲法に照らして無効です。成文憲法の改正の限界とは、不文憲法に違反していないこと、なのです。

 まだまだ私自身、改正について深く考えたわけではありません。もっと更に歴史的、文化的な考察を背景とした不文憲法の確認が必要となるでしょう。今回挙げるのは現時点でのほんの一案に過ぎません。今後、様々な形で改正案が出てくるようになればと思っています。


1 第22条と第29条の、「法律ノ範囲内二於テ」の文言を削除

 
 第22条は居住と移転の自由、第29条は表現の自由を定めたものです。これらの権利には、条文上「法律ノ範囲内二於テ」という文言が付されています。

 さて、法律を審議可決、協賛するのは帝国議会の責務ですが、これらは議会の多数決により行われます。そうすると、「表現の自由が『法律の範囲内において』認められる」というのは、議会の多数派が表現の自由を、自分たちで制限できてしまう、という意味なのだ、という解釈もできてしまうのです。このように、臣民(国民)の権利を法律の範囲内でだけ認める(多数派が少数派の権利を制限できる)という理論を「法律の留保」といいます。ドイツのオットー・マイヤーという学者によって唱えられた説です。

 しかし、これは明らかに不当です。表現の自由は臣民の権利であって、国体の下に認められた自由です。にも関わらず、これを議会での多数派が制限できるとすることはまさに「国民主権(民主主義)」的な発想であり、立憲主義(法の支配)の精神に反するものです。

 法律の留保説は、立憲主義(法の支配)を理念とする大日本帝国憲法では認めるべきではありません。従って、「法律ノ範囲内二於テ」の文言は「(立憲主義に反せず有効とされる)法律の範囲内において」というように限定解釈されるべきです。
 
 従って、このような誤解を生み、誤った運用のされる恐れの大きい「法律ノ範囲内二於テ」の文言は削除し、何らの留保も付さないのが立憲主義の精神に合致するのです。

 

2 「適正手続の原則」を明文化する


 さて、これまで散々『日本国憲法』を批判してきました。確かに、『日本国憲法』はその基本理念が憲法たり得ず、ゆえに憲法典たり得ないのですが、そのような基本理念を無効化した上で、憲法規範として取り入れるべきものもあります。新無効論において、『日本国憲法』のうち、大日本帝国憲法に反しないものとして認め得るもの、すなわち立憲主義(法の支配)の理念に合致するものです。

 たとえば、『日本国憲法』第31条は、このような規定です。

 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 実は、この規定はイングランドのマグナ・カルタ第39条に由来するものです。これは、刑罰を科すには裁判などの法律の定める手続きによらなければならず、たとえば議会による多数決や君主の独断で刑罰を科すことを絶対に禁じたものなのです。もしもこのようなことが行われれば、少数派の権利は多数派によって踏みにじられ、その国家からは自由が消滅してしまうでしょう。

 そして、このような趣旨の規定であれば、立憲主義(法の支配)の理念の下で運用されるのであれば国民主権(民主主義)に対する歯止めとなり、まさに大日本帝国憲法の精神に合致するものです。

 よって、大日本帝国憲法にも『日本国憲法』第31条と同じ、または同旨の規定を明文化するべきです。



3 裁判所による違憲立法審査制を導入


 立憲主義(法の支配)の理念からは、帝国議会によって協賛された法律を、果たしてそれが成文憲法、ひいては不文憲法に違反していないか審査し、もしも違反している場合にはそれを違憲無効とする機関が必要となります。そして、その審査は法律の実質的内容について行われるため、法律の専門家によるべきです。
 
 よって、大日本帝国憲法においても明文で違憲立法審査制を規定し、裁判所による法律の違憲審査を認めることが、その立脚する立憲主義(法の支配)の趣旨にかなうものといえます。

 『日本国憲法』においては第81条で違憲立法審査制が明文化されています。大日本帝国憲法においても、同旨の規定を設けるべきです。

 なお、この点については大日本帝国憲法入門(19)でも述べていますので、そちらも参照下さい。

 上述のように、これらは単なる一つの案であり、完全なものではありません。また、他にも改正箇所はまだまだ出てくるでしょう。皆様のご意見をお聞かせいただければ幸いです。




 さて、以上をもって『大日本帝国憲法入門』シリーズを終了致します。次回の『皇室典範入門』をお楽しみに。ありがとうございました。




 このブログはこちらからの転載です → 『大日本帝国憲法入門』

大日本帝国憲法入門(22)

 こんばんは。

 おかげさまで、この「大日本帝国憲法入門」シリーズも今回と次回をもって、終了の運びとなりました。

 先日ご連絡しました通り、今後は「帝国皇室典範入門」「保守思想入門」を併行しながら、このブログ『大日本帝国憲法入門』を継続して参ります。どうぞこれからも変わらぬご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 さて、「第七章 補則」には第75条、第76条が含まれています。これらの条文は、いわゆる『日本国憲法』の「新無効論」の根拠条文として引用されるものです。

