2011年5月10日火曜日

同工異曲の原発問題と安保問題

國體護持塾様のホームページに掲載された南出喜久治氏の論文から部分的に引用しています。(紫色の文字の部分が引用です)全文を是非お読みください。http://kokutaigoji.com/reports/rp_n_h230508.html 


当ブログ「日本が日本であるために」はURLをご覧いただくとわかる通り「自立再生」というテーマを中心に書かれた投稿がほとんどです。

今回引用させていただいた論文では、エネルギー政策において、日本の自立が失われているという現状とその経緯について書かれています。

 そもそも、原発は、どのやうにして我が国に導入されたのであらうか。広島と長崎が原子爆弾による無差別大量殺戮の被害を受けた我が国は、これに追ひ打ちをかけられたかの如く、昭和二十九年三月一日の米国の水爆実験によつて発生した多量の放射性降下物(いはゆる死の灰)を浴びた第五福龍丸の乗組員が被害を受け、「原子力(核)の恐怖」は国民的トラウマとなつて定着してしまつた。ところが、米国アイゼンハワー大統領の指令を受けた米国CIAは、読売新聞社主の正力松太郎を工作員に仕立て上げ、読売新聞と日本テレビなどマスコミを総動員して、「原子力の平和利用」といふ大々的な洗脳キャンペーンを行つたことから、我が国を原発推進へと大転換させた。これによつて、我が国は、核保有国が核を独占的に支配管理するNPT体制に組み込まれ、我が国のエネルギー政策における生殺与奪の権をアメリカに売り飛ばし、エネルギー戦争の第二の敗戦を帰した。

このたびの地震・津波による災害と同時に発生して福島第一原子力発電所の事故に関しても、原子力に反対する立場、推進する立場、反対する立場に反対する立場など、いろいろな議論(とまでは言えないものも多いですが・・・)が繰り広げられています。
最近とても気になるのが、どんなことでも右左、白黒、善悪の二元論におちいってしまう論争がとても多いことです。

 安保堅持と安保破棄といふ二者択一の正反対の対立では、誰もが納得しうる解決策が得られない。真相を隠蔽するために、正反対の二者択一を迫るのは、政治の常套手段である。そのことについては、占領憲法についての議論も同じである。占領憲法を憲法として有効であるとしたい敗戦利得者は、改憲か護憲かといふ茶番劇を、マッカーサーの手のひらで踊つて見せてゐることと、この安保堅持と安保破棄といふ茶番劇とは実によく似てゐるのである。安保破棄といふのは、即時破棄であることから、それによる急激な政治環境の変化を恐れた大衆が、やむを得ない次善の選択として安保堅持を支持したのであつて、売国政党の自民党の長期政権に貢献したのは、この非現実的な亡国政党である社会党の過激さにあつた。これによつて、自民党と社会党の馴れ合ひ政治が定着したのである。
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 この安保問題の構造は、原発問題の構造とよく似てゐる。原発推進派と原発反対派との対立は、過去の米ソ代理戦争を引きずつてゐる。対米隷属を深めようとする原発推進運動と、それが確立することに反対するソ連が支援する原発反対運動との対立である。そして、ソ連崩壊後の現在の原発反対運動は、米国一極支配に反対するロシアと中共らの共同戦線に支へられてきたのである。

ここでは脱原発という考え方を支持しています。
原子力発電によって生成される核廃棄物の処理にはメドが立っていませんから、今後長い年月をかけて対処していかなくてはならない。あるいは画期的な技術が出るまで待たなければならない。捨てるところがないのに、ゴミを出すというのはおかしな話ですから、核廃棄物をなるべく出さないようにしよう、少しづづでもいいから原子力発電から抜け出して行こうという立場です。
ですので次の段落で述べられているような二極化は好ましい状況だとは考えません。

