2011年6月23日木曜日

スマートグリッド社会〜諦めるな日本人!日本の未来を考える

ITの世界で長く働いてきたものですから、どうしても英単語が出てきてしまいますがお許しください。

復興という言葉を毎日のように見ますが、前の状態に戻すだけなら復旧か復元ですね。
前の仕組みの延長線上で、生産量や消費量のわずかな増加を目指すのは復旧のオマケみたいなものです。
復興というからには、「興す」という創設的な意味合いの考え方が必要ではないかと思います。

教育や家族、地域の荒廃、政治や官僚の腐敗、外国からの様々な圧力、自然災害、原子力災害など、さまざまなストレスで日本がボロボロになっていくのを見てきて、私自身も日本が目指すべき社会の形について想いを巡らせてきました。
これらの問題の一つ一つに対応しているのではなく、根本的な解決策はないかと考えてきました。
いろいろな理論や思想にも示唆を与えられました。
今回は私なりの理解をもとにして私なりの言葉で書いてみたいと思います。

私の考える日本の未来の形は「スマートグリッド社会」です。
「スマート」な「グリッド」で構成される社会です。

スマートグリッドという言葉は配電の仕組みを説明するときに使われることが多いようですが、電気を運ぶ仕組みに限定しないで、社会全体の構造をスマートグリッドにしようという発想です。


日本では少子化や人口減が問題視されていますが、地球規模で考えれば人口増加が問題となっていて、それに関連して食料問題、環境問題、その結果としての紛争や戦争といった問題があると認識しています。

今日食卓に並ぶ食材が、いくらお金があっても手に入らないということ。
子供や孫の世代の人たちが、住めない環境になってしまうこと。
食料や住める環境を求めて、人々が奪い合いや殺し合いをするということ。
現実問題として進行していると言ってもいいかもしれません。
他人事ではないのです。

実際に私たちはその状況をリアルタイムに見ています。
福島県相馬郡飯舘村について少し関心を持ってください。
飯館村は市町村合併の流れに反して、自給自足の村として生きていくことを決めた村です。
学校給食は村でとれた食材だけで作っていたそうです。
農家や酪農家がそれぞれに努力して食べ物を作り、「困ったときはお互い様」という助け合いの精神を醸成してきました。

原子力発電所の事故があって、この村だけが異様に高い放射線に汚染され避難を余儀なくされました。
何度か原発事故以降にこの村を訪れて、複数の場所で放射線量率測定をしましたが、周辺の地域と比べて異様に高い放射線量率に驚きました。偶然のいたずらでしょうか。なんともむごいです。
たった一度の原発事故で、村の人たちの努力も夢も一瞬で破壊されました。
いつになったら農業や畜産業を再開できるかという目処も立ちず、悔しい気持ちや不安な気持ちで毎日を過ごしています。(村の方から聞いた話です)

新築したばかりの家に、何者かがやってきて、放射性廃棄物を投げ込んだ。
もうそこには住めない。
犯人は誰だかよくわからない。
誰も助けてくれない。
そんな状況を想像してみてください。
腹立たしいですよね。

東北や関東の他の地域の作物も、多かれ少なかれ影響を受けます。
出荷停止、耕作断念、産地偽装、さまざまな問題が起きるでしょう。

お金があっても食べ物が買えない。
ないんだから買えない。
買えても怖くて食べられない。
住めない地域も広がる。

あまりにも不都合ですが、これが現実ではないかと思います。

原発災害は象徴的な問題だと思います。
核燃料は特定の人々が採掘から流通までを独占しています。
電力会社は他のエネルギーへの移行を妨害し原子力発電を推進してきました。
官僚や政治家もそれを推進してきました。
メディアもしきりに原子力の宣伝をしてきました。
補助金をばらまいて、原発を誘致した地域に雇用を作り、文句を言わせない。
基地問題と同じ手法です。

そこまでするのは儲かるからですね。
原子力は儲かる。

ここからが本題です。

スマートグリッド社会の「スマート」は「賢い」、「グリッド」は「編み目のような形」です。
「グリッド」の「編み目の結び目」部分が村や家庭です。

消防署が2km程度の編み目状に配置されるのは、火事が発生したときに現場にすばやく行けるようにするためです。
小さな火事であれば、一つの消防署だけで対応しますが、大きな火事になったら、複数の近隣の消防署が力を合わせて対応します。
個々の単位が自律していること、その自律した単位が編み目のように並んでいること。
それが多様な対応を可能にします。