 そこで、今回はごく簡単ではありますが、これらの条文の解説と絡め、この新無効論について、できるだけ分かりやすく皆様にお話し、併せて「第七章 補則」の解説を致します。

 この新無効論とは、弁護士で国體護持塾塾長でいらっしゃる南出喜久治先生により提唱されたものです。

 私はツイッターで初めてこの説の存在を知り、それまで自分が学び続けてきた保守思想を、『日本国憲法』の存在と調和させ、大日本帝国憲法を復元しその現存を確認する優れた説であると感じました。

 まさに、新無効論こそは我が国の憲法問題を解決する無比の卓説であるのです。

 今回の私の解説は、それ以来自分なりに学び、理解し得たところのものをお話するものです。よって、私の理解不足に由来する誤解が混在している恐れもございますが、これまでの新無効論の支持者の皆様の当ブログへのご支援に対する深い感謝の念を込めて、このブログを綴り、皆様へのささやかな謝意とさせて頂くことをお許し下さい。そして、これからも当ブログへの変わらないご支持を何卒よろしくお願い申し上げます。

 また、今回の新無効論の解説について、誤解などがあると思われる場合は、どうぞご遠慮なくツイッターや当ブログのメッセージ欄からご指摘、ご指導頂ければ幸いです



<「無効」になるとどうなるか>


 まず、法律学上の「無効」の意味を簡単にご説明致します。

 無効とは、ある法令などが議会などの議決を経て形式的に成立したものの、様々な事由によりその存在がなかったものとみなされることです。

 つまり、無効とは、その法令が形の上では存在しているものの、その効力が発生せずに存在していないということなのです。裁判所はその法令に基づいて裁判することはできず、行政機関もその法令に基づいて行政行為を行うことはできません。

 また、よく誤解されているのですが、無効とは裁判所などが判決などで宣言して、そこで初めて無効となる、というのではないのです。無効な法令は形式的に成立したときから無効であって、初めから存在していないとみなされるのです。

 『日本国憲法』が無効である、という主張は、『日本国憲法』がそれが形式的には大日本帝国憲法第73条による大日本帝国憲法の改正であり、帝国議会の可決成立という要件を満たしてはいるものの、それが実質的にはそのタイトルに関わらず、内容面で憲法といえるものではない、憲法ではないことを理由に無効である、という主張なのです。

 『日本国憲法』はその根本理念たる国民主権(民主主義)、基本的人権、平等主義などが立憲主義(法の支配)に反するゆえに、憲法ではありません。

 この点は、これまで当シリーズで何度かお話した通りです。

 では、「日本国憲法は無効である」という場合、どのような事態が生じるでしょうか?実は、ここに大きな問題が生じてしまうのです。

 というのは、法律学の世界には法体系というものが存在します。政令はその上位の規範である法律によって有効となり、法律はその上位の規範である憲法によって有効となる、というものです。つまり、上位の規範が無効になると、それによって根拠づけられている下位の規範も一緒に無効になってしまうのです。

 『日本国憲法』が無効となると、その効力は公布当初に遡ります。ということは、『日本国憲法』に基づいて制定された法令、行政行為、裁判所の判決なども、ことごとくその効力を失ってしまう、ということになるのです。

 そうなってしまうと、これは大変ですね。今までの日本国憲法施行後に制定された法律は無効だ、となれば、社会は大混乱になってしまいます。さすがにそれはできません。

 また、『日本国憲法』は昭和天皇の上諭によって公布されています。この点から、『日本国憲法』の法規範性を否定することは承詔必謹に反することになるのではないか、という問題もあります。

 何とか、今までに制定された法律の有効性を維持しつつ、同時に憲法ではない日本国憲法を無効とすることはできないものでしょうか。

 ところで、我が国の法体系を不等号で表すと、 

 不文憲法 > 大日本帝国憲法 > 法律 > ・・・

となります。最も上位にあるのが不文憲法であり、大日本帝国憲法はこれを成文化したものでその下位に位置し、法律は大日本帝国憲法に根拠を有するものであってさらにその下位にある、いうことなのです。

 そして、ここに何とかして、『日本国憲法』を組み入れることができないか、というのが新無効論なのです。



<新無効論とは>


 というのは、我が国の法体系に『日本国憲法』を組み入れることができれば、それに根拠を有する法律も有効となり、上記の混乱もさほどなくなるのです。

 そして、『日本国憲法』の問題点は、国民主権や基本的人権などの立憲主義(法の支配)を否定する理念にあります。ということは、『日本国憲法』からこれらの立憲主義に反する理念を、無効化し、無視してしまえばいいのです。