 原発問題に関しては、福島原発事故の後、親米勢力の原発推進派と反米勢力の原発反対派とのせめぎ合ひが顕在化し、二極化が深更してゐるが、核のトラウマに便乗する後者が優勢であることは言ふまでもない。しかし、ここに完全に没落してゐるのは、真の祖国愛を抱く親日勢力であり、親日勢力はこれら両派の外国勢力のために股裂き状態に追ひ込まれてゐる。原発推進することが保守だとする倒錯した議論が無自覚に語られ、脱・原発を唱へる愛国者を原発推進派の似非保守の売国奴が平然と批判することが繰り広げられてゐる有り様である。

このような二極化を生む要因の一つに、曖昧な情報の流布あるいは情報の操作が行われることが挙げられます。このような情報操作は、しばしば政争の中でも行われます。
原子力発電の場合は、ウラン鉱脈の利権、国家間の利益、政治家、官僚、学者、メディアの権益などが絡む大きな構造の中の問題です。

 ところで、原発推進派が喧伝する、原子力発電コストが他の発電コストに比べて低いといふのは、CIA工作によるデータの改竄によるもので、実は原発コストが一番大きいのである。発電コストについては、資本費、操業費、燃料費で比較してゐる比較して見せるのであるが、これは、原発を継続運転する場合のイニシャルコスト(資本費)とランニングコスト(総業費、燃料費)だけであつて、一般的な通常の会計学的手法が用ゐられてゐるに過ぎない。しかし、厳密に会計学的に考察すると、原発コストの場合は、いはば「偶発債務」や「負債性引当金」などに相当するものが計上されてをらず、他の発電の場合と比較して、これらが余りにも大きすぎる点が明らかに隠蔽されてゐるからである。平易に言へば、原発の耐用期間が経過した後に、その老朽原発を安全無害に解体する場合の廃止措置費、放射性廃棄物(使用済み核燃料)の継続的管理費及び最終処理費(地層処分費)、地層処分のための用地を確保する土地取得費と交渉対策費、原発事故が発生した場合の復旧費とその放射線汚染に伴ふ損害賠償費、原発の新規建設を推進させるための地元対策費や継続的な地元援助金、利益誘導対策費、用地買収資金などを計算に入れれば天文学的な金額になるが、これらについては、発電コストの原価計算の基礎数値からは完全に除外されてゐるからである。

コスト構造については、食料に関しても同種の問題があります。
生産、流通、消費の各部門に関しては、しばしば統計が発表されますが、再生(再処理や処分も含む)コストについては、あまり表に出てきません。
統計の取り方をもっと改善した方が良いと思います。

尖閣諸島周辺に眠る海底資源、日本海に眠るメタンハイドレートなど、日本には輸出できるほどの資源があると言われていますが、一向にそれらを採掘して活用しようという動きはありません。これからはいくつかの選択肢として、これらの資源を利用する方向に向かうべきであると思います。

 そして、その過渡的な政策として、これまで我が国がエネルギーの自給体制をとることを阻止し、あるいは独自のエネルギー外交をすることさへも徹底して妨害してきたアメリカから我が国は自立して、我が領土である尖閣諸島の海底に眠る石油、天然ガスなどの海底資源などや、日本近海に眠るメタンハイドレートなどを資源化する事業に政府主導で直ちに着手し、その開発に伴ふ内需拡大によつて東日本のみならず我が国全土にわたる復興を実現するのである。そして、これまでのエネルギー輸入国からエネルギー輸出国へと劇的に政策転換させる基本戦略に立つ必要がある。エネルギーの自給が達成できれば、食料の自給も達成できる。技術革新を独自に推し進め、原発依存の比重を極小化したエネルギーバランスを実現し、最後にはウランその他の稀少金属に依存しない自然エネルギーなどによるエネルギーの完全自給を達成させ、我が国が独自に安定国家となるための基軸を打ち立てなければならないのである。