もし食べ物を自宅ですべて作れたら、食料自給率が100%なら、一部の不足した食材は買いに行くかもしれませんが、食材を調達するためのコスト=長距離を運ぶ、運ぶための梱包材が不要ということになります。
財貨の取引を積み上げるGDP評価方式からすれば、あまり良いことのように思えませんが、自分が食べるものを自分が作るわけですから、これ以上の安全な食材はありません。

隣の家がキャベツを作って、自分の家ではキュウリを作る。
お互いに余った分を交換すれば、どちらの家の食卓にもキャベツとキュウリが並びます。
GDPには積み上がりませんが豊かです。

十分な食料を自分で作れるわけですから、災害時に「お互い様」の精神で助け合うこともできます。
自分の家も隣の家も、自分の村も隣の村も、自律した状態です。
自律しているから、自分が生きられて、もしもの時は隣を助けることができます。

エネルギーを自給します。
バイオ燃料で動く車があれば、ガソリンを買わなくてもいいかもしれない。
家で使う電気を自分で賄えれば、遠くから電気を買ってくる必要もない。

ビールが好きな人やタバコが好きな人は自家製ビールと自家製タバコ。
たくさん作れたら、ご近所さんと取引します。

小さな製品なら個人、あるいは小さなグループで作る。
昔の職人集団みたいなものですね。
きっといいものができます。
共同体の稼ぎ頭になれるかもしれませんから、雇用が創出できますね。

自分で作り始めると、その環境を大切にするようになりますね。
ほとんどが自然の恵みなわけですから、汚水や廃棄物の処理も自分でやるわけですから、環境を大切にします。
いやがおうでも、生産から再生までの循環系を作る方向になります。

こういうことを一つづつ積み上げて行きます。
電気を作る技術、野菜を栽培する技術、ビールを作る技術、製品を作る技術。
そういう技術を交換することで、どんどん賢くなって行く。
文字通り「スマート」になっていく。
知も財も集積していく。

小さな「スマートな単位」が、他のスマートな単位と「スマートにつながって」助け合う。
大きな問題には共同で対応し、小さな問題は自己で対応する。
みんなが「スマート」ならそれが可能です。

持続可能で賢くて助け合える社会が「スマートグリッド社会」ということになります。

自然を大切にする。
勤勉である。
和の精神がある。

日本らしくないですか?
日本の社会がスマートグリッド化できたら、その考え方や技術を輸出します。

このような社会ができると劇的に変わる可能性があるものがあります。

日本の社会には、それこそ網の目のように徴税の仕組みがあります。
また至る所に許認可の仕組みがあります。

徴税と許認可は利権の温床です。

では「スマートグリッド社会」ではどうでしょうか?

ビールを作れば酒税は払いません。
燃料を作ればガソリン税は払いません。
流通が減れば、その過程で生産・消費されるほとんどの製品やサービスは不要。当然、その過程で必要とされる税金も許認可も不要です。
利権の温床を減らせることになります。

政治の仕事は国内的にはグリッドを維持することが中心になり、対外的には外交と国防が中心になります。
外交や国防といった対外的な部分は縮小するのが難しいですが、国内的な部分は費用を大幅に削減可能です。

利権が生まれる土壌があれば、利権に群がる人が出てくるのは当然です。
いくら批判をしたところで土壌がある以上は変わりません。
その土壌をなくしてしまう可能性があるのが、この「スマートグリッド社会」です。

飯舘村はそんな未来の覗き窓のような存在だと思います。(応援の意味を込めて現在系です)
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/index.html

そう考えると、私たちがエネルギーを傾ける方向は、私たちが「スマート」になって「お互い様」の精神でつながることではないでしょうか?
「スマート」に生きようと思いませんか?
どんなに大きな力でも個人個人の心までは征服できません。
「スマート」な生き方を邪魔しようとする者が私たちの敵なのではないでしょうか?
スマートな生き方をするための一切の障壁を私たちは取り払う必要があります。
幸せな生き方を邪魔する力を弱体化する必要があります。
戦う相手を間違えないようにしたいものです。

今すぐに出来ることがあると思います。
それを見つけたらやってみましょう。
そして技術や知識を共有しましょう。

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