 そこで、この条文を見て下さい。

第76条 1 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用イタル二拘ラス此ノ憲法二矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス

(口語訳)1 法律、規則、命令、または何らの名称を用いたに拘らず、この憲法に矛盾しない現行の法令は全て従来通りの効力を有する。

 すなわち、大日本帝国憲法は、その法規範の名称に関わりなく、大日本帝国憲法に矛盾しない範囲内であれば、その有効性を認める、と定めているのです。

 すなわち、このように考えます。

不文憲法 > 大日本帝国憲法 > 『日本国憲法』 > 法律 > ・・・

 この不等式は、南出喜久治先生の『占領憲法の正體』p.96のものを簡略化したものです。

 新無効論とは、法律行為の「無効行為の転換」理論を応用し、『日本国憲法』を憲法規範ではなく、講和条約であると把握した上で、大日本帝国憲法の下位規範と位置づけ、大日本帝国憲法に違反しない限度での有効性を認め、法的安定性をも確保するものなのです。

 つまり、『日本国憲法』はその名称に関わらず憲法規範ではなくなり、法律の上位に位置する講和条約としてその有効性を認められます。『日本国憲法』は憲法ではなく、『日本国憲法』という題の講和条約である、というわけです。これこそが、『日本国憲法』は憲法として無効である、の意味です。裏返せば、講和条約として有効である、というわけです。決して『日本国憲法』の法規範性を否定するわけではないのです。

 こうして、大日本帝国憲法が正統な憲法であり、現在も憲法として存在していることが確認されるとともに、『日本国憲法』は憲法としては無効となり、しかもそれにより『日本国憲法』制定以降の法律などが無効となってしまうこともないのです。

 また、講和条約として法律の上位規範たる『日本国憲法』が有効となるのであれば、昭和天皇の上諭をもって公布されたことによる法規範性も認められ、承詔必謹に反することもありません。

 『日本国憲法』において、国民主権(民主主義)、基本的人権、平等主義など大日本帝国憲法に反する部分は無効となり、存在しないものとして扱われますが、それと関わりのない条文はそのまま残り、法律の上位に位置することになるのです。


  【新無効論による法体系】


     不文憲法

       ↓

   大日本帝国憲法(成文憲法)

       ↓

    日本国憲法(講和条約)
  (大日本帝国憲法に反しない限度で有効)

       ↓

      法律


 以上が新無効論の骨子です。より詳細な解説は南出喜久治先生の「占領憲法の正體」をぜひ参照下さい。






 第七章 補則
 

第73条 1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議に付スヘシ

     2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

(口語訳)1 将来この憲法の条項を改正する必要があるときには、勅命をもって議案を帝国議会の議に付さねばならない。

     2 この場合において、両議院はそれぞれその総員の三分の二以上の出席がなければ議事を開くことができない。そして、出席議員が三分の二以上の多数でこれを可決するのでなければ、改正の議決をすることができない。


 大日本帝国憲法は我が国の不文憲法を成文化した正統の憲法典です。よって、上位の法規範たる不文憲法に反する改正はできません。もしもそのような改正がされても、それは不文憲法に反し無効となります。

 ただし、大日本帝国憲法の全ての条文が改正できない、というわけではありません。というのは、大日本帝国憲法には不文憲法とは関わりのない条文も併せて多く規定されているからです。このような条文については、改正しても不文憲法に反することにはなりませんので、改正できることになります。

 このように、成文憲法が上位規範たる不文憲法により、改正に一定の枠をはめられていることを、「改正の限界」といいます。『日本国憲法』は改正の限界を越えているゆえに憲法として無効であるのです。

 第73条は、このような考えに基づき、不文憲法に反しない限度で大日本帝国憲法の改正を認めたものです。



第74条 1 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス

     2 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス


(口語訳)1 皇室典範の改正は帝国議会の議を経る必要はない。

     2 皇室典範でこの憲法の条規を変更することはできない。

 
 皇室典範は皇室の家法であり、皇位継承などについての不文憲法を成文化したものであって、すなわちこれは大日本帝国憲法と並ぶ我が国の正統な成文憲法なのです。

 従って、皇室典範の改正もまた上位規範たる不文憲法による改正の限界が存在し、これを越える改正は無効となります。また、皇室の家法たるゆえんにより、改正には帝国議会による審議を必要としません。また、両法典は成文憲法として対等な位置にあるので、皇室典範によって大日本帝国憲法の条文を変更することなどはできないのです。



第75条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

(口語訳)憲法および皇室典範は摂政を置いている間、これを変更することはできない。

 成文憲法たる大日本帝国憲法及び皇室典範は、摂政が置かれているような国家の変局時においては、これを改正するに適切ではないため、その期間の改正を禁じた規定です。

 新無効論においては、これは広く国家の変局時において大日本帝国憲法の改正を禁じる趣旨と解し、GHQによる占領下もこのような非常時にあたるものとして、この時期になされた大日本帝国憲法の改正による『日本国憲法』を無効とする理由の一つに挙げています(『占領憲法の正體』p.58 ~ p.63)。



第76条 1 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用イタル二拘ラス此ノ憲法二矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス

     2 歳出上政府ノ義務二係ル現在ノ契約又ハ命令ハ総テ第六十七条ノ例二依ル

(口語訳)1 法律、規則、命令、または何らの名称を用いたに拘らず、この憲法に矛盾しない現行の法令は全て従来通りの効力を有する。

     2 歳出上政府の義務である現在の契約または命令は全て第六十七条の例による。


 元々、この規定は大日本帝国憲法公布前の法令などが、公布後もその効力を認められるという旨を定めたものです。新無効論は、この規定の趣旨を『日本国憲法』に及ぼし、その名称に関わらず講和条約としての有効性を認めようとすることは先に説明いたしました。

 


 以上をもちまして、大日本帝国憲法全条文の解説を終了致します。次回はいよいよ最終回となります。「全体のまとめ、及び大日本帝国憲法復元後の改正点の提案」をお送りいたします。


(参考文献)『占領憲法の正體』 南出喜久治著



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大日本帝国憲法入門(21)

 こんばんは。今日は、「第六章 会計」の解説です。

 

 第六章 会計


 第62条 1 新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ

      2 但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス

      3 国債ヲ起シ及予算ニ定メタルモノヲ除ク外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ


(口語訳) 1 新たに租税を課し、または税率を変更するときは法律で定めなければならない。

      2 ただし、報償である行政上の手数料やその他の収納金はこの限りではない。

      3 国債を発行し、または予算に定めたもの以外の負担となる契約を締結するときは帝国議会の協賛を経なければならない。


 国家を運営していく上で、租税を徴収することは必要不可欠ですが、臣民の負担となる租税の徴収を、ただ行政機関の一存で決定することは、恣意的な租税徴収を招く恐れがあります。

 そこで、新たに租税を課し、または税率を変更スル場合には、臣民の代表たる帝国議会の可決する法律によってしなければならない、と定めたのです。従って、命令によって租税を課すことは禁じられます。

 第2項の「報償である行政上の手数料」とは、いわゆる通常の租税とは異なり、例えば現代では水道料金のように、一定の料金を支払うことにより対価たるサービスを行政から受ける場合の、この料金を指します。通常のいわゆる租税はそれによって対価たるサービスが発生することはありませんが、それがこの「報償である行政上の手数料」との違いです。この場合は、必ずしも法律で定める必要はないと定めました。

 また、国債を発行したり、予算に計上されていなかった契約を政府が締結することは国家財政に影響を与えることになりますので、これも帝国議会の協賛が必要です。




 第63条 現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収ス

(口語訳) 現行の租税は法律で改正することのない限り、前年同様に徴収する。


 予算を決定する必要がある以上、国家の歳入は一定のものが予測できねばなりません。よって、法律によって改正されない限り、前年同様に徴収するべきことが定められました。



 第64条 1 国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛ヲ得ヘシ

      2 予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝国議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

(口語訳) 1 国家の歳出と歳入は毎年、予算として帝国議会の協賛を得なければならない。

      2 予算で定めた金額以上のもの、または予算で定めたもの以外の事項について支出をした場合は、後日帝国議会の承諾を求めなければならない。


 国家の歳出と歳入は、それを租税などの臣民の負担によるものです。従って、これを行政機関の判断だけにより決定させるのではなく、臣民の代表たる帝国議会の協賛を得るべきものと定めているのです。予算で予定されていた以外の支出があった場合にも、後日必ず帝国議会の承諾が必要です。



 第65条 予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ

(口語訳) 予算は先に衆議院に提出しなければならない。


 予算を決定するのは内閣の責任ですが、これはまず、衆議院に提出せねばなりません。予算が租税を財源とするものである以上、徴収される対象である臣民の代表たる衆議院において先に審議することが公正と考えられたからです。


 
 第66条 皇室経費ハ現在ノ定額ニ依リ毎年国庫ヨリ之ヲ支出シ将来増額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝国議会ノ協賛ヲ要セス

(口語訳) 皇室経費は現在の一定額を毎年国庫から支出し、増額が必要な場合を除いては帝国議会の協賛を必要としない。


 これは、第64条の例外規定です。皇室経費については、その性質上、増額する場合においてのみ帝国議会の協賛を必要なものとしたのです。



 第67条 憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ排除シ又ハ削減スルコトヲ得ス

(口語訳) 憲法上の大権に基づく既定の歳出、及び法律上求められ、または法律上政府の義務に属する歳出は政府の同意がなくては帝国議会はこれを廃止、削減することはできない。


