2011年11月16日水曜日

大日本帝国憲法入門(8)〜 ネットで政権批判を禁じる法律が制定されても、帝国憲法では無効 〜

 こんばんは(。・ω・。)

 今日から、「第二章 臣民権利義務」の解説に入ります。



(1)「法律の範囲内」の保障とは 

 ~ ネットで政権を批判するのを禁じる法律を制定しても、帝国憲法では違憲無効 ~


 若干、法律学の専門的な話になってしまうのですが、少しお話しておきます。初めてお読みになる方で、「法」と「法律」の違い、立憲主義(法の支配)の意義をご存知でない方は、「入門の入門 立憲主義(法の支配)」などを参照して下さい。

 これからお話するように、第二章は様々な権利を保障しています。そして、これらの権利の多くは、「法律の範囲内で」あるいは「法律に定められたところにより」保障される、などとされています。
 
 つまり、例えば、憲法第29条で言論の自由を保障する、と規定されていても、では具体的にどのようなものが対象になるのか、どのようなやり方で言論を発表しても許されるのか、など、その言論の自由の範囲は法律によって決められるのだ、ということなのです。

 さて、ここで問題が生じます。例えば、「言論の自由」にはインターネットでの言論は含まれない、という法律ができたならばどうでしょうか?つまり、新聞やテレビ、雑誌などで時の政権を批判するのは構わないが、インターネットで政権を批判することは「言論の自由」に含まれない、とされてしまうわけです。

 もしもこのような法律ができたならば、多くの国民にとって、政権を批判する自由はなくなってしまいますね。後に詳述しますが、政権を批判する自由というものは、為政者が公正な政治を行う上で一定の範囲において保障されるべきです。国民から一切批判を受けない政権などというものは緊張感を失い、腐敗する恐れもあります。その意味では「言論の自由」は憲法が保障する権利の中で最も大切なものです。

 そう考えるならば、確かにテレビや新聞というメディアも重要ですが、現代社会においては、インターネットは大変重要な位置を占めるに至っていることはいうまでもありません。テレビや新聞でなかなか取り上げられることの少ないような意見も、インターネットでは手軽に発表できます。そうであれば、インターネットでの政権批判も、「言論の自由」で保障されるべきです。

 しかし、第29条は、「法律の範囲内において」言論の自由を保障する、としているのです。では、法律でどのように決められても、どうすることもできないのでしょうか?

 行政法学には、「法律の留保」という学説があります。これは、オットー・マイヤーというドイツの学者が唱えたものですが、「法律の範囲内で保障される」とされている「権利」の範囲は、どのようにでも法律で決めることができる、という説です。つまり、この考え方に従えば、インターネットで政権批判をするのを法律で禁じるのは憲法違反ではない、ということになります。

 しかし、この学説は我が国においては到底認められません。そもそも、立憲主義(法の支配)の下においては、国体に関わる重要な不文の規範(法)に反するあらゆる法律、勅令、命令、条約などは違憲であり無効となるのです。

 我が国においては古来より、人々の様々な表現活動や時の政権に対する批判も一定の範囲で行われ、これらが国家の安定に寄与してきたことは明らかです。「言論の自由」という言葉などはなかったとはいえ、これらが国体の護持にとって重要な機能を果たしてきたと言えるでしょう。よって、「言論の自由」は国体に関わる不文の法の一つであると言えます。

 従って、いくら「法律に定めた範囲」でしか保障されないと条文上は定めていても、国体に関わる不文の法の趣旨を損なうような法律は、憲法違反であり無効である、とされます。オットー・マイヤーの「法律の留保」説は立憲主義(法の支配)に反する学説であり、我が国では認められません。

 立憲主義(法の支配)の考えからは、現代社会においてはインターネットは大きな役割を果たしており、そこでの政権を批判する自由は「言論の自由」に含まれ、これを除外する法律は無効である、となります。

 以下、各条文の解説に入りますが、ここでの「法律の定める」あるいは「法律の範囲内」はこのような意味を持っていることを頭に置いてお読み下さい。
 


(2)臣民の権利と義務
 
 
 第二章 臣民権利義務


 
 第18条 日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル

(口語訳)日本国の臣民であるという要件は、法律によって定める。


 どのような人間が日本国の臣民といえるのか、は、法律によって定めることができます。ただし、法律で定めればどのように定めようと勝手だ、というわけではありません。(1)でお話したように、臣民は国家の根幹であり、その範囲に関わる規範は国体に関わる規範であるといえます。

 従って、その定め方によっては憲法違反で無効となります。



 第19条 日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格二応シ均ク文武官二任セラレ及其ノ他ノ公務二就クコトヲ得

(口語訳)日本国の臣民は法律や命令の定める資格に応じて公平に文武の官僚に任命され、そしてその他の公務に就くことができる。


 公務に就くことは、日本国臣民に等しく与えられた権利です。ここでは、法律だけでなく、命令によってもその条件を決定できるとされていますが、もちろん、命令も法の支配に従いますので、公務就任の公平に明白に反するような法律や命令は違憲無効となります。



 第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

(口語訳)日本国の臣民は法律の定めに従って、兵役の義務を負う。


 第20条は兵役の義務を定めています。全て臣民は、祖国を防衛し国体を護持するため兵役の義務を負うこと、これもまた国体に関する不文の法といえます。我が国において武士が存在した時代には、この義務はただ彼らに専属していたかのように見受けられますが、やはりこの時代にも、ひろく臣民に祖国防衛と国体護持の義務があり、ただ戦に習熟した武士が率先してこれらの義務を果たしていたものと捉えるべきでしょう。

 この条文は、徴兵制をとるか、志願兵制をとるかも「法律の定めるところに」委ねています。ただし、潜在的に全ての臣民に兵役の義務があるとするのが我が国の国体に関わる不文の規範である以上、法律で平時には志願兵制を可としても戦時には徴兵制をとるという立法も、憲法に違反するとはいえないでしょう。



 第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス

(口語訳)日本国の臣民は法律の定めに従って、納税の義務を負う。


 いうまでもなく、税を納めることは臣民の義務です。臣民が納税すべきことは国家を運営していく上で必要不可欠であり、これもまた国体に関する不文の規範であるといえます。いかなる税を納めるべきかは法律で定められるわけですが、反面、過度の重税は臣民を「大御宝」としてきた我が国の国体に関する不文の規範に反することになり、違憲無効となる可能性があります。


 次回は「第22条 居住と移転の自由」からです。


 このブログはこちらからの転載です → ブログ『大日本帝国憲法入門』

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