政府は浜岡原発の停止を決めたようですが、明確な方策=日本の自立性が高まる方向でのエネルギー政策があるようには思えません。

 しかし、仮に、さうであつたとしても、自立再生論による祖国再生の基軸を立てた結果であれば是とすべきであるが、実際はさうではないところに我が国の病巣の深さを感じる。その場しのぎの方針であることにも問題がある。そして、その病巣の根幹には、占領憲法がある。占領憲法は、GHQの占領下で制定されたため、国家緊急事態に対処しうる制度がない。占領下での国家緊急時といふのは、支配者であるGHQの緊急事態のことであるから、そのやうなことは占領憲法で定めるはずがないからである。

先日、福島県に放射線量を確認するために出かけてきましたが、失業、家の喪失、家族の離散、風評被害など正視するのが辛くなるような現実を目にしました。農業は壊滅に近い地域も多く、もう少ししたらその影響を実感することになるかもしれません。
以下の部分は五・一五事件に関するものですが、あながち過去の話では済まされないことだと思います。

 五・一五事件と聞くと、日本青年の歌を作つた三上卓や、黒岩勇、古賀清志らの帝国海軍将校や陸軍士官学校の生徒による軍事クーデター未遂事件であると教科書的に理解する人が多い。それはそれで決して間違ひではない。確かに、この事件によつて軍部に対する政治家と官僚の萎縮効果が生まれ、二・二六事件へと向かふ歴史の流れを作つたことは否めない。 しかし、この事件の教訓はそれだけでは終はらない。この事件は、橘孝三郎が率ゐる愛郷塾の塾生が結成した「農民決死隊」の七名が、昭和初期の世界恐慌による農村恐慌、特に、東北地方の農民生活が極度に疲弊し、娘を都会人の性的欲望の生け贄として身売りしなければならないやうな悲惨な状況などを見るに見かねて立ち上がつたことに留意しなければならないのである。これは、勿論、五・一五事件に共通した義憤ではあるが、この農民決死隊が牙を向けた先は、軍人グループのやうな要人テロではなく、東京の変電所であり、それを襲撃することにあつた。東京市には、東京電燈株式会社の、田端、鳩ケ谷、淀橋、亀戸、目白の各変電所と、尾久にあつた鬼怒川水力電気の東京変電所がある。これら六箇所の変電所を襲撃して東京市を大停電に陥れ、クーデターを決行しようとの計画であつたが、大停電をさせることの真の目的は、農村の疲弊が都会の享楽にあるとの認識から、資本主義の弊害を是正しなければならないといふ強烈な警告を行ふことにあつた。勿論、この計画は、田端変電所の電圧メーターを金槌で壊しただけで、用意してゐた手榴弾などを使用できずに不成功に終はつた。それゆゑに、要人テロとは異なる農民決死隊事件が五・一五事件として同じ名前で一括りにして語られることに違和感があるのは私だけでないはずである。
 この事件(農民決死隊事件)の背景事情や経緯は、今回の東日本大震災と巨大津波による福島原発の全壊事故、これによる東京都の計画停電に至る時系列と事実関係とは全く異なるものである。しかし、明らかにこの二つのことは同工異曲の事件と言へる。

過去にさかのぼることはできません。しかし、私たちは生きなければなりません。
ですから、むしろ今回の事件や、歴史上の出来事を教訓に、本来あるべき姿=自立した日本のために努力をしなければならないと思います。

 それは、日米安保問題、原発を含む核問題の根源は、占領憲法問題といふ同根から生まれてゐるものであつて、我が国と世界を再生させるためには、占領憲法の無効宣言をして、我が国と世界に吹き荒ぶ賭博経済の金融資本主義を淘汰し、自立再生社会の実現が刻下の急務であることの現在的な教訓なのである。





もう一度書きますが、このブログのテーマは自立再生です。
そのために、日本の文化をもっと知ろう、伝統的な祭祀に関心を持ち実践しよう、生存や子孫繁栄のために欠かす事のできない食べ物やエネルギーについて考えよう、そして何かを変えようと訴えています。その一部に憲法問題、歴史認識などを位置づけています。
自立再生という視点で、原発事故のことを考えてみませんか?

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