 憲法上の大権に基づく既定の支出とは、第1章の天皇大権による支出、すなわち行政各部の官制や陸海軍の編成に要する費用などで、予算提議の前に既に定まっているものをいいます。これらの支出が帝国議会の協賛が得られないことにより不可能になってしまうと、国家の運営に重大な支障をきたすことになってしまいます。そこで、このような事態を防ぐため、この規定が設けられました。



 第68条 特別ノ須要ニ因リ政府ハ予メ年限ヲ定メ継続費トシテ帝国議会ノ協賛ヲ求ムルコトヲ得

(口語訳) 特別の必要により政府はあらかじめ年限を定め、継続費として帝国議会の協賛を求めることができる。

 
 これも第64条の例外規定です。予算は毎年帝国議会の協賛を得るのが原則ですが、必要があるものについては年度を限って継続費とし、複数年にわたる予算の協賛を求めることもできます。


 
 第69条 避クヘカラサル予算ノ不足ヲ補フ為ニ又ハ予算ノ外ニ生シタル必要ノ費用ニ充ツル為ニ予備費ヲ設クヘシ

(口語訳) 避けることのできない予算の不足を補うために、または予算以外に生じた必要な費用に充当するために予備費を設けなければならない。


 どんなに慎重に予算を組んでも、予期しない事態で歳出が必要になることがあります。そのために設けられたのが予備費です。


 第70条 1 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需要アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ招集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

      2 前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

(口語訳) 1 公共の安全を保持するために緊急の必要がある場合には、内外の事情により政府は帝国議会を招集することができないときは勅令により財政上必要な処分をすることができる。

      2 前項の場合には次の会期において帝国議会に提出し、その承諾を求めなければならない。

 第8条と同様の趣旨の規定です。緊急の必要があり、帝国議会を招集できないときは勅令で緊急の処分ができますが、この場合は次の会期で必ず帝国議会の承諾を得なければなりません。



 第71条 帝国議会ニ於テ予算ヲ議決セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ

(口語訳)帝国議会で予算を議決せず、または予算成立に至らなかったときには政府は前年度の予算を施行せねばならない。

 
 予算が議決されない時には、国家の運営に大きな支障をきたすことになります。そのような事態を防ぐため、この場合は前年度の予算に基づくことにしたのです。


 第72条 1 国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ

      2 会計検査院ノ組織及職権ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

(口語訳) 1 国家の歳出歳入の決算は会計検査院で検査確定し、政府はその検査報告とともにこれを帝国議会に提出せねばならない。

      2 会計検査院の組織及び職権は法律で定める。


 会計検査院は、決算が適切に行われたかを検査する機関です。不適切な決算がなされていないかを検査し、政府はその結果を帝国議会に提出して審議を受けねばなりません。



 
 次回は「第七章 補足」です。( ´ω`)ノ



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大日本帝国憲法入門(20)

 こんにちは。今日は「第五章 司法」の各条文の解説をします。

 

 第五章 司法


 第57条 1 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律二依リ裁判所之ヲ行フ

      2 裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム


 (口語訳)1 司法権は天皇の名において法律により裁判所が行う。

      2 裁判所の構成は法律をもって定める。


 司法権の意義は前回お話した通りです。「天皇ノ名ニ於テ」とは天皇の司法権を裁判所が代わって行使するという趣旨を表現するものです。
 ただ、統治権を総攬する(第4条)とは三権を行使するのと同義であるので、ここは天皇が司法権を裁判所の協賛または輔弼を受けて行使すると規定するべきでしょう。憲法復元の際にはこのように改正すべきと考えます。

 第1項は、三権のうち司法権の存在とその行使について定めたものであり、国体に関わる規範です。



 第58条 1 裁判官ハ法律二定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之二任ス

      2 裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分二由ルノ外其ノ職ヲ免セラルルコトナシ


(口語訳) 1 裁判官は法律に定めた資格を備える者で任命する。

      2 裁判官は刑法による有罪の判決またはその他の懲戒処分によるのでなければ、免職されない。


 裁判官が法律実務家である以上、それに相応しい法的素養を身につけた者にのみその資格を与えるべきことは当然でしょう。

 また、裁判官は裁判により有罪とされた場合、その他の懲戒処分を受けた場合のように、法律上正当な理由があるのでなければ免職されません。これは、その職務上、裁判というものが他の機関からの干渉を受けやすいのでそれを防ぐため、裁判官の身分の保障を定めたものと解されます。これを「司法権の独立」といいます。

 前回お話しした、司法権の意義に鑑みれば司法権の独立はそれを全うする上で必要不可欠です。よって、これも国体に関わる規範であると考えるべきです。



 第59条 裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律二依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得

