2011年6月22日水曜日

米軍は親切だったのか ~ 沖縄戦

JJ太郎さんのブログから転載させていただきました。
http://ameblo.jp/jjtaro/entry-10921108474.html


やはり鬼畜米英という言葉は的を射ている。

 大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。

投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で次々死んでいった収容所もあります。
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。

収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。

妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、こういう話は山ほどあります。強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。

沖縄戦の体験証言集を読むと米軍の蛮行がいくつも出てきます。

仲地文子さん
「羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、米兵に襲われた女性が何人かいた。だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、薄汚いなりをして歩いたものだった。また、深夜に突然米兵が現れると空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである」

山里宗富さん
「戦前私の近所に照屋松助という頑丈な男がいた。当時彼は家族と別れて一人で瀬底に避難していたが、その日はたまたま健堅に戻って来て家族とともにウイバルにいた。すこし体のぐあいが悪いということで寝ていたのである。そこへ突然銃を持った二人の米兵が現れ、妻子に乱暴しようとした。たまりかねた彼は起き上がってきて米兵の前に立ちはだかり、『私も海軍にいたことがあるが、君たちのように非道なことをしたことはない、ささっさと帰りたまえ』と怒鳴りつけた。言葉は通じなかったもののその場は何事もなく収まり、米兵らはいったん引き上げたかに見えた。ところが間もなく米兵らが戻って来て、彼をたたき起こし、銃をつきつけて前へ歩くように明治、前の原っぱに連れ出していきなり射殺したのであった」

末吉カメさん
「普通の米兵はとくに悪いことをするようでもなかったので、私達は安心していた。ところがそのなかに、住民から鬼のようにこわがられている者がひとりいた。やせっぽちのシビリアンと呼ばれていたが、彼はいつも銃を持ち歩き、男という男はかたっぱしから捕まえてひっぱっていったし、若い女性には乱暴をはたらくなど、非道のかぎりをつくしていた。事実彼によって何人かの男たちが殺されてしまった。そいつが村に入って来るのを見て、すばやく若い女性を逃がしたために、原っぱに連れ出され、正座を命じられて射殺された男もいた」

米軍は寛容で親切だったなんてことはまったくなかったのです。自決せず投降して助かった人が幸せだったとはいえないでしょう。こうした米軍の蛮行を見て戦時中「米軍は女性を陵辱し、男性は戦車でひき殺される」というフレーズが思い出す人もおり、自決した友人達を羨んだといいます。



参考文献
小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助
参考サイト
沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu



転載ここまで。




今でもアメリカは良い国で支那は悪い国みたいな空気を醸し出す人がいますが、実際はそうでもありませんね。
私の生まれ育った地域には米軍の通信基地がありましたが、その周辺で女性の不審死がよくありました。不思議と新聞には事件として載らないんです。
仕事で米軍基地に納品をしに行くことが何度かありましたが、米軍兵士に基地内に呼び込まれて複数の兵士に乱暴されて逃げてきた女性が保護されているところも見たことがあります。
基地のある町ではそういうことが当たり前でした。
ああ、未だに日本は占領されたままなんだなと思ったものです。
問題があっても隠されてしまう。
問題がないことになってしまう。


日本人は怒る対象をよく見て、怒るべきときに怒ることが必要ではないかと思います。

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