(口語訳) 裁判の対審と判決は公開する。ただし、安寧秩序または良俗を害する恐れがあるときには法律の定めにより、または裁判所の決議によって対審の公開を停止できる。


 裁判は、公正に実施されねばなりません。これを保障できる最もよい方法は、裁判を一般に公開し、その傍聴を認めることです。裁判の公開は、法律に則った裁判を保障するのに不可欠なものであり、これは国体に関わる規範であるといえます。

 ただし、全ての裁判を公開することが適切であるともいえません。その裁判を公開することで、秩序や良俗に害を及ぼすと判断される場合には、非公開とするわけです。ただし、非公開とされるのはあくまでも対審(裁判の過程)であり、判決は絶対に公開せねばなりません。



 第60条 特別裁判所ノ管轄二属スヘキモノハ別二法律ヲ以テ之ヲ定ム

(口語訳) 特別裁判所の管轄に属するものは、別に法律で規定する。

 第61条 行政官庁ノ違法処分二由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別二法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判二属スヘキモノハ司法裁判所二於テ受理スルノ限二在ラス

(口語訳)行政官庁の違法な処分によって権利を侵害された場合の訴訟で、特別に法律で定めた行政裁判所で裁判するものに属するものは司法裁判所で受理することはできない。


 第60条と第61条は一続きのものなので、一緒に解説します。

 特別裁判所とは、通常の民事・刑事事件以外の事件、例えば行政裁判所や軍法会議などを指します。

 行政裁判所では臣民が行政官庁の処分により損害を被った場合にこの官庁を訴える、いわゆる行政事件を扱います。

 軍法会議とは、軍の規律に違反した軍人を裁く裁判です。

 これらの事件は、その特殊性から、通常の民事・刑事事件を扱う司法裁判所で裁判するのではなく、特別裁判所において裁判すべし、というわけです。

 特に行政官庁による違法処分についての行政事件については、法律で定めたものについては第61条において行政裁判所で裁判すべきとし、通常の事件を扱う裁判所(司法裁判所)で裁判することを禁じたのです。

 司法権の意義は、法を守ることにより国体を護持することにあるわけですが、本来であれば裁判所において裁判されるべき事件を、その性質に鑑みて特別裁判所で裁判するわけです。これによって司法権の意義が損なわれることのないよう、特別裁判所を規定するこれらの条文については考慮するべきです。


 次回は「第六章 会計」の解説です。



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大日本帝国憲法入門(19)

 こんばんは。今日から、「第五章 司法」に入ります。

 まず、初めに司法権の意義について、簡単にお話しておきます。


<司法権の意義>


 司法権とは、法に則った法律に基づく裁判を通じて、国体を護持するものである。

 
 司法権って何? と聞かれたら、多くの方は「裁判をすること」と答えられることと思います。もちろんその通りなのですが、実は、裁判という機能には、ただ単に民事や刑事の事件を裁判し、判決を下すということ以上の役割が含まれているのです。

 裁判は、法律に則って行われます。被告または被告人の行為が違法であるかを裁判するわけですが、そもそも法律は法(不文憲法)に違反していてはならないのです。

 ゆえに、いくら裁判で判決が出されても、そこで適用された被告や被告人の行為を違法とする法律そのものが法に反するものであれば、これは無効の判決ということになってしまいます。

 そこで、裁判の過程で、その事件に適用される法律が法に違反していないかが裁判官によって審査されるわけですが、これは法を成文化した憲法典に、その法律が違反していないか、を審査するという形式で行われます。

 つまり、その法律が憲法(成文憲法)に違反している場合、その法律をその事件に適用して判決を下すことはできないので、これを無効とし、その上で判決を下します。

 これを、違憲立法審査権と呼んでいます。『日本国憲法』では第81条で明文化されているものですので、ご存知の方も多いと思います。

 このように、違憲立法審査権は、憲法(成文憲法)とは法(不文憲法)を成文化したものであるということを前提に、法に反する法律を無効とするものなのです。

 司法権には、このように法律が法に違反していないか審査する役割、すなわち国体に関わる規範が議会の立法する法律によって侵害されることを防ぐ役割、国体を護持するという重大な役割があるのです。




<大日本帝国憲法における違憲立法審査>


 
 大日本帝国憲法は明文では違憲立法審査権を規定せず、実際の運用でも裁判所が違憲立法審査権を行使することはありませんでした。

 しかしながら、大日本帝国憲法が立脚する法の支配(立憲主義)の理念からは、法に反する法律が無効とされることは当然のことであり、違憲立法審査制が定められていないからといって、大日本帝国憲法が違憲立法審査制を明確に否定するものであると断言することはできません。

 起草の過程での諸事情もあったでしょうが、法の支配(立憲主義)を理念とする大日本帝国憲法において、法律が法に違反していないかを審査する機能を設けて置くことはその理念に適うとともに、必要なことであったと思われます。

 従って、大日本帝国憲法を復元する際には必ず、改正により裁判所に違憲立法審査権を明文で付与すべきと考えます。

 


<『日本国憲法』のでたらめさ>


 実は、『日本国憲法』のでたらめさは、この「司法権」というものの捉え方にも現れています。

 『日本国憲法』において、この違憲立法審査制が成文化されていることは、この法典の長所の一つであるという評価はできます。

 そして、それは違憲立法審査制が法の支配(立憲主義)の理念に基づくものであり、成文憲法において必ず成文化して法の支配を守る砦とせねばならないからなのです。

 ところが、今までにもお話してきたように、『日本国憲法』は法の支配の理念に基づいて起草されたものとは、到底言えません。

 法の支配を真っ向から否定し、それを破壊する「基本的人権」「国民主権(民主主義)「平等主義」「平和主義」などのカルト宗教的ルソー思想が根幹となっている『日本国憲法』は、そもそも憲法ですらありません。タイトルに憲法と書いてあるだけの、左翼全体主義思想のプロパガンダに過ぎないものです。

 やや今回のテーマとは離れますが、具体的な条文などを見ても、整合性に著しく欠ける箇所が見られます。

 例えば、第三章は「国民の権利と義務」という表題です。ところが、列記されているのは「基本的人権」とされている権利です。第97条にははっきりと「基本的人権」という言葉が使われています。

 「国民の権利」とは「国民」すなわちその国家において祖先から相続、継承してきた権利であって、これは法の支配に基づくものです。「基本的人権」とは正反対の概念である「国民の権利」を、それと同義に用いているとは、重大で明らかな誤りです。

 そして、第41条では、「国会は、国権の最高機関・・」である、と定めています。法の支配の理念の下では、立法・行政・司法の三権が分立することによって互いに牽制し合い、これをもって自由を保障しているのですが、「最高機関」という表現はあたかも国会が他の機関の上位に立つが如きものです。

 これは、『日本国憲法』が法の支配(立憲主義)を否定するものであることの一つの論拠といえます。にもかかわらず、他方では第81条で法の支配を前提とする違憲立法審査制を規定しているのです。

 こうして見ると、『日本国憲法』は相反する理念がごちゃ混ぜにされた、法典としても甚だ拙劣なものと言わざるを得ません。




<今日のポイント>


 1.司法権とは、法(不文憲法)を守ることにより、国体を護持するものである。

 2.司法権のこの働きを、違憲立法審査制という。

 3.大日本帝国憲法を復元する際には、改正により違憲立法審査制を明文で規定するべきである。



 次回から、各条文の解説に入ります。( ・ω・)ノ



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大日本帝国憲法入門(18)

 こんばんは。

 今日は、「第四章 国務大臣及枢密顧問」の解説です。



 
 第四章 国務大臣及枢密顧問



 第55条 1 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責二任ス

     2 凡テ法律勅令其ノ他国務二関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス


(口語訳)1 国務大臣は天皇を補弼し、その責任を負う。

     2 全て法律や勅令その他国務に関わる詔勅は、国務大臣の副署を必要とする。



 
 意外なのですが、大日本帝国憲法においてはいわゆる「内閣制度」は規定されていません。条文上存在するのは「国務大臣」のみです。従って、「内閣総理大臣」すらも規定がないのです。

 ただし、ご存知のように、実際の運用では内閣と内閣総理大臣は存在が当然視されています。伊藤博文『憲法義解』においても、本条の解説中に内閣や内閣総理大臣の言葉が用いられており、これらの存在を前提とされています。

 これらが憲法の規定に盛り込まれなった理由としては、内閣や内閣総理大臣の存在は当然のことであるので、簡略な法典を心がける趣旨からあえて当然のことを条文化しなかったということが考えられます。


 さて、この第55条第1項は、国務大臣の天皇に対する輔弼の任を定めたものであり、これは国体に関わる規範であると解釈するべきです。

 まず、「天皇は統治すれども親裁せず(第3条)」です。ここから、実際に政務を司る(うしはく)機関の存在が当然に導かれます。

 古代より、大臣や大連などによる政務が執り行われてきたのはご存知の通りと思います。摂関政治や幕府による政治の時代に至っても、政治の責任者が天皇により任命されるという構図には何の変化もありません。天皇は古来より現代に至るまで絶えることなく我が国を統治(しらす)され、その政務の責任は天皇により任命される「うしはく」者が負ってきたのです。

 天皇は我が国を統治されますが(第1条)、その統治権は国務大臣の輔弼によって行使されねばならない、というわけです。すなわち、この規定は第3条の趣旨を行政権の行使について具体的に規定したものというわけです。

 よって、この条文は国体に関わる規範であり、改正できないものと解釈すべきです。

 第2項はこの責任を明確化するための署名であり、形式上のものであると解すべきです。署名がないことを理由に責任を免れるというのは、輔弼の趣旨に反するからです。




 第56条 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢二応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス

(口語訳)枢密顧問は枢密院官制の定めるところにより、天皇の諮詢に応えて重要な国務を審議する。



 枢密顧問は重要な国務を審議し、それが誤った方向に導かれることのないように担保しようとするものです。伊藤博文『憲法義解』は枢密顧問について、「内閣と倶(とも)に憲法上至高の輔翼」であるとしています。



 次回は「第五章 司法」に入ります。



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大日本帝国憲法入門(17)

こんばんは。今日は第48条から第54条まで解説します。



第48条 両議院ノ会議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議二依リ秘密会ト為スコトヲ得

(口語訳)両議院の会議は公開する。ただし政府の要求またはその議院の決議によって秘密会とすることができる。


 原則として、議会の審議は公開されます。法律などの臣民の権利義務に関わる規範を定めるのが帝国議会の役割ですから、公開するのが審議の公正を保つ方策の一つと考えられています。ただし、案件によっては公開が適切でないものもありますので、このような場合には秘密会とすることができます。



第49条 両議院ハ各々天皇二上奏スルコトヲ得

(口語訳)両議院はそれぞれ天皇に上奏することができる。


 両議院はそれぞれ、天皇に対して請願などの上奏をすることができます。



第50条 両議院ハ臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得

(口語訳)両議院は臣民から提出される請願書を受け取ることができる。


 両議院は臣民から法律の制定についてその他請願を受理することができます。もちろん、受理する義務を定めるのみで、それを実施する義務まで定めるものではありません。



第51条 両議院ハ此ノ憲法及議院法二掲クルモノノ外内部ノ整理二必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得

(口語訳)両議院は憲法や議院法に定めるものの他、内部の審理等に必要な諸規則を定めることができる。


 両議院は憲法や議院法のようないわゆる法律の形式によるものの他に、規則の形式で議事などについての規則を制定できます。規則とは、法律と異なり、一般の国民の権利義務に関わらない、議会の内部事項に関わる規範のことを指します。



第52条 両議院ノ議員ハ議院二於テ発言シタル意見及表決二付院外二於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律二依リ処分セラルヘシ

(口語訳)両議院の議員は議院において発言した意見や表決について、議院以外の場において責任を問われることはない。ただし、議員が自分でその意見を演説したり、出版するなどの方法で公にした場合は、一般の法律によって処分される。


 これは、議院の審理過程において処分すべき事象は議院の処分に任せ、議事の審議の公正を保つため、原則として議員の発言などは議院以外によっては責任を問われることはない、という趣旨です。

 審議の過程においては、発言内容によっては名誉毀損や侮辱などの責任を追及される場合も出てきます。しかし、十分な審理を尽くすためには時として、このような事柄を気にせず、思い切った発言をせねばならないこともあります。

 そこで、議員の発言がこのような不法行為などに当る場合でも、裁判などで責任を追及されるのではなく、あくまで議院の内部での処分に委ねられるという特権を与えることとしたのです。

 ただし、議員が自ら自己の意見を出版などの形で議院外に公にした場合は、この特権を放棄したものとして、法律により裁判などで処罰を受けるなどすることとなります。




第53条 両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患二関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕セラルルコトナシ

(口語訳)両議院の議員は現行犯罪または内乱外患に関わる罪を除いては、会期中その院の許諾がなければ逮捕されることはない。


 いわゆる議員の不逮捕特権を定めたものです。特に野党の議員に対しては、政府は時に、都合の悪い言論を封殺するためその議員を逮捕するなどの行為に及ぶことがあります。

 そこで、言論の自由を守り、議事の公正をも保障するため、有罪であることが比較的明らかである現行犯罪、及び逮捕の必要性がその性質上大きい内乱外患罪を除いては、会期中にはその議院の許諾がなければ逮捕できないこととしたのです。



第54条 国務大臣及政府委員ハ何時タリトモ各議院二出席シ及発言スルコトヲ得

(口語訳)国務大臣及び政府委員はいつでも各議院に出席して、発言することができる。


 明文にはありませんが、憲法習律上、議院内閣制を採っていることの現れとして、国務大臣や政府委員は議員の資格がなくとも、各議院に出席し、発言することができます。これにより、議会と政府との意思の疎通を活発にし、法案審議などを円滑にすることができます。



 次回は「第四章 国務大臣及枢密顧問」に入ります。ヾ(o゚ω゚o)ノ